稲穂ゆれる空の向こうに

塵あくた

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アイデンティティ

逢魔が時

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出発までの数日、蒼音は準備に余念がなかった。

時バアの電話番号に、もしもの為の酔い止め、絆創膏、携帯ラジオに、長い乗車時間を潰すためのトランプ、腕時計。
三人の中で携帯電話を持っている子はまだいなかった。だから、公衆電話用に十円玉も用意した。
そして一番肝心なこと。両親への簡潔な置き手紙を書いた。



《 お父さんお母さんへ
僕、汽車に乗って時バアのところに行きます。
桜井さんと管沼君も一緒です。

新学期までには戻る予定です。

勝手なことしてごめんなさい。
でも、今どうしても行かなきゃいけない訳があります。

その訳はあとからきちんと説明します。
だから僕のことは心配しないでください。
                               蒼音 》



白い便箋に清書をして、綺麗に折りたたんで当日に備えた。

その様子を茜音がじっと見詰めていた。

『お母しゃん怒らない?
蒼音のこと怒らない?』

「さあどうかな?
普通なら怒るよね。
だって、子供が黙って汽車に乗って出ていっちゃうなんて、やっぱり怒るよね。

怒られたっていいんだ。

それは構わないよ。
ただ、心配させるのは気が重いかな・・・

茜音はそんなこと心配しなくていいよ。
これは僕が決めたことなんだから。

僕がそうしないと気がすまないから、だから行くんだよ」

『ありがと蒼音、あたちきっと蒼音の親切忘れない』

「や、やだな・・・
茜音ったら、まるでお別れするみたいな言い方して。

お別れするために行くんじゃないよ。
茜音の記憶を取り戻すだけさ。記憶が戻れば、茜音だって不安が消えるだろう?
そうなれば、心配なくこれから一緒に過ごせるだろう?」

自分に言い聞かせるように、蒼音は茜音を優しく諭した。

「あれ?そういえば小町は?
さっきまでそこにいなかった?」

『下で寝てるよ。
最近よく寝るの。眠いみたいなの』

「ふーん、今年の暑さで夏バテでもしたのかな。
最近食欲も落ちたみたいだから」

蒼音はキッチンに降りてゆくと、この家で一番ひんやりと涼しい、ダニングテーブルの下で伸びている小町を撫でてやった。

「おい小町、僕もう三日後には行くんだからね。
留守番の方よろしく頼むよ」

蒼音の声に僅かな反応を見せた小町だが、またすぐに眠ってしまった。

「本当に最近、元気がないなおまえ。
ご飯の時間には起きるくせにな、まあ歳も歳だから仕方ないかな」



そうこうして準備を進めている間にあわただしく数日が過ぎ、とうとう出発当日を迎えた。
蒼音は家を発つ前に、約束どおり、きちんと時バアに電話を入れた。



「時バア、僕今から行くよ。
友達も一緒なんだ。
絶対大丈夫、僕を信じて待っていて」


報告を終えると、自分の机の上にさりげなく置き手紙を残し、両親がまだ仕事から帰らぬ夕方、蒼音と茜音はリュックサックを背負い、意を決して家を出た。



午後五時に約束の公園で落ち合った四人は、意気揚々と駅に向かった。

「さ、行こうかみんな」

『うん!みんないっちょに行こう!』

「うん行こう、もう後戻りはできないぞ、俺なんて妹に手紙託したんだぜ。
変に緊張したよ。
夕飯の時、お母さんが俺を探し始めたら、この手紙を渡すんだぞって、みっちり言い聞かせてきたらから大丈夫だ」

「あたしも、この前のお兄ちゃんのデートを黙っておいてあげたから、お兄ちゃんすんなり協力してくれたわ。
頃合を見て、机の上の手紙を見つけたフリをしてくれるって。
安心だわ」

琴音も涼介も準備は万全。
ぬかりはなかった。
四人は徒党を組むように、大手をふって行進していった。




駅に着くと、早めの帰宅ラッシュが始まっているのか、切符売り場は少しごった返していた。

かえってそのほうがよかった。
あまり人目につかずに改札を抜けることができる。

それぞれのお小遣いを捻出して、当日の乗車券とフリー切符を購入した。

夏休み時期は、この切符で小旅行をする小学生も多少はいるのだ。
だから怪しまれることはなかった。


改札を抜けると、まずは第一関門突破。

四人はもう胸をなでおろし、ひとまず安心できた。
これからあと、半日以上は汽車で過ごさねばならない。

今はまだ旅気分が抜けていないが、ちょっとした過酷な修行のようだった。

ラッシュに揉まれ、まずは主要駅まで向かうと、もう辺りは暗くなっていた。
四人は人気のない駅構内の端っこまでゆき、ベンチに座って持参した夕食をここで摂ることにした。

しかし緊張しているのか、あまり食が進まない。

「茜音食べるか?
僕今はいいや、後で食べる」

『うん!少ち食べたい』

蒼音は茜音に半分おむすびをあげると、自分はお茶を飲んで気分を落ち着けた。
おむすびは、炊飯器に残っていたご飯を自分で握ってきたものだ。

母のようにうまく握れず、いびつな形をしていた。
他の二人もあまり食欲はなかった。
コンビニで買ったおむすびやパンの、味気ない夕食では当然食欲も失せるだろうが、ここに来て急に不安に駆られたのだ。




「今頃、お母さん心配してるかな?
お兄ちゃんもう手紙のこと言ったかな?
お父さん怒ってるかな・・・」

「俺も・・・
妹、ちゃんと手紙渡してるかな?
忘れてたりして、警察にでも連絡されてないかな・・・」

「そうだね、僕も心配だな。

お母さん、あんな手紙読んで、僕のこと呆れるかな。
もう帰ってこなくていいって思われれてるかな」

四人は肩を落とし、ホームの端っこで項垂れていた。



しばらく無言で思いつめていた四人だが、ホームに乗車予定の夜行列車が入構してくると、今度こそ後戻りは出来ない。とばかりに意を決した。


「来た!

“快速スターライト”が来たよ!
僕たちが乗る列車だよ」
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