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第17羽・お仕事の誘い
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再び席に戻って来てエミリアの隣に座ったランスは、彼女に食事を促しながらも、まだ渋い顔だ。よっぽどご機嫌斜めなのかとエミリアは思ったが、彼が見つめていたのは、三つ目のおにぎりだ。
どうやら、まだ相当気にしているらしい。
「無理に飲み込まなくて良かったのに。梅は苦手っていう人も多いわよ」
「……だが、お前は好きだろう。信貴にも質問攻めにして迷惑をかけたし、部下に梅干しを作っている者を探させたりもした。和食も料理人たちが、試行錯誤して作ってくれている。それなのに、俺が吐き出せるか」
苦々しそうに彼は言う。エミリアは軽く目を見張り、胸がじんわりと温かくなる。
「殿下は律儀ね。責任感が強いのかしら」
「……別にそうでもないと思うが」
ランスは否定的だったが、エミリアは同意せず、笑みが零れた。
いくら異世界人が紛れ込み、様々な食文化や風習を伝えているとはいっても、違う場所なのだから、食事だって、『ない』ですませられるのだ。それでも、エミリアのために、彼は和食を探し求めてくれている。
トリシュナも、自分は妾の子だと遠慮がちだった。温室の方が居心地が良いとランスに言っていたが、彼が黙ったところからして、王宮で冷遇されていた時があったのだろう。今もかもしれない。そんな彼女を、彼は気遣っていた。
ランスは、大切なものを守ろうとする意識が強いのだろう。
「きっとそうよ。そんなに気負わなくても良いと思うくらいよ。昨夜だって、ちゃんと寝た?」
シギが彼に叩き起こされたと言っていた。仔細を聞いて指示を出し、男爵にも話を通さなければならない。茶会の後からずっとエミリアの傍にいたから、仕事もあったのかもしれない。それにも関わらず、エミリアが目覚めた時には既に彼は起きていた。
「……まぁ、多少は」
大して寝ていないというのは、その口調からも分かる。
「だめよ。殿下は王族でしょう。大事な身体じゃない。無理をしないで」
すると、少しランスの顔が強張った。
「そうはいくか。無理してでも、やるべき事はいくらでもある」
いつになく口調が強くなったのに、エミリアは驚きつつも、怯まない。
「梅を食べるのも? 貴方、今、ムキになっているわよね」
放っておいたら、好きになろうと練習しそうな空気を感じる。
「……っ」
ぐっと詰まった彼に、エミリアはくすくすと笑った。
「それにちょっと意地っ張りね」
もうどうにも言い返せないと理解したランスは、目を泳がせた後、天を仰いだ。
「……降参だ。分かった、無理に食おうとはしない」
「えぇ、そうして」
エミリアはランスにパンの入った籠を差し出し、彼も素直に受け取った。
釘を刺したせいか、朝よりも彼は量を多く食べ、エミリアも満腹になった。食事を終えると、侍従たちが食器を片づけ、入れ替わりに侍女たちがお茶の支度をして去っていく。
のんびりと食後のお茶を飲んでいたエミリアは、ふと素朴な疑問が浮かんだ。
「ところで、貴方、お仕事は?」
「あるにはあるが、今日はまだ大丈夫だ」
「そうなの? だって、昼食を取り始めてから、結構時間が経っているわよ。そもそも、ここは時間の概念はどうなっているのかしら……?」
「一年三百六十五日、一日は二十四時間ある」
「やっぱり、一緒ね。時計が長針と短針があって、同じ形だったもの」
朝昼晩と、食事を取るのも同じようだ、とエミリアが考えていると、ランスが更に告げた。
「俺は昼夜を問わず公務が入る時もあるから、一日の過ごし方は一概に言えない。日中、仕事をしている者は、朝から仕事をして、昼休憩をした後、夕方まで働くのが一般的だ」
「あら、それも同じね。私も……そんな感じだったわ」
あまりの仕事量に、始発電車に揺られて出社し、最終電車に滑り込む日々だったが。そんな過労死寸前の生活をして精神も壊れそうになっていたから、ランスに無理をしてほしくないと思うのかもしれない。
そんなことを考えていると、ランスはにっこりと笑った。
「事務職だと言っていたな。仕事が好きなら、俺の手伝いをして働くというのはどうだ?」
「遠慮するわ」
「まぁ、そう冷たい事を言うな」
ランスは即答したエミリアの腰に腕を回し、抱き寄せる。
「ちょっと……! ひ、人前!」
「いない。追い払った」
「え」
言われてみれば、控えていたはずの人々が綺麗さっぱり姿を消している。いつの間に、と驚く間もなく、ランスは更に抱き寄せてくる。
「悪い話じゃないだろう。お前が好きな時に、好きなように働けばいい。疲れたと思ったら休めばいいし、何なら俺が膝枕をしてやる」
「そ……それは働いているとは言えないのでは?」
「お前を見ているだけで、俺の仕事ははかどるだろうから十分だ」
ランスは真顔である。冗談だろうとエミリアは言いたいが、腰に回した彼の左手は容易に引きはがせそうにない。挙句に右手でエミリアの顎に触れ、抗議する間もなく、右耳の上に軽く口づけを落とした。
「殿下、やり過ぎ……!」
エミリアは詰ったが、なんだか身体に力が入らない。あまり触れてこようとしてこなかったため、油断していたのもあったが、昨日よりも更に彼を拒めない。
「エミリア」
優しく名を呼ぶ美声が、これもまた反則だ。あぁ、まずい……と思った時、エミリアの目に飛び込んで来たのは、彼の右手の薬指に輝く指輪だった。
トリシュナと全く同じデザイン――――三足の鳥の紋章だ。
『私たちの絆の証しなの』
嬉しそうに話した彼女の言葉が頭を過る。正妃と定められた女性に、彼は想うだけでも満足しているという。その分、妾に求めるのは身体的接触なのだろう。帰るために必要な事だと言われて受け入れたが。
頭では分かっていても、心の奥がちくりと痛む。そんなエミリアの心中を知ってか知らずか、彼は口説くのを止めない。
「昼休憩の時間は普通一時間だが、俺がもう一時間お前の為に取るから、二時間だ。どうだ?」
エミリアの返答は決まっている。
「結構です!」
あまりにきっぱりと言い切られた事に驚いたのか、ランスが固まったのを幸いとして、エミリアは急いで彼の腕の中から抜け出した。
ランスは座ったままだったが、頬を赤らめ、今にも泣きそうな顔をした彼女にため息を吐いた。
「……おい、そこまで嫌がることないだろ?」
「二時間も休んでいないで、貴方も仕事をするべきだわ!」
きっぱりとエミリアに言われ、彼は渋々といった顔で頷いた。
どうやら、まだ相当気にしているらしい。
「無理に飲み込まなくて良かったのに。梅は苦手っていう人も多いわよ」
「……だが、お前は好きだろう。信貴にも質問攻めにして迷惑をかけたし、部下に梅干しを作っている者を探させたりもした。和食も料理人たちが、試行錯誤して作ってくれている。それなのに、俺が吐き出せるか」
苦々しそうに彼は言う。エミリアは軽く目を見張り、胸がじんわりと温かくなる。
「殿下は律儀ね。責任感が強いのかしら」
「……別にそうでもないと思うが」
ランスは否定的だったが、エミリアは同意せず、笑みが零れた。
いくら異世界人が紛れ込み、様々な食文化や風習を伝えているとはいっても、違う場所なのだから、食事だって、『ない』ですませられるのだ。それでも、エミリアのために、彼は和食を探し求めてくれている。
トリシュナも、自分は妾の子だと遠慮がちだった。温室の方が居心地が良いとランスに言っていたが、彼が黙ったところからして、王宮で冷遇されていた時があったのだろう。今もかもしれない。そんな彼女を、彼は気遣っていた。
ランスは、大切なものを守ろうとする意識が強いのだろう。
「きっとそうよ。そんなに気負わなくても良いと思うくらいよ。昨夜だって、ちゃんと寝た?」
シギが彼に叩き起こされたと言っていた。仔細を聞いて指示を出し、男爵にも話を通さなければならない。茶会の後からずっとエミリアの傍にいたから、仕事もあったのかもしれない。それにも関わらず、エミリアが目覚めた時には既に彼は起きていた。
「……まぁ、多少は」
大して寝ていないというのは、その口調からも分かる。
「だめよ。殿下は王族でしょう。大事な身体じゃない。無理をしないで」
すると、少しランスの顔が強張った。
「そうはいくか。無理してでも、やるべき事はいくらでもある」
いつになく口調が強くなったのに、エミリアは驚きつつも、怯まない。
「梅を食べるのも? 貴方、今、ムキになっているわよね」
放っておいたら、好きになろうと練習しそうな空気を感じる。
「……っ」
ぐっと詰まった彼に、エミリアはくすくすと笑った。
「それにちょっと意地っ張りね」
もうどうにも言い返せないと理解したランスは、目を泳がせた後、天を仰いだ。
「……降参だ。分かった、無理に食おうとはしない」
「えぇ、そうして」
エミリアはランスにパンの入った籠を差し出し、彼も素直に受け取った。
釘を刺したせいか、朝よりも彼は量を多く食べ、エミリアも満腹になった。食事を終えると、侍従たちが食器を片づけ、入れ替わりに侍女たちがお茶の支度をして去っていく。
のんびりと食後のお茶を飲んでいたエミリアは、ふと素朴な疑問が浮かんだ。
「ところで、貴方、お仕事は?」
「あるにはあるが、今日はまだ大丈夫だ」
「そうなの? だって、昼食を取り始めてから、結構時間が経っているわよ。そもそも、ここは時間の概念はどうなっているのかしら……?」
「一年三百六十五日、一日は二十四時間ある」
「やっぱり、一緒ね。時計が長針と短針があって、同じ形だったもの」
朝昼晩と、食事を取るのも同じようだ、とエミリアが考えていると、ランスが更に告げた。
「俺は昼夜を問わず公務が入る時もあるから、一日の過ごし方は一概に言えない。日中、仕事をしている者は、朝から仕事をして、昼休憩をした後、夕方まで働くのが一般的だ」
「あら、それも同じね。私も……そんな感じだったわ」
あまりの仕事量に、始発電車に揺られて出社し、最終電車に滑り込む日々だったが。そんな過労死寸前の生活をして精神も壊れそうになっていたから、ランスに無理をしてほしくないと思うのかもしれない。
そんなことを考えていると、ランスはにっこりと笑った。
「事務職だと言っていたな。仕事が好きなら、俺の手伝いをして働くというのはどうだ?」
「遠慮するわ」
「まぁ、そう冷たい事を言うな」
ランスは即答したエミリアの腰に腕を回し、抱き寄せる。
「ちょっと……! ひ、人前!」
「いない。追い払った」
「え」
言われてみれば、控えていたはずの人々が綺麗さっぱり姿を消している。いつの間に、と驚く間もなく、ランスは更に抱き寄せてくる。
「悪い話じゃないだろう。お前が好きな時に、好きなように働けばいい。疲れたと思ったら休めばいいし、何なら俺が膝枕をしてやる」
「そ……それは働いているとは言えないのでは?」
「お前を見ているだけで、俺の仕事ははかどるだろうから十分だ」
ランスは真顔である。冗談だろうとエミリアは言いたいが、腰に回した彼の左手は容易に引きはがせそうにない。挙句に右手でエミリアの顎に触れ、抗議する間もなく、右耳の上に軽く口づけを落とした。
「殿下、やり過ぎ……!」
エミリアは詰ったが、なんだか身体に力が入らない。あまり触れてこようとしてこなかったため、油断していたのもあったが、昨日よりも更に彼を拒めない。
「エミリア」
優しく名を呼ぶ美声が、これもまた反則だ。あぁ、まずい……と思った時、エミリアの目に飛び込んで来たのは、彼の右手の薬指に輝く指輪だった。
トリシュナと全く同じデザイン――――三足の鳥の紋章だ。
『私たちの絆の証しなの』
嬉しそうに話した彼女の言葉が頭を過る。正妃と定められた女性に、彼は想うだけでも満足しているという。その分、妾に求めるのは身体的接触なのだろう。帰るために必要な事だと言われて受け入れたが。
頭では分かっていても、心の奥がちくりと痛む。そんなエミリアの心中を知ってか知らずか、彼は口説くのを止めない。
「昼休憩の時間は普通一時間だが、俺がもう一時間お前の為に取るから、二時間だ。どうだ?」
エミリアの返答は決まっている。
「結構です!」
あまりにきっぱりと言い切られた事に驚いたのか、ランスが固まったのを幸いとして、エミリアは急いで彼の腕の中から抜け出した。
ランスは座ったままだったが、頬を赤らめ、今にも泣きそうな顔をした彼女にため息を吐いた。
「……おい、そこまで嫌がることないだろ?」
「二時間も休んでいないで、貴方も仕事をするべきだわ!」
きっぱりとエミリアに言われ、彼は渋々といった顔で頷いた。
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