24 / 35
第24羽・衝撃
しおりを挟む
翌日の朝、エミリアに小さな奇跡が起きた。
なんと、ランスよりも早く目が覚めたのだ。彼はまだ深く寝入っていて、起きる様子もない。昨晩、関係の悪い両親の話をさせてしまって気まずい事もあり、エミリアはベッドを抜け出した。
ベッドの傍のテーブルに服が置かれていたので、夜着を脱いで手早く着替える。今度は後ろで紐を締めるタイプじゃなくて良かったと安心して、そっと部屋を出ようとした。
ふと窓の外に目を向けると、遠くの方でシギがまた庭をふらふらと歩いているのが見える。
――――危ないわ。昨日、一緒に襲われたばかりじゃない。
エミリアは窓を開けて、一つ大きく頷いた。
「これなら、平気ね!」
二階のバルコニーから絶対に飛び降りるなと、ランスに約束させられたが、ここは一階である。大丈夫、問題なし、と窓枠に足を掛けて乗り越えて、着地する。
そのままシギの元に向かうと、彼の方もエミリアに気付いて足を止めていた。
「やぁ、来たね」
「貴方、帰ったんじゃなかったの? ここにいては危ないわ」
「死喰鳥を気にしているのかい? 大丈夫だよ、殿下がいるから護ってくれる。それがあの人の仕事だ」
「でも……だからといって、こんな見晴らしのいい場所を出歩くものじゃないわ」
「昨夜も今も、わざとだと言ったら、怒るかな?」
「え……」
エミリアは息を呑む。穏やかな眼差しが多かったシギの目は、いつになく暗い。
「私はもう五十年以上もここにいる」
「そう……聞いているわ」
「私たちは、帰りたいんだよ」
「分かって……いる」
言葉が途切れがちになる。ランスの顔が頭を過り、胸がずきりと痛んだせいだ。シギは彼女の躊躇いを、すぐに見抜いたようだった。
「いいや、君はちっとも分かっていない。殿下は君を傷つけたくないあまり、護りすぎている。だが、私も死喰鳥になんてなりたくない。喰い殺されて、奴らの一部になるのも御免だ」
「ねえ、少し落ち着いて……」
話に聞き入っていたエミリアは、庭が急に暗くなった気がして、顔を上げた。周囲を照らしていたはずの朝日が、いつの間にか雲に隠れていた。同時にぞくりと何だか背筋が寒くなったが、シギは笑みを浮かべたままだ。
「だから、私は君を連れて行く」
シギがそう告げて肩に触れた瞬間、エミリアの目の前は真っ暗になった。
ぷつりと、彼女の気配が途切れた瞬間、ランスはベッドから跳ね起きた。同時に走った痛みに歯を食いしばって耐え、エミリアがいつの間にかいなくなっている事に気付く。
「どこに行った……っエミリア!」
ランスはベッドから降りると、靴を履くことも忘れ、裸足のまま部屋を進んだが、窓が開いたままであることに気づいた。すぐに駆け寄って庭を見回し、息を呑む。
シギが彼女の肩を掴み、次の瞬間、二人の姿はその場から消えた。
「くそ……っ!」
そのまま窓から飛び出そうとしたが、廊下で控えていた侍従や侍女たちが、彼の声を聴いて何事かと駆けつけてきた。そして、血相を変えて外へ出ようとしている王子を見て、侍従たちが蒼白になって駆け寄った。
「お、お待ちください! 殿下、まだ一ヶ月も経っていないではありませんか!」
「昨夜も死喰鳥が現われたばかり。御身に何かあったらいかがいたしますか!」
彼の身体を掴み、必死で止める侍従たちを、ランスは片手で振り払った。殺気立った目で彼らを見据える。
「俺が死んだら代わりを見つければいいだけだ。十人もいれば、十分だろう」
「殿下!」
「構うな!」
ランスは吠えると、窓枠を蹴って、外へと飛び出した。だが、その足は地面に着くことはない。彼の姿は見る見るうちに姿を変えて――――長い尾を持つ大きな鳥と化して、空へと舞い上がった。
エミリアは空が好きだった。用もないのに飛行機を見に行ったし、いつかきっと空に行ける時が来る、なんてランスに言ったものだ。
朝昼晩と色を変える空はあまりに美しい。時に淡く、時に色鮮やかに。何も遮るものがなく、自由がある。
そんな空を飛んでいく渡り鳥を見て。
――――私も飛べればいいのに……なんて言ったわねぇ……。
どこへ行く気だと、傍で聞いていた両親は笑っていたが、そんなことはエミリアにも分からない。どこかよ、と適当に誤魔化した。
そして今、エミリアは念願の空の上にいる。
「……は……?」
遥か下に小さく街が見えて、凍りつく。周りに目を向ければ、雲が近い。それどころか、自分の腕だと思っている場所に、翼があった。
「は!?」
彼女の身体は風を掴み、真っすぐに空を飛んでいたが、エミリアが我に返った瞬間、大混乱に陥った。一転して急降下し、エミリアは悲鳴を上げる。
必死で腕を動かして、湖の上にどぼんと落ちる寸前で上昇したが、そのお陰で水面に映った自分の姿を見てしまった。
丸い頭に細い首、黄色い嘴。身体は小さく、羽の色は茶色とあまりぱっとしない。なんとも地味な――――カモのような鳥だった。雄鳥は頭が色鮮やかな緑であるのが有名だが、雌は茶系統で今一つ目立たない。
それはまだいい。問題は、何故自分が鳥になど変わっているか、さっぱり分からないからだ。
「これはなに。私はどこに向かっているの!? 殿下――――説明してぇえええ……!」
エミリアは絶叫したが、周囲には誰もいない。シギの姿もない。
混乱が頂点に達し、飛び方もまともに教わっていないエミリアは、力尽きた。再び落下を始め、空気を割く音と共に悲鳴がこだまする。
それは自分のものだけではない気がした。
「エミリアさん! 羽を広げて!」
「なんでもいいから動かして! 勢いを殺すのよ!」
地上から聞こえてきた若い二人の女性の声に、はっと我に返る。最後の気力を振り絞って、言われた通りに羽を大きく広げると、バタバタと動かす。
――――あぁ……これ、どこをどう見ても無様な気がするわ……!
鳥はもっと華麗に飛び、美しく着地していなかっただろうか。泣きたくなりながらも、身体がふわりと浮いたのが分かり、羽を動かす。すると、地面に激突するはずだった身体は、何か大きな白い物に包まれて、軽く何度か跳ね返った後、沈み込んだ。
――――異世界にも衝撃吸収マットがあったのかしら……。
なんてことを考えながら、エミリアは柔らかく温もりのあるソレに顔を埋め、意識を飛ばした。
なんと、ランスよりも早く目が覚めたのだ。彼はまだ深く寝入っていて、起きる様子もない。昨晩、関係の悪い両親の話をさせてしまって気まずい事もあり、エミリアはベッドを抜け出した。
ベッドの傍のテーブルに服が置かれていたので、夜着を脱いで手早く着替える。今度は後ろで紐を締めるタイプじゃなくて良かったと安心して、そっと部屋を出ようとした。
ふと窓の外に目を向けると、遠くの方でシギがまた庭をふらふらと歩いているのが見える。
――――危ないわ。昨日、一緒に襲われたばかりじゃない。
エミリアは窓を開けて、一つ大きく頷いた。
「これなら、平気ね!」
二階のバルコニーから絶対に飛び降りるなと、ランスに約束させられたが、ここは一階である。大丈夫、問題なし、と窓枠に足を掛けて乗り越えて、着地する。
そのままシギの元に向かうと、彼の方もエミリアに気付いて足を止めていた。
「やぁ、来たね」
「貴方、帰ったんじゃなかったの? ここにいては危ないわ」
「死喰鳥を気にしているのかい? 大丈夫だよ、殿下がいるから護ってくれる。それがあの人の仕事だ」
「でも……だからといって、こんな見晴らしのいい場所を出歩くものじゃないわ」
「昨夜も今も、わざとだと言ったら、怒るかな?」
「え……」
エミリアは息を呑む。穏やかな眼差しが多かったシギの目は、いつになく暗い。
「私はもう五十年以上もここにいる」
「そう……聞いているわ」
「私たちは、帰りたいんだよ」
「分かって……いる」
言葉が途切れがちになる。ランスの顔が頭を過り、胸がずきりと痛んだせいだ。シギは彼女の躊躇いを、すぐに見抜いたようだった。
「いいや、君はちっとも分かっていない。殿下は君を傷つけたくないあまり、護りすぎている。だが、私も死喰鳥になんてなりたくない。喰い殺されて、奴らの一部になるのも御免だ」
「ねえ、少し落ち着いて……」
話に聞き入っていたエミリアは、庭が急に暗くなった気がして、顔を上げた。周囲を照らしていたはずの朝日が、いつの間にか雲に隠れていた。同時にぞくりと何だか背筋が寒くなったが、シギは笑みを浮かべたままだ。
「だから、私は君を連れて行く」
シギがそう告げて肩に触れた瞬間、エミリアの目の前は真っ暗になった。
ぷつりと、彼女の気配が途切れた瞬間、ランスはベッドから跳ね起きた。同時に走った痛みに歯を食いしばって耐え、エミリアがいつの間にかいなくなっている事に気付く。
「どこに行った……っエミリア!」
ランスはベッドから降りると、靴を履くことも忘れ、裸足のまま部屋を進んだが、窓が開いたままであることに気づいた。すぐに駆け寄って庭を見回し、息を呑む。
シギが彼女の肩を掴み、次の瞬間、二人の姿はその場から消えた。
「くそ……っ!」
そのまま窓から飛び出そうとしたが、廊下で控えていた侍従や侍女たちが、彼の声を聴いて何事かと駆けつけてきた。そして、血相を変えて外へ出ようとしている王子を見て、侍従たちが蒼白になって駆け寄った。
「お、お待ちください! 殿下、まだ一ヶ月も経っていないではありませんか!」
「昨夜も死喰鳥が現われたばかり。御身に何かあったらいかがいたしますか!」
彼の身体を掴み、必死で止める侍従たちを、ランスは片手で振り払った。殺気立った目で彼らを見据える。
「俺が死んだら代わりを見つければいいだけだ。十人もいれば、十分だろう」
「殿下!」
「構うな!」
ランスは吠えると、窓枠を蹴って、外へと飛び出した。だが、その足は地面に着くことはない。彼の姿は見る見るうちに姿を変えて――――長い尾を持つ大きな鳥と化して、空へと舞い上がった。
エミリアは空が好きだった。用もないのに飛行機を見に行ったし、いつかきっと空に行ける時が来る、なんてランスに言ったものだ。
朝昼晩と色を変える空はあまりに美しい。時に淡く、時に色鮮やかに。何も遮るものがなく、自由がある。
そんな空を飛んでいく渡り鳥を見て。
――――私も飛べればいいのに……なんて言ったわねぇ……。
どこへ行く気だと、傍で聞いていた両親は笑っていたが、そんなことはエミリアにも分からない。どこかよ、と適当に誤魔化した。
そして今、エミリアは念願の空の上にいる。
「……は……?」
遥か下に小さく街が見えて、凍りつく。周りに目を向ければ、雲が近い。それどころか、自分の腕だと思っている場所に、翼があった。
「は!?」
彼女の身体は風を掴み、真っすぐに空を飛んでいたが、エミリアが我に返った瞬間、大混乱に陥った。一転して急降下し、エミリアは悲鳴を上げる。
必死で腕を動かして、湖の上にどぼんと落ちる寸前で上昇したが、そのお陰で水面に映った自分の姿を見てしまった。
丸い頭に細い首、黄色い嘴。身体は小さく、羽の色は茶色とあまりぱっとしない。なんとも地味な――――カモのような鳥だった。雄鳥は頭が色鮮やかな緑であるのが有名だが、雌は茶系統で今一つ目立たない。
それはまだいい。問題は、何故自分が鳥になど変わっているか、さっぱり分からないからだ。
「これはなに。私はどこに向かっているの!? 殿下――――説明してぇえええ……!」
エミリアは絶叫したが、周囲には誰もいない。シギの姿もない。
混乱が頂点に達し、飛び方もまともに教わっていないエミリアは、力尽きた。再び落下を始め、空気を割く音と共に悲鳴がこだまする。
それは自分のものだけではない気がした。
「エミリアさん! 羽を広げて!」
「なんでもいいから動かして! 勢いを殺すのよ!」
地上から聞こえてきた若い二人の女性の声に、はっと我に返る。最後の気力を振り絞って、言われた通りに羽を大きく広げると、バタバタと動かす。
――――あぁ……これ、どこをどう見ても無様な気がするわ……!
鳥はもっと華麗に飛び、美しく着地していなかっただろうか。泣きたくなりながらも、身体がふわりと浮いたのが分かり、羽を動かす。すると、地面に激突するはずだった身体は、何か大きな白い物に包まれて、軽く何度か跳ね返った後、沈み込んだ。
――――異世界にも衝撃吸収マットがあったのかしら……。
なんてことを考えながら、エミリアは柔らかく温もりのあるソレに顔を埋め、意識を飛ばした。
31
お気に入りに追加
528
あなたにおすすめの小説
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
外では氷の騎士なんて呼ばれてる旦那様に今日も溺愛されてます
刻芦葉
恋愛
王国に仕える近衛騎士ユリウスは一切笑顔を見せないことから氷の騎士と呼ばれていた。ただそんな氷の騎士様だけど私の前だけは優しい笑顔を見せてくれる。今日も私は不器用だけど格好いい旦那様に溺愛されています。
【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください
あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」
「恩? 私と君は初対面だったはず」
「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」
「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」
奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。
彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】白い結婚成立まであと1カ月……なのに、急に家に帰ってきた旦那様の溺愛が止まりません!?
氷雨そら
恋愛
3年間放置された妻、カティリアは白い結婚を宣言し、この結婚を無効にしようと決意していた。
しかし白い結婚が認められる3年を目前にして戦地から帰ってきた夫は彼女を溺愛しはじめて……。
夫は妻が大好き。勘違いすれ違いからの溺愛物語。
小説家なろうにも投稿中
落ちぶれて捨てられた侯爵令嬢は辺境伯に求愛される~今からは俺の溺愛ターンだから覚悟して~
しましまにゃんこ
恋愛
年若い辺境伯であるアレクシスは、大嫌いな第三王子ダマスから、自分の代わりに婚約破棄したセシルと新たに婚約を結ぶように頼まれる。実はセシルはアレクシスが長年恋焦がれていた令嬢で。アレクシスは突然のことにとまどいつつも、この機会を逃してたまるかとセシルとの婚約を引き受けることに。
とんとん拍子に話はまとまり、二人はロイター辺境で甘く穏やかな日々を過ごす。少しずつ距離は縮まるものの、時折どこか悲し気な表情を見せるセシルの様子が気になるアレクシス。
「セシルは絶対に俺が幸せにしてみせる!」
だがそんなある日、ダマスからセシルに王都に戻るようにと伝令が来て。セシルは一人王都へ旅立ってしまうのだった。
追いかけるアレクシスと頑なな態度を崩さないセシル。二人の恋の行方は?
すれ違いからの溺愛ハッピーエンドストーリーです。
小説家になろう、他サイトでも掲載しています。
麗しすぎるイラストは汐の音様からいただきました!
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる