殿下、今日こそ帰ります!

黒猫子猫(猫子猫)

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第21羽・調理場

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 ランスの異能を知ってしまったエミリアは、完全に怯んだ。魂の護り手であるという『守護鳥』にとって、攻撃能力は必須なのだろう。
 だが、なぜよりにもよって、この王子が魅惑なのだ。
 麗しい外見に、高い身分に加えて、そんな力を持ったら無敵状態である。目を通して力を使うといっていたが、誰かを魅了させれば周囲に伝染できると白状している。もしも彼が強硬手段も辞さなくなれば、間違いなくその力を使われるはずだ。

「私、ちょっと所用を思い出したわ!」

 彼が席を外した時の口実を思い出し、同じように言ってみるが、ランスは無論さっさと見抜いて苦笑した。

「別に怖がらなくていい。そもそも、俺はお前に一度も魅惑の能力を使ってないだろう」
「そ……そうね」

 相槌こそ打ったが。怪しい気がする。自分は元いた世界に帰るため、後腐れない妾をご所望の王子の手を借りようと傍にいる。魅惑の力は、単に彼の『守護鳥』としての能力の一部で、共にあって弱った魂に活力を与えるのも仕事だという言葉に嘘はないように思えた。

 ただ、混乱状態にあった心身が落ち着きを取り戻してきたという今、帰りたいという想いが薄れてきている気がするのだ。仕事があるという理由は、退職していたと思い出して消えてしまったにしても、これはおかしい。

 もしかして、それとなく使われているのではなかろうか。

「だから、逃げるな」

 立ち上がりかけたエミリアに、ランスは少し焦ったような顔をして、右腕を伸ばした。それを察したエミリアは逃れようと目を向け、どうしても見てしまうのは、薬指の指輪だ。

 ――――何で私はまた気にするのよ……。

 そう思い、平静を保とうとしたが、どうしても顔が曇ってしまった。そんなエミリアを見返して、不味いものを見られたと思ったのか、ランスは気まずげに右腕を下ろした。さらに右手で袖を手繰り、指輪もろとも隠してしまう。
 彼は何気ない動作を装っていたが、右手を見つめていたエミリアは気づいていた。また、ちくりと胸が痛んだ。

「ここも出歩いて良いわよね?」
「……あぁ。でも、話が途中だぞ」
「後にしましょう!」

 そう言って忙しなく逃げて行ったエミリアを、ランスは黙って見送った。そして、ソファーに一人身を埋めると、小さくため息を吐いた。

「……見られたか?」

 今まで何をするにも左手でするようにしていた。エミリアの前では、特にだ。カートを押したり、扉を操作したりするのも。彼女に触れる時も――――夜を共にした日でさえ、上衣を脱がないようにしていた。
 気をつけていたが、エミリアが自分の力の一部を知っただけで逃げ腰になったのが分かり、焦るあまりつい利き腕が動いてしまったのだ。

 失敗した、と苦々しく思い、ランスは天を仰いだ。

 彼女が元いた世界に帰るために、いつかは全て話さなければならない。知って貰わなければならない。それは分かっている。

 だが、エミリアは自我を取り戻したばかりで、茶会の折もひどく困惑していた。心と連動するように魂も不安定で、まだ多くの事を受け止めきれないのが見て取れた。

 まずは少しでも彼女が安心できるよう、手を尽くした。窮屈な服を遠ざけ、信貴の助言を求めて食事を楽しめるように心を配った。
 夜を共にして、彼女の魂が不安定な一因も気づき、トリシュナに『癒し』を求めた。

 その効果もあってか、エミリアは笑ってくれるようになった。ウメとやらで自分が失敗した時も、何だか面白かったらしい。情けない所を見られたと思ったが、彼女が喜んでくれたなら、まあ良いかと思えた。

 エミリアは、本当によくしゃべる。表情がくるくると良く変わる。大人しくもない。王宮で裏表のある人間をいくらでも見てきたランスにとって、あまりに新鮮だ。こんなにも感情を外に出せるようになったのかと驚いてもいた。

 きっと、彼女が今まで生きてきた場所で、大事に愛してもらえた証しだろう。
 安心できる世界だったのだろう。

 ――――向こうに行きたくもなるか……。

 ランスは右腕を下ろすと、ソファーの背にもたれかかり、ゆっくりと目を閉じた。


 エミリアは廊下を歩きながら、悩んでいた。

 所用があると言った手前、何もしないで戻るわけにはいかない。部屋を出れば、外に控えていた侍女と護衛兵たちがすかさずやってきて、「お供いたします」と後ろからついてきてもいる。

 背に無数の視線が刺さり、気ばかりが焦る。

 とうとう、あてもなくさ迷い歩くエミリアを見て、侍女の一人が遠慮がちに
「あの……エミリア様、どちらに?」
と聞いてきた。
 無論、答えようがない。ぴたりと足を止め、うんうんと頭を捻った末、閃いたのは。
「ちょ、調理場です!」

 故郷の味を懐かしんでいたのは、彼らも知っているはずだと思って口走った事だったが。

「あぁ! 夕食が足りなかったのですね!」
と、全員が一斉に納得したといわんばかりに強く頷いてくれる。あるかないか今一つ自信がない乙女心がちょっぴり傷ついた。

「そうです! でも、殿下に言うと恥ずかしいので、自分で貰いに行きます!」

 エミリアは、またヤケクソ状態で答えながら、心の中でシクシクと泣いた。

 ――――わ……私、どれだけ食いしん坊だと思われているのかしら。

 なにしろ、ランスの元にとどめられてからというもの、食べてばかりいる気がする。

 朝・昼・晩の食事は、まだ分かる。

 だが、ランスが仕事に行った後、三時におやつだとお茶とクッキーが出た。私は子どもかと思いながらも、ついうっかり全部喜んで食べてしまったのがいけなかったのだろうか。

 ここに来る時も、ランスが三時を過ぎるとお菓子を勧めてきた。太るからと固辞しようとしたのに、彼が渡してきたのは、大好きなお団子だ。あんまりではないか。

 米派であり、餅米も大好き人間のエミリアは、異世界で和菓子まで開発するなと内心、抗議しながら――――完食した。コルセットは身体に合って苦しくなくなったが、今度は違う理由で、以前のように痕がつく気がしてならない。

 侍女がいそいそと先導し始めたので大人しく後に続いたが。長い廊下を見つめたエミリアは、「ここを走ってダイエットしようかしら」と、真剣に思い始めた。

 調理場に着くと、数人の料理人たちがまだ料理をしていた。先に主君とエミリアの分を作り、今度は同行してきた者達の分だという。侍女から足りなかったようだと聞かされた彼らは、一斉に慌てた。

「申し訳ありません。次は倍の量をお出ししますので!」
「そこまでしないでください。ほんのちょっとで良いんです!」

 倍増されたら、この屋敷をどれだけ駆けずり回る事になるのか。エミリアが必死で彼らを宥めていると、奥の方から調理人が数個のおにぎりを皿にのせて持ってきて、近くの調理台の上に置いた。

「お好きな物をどうぞ! 殿下から多めに用意しておくよう、言いつかっております!」

 エミリアはもう掠れた笑みしか出ない。

 一番小さなおにぎりを選び、とっくに膨れている胃袋に押し込んだが、もう限界である。残りはどうしようと思っていると、調理人達にまじって立っている男に気づいた。

「あ、一緒に来ていたんですね」
「うん。何だか殿下が面白いことになっているみたいだから」
「まあ……」

 食べなれない人が、いきなり酸っぱい梅なんか食べれば、ムセて涙ぐんでもおかしくない。次はランスも警戒するだろうし、繰り返さないとエミリアは思うのだが、シギは何だか期待した目をしていた。

 一方、調理人や侍女たちは、軒並み顔が強張って、不安げに目が泳いでいた。ランスが怒った時に垣間見せる冷徹さを良く知っているからだろう。シギもこの世界にきて五十年近く経っているにも関わらず、王族相手に怯まないのは日本人だからだろうか。

 シギはくすくすと笑って、
「ここは落ち着かないね。庭にでも出ようか」
と、エミリアを促した。

 なかなか戻ってこないエミリアに焦れて、ランスは彼女を追って部屋を出た。侍従に行先を尋ね、ほどなくして彼は屋敷の庭先にいた彼女を見つけた。何やら熱心に話しこんでいるのが見える。
 エミリアに同行していた者たちは少し離れた場所に控えていたが、ランスの姿を見つけて、傍までやって来た。

「エミリアはああして、ずっと話しているのか?」
と、尋ねると、侍従の一人が答えた。

「はい。夕食が足りなかったとおっしゃって調理場にお見えになられたので、オニギリをお出しして選んでいただきました」
「そうか。やはりな。俺も足りないんじゃないかと思っていた。明日は量を増やして出すよう、調理場へ言っておけ」
「承知しました!」

 ランスは真顔で頷き、信貴と、彼の話に聞き入るエミリアを見つめた。
 傍に行こうとする前に、侍従が恐る恐ると言った様子で尋ねた。

「あの……エミリア様は、どなたとお話になられているのでしょうか」
「信貴だ」
と、ランスが短く答えると、侍従を含め、その場にいた者達はようやく安堵した顔をした。

 無理もないと、ランスは思う。

 信貴は魂だけの存在であり、大多数の人間は目視できない。侍従たちの目には、エミリアが誰もいないところに向かって話しているようにしか見えないのだ。

 信貴の魂はもう五十年近く、この世界に留まっている。だが、『帰りたい』と言い出したのは、エミリアが来てからだ。

 あの男はエミリアが何者か、もう気づいている。
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