殿下、今日こそ帰ります!

黒猫子猫(猫子猫)

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第16羽・殿下が可愛い時もある

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 エミリアは慌てて彼の背中を擦り、
「吐き出して⁉」
と促した。

 彼は小さく首を振り、「飲み込んだ」と答えながらも、まだムセが止まらない。相当強烈だったらしく、彼は少しばかり涙目になって、顔も赤い。

 笑ってはいけないと思いながらも、ついエミリアは口元が緩む。

 ――――やだ。なんだか可愛いわ……。

 いつも自信満々で、派手に着飾っている男であったので、珍しさもあって魅入ってしまう。

 ただ、ランスがエミリアが差し出した物を食べた瞬間、口を押えて激しく咳き込んだ、という光景は、黙って控えていた彼の配下たちに別の事を連想させる。

 ランスは第一王子であり、彼が口にする可能性があるものは厳重な管理が敷かれていた。もしや、毒かもしれないと思ったのだ。

「殿下……っいかがされましたか!」
「貴様、何をした⁉」

 蒼白になって駆け寄った侍従たちに、エミリアはランスから手を放して、彼らの方へと身体を向けた。

「あの……ごめんなさい⁉」
「謝ってすむものではない! 何を笑っていた!」

 エミリアに、怒声が次々に浴びせられる。彼女の顔はみるみる内に青ざめたが、それは侍従たちのせいではない。何しろ彼らも一瞬にして、真っ白になったからだ。

 背後から感じ取った物凄い怒気に、エミリアは背筋が伸びる。今、振り返ってはいけないと思った。生きたがいる気がする。
 それを真っ向から見てしまったらしき侍従たちの顔に浮かんだ恐怖が、全てを物語っていた。
 だが、絶句していた彼らの中でも、少しばかり空気が読めない者がまじっていた。

 滅多に表情を変えなかった王子のかつてない姿など、そうそう拝めるものでは無い。つい吹き出してしまい、両隣にいた者たちから同時にわき腹を肘打ちされた。

 エミリアはそれを見て、ようやく振り返る。彼女に視線を落とした彼は、瞬時に目を和らげたが。

「おい……何がおかしい?」
「ご、ごめんなさい。あなた、顔が真っ赤よ?」
「……ムセたんだ。しょうがないだろう。……それに、甘いと言っていたじゃないか」

 その認識で口にしたら、全く違う強烈な酸味が襲ってきたのだ。エミリアは吐き出せと言ったが、彼女が美味しいと喜んで口にしていたから、そんな真似などしたくない。必死で飲み込んだは良いが、口の中にいつまでも残っていて、まだ彼を苦しめていた。

「お母さんが作った物は甘かったのよ。梅干しは酸っぱいものが殆どよ。これもそうね。だから、止めた方が良いって言ったのに……味見したんじゃなかったの?」
「……それは信貴シギが止めたんだ。そういう事か……」
「だと思ったわ」

 エミリアはくすくすと笑った。ランスはようやく口内の味が消えてきた事もあって表情を和らげたが、目の端でそろそろと逃げていく侍従たちを見逃さない。

 彼はエミリアに、「食事を続けろ」と微笑みかける。そして、元の位置で何事も無かったかのように、しらばっくれて立つ侍従たちの元へ歩いて行った。

 全員横一列になって直立不動になっている姿に、エミリアは規律がとれていると感心していたが、彼らは今、地獄に片足を突っ込んでいた。事の成り行きを見守っていた侍女たちは、もちろん彼らを前面に押し出して、背後に隠れている。

 ランスは冷徹な眼差しで侍従たちを一瞥し、まず真っ先に視線を向けたのは。

「お前……エミリアを貴様と言ったな?」
「あ……あの……殿下、お許し……ひぃいいい!」
「二度と口にするな。次はない」

 睨みつけられただけで、彼はもう泣きそうである。良かった、王子の怒りは彼に向いたと全員が一瞬だけ安心した所に、王子の怒気が襲う。

「エミリアを怯えさせたお前らも同罪だ」

 静かな口調でありながらも、凄まじい威圧感である。いや、彼女が恐れおののいたのは、自分たちよりも殿下では、などという事を口にできる勇者はいない。

 平謝りする彼らを見据え、ランスは唸るように言った。

「分かっていると思うが、俺は今、だ。二度と邪魔するな」

 そんな両者の短い会話の声は、エミリアのところからは聞こえない。半分に割ったおにぎりをお腹に全て入れ、手を拭きながら、何やら縮こまっている侍従たちと、叱責しているらしきランスを見る。

 ランスは部下に笑われて、馬鹿にされたと思ったのだろう。

 ――――でも、ちょっと笑いたくなるわよね。気持ちは分かるわ!
 と、心の中で侍従達を励ました。
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