殿下、今日こそ帰ります!

黒猫子猫(猫子猫)

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第27羽・恋人達の約束

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 五十年以上前、信貴は恋人と共に事故で命を落とした。二人の魂はそれぞれ、異世界へと迷い込み、再誕を待つことになった。だが、有海は還れるまでに魂の力が戻ったにも関わらず、信貴は傷が癒えるのが遅かった。意識も定かではなく、トリシュナが気を付けて見ていないと、ふらふらと出歩く始末だ。守護者の力を持つ者以外、誰も目視できないから、咎められることもないのだ。

 有海の魂は期が熟している。それは最も死喰鳥が好む状態であり、止めて置けば危険が伴う。先に還すしかないと、トリシュナは判断し、ランスとエミリアに託した。

 だが、それが過ちだったのだ。有海は転生を拒否し、エミリアは異世界に取り残されてしまった。

 信貴への強い思いが、そうさせた。

 トリシュナは自分を責めた。

「自分の力が役に立って、貴方たちと一緒に魂を還せるのが嬉しくて……浮かれてしまっていたんだわ。貴女に王家の紋章の話をされた時も……恥ずかしくて仕方がなかったわ。私が有海の魂をちゃんと癒せていなかったせいで、貴女達を危険に晒してしまったんですもの」

 悲し気に呟くトリシュナに、エミリアは小さく首を横に振った。

「人の心に寄り添うのは、そう簡単な事じゃないわ」

 エミリアとて、さんざん悩んだし戸惑った。ただ、再会を果たし、幸せそうに抱きしめあう二人を見つめていると、連れ戻せたのは良かったのだろうとも思う。

 ランスも少しばかり目が和らいでいたが、彼は小さくため息を吐いた。

「やはり……あの二人は一緒に帰してやるしかないようだな」
「……えぇ。そう思うわ」

 エミリアが答えると、ランスは渋い顔を隠せなくなる。

「二人分の魂を運ぶとなると、お前の負荷が大きくなるし、死喰鳥に狙われやすくなるぞ」
「でも、また離れ離れになんてできる?」
「……無理だな」

 頷きあうエミリアたちを見て、トリシュナは微笑むと、シギら二人に温室に行くよう促した。そこならば、同じく眠る魂がたくさんある。近しい存在であるから、彼らの気も休まるだろうと思ったのだ。

 二人は一礼して、手を取り合って温室へと去っていった。その足取りは軽やかで、まるでふわふわと浮いているようだ。エミリアはそれを見て、シギがかなりの高さから飛び降りても平然としていた理由を察した。彼は肉体がなく、魂だけの存在だったからだ。

 ――――あ、危なかったわ……。見習って三階から飛び降りようとしなくて良かった……。

 ぶるりと身震いした後、心配そうに自分を見つめてきたランスを見返した。

「大丈夫よ」
「……お前の記憶は、まだ有海であった時までか?」

「えぇ。有海として生きていた時間が長かったせいかしら」
「……無理に思い出そうとしなくても良い。あの男爵夫妻は、本来なら実親になるんだろうが、欲深すぎるのは変わりがないからな」

「……そうね。でも、私……本当にエミリアなのかしら……自信がないわ」
「それは間違いない」

「どうして?」
「俺には分かるからだ」

 ランスは微笑んで、エミリアの頭をくしゃりと撫でた。

 目を白黒させるエミリアだが、トリシュナは汗だくのランスを見て、
「殿下、着替えて来られたらどうかしら」
と、告げた。

「全力で飛んで来たんだ、仕方ないだろう」
「エミリアの前で、みっともないわよ。透けて肌が見えてきているし、良いの?」

 ランスはぎくりと身を強張らせる。シャツが汗で身体に張り付いているのに気づき、「すぐ戻る」と言って、王宮の中に入っていった。近くを通りがかった侍従達が、いつの間に戻って来たのだとぎょっとした顔をしている。

 トリシュナはくすくすと笑った。

「本当、貴女のためとなると、なんでも一生懸命ね」
「そ、そうかしら……」

 エミリアは頬が赤らむのが止まらなかった。だが、ランスが居てくれると、途方もない安心感を覚えてしまうのも事実だった。先ほども、また錯乱状態に陥った自分を救ってくれたのは――――彼だ。

 ――――あの七色の虹鳥は……殿下だったのね。

 男爵家でも『月に一度』の頻度で、虹鳥を見ていた事を思い出す。あの鳥に導かれるかのように、エミリアは自我を取り戻した。あの鳥は、きっとランスだ。

 飛行機の話をした時も、彼は真顔で言っていた。『待ってろ。俺も飛べる。一月、時間をくれ』と。

 殿下はどうして、一カ月にこだわるのだろう。

 トリシュナに尋ねてみようとしたが、彼女の顔がいつになく険しくなったのに気づく。視線の先を追ってみると、数人の若い女性たちがこちらに向かってやって来るのが見えた。何人かに見覚えがある。男爵を取り囲んで迫っていた令嬢たちだ。

「……また来たわ。私にご機嫌伺いに来た振りをして、嫌味を言ってくるのよ。暇よね」

 面倒そうなトリシュナだったが、令嬢たちは彼女の傍に何故かエミリアがいるのに気づき、一斉に目を吊り上げた。王子に求められて、王宮に長逗留している上、彼に同行して出かけたという話は、まことしやかに王宮内に伝わっている。

 いつの間に戻って来たのかと思いながらも、彼女たちの標的は即座にエミリアへ変わった。二人の前に立つと、揃ってにこやかな笑顔を向け。

「あら、こちらにまだいらしたの。ごきげんよう?」

 お前の居場所は王宮にないと、暗に告げてくる。エミリアは、まずかちんと来た。トリシュナが自分へ嫌味を言ってくるといったので、よもや令嬢たちが自分に言っているとは思っていない。

「何やらお忙しいようで、大変ですね。わたくしたちが代ってさしあげたいくらいだわぁ」

 王子の寵愛を譲れと言外に告げるも、エミリアにはやはり通じない。嫌味ったらしい言い方が、トリシュナの仕事を軽視しているようにしか聞こえなかったからだ。

 言葉は武器だ。容易く人を傷つけるのに。

 義憤に駆られて口を開きかけたが、一瞬で身震いした。いつの間にか、ランスがやって来ていて、令嬢たちの後ろで立ち止まっていたからだ。

 一気にその場だけ、氷点下になった気がする。

「今、何と言った?」

 令嬢たちの顔が一斉に引きつり、恐る恐る振り返って、ひいっと息を呑んだ。もうそれだけで失神しそうな彼女たちだが、トリシュナも容赦などしない。

「小ばかにしてきたわ」
と、はっきりと言い放つ。自分への嫌味なら聞き流したところだが、エミリアへの中傷は許しがたいものがあったからだ。

 ランスの目がますます鋭さを増した。エミリアとトリシュナ、彼が護ろうとしている二人のいずれかにせよ、馬鹿にされるなど、彼にしてみれば許しがたい事である。

「なるほど。この国にいたくないようだな……?」

 容赦のなさを滲みだした彼に、トリシュナも強く頷く。

「その前に、踏み潰してやるわ! 貴女たち、私が鳥化した時の身体の大きさ、知っているわよね!」

 令嬢たちはいっせいに怯えた顔をしたが、エミリアは目を剥く。

「……え。あのスモウドリは、貴女だったの……?」
「スモウドリ?」

 聞きなれない言葉に目を瞬くトリシュナに、エミリアは慌てて笑って誤魔化した。繊細な麗人だと思っていたが、鳥になるとなんとも巨大になるなんて、普通は思わない。落下した自分を身体で受け止めてくれたのも、彼女だというのも頷けた。
 ただ、不穏な空気を放つ二人に護られっぱなしではいられないと、エミリアは奮い立つ。自らも進み出て、令嬢たちを見据えた。

「国外よりも、異世界はいかが? 私がいた場所よ」
「ひい!?」
「向こうは、恐ろしい所なのよ――――」

 エミリアは、ふふふと、ちょっと意味深な笑みを浮かべて、教えてやった。

「――――まず、朝は日が昇る前に起きるでしょう? 朝食を食べる時間は五分よ。支度をしたら、走って仕事に行くの。ちょっと時間が遅くなると、狭い室内に他の人とぎゅうぎゅう詰め込まれるわ!」

 満員電車って辛いわよね……と遠い目になる。

「午前中いっぱい仕事をして、お昼ご飯は一時間あるけど、場合によっては四十五分以下に短縮されるのよ。その後また仕事をして、おやつの時間なんて幸せな一時はないわよ。仕事が終わらなかったら、暗くなっても働くこともあるの。場合によっては真夜中だって!」

 言ってみたは良いが、朝早くて夜遅すぎる事を除けば特段珍しい事ではないな、と思うエミリアである。これでは言い返した事にならないか、と考えたが。

 令嬢たちが軒並み目を潤ませて、自分を見返している。

「ごめんなさいいいい!」
「わ……分かれば良いのよ?」
「いいえ! 貴女は、本当はとんでもなく苦労人だったのね! わたしたちが間違っていたわ!」

 エミリアは、何だか気まずくなってくる。

「……普通なんだけど」
と付け加えてみたが、令嬢たちは繊細なレースのハンカチで涙を拭い、しきりに反省の弁を述べて、去っていった。

 ――――ぬるい。なんて平和な世界なのかしら……。

 呆気にとられていたエミリアは、傍で見守っていた二人が愕然とした顔をして聞いていたことに、ようやく気付く。特にランスなど、凍りついていた。

「お前……狭い室内に押し込められて、見知らぬ者に触れられていたのか。可哀そうに……何の拷問だ。挙句にゆっくりと食事を味わう時間も無く、しかも苦労もして、帰宅さえも許されないなんて……ありえない!」

「ないわ。ない! あぁ、どうしましょう。そんな場所に貴女がいたなんて、胸が痛むわ。信貴たちを帰して大丈夫かしら!」

 エミリアは呻いた。

 何やら盛大に誤解している二人を、宥める事のほうがよほど大変としか思えなかった。
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