殿下、今日こそ帰ります!

黒猫子猫(猫子猫)

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第30羽・私たちの仕事

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 一月後、エミリアは真剣に悩んでいた。信貴と有海を世界に還すため、エミリアは鳥化と飛ぶ練習を毎日、必死で繰り返した。日頃の運動不足がたたってか、筋肉痛に苦しんだ日もあったが、本能というものもあるのか、次第に安定するようになった。練習の合間には、トリシュナとお茶を楽しんで、心身も癒されることが多かった。

 昔のエミリアの記憶はまだ断片的に思い出すだけだったが、渡世鳥の力の引き出し方は、同じ能力者をランスが探し出してきて教えを請うこともできたので、大きくは困らない。

 ランスは公務以外の大半はエミリアの傍にいて、相変わらず甲斐甲斐しく世話をした。

 本当にありがたいと、エミリアは思う。だが、彼の行動は日々、度を越してきている。

 朝、エミリアはランスの私室のソファーに座り、目を擦った。

「まだ眠いか?」
などと、隣に座ったランスがにこやかに聞いてくるが、顔が引きつるのが先である。

「殿下。これはなにかしら」
「見れば分かるだろう。朝食だ」

 籠いっぱいのパンに、数種類のスープ。器から溢れんばかりに盛られた野菜のサラダに、チーズが添えられている。果物も数種類がカットされてシロップ漬けにされて、デザートまで完璧だ。
 和食も一緒だ。おにぎりはもう当たり前のように出てくるが、数は五つに増えている。最近では具の種類まで増えた。スープがあるのに味噌汁がつき、こんがりと良い焼目のついた魚もある。

 とっても美味しそうだ、が。

 何人前だ、とエミリアは頭を抱えた。

 ――――ふ、増えてる……! あんなに遠慮したのに。なぜ、通じないの!

 さすがに食べ切れないとランスに訴えて、彼も一緒に食べてくれるようになったので、一人で数人前の量を食べずにいられてはいるが、ランスはエミリアを満腹にしてからではないと、自分の食事をあまり進めない。

 おかげでエミリアは、毎朝お腹がいっぱいである。ランスは残った分を平気な顔をして食べてしまうので、彼の方がよほど痩せの大食いだ。

 エミリアはランスに差し出されたお握りを受け取って齧りながら、掠れた笑みを浮かべた。

「私はそろそろ怒っていいかしら」
「またか? 先日も説教だったな」

 ランスは軽く返してくる。まったく反省の余地がなさそうな彼を、エミリアは睨んだ。

「貴方がいかにもか弱そうな貴族の男の子を、容赦なくいじめていたからよ!」
「お前を勝手にじろじろ見て、野卑な言葉を吐いた。俺に喧嘩を売ってきたのは向こうだ。何が悪い」

「そうだったの? でも、蹴ることないじゃない……」
「わざとよろけた振りをして、お前に触ろうとしていたからだ。殺されなかっただけ、ありがたく思えと言っておいた」

「それも……気づかなかったわね……」

 頬が赤く染まるエミリアを、ランスは苦々し気に見返した。

「お前に群がる男は俺が蹴散らすからいいがな。お前も、俺に言い寄る女たちに少しは妬いたらどうだ」

 王宮で暮らすようになって、エミリアは何度かランスが令嬢たちから言い寄られているのを見かけたことがある。エミリアの話が広がったのか、あからさまに敵意を向けてくる者はいなかったが、さりとて見目麗しい王子は恋の相手として最適な存在である。

 一夫多妻制――――そんな事がエミリアの頭を過り、見て見ぬ振りをした。ランスが、エミリアとトリシュナ以外の女性を、全く表情を変えずにあしらっているのも、密かな安心材料だ。

 ただ、エミリアの小さな焼餅は、ランスにはいささか不服だったらしい。

「妬いて欲しいの?」
「あぁ」

 期待するように言われたエミリアは目を泳がせた。何だか気恥ずかしくなって頬が染まったが、外に出していいというのならと、思い直してみる。

「ええと……貴方、他の女性にうつつを……」
「ぬかしてない」

「でも、実はちょっと嬉しいでしょう?」
「一切思わない」

 即答してくる彼は、自分で妬けといったくせに不満顔だ。エミリアは、顔をひきつらせた。

 ――――なんて我がままな……。

「あぁ、もう! ちゃぶ台はどこ!」

 こんな重くて豪華なテーブルではなく!

 絶叫しそうになったエミリアに、ランスはにっこりと笑って、部屋の隅を指さした。

「あそこだ」
「え⁉」

 見れば、絢爛豪華な一室に似つかわしくない、小さな丸い茶色の円卓が置かれていた。

「あら、懐かし……待って、なんでここにあるの」

 色合いといい、形といい、自分の実家にあった物とそっくりだ。以前、ランスがちゃぶ台について、また興味津々に聞いてきた事を思い出し、エミリアは嫌な予感がした。

 ランスは澄ました顔である。

「ひっくり返すんだろう?」
「あの……まさか……」

「作らせた」

 王都を馬車で通っても、町の人々はみな身綺麗で、店には沢山の品物が並んでいた。王宮も荘厳であり、明かにこの国の豊かだ。
 ランスはいつも着飾ってエミリアの目を向けさせることに余念がなく、その身なりの良さは王家の財が莫大である事を物語っている。

 権力は使うものと豪語する男だが、お金の使い方も時々おかしい。

「さあ、やってみせろ。どうやるんだ?」

 ランスの口車に乗ると、この行動がエスカレートしそうな気がする。窮したエミリアは、ソファーに置かれていた扇を見て閃いた。先日ここでお茶をした時、トリシュナが忘れていったものだ。

 それを手に取ると、
「ほ、ほ、ほ……そんなはしたない……わた、わたくしは、貴族令嬢なのよ!」
と、誤魔化してみた。

 ――――そうよ、うっかりずっと忘れていたけど、私は一応そんなものだったわ!

 少しばかり得意げなエミリアに、ランスはくすりと笑った。

「扇の持ち方が逆だ。それじゃ開かないだろ」
「……うぅ……。あっちじゃ、こんなお洒落な物……使わなかったのよ!」

「そうか。しかし、向こうは実に愉快な物で溢れているな。お陰で最近では、俺の言動が妙だと言われる」
「……貴方って、好奇心が強い方よね」

「まぁ、否定はしない」

 ランスはそう言ってスープの器を手に取り、優雅な手つきで口にした。彼の横顔を見つめたエミリアは、少し胸が痛んだ。

 トリシュナに会った時も、中庭に潜り込んだせいだと聞いている。今でも有海として過ごしていた時の事を、彼はよく聞きたがった。もしも向こうの世界に一緒に行けたなら、きっとランスは喜ぶだろう。

 だが、異世界へ渡れるのは、渡世鳥だけだ。ランスが加護できるのは、この世界にいる時までである。後はエミリアが一人で世界を渡り、そして戻ってこなければならない。

 彼女の食事の手が止まっている事に気付いたランスは、スープの器をテーブルに置いた。

「どうした?」
「……貴方は以前、一緒に行けたらと言ってくれたわね。今になって理由が分かったわ」

 切なそうに呟いたエミリアに、ランスは彼女の方へ身体を向けると、頬を優しく撫でた。

「渡世鳥は魂を還すために、単独で異世界へ渡る。そして、本来ならそのまま戻って来れるはずだが、中には帰り道を見失って、迷う鳥もいる」
「えぇ……」

 エミリアは有海の魂に引きずられ、二十年以上、異世界に留まらざるを得なかったのだ。不安がこみ上げそうになったが、ランスの眼差しの強さに魅せられる方が先だった。

「だから、こちらに残る守護鳥おれが導くんだ。お前と俺、それにトリシュナが、それぞれの役割を果たして魂を還すから、俺たちは言わば絆で結ばれた運命共同体みたいなものだ。共に魂を還すと誓いあうことで、互いに力や存在を感じ取れるようになる」

「そういえば、トリシュナさんも私が飛んでくるのが分かったと言っていたわ……」
「俺がお前の後を追いかけられたのもな。有海の魂と混在している時は気配が薄れていて分からなかったが、今は違う。だから、お前にも必ず分かる」

 その時まで待っているだけの時間はなかった。

 信貴と有海は転生の時を迎え、特に信貴の魂は長くとどまりすぎたためか、ゆっくりと衰弱を始めていた。トリシュナが最も懸念する事だ。そのため、特に死喰鳥に目をつけられているのだろう。

「迷ったら、俺を探せ。お前が帰ってくるまで、俺は一生待ち続ける」

 エミリアは小さく頷いて、抱きしめてきたランスに身を預けた。

 左の腕は力が強く、対して右の腕は弱い。

 ただ、どちらの腕も護ろうとしてくれている想いが伝わってくる。途方もない安心感は、また一つ記憶を呼び覚ます。

 漁から帰って来た父が出迎えたエミリアを見て、空を指さし、鳥の群れが揃って飛んでいることを教えてくれた。

『あいつらは渡り鳥だな。それに、ほら……少し離れた所で飛んでいるあの二羽は番だ』
『つがい?』

『夫婦の事だ。傷つけたりするもんじゃねえ。ずっと一途に想う鳥もいるっていうからな。残された方が可哀想だろう』
『でも、群れから離れているわ。迷子になったりしないのかしら』

 エミリアは心配になった。

 二羽の内、明らかに一羽は飛ぶのが遅い。どこか痛めているのかもしれないが、群れは速度を落とさない。一羽だけが気遣って、傍を離れなかった。

『そうだなぁ……。でも元気な方が、一生懸命連れて行こうとしているぞ。この先、長旅になる。ああやって励ましながら、帰っていくんだろうよ』

 そこまで無理をして渡ってこなくても良いのに、とエミリアは胸を痛め、

『渡り鳥はなぜ、慣れ親しんだ生まれ故郷を離れ、遠い異国の地へと飛ぶの』
と、疑問を抱いた。

 あの時の答えが導き出せそうだと、エミリアは思った。

 渡世鳥がなぜ故郷を離れて、自分や周囲を危険に晒してまで、遠い異国の地へ飛ぶのかと問われれば。

 魂を還すという、かけがえのないがあるからだ、と答えるだろう。
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