殿下、今日こそ帰ります!

黒猫子猫(猫子猫)

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第25羽・鳥の習性

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 目に差し込んだ光に、エミリアは眩しさを覚えてそろそろと目を開けた。手を伸ばして光を遮り、見覚えのある五本の指に、跳ね起きる。

「人に戻ったわ!」

 思わず声を上げると、傍にいたトリシュナが顔を綻ばせた。

「良かった。気づいたわね。怪我はない?」

 エミリアは軽く体を動かして確かめる。

「大丈夫よ、ありがとう。……ここは……王宮?」

 周囲を見回してみて、見覚えのある温室が少し離れた所にあるのも見えた。
 トリシュナは、木陰に身体を横たえさせたエミリアの背に着いた葉を払い落としながら、頷いてみせる。

「そうよ。貴女の気配が空からしたから、まさかと思って王妃様と一緒に出てきたのよ。無事に受け止められて良かったわ。貴女に傷一つでもつけたら、きっと殿下は激怒するわね。殿下はどうしたの? 貴女を一人で飛ばせるなんて、絶対させるはずないのに。きっと今、半狂乱になってるわよ」

「え、えーと……」

 何から言うべきか。またしてもツッコミどころが多いが、エミリアがまず気になったのは、トリシュナの隣で心配そうに見つめている女性だった。

 胸ほどまでの藍色の艶やかな長い髪に、紫紺の瞳を持ち、色白の肌をしている。トリシュナと同じくらい細身だが、背筋はしっかりと伸びて意思の強そうな目は、儚げな印象を与えない。

 ただ、物凄い美女であることだけは確かだ。そして、どことなく顔立ちがランスと似ていた。王妃と呼ばれていたし、豪奢なドレスを身に纏っている。間違いないだろう。

「ランス殿下の……お母さまですか?」
「…………。えぇ、そう……なるわね」

 短い沈黙の後、言いにくそうにしながら王妃が答えると、すかさずトリシュナが続けた。

「そうです! 自信をもっておっしゃってください!」

 両手をぐっと握り締めて、妙に力を込めて励ますトリシュナに、王妃は曖昧な笑みを浮かべる。

「……あの子は言われたくないと思うのよ」

 力なく答える王妃は、先ほど自分を助けてくれた声の主とは思えないほど、弱弱しい。エミリアも戸惑うしかない。彼の口からは、『子供を道具としか思っていない女』だと聞いていたからだ。
 しかし、王妃のトリシュナを見る目は優しく、エミリアに対しても気遣うように続けた。

「私の事は、ランスから聞いているかしら」
「少し……だけ」

 彼の口調が鋭かっただけに、詳しく語れと言われるとエミリアも困る。ただ、王妃は気づいているようだった。

「いいのよ。あの子が私を毛嫌いしているのは知っているから」
「そ……そこまででは……」

 うろたえるエミリアに、王妃はくすりと笑って、やがて笑みを消した。

「……ランスが守護鳥の力を持って生まれた時、王家は秘めたわ。本人にも何も教えなかった。もっとも……あの子は成長してくると自分で調べたり、部下に同じ力を持つ者たちを探させて、話を聞きに行ってしまったから、無駄だったけれど」

「隠そうとしたのは……王族だからですか?」

「……えぇ。ランスのように守護鳥の力を持つ者は、この国にも何人かいるのよ。なにもランスじゃなくても良い。あの子は第一王子で、将来この国を背負う子。あえて死喰鳥と戦う必要なんてない――――そんなことを思ってしまったのよ」

 だが、無駄だった。自分の力が何たるか知ったランスは、共に力を使う相手を探し始めた。そんな時、トリシュナに癒しの力の発現が見られた。
 王妃は恐れ、二人を遠ざけようとしたが無駄だった。まるで惹かれ合うかのように彼らは出会い、ランスは使命感を強くもってしまったのだ。
 当時の事を思い出しながら王妃はぽつぽつとその事を話し、大きく息を吐くと、静かに告げた。

「ランスが死んだら……私はどうなる、なんて言うんじゃなかった。二人を傷つけてしまった事を、今でも後悔しているわ」

 すると、黙っていられなかったのは、トリシュナである。今にも泣きそうな顔をして、王妃に告げた。

「でも、王妃様はその後、私の元に直々にやって来て、謝ってくださいましたわ。殿下は……会うのを拒まれてしまったそうですが」
「……えぇ。それでもその後に公務で顔を合わせた時には、普段通りだったから大丈夫かと思ってしまったのよ。気づいた時には、遅かったわね」

 王妃を見返すランスの目は、いつも冷めていた。なまじ公務で会って話をする機会があっただけに、仕事で必要な話はそこで済んでしまう。しかも、ランスはもう二十歳を超えて、一人の大人だった。母親の監護がいる年でもなく、会わなくても日常は滞りなく済んでしまう。

 トリシュナと和解した、と言えぬまま、ずるずると時が過ぎた。
 そして、ランスが彼女のために中庭を整備し、温室を作らせてからは、ますます関係は薄れた。彼女を大事にしている様子を見て、王妃は息子をどれだけ傷つけたか理解したのだ。

 話を聞いていたエミリアは、寂しげな顔をしている王妃を見つめ、告げた。

「王妃様は、ランス殿下を失うことが、ただ怖かったのですね?」
「……そうね。陛下には大勢の子がいるわ。王政を維持するためにも、必要な事よ。ランスが異能の持ち主だったから、尚更なんでしょうね。でも――……私には、あの子しかいないのよ」

「…………」

「私は子離れできていなかったんでしょうね。あの子はとっくに巣立っていたのに」

 王妃はエミリアに淡く微笑んで、目を潤ませているトリシュナにも視線を向けると、二人に優しく告げた。

「ランスをお願いね。あの子は貴女たちを護るために、生まれてきたのよ」

 そう告げて、去っていった。
 やがて姿が見えなくなると、トリシュナはぽつりと呟いた。

「……ああして、ランス殿下が不在の時に、こっそり私に会いに来てくださるのよ。まるで実の娘のように、可愛がっていただいているわ」

 王妃が大々的に目をかければ、王宮の人々の注目は集まり、トリシュナの静かな生活は脅かされる。ランスはますます意固地になるに違いなく、王妃も息子の機嫌を取るために足を向けているわけではなかった。

「殿下はご存じではないのですか?」
「えぇ。妃殿下からも、言わないで欲しいと言われているの。自分達の諍いに、もう私を巻き込みたくないからって」
「そう……」

 母親の事を話す時、ランスは苦々しげだった。だが、その瞳の奥に、傷ついた感情が見え隠れしていた。癒す事もなく、癒される事も拒み、彼は心に封をしたのだろう。

 トリシュナも、もどかしい。

「私、ものすごく殿下に言いたいのよ。喉元まで出かかるの。でも……殿下の前で王妃様の名をちょっと出してみただけで、室温が急降下するのよ! 寒いわ!」

「あぁ……分かるわ。殿下は怒ると怖いのよね!」

 華やかな外見の王子様の癖に、突然大魔王のように凶悪な一面を見せるものだから、落差が凄まじい。
 すると、トリシュナが感激したように、目を輝かせた。

「分かってくださるのね、嬉しい! 何しろ王宮の女性は、殿下が何をしても『格好良いわ!』っていうのよ。どこを見ているのかしら、絶対におかしいわ」

「それは偏見ですね。殿下はけっこう意地っ張りだと思います。外見の華やかさに騙されてはいけないわ」

 エミリアとトリシュナは意見を一致させ、顔を見合わせると、くすくすと笑った。ランスがここにいたら、間違いなく怒るだろうと言い合う。

 トリシュナは何とか笑うのを止めると、エミリアを見つめて柔らかく微笑んだ。

「確かに、殿下はすごく着飾りだしたみたいね。だから、尚更女の子たちが浮足立っているんだわ」
「もともと目立つ外見なんですから、別にもう良いと思うんですが……」

 どちらにしても麗しい外見である。周囲が騙されるわけだとエミリアは思うのだが、トリシュナは目を瞬いて、ぷっと吹き出した。

「……それは仕方がないわ。ねぇ、鳥に雄の方が色鮮やかな種がいるのはご存じ?」
「そういえば……鴨は雄がとても綺麗ですね」

「えぇ。求愛の時期だからよ。恋しい相手に振り向いてもらいたくて、必死なのよね。一番気が立っている時期、とも言われるわ。でも、繁殖期を過ぎると、落ち着いた色になる。外敵から身を護るためだそうだけれど、一緒にいる雌を危険に晒さないようにするためでもあると思うの」

 エミリアは目を瞬いて、満面の笑みを浮かべているトリシュナを見返し、そして彼女が言わんとする事を理解して頬が赤らんだが、返答にも困る。

 確かにランスはよく着飾っている。先日も用事があると言って先に寝室を出た後、次に顔を合わせた時には着替えていた。ただ、その前に彼は温室にやって来て、トリシュナに会っている。

 彼女のためではないのだろうか。

 相変らず人懐こい笑みを浮かべているトリシュナを見つめ、エミリアはそんなことを考えてしまう。王妃に気に入られて、ランスに大事にされている温室の麗人は、彼の事もよく理解していた。
 ランスが自分を妾にしようとしている事も、黙認している。どうして、そこまで受け入れられるのだろう。

 彼女は一体――――。

 問いかけにくい話であるだけに、エミリアが言い淀んでいると、トリシュナの方が先に尋ねた。

「ところで貴女、どうして信貴を――――……」

 その言葉は、鋭い女性の声で遮られた。

「やっと戻ってきたわね」

 聞きなれた声に驚いて、エミリアは温室の方へと視線を向けた。

 そこに立っていたのは――――かつての自分、立花有海だった。
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