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第24羽・衝撃
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翌日の朝、エミリアに小さな奇跡が起きた。
なんと、ランスよりも早く目が覚めたのだ。彼はまだ深く寝入っていて、起きる様子もない。昨晩、関係の悪い両親の話をさせてしまって気まずい事もあり、エミリアはベッドを抜け出した。
ベッドの傍のテーブルに服が置かれていたので、夜着を脱いで手早く着替える。今度は後ろで紐を締めるタイプじゃなくて良かったと安心して、そっと部屋を出ようとした。
ふと窓の外に目を向けると、遠くの方でシギがまた庭をふらふらと歩いているのが見える。
――――危ないわ。昨日、一緒に襲われたばかりじゃない。
エミリアは窓を開けて、一つ大きく頷いた。
「これなら、平気ね!」
二階のバルコニーから絶対に飛び降りるなと、ランスに約束させられたが、ここは一階である。大丈夫、問題なし、と窓枠に足を掛けて乗り越えて、着地する。
そのままシギの元に向かうと、彼の方もエミリアに気付いて足を止めていた。
「やぁ、来たね」
「貴方、帰ったんじゃなかったの? ここにいては危ないわ」
「死喰鳥を気にしているのかい? 大丈夫だよ、殿下がいるから護ってくれる。それがあの人の仕事だ」
「でも……だからといって、こんな見晴らしのいい場所を出歩くものじゃないわ」
「昨夜も今も、わざとだと言ったら、怒るかな?」
「え……」
エミリアは息を呑む。穏やかな眼差しが多かったシギの目は、いつになく暗い。
「私はもう五十年以上もここにいる」
「そう……聞いているわ」
「私たちは、帰りたいんだよ」
「分かって……いる」
言葉が途切れがちになる。ランスの顔が頭を過り、胸がずきりと痛んだせいだ。シギは彼女の躊躇いを、すぐに見抜いたようだった。
「いいや、君はちっとも分かっていない。殿下は君を傷つけたくないあまり、護りすぎている。だが、私も死喰鳥になんてなりたくない。喰い殺されて、奴らの一部になるのも御免だ」
「ねえ、少し落ち着いて……」
話に聞き入っていたエミリアは、庭が急に暗くなった気がして、顔を上げた。周囲を照らしていたはずの朝日が、いつの間にか雲に隠れていた。同時にぞくりと何だか背筋が寒くなったが、シギは笑みを浮かべたままだ。
「だから、私は君を連れて行く」
シギがそう告げて肩に触れた瞬間、エミリアの目の前は真っ暗になった。
ぷつりと、彼女の気配が途切れた瞬間、ランスはベッドから跳ね起きた。同時に走った痛みに歯を食いしばって耐え、エミリアがいつの間にかいなくなっている事に気付く。
「どこに行った……っエミリア!」
ランスはベッドから降りると、靴を履くことも忘れ、裸足のまま部屋を進んだが、窓が開いたままであることに気づいた。すぐに駆け寄って庭を見回し、息を呑む。
シギが彼女の肩を掴み、次の瞬間、二人の姿はその場から消えた。
「くそ……っ!」
そのまま窓から飛び出そうとしたが、廊下で控えていた侍従や侍女たちが、彼の声を聴いて何事かと駆けつけてきた。そして、血相を変えて外へ出ようとしている王子を見て、侍従たちが蒼白になって駆け寄った。
「お、お待ちください! 殿下、まだ一ヶ月も経っていないではありませんか!」
「昨夜も死喰鳥が現われたばかり。御身に何かあったらいかがいたしますか!」
彼の身体を掴み、必死で止める侍従たちを、ランスは片手で振り払った。殺気立った目で彼らを見据える。
「俺が死んだら代わりを見つければいいだけだ。十人もいれば、十分だろう」
「殿下!」
「構うな!」
ランスは吠えると、窓枠を蹴って、外へと飛び出した。だが、その足は地面に着くことはない。彼の姿は見る見るうちに姿を変えて――――長い尾を持つ大きな鳥と化して、空へと舞い上がった。
エミリアは空が好きだった。用もないのに飛行機を見に行ったし、いつかきっと空に行ける時が来る、なんてランスに言ったものだ。
朝昼晩と色を変える空はあまりに美しい。時に淡く、時に色鮮やかに。何も遮るものがなく、自由がある。
そんな空を飛んでいく渡り鳥を見て。
――――私も飛べればいいのに……なんて言ったわねぇ……。
どこへ行く気だと、傍で聞いていた両親は笑っていたが、そんなことはエミリアにも分からない。どこかよ、と適当に誤魔化した。
そして今、エミリアは念願の空の上にいる。
「……は……?」
遥か下に小さく街が見えて、凍りつく。周りに目を向ければ、雲が近い。それどころか、自分の腕だと思っている場所に、翼があった。
「は!?」
彼女の身体は風を掴み、真っすぐに空を飛んでいたが、エミリアが我に返った瞬間、大混乱に陥った。一転して急降下し、エミリアは悲鳴を上げる。
必死で腕を動かして、湖の上にどぼんと落ちる寸前で上昇したが、そのお陰で水面に映った自分の姿を見てしまった。
丸い頭に細い首、黄色い嘴。身体は小さく、羽の色は茶色とあまりぱっとしない。なんとも地味な――――カモのような鳥だった。雄鳥は頭が色鮮やかな緑であるのが有名だが、雌は茶系統で今一つ目立たない。
それはまだいい。問題は、何故自分が鳥になど変わっているか、さっぱり分からないからだ。
「これはなに。私はどこに向かっているの!? 殿下――――説明してぇえええ……!」
エミリアは絶叫したが、周囲には誰もいない。シギの姿もない。
混乱が頂点に達し、飛び方もまともに教わっていないエミリアは、力尽きた。再び落下を始め、空気を割く音と共に悲鳴がこだまする。
それは自分のものだけではない気がした。
「エミリアさん! 羽を広げて!」
「なんでもいいから動かして! 勢いを殺すのよ!」
地上から聞こえてきた若い二人の女性の声に、はっと我に返る。最後の気力を振り絞って、言われた通りに羽を大きく広げると、バタバタと動かす。
――――あぁ……これ、どこをどう見ても無様な気がするわ……!
鳥はもっと華麗に飛び、美しく着地していなかっただろうか。泣きたくなりながらも、身体がふわりと浮いたのが分かり、羽を動かす。すると、地面に激突するはずだった身体は、何か大きな白い物に包まれて、軽く何度か跳ね返った後、沈み込んだ。
――――異世界にも衝撃吸収マットがあったのかしら……。
なんてことを考えながら、エミリアは柔らかく温もりのあるソレに顔を埋め、意識を飛ばした。
なんと、ランスよりも早く目が覚めたのだ。彼はまだ深く寝入っていて、起きる様子もない。昨晩、関係の悪い両親の話をさせてしまって気まずい事もあり、エミリアはベッドを抜け出した。
ベッドの傍のテーブルに服が置かれていたので、夜着を脱いで手早く着替える。今度は後ろで紐を締めるタイプじゃなくて良かったと安心して、そっと部屋を出ようとした。
ふと窓の外に目を向けると、遠くの方でシギがまた庭をふらふらと歩いているのが見える。
――――危ないわ。昨日、一緒に襲われたばかりじゃない。
エミリアは窓を開けて、一つ大きく頷いた。
「これなら、平気ね!」
二階のバルコニーから絶対に飛び降りるなと、ランスに約束させられたが、ここは一階である。大丈夫、問題なし、と窓枠に足を掛けて乗り越えて、着地する。
そのままシギの元に向かうと、彼の方もエミリアに気付いて足を止めていた。
「やぁ、来たね」
「貴方、帰ったんじゃなかったの? ここにいては危ないわ」
「死喰鳥を気にしているのかい? 大丈夫だよ、殿下がいるから護ってくれる。それがあの人の仕事だ」
「でも……だからといって、こんな見晴らしのいい場所を出歩くものじゃないわ」
「昨夜も今も、わざとだと言ったら、怒るかな?」
「え……」
エミリアは息を呑む。穏やかな眼差しが多かったシギの目は、いつになく暗い。
「私はもう五十年以上もここにいる」
「そう……聞いているわ」
「私たちは、帰りたいんだよ」
「分かって……いる」
言葉が途切れがちになる。ランスの顔が頭を過り、胸がずきりと痛んだせいだ。シギは彼女の躊躇いを、すぐに見抜いたようだった。
「いいや、君はちっとも分かっていない。殿下は君を傷つけたくないあまり、護りすぎている。だが、私も死喰鳥になんてなりたくない。喰い殺されて、奴らの一部になるのも御免だ」
「ねえ、少し落ち着いて……」
話に聞き入っていたエミリアは、庭が急に暗くなった気がして、顔を上げた。周囲を照らしていたはずの朝日が、いつの間にか雲に隠れていた。同時にぞくりと何だか背筋が寒くなったが、シギは笑みを浮かべたままだ。
「だから、私は君を連れて行く」
シギがそう告げて肩に触れた瞬間、エミリアの目の前は真っ暗になった。
ぷつりと、彼女の気配が途切れた瞬間、ランスはベッドから跳ね起きた。同時に走った痛みに歯を食いしばって耐え、エミリアがいつの間にかいなくなっている事に気付く。
「どこに行った……っエミリア!」
ランスはベッドから降りると、靴を履くことも忘れ、裸足のまま部屋を進んだが、窓が開いたままであることに気づいた。すぐに駆け寄って庭を見回し、息を呑む。
シギが彼女の肩を掴み、次の瞬間、二人の姿はその場から消えた。
「くそ……っ!」
そのまま窓から飛び出そうとしたが、廊下で控えていた侍従や侍女たちが、彼の声を聴いて何事かと駆けつけてきた。そして、血相を変えて外へ出ようとしている王子を見て、侍従たちが蒼白になって駆け寄った。
「お、お待ちください! 殿下、まだ一ヶ月も経っていないではありませんか!」
「昨夜も死喰鳥が現われたばかり。御身に何かあったらいかがいたしますか!」
彼の身体を掴み、必死で止める侍従たちを、ランスは片手で振り払った。殺気立った目で彼らを見据える。
「俺が死んだら代わりを見つければいいだけだ。十人もいれば、十分だろう」
「殿下!」
「構うな!」
ランスは吠えると、窓枠を蹴って、外へと飛び出した。だが、その足は地面に着くことはない。彼の姿は見る見るうちに姿を変えて――――長い尾を持つ大きな鳥と化して、空へと舞い上がった。
エミリアは空が好きだった。用もないのに飛行機を見に行ったし、いつかきっと空に行ける時が来る、なんてランスに言ったものだ。
朝昼晩と色を変える空はあまりに美しい。時に淡く、時に色鮮やかに。何も遮るものがなく、自由がある。
そんな空を飛んでいく渡り鳥を見て。
――――私も飛べればいいのに……なんて言ったわねぇ……。
どこへ行く気だと、傍で聞いていた両親は笑っていたが、そんなことはエミリアにも分からない。どこかよ、と適当に誤魔化した。
そして今、エミリアは念願の空の上にいる。
「……は……?」
遥か下に小さく街が見えて、凍りつく。周りに目を向ければ、雲が近い。それどころか、自分の腕だと思っている場所に、翼があった。
「は!?」
彼女の身体は風を掴み、真っすぐに空を飛んでいたが、エミリアが我に返った瞬間、大混乱に陥った。一転して急降下し、エミリアは悲鳴を上げる。
必死で腕を動かして、湖の上にどぼんと落ちる寸前で上昇したが、そのお陰で水面に映った自分の姿を見てしまった。
丸い頭に細い首、黄色い嘴。身体は小さく、羽の色は茶色とあまりぱっとしない。なんとも地味な――――カモのような鳥だった。雄鳥は頭が色鮮やかな緑であるのが有名だが、雌は茶系統で今一つ目立たない。
それはまだいい。問題は、何故自分が鳥になど変わっているか、さっぱり分からないからだ。
「これはなに。私はどこに向かっているの!? 殿下――――説明してぇえええ……!」
エミリアは絶叫したが、周囲には誰もいない。シギの姿もない。
混乱が頂点に達し、飛び方もまともに教わっていないエミリアは、力尽きた。再び落下を始め、空気を割く音と共に悲鳴がこだまする。
それは自分のものだけではない気がした。
「エミリアさん! 羽を広げて!」
「なんでもいいから動かして! 勢いを殺すのよ!」
地上から聞こえてきた若い二人の女性の声に、はっと我に返る。最後の気力を振り絞って、言われた通りに羽を大きく広げると、バタバタと動かす。
――――あぁ……これ、どこをどう見ても無様な気がするわ……!
鳥はもっと華麗に飛び、美しく着地していなかっただろうか。泣きたくなりながらも、身体がふわりと浮いたのが分かり、羽を動かす。すると、地面に激突するはずだった身体は、何か大きな白い物に包まれて、軽く何度か跳ね返った後、沈み込んだ。
――――異世界にも衝撃吸収マットがあったのかしら……。
なんてことを考えながら、エミリアは柔らかく温もりのあるソレに顔を埋め、意識を飛ばした。
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