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第15羽・殿下、やめておいた方が
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「そ、そう……私とそんなに年が離れているのね……二十歳……いえ、四十歳差?」
有海は二十一歳であったし、今のこの身体も二十年ほど生きているから、正確に言えば自分も四十一歳になるのかもしれない。どうりで男爵夫妻が三十代の若夫婦にしか見えなかったわけだ。恐らく実年齢はもっと上なのだろう。
ただ、千年生きるというならば、彼の人生はまだまだ長い。日本で六十歳と言われれば初老にさしかかる頃だが、ここではようやく青年の域に入る頃だろうか。つくづく、自分とは違う感性の持ち主だと実感しながら、おにぎりを頬張る。
「大したことないだろ」
「あるわよ」
「向こうの感覚で考えるからだ。百年しか生きない者と、千年生きる俺たちを混同するな。零を一つ引いて考えればいい。四歳差だろ」
「それはそうねえ……」
「俺たちの場合は同世代だ。誤解するな?」
なにやら一生懸命なランスに目を瞬きながら、エミリアは頷いた。
「分かったわよ。でも、貴方……私の上司と大違いだわ」
定年間際の、怒鳴ってばかりいたあの上司の事をまた思い出しながら、おにぎりを齧る。ぴくっとランスの眉が軽く吊り上がったが、エミリアは朝と違う味に思わず視線を落として気づかない。そこに入っていたのは、赤く丸い塊。母の味だ。
「まぁ、梅干しじゃない! しかもとっても美味しいわ!」
今度、シギにあったら、ぜひとも作り方を教えて欲しいと思うくらいだ。
「……お前が好きだと言っていたから、信貴に聞いて入れさせたんだ」
「ありがとう! これ、お母さんがよく手作りしてくれたのよ。とっても甘くて、美味しかったわ」
梅干しは酸味が強いものが主流だが、甘く漬けたものもある。どちらもエミリアは大好きだ。
ただ、それを聞いたランスは少し意外に思った。
シギの話を聞いて、彼女に食べさせたい和食を選んできた彼は、先にどんな物なのか試食していた。食べなれた味ではなかったが、すんなりと喉を通った。ただ、シギは『梅干しは止めておいた方がいいよ。好みが分かれるから。エミリアは好きだというなら、大丈夫だと思うけど』と止めたのだ。
迷った末に口にしなかったが、エミリアは甘いと言う。しかも、嬉しそうに目じりを下げて、口いっぱいに頬張る姿がなんとも可愛らしい。
一日中でも食べさせて、その姿を眺めていたいと思うくらいだ。
エミリアを見つめるランスの目は優しい。そして、かつてない程穏やかな眼差しをしている王子を、侍従たちは絶句した顔で見つめている。
これは天変地異の前触れかと、王宮中で噂になっていた。
エミリアはおにぎりを一つ食べ終わったが、ランスが何も食べていない事が気になった。朝食の席でも、彼はもっぱらエミリアに色々と勧めたり、取り分けたりしていて、自分はパンとスープを飲んだくらいで済ませてしまっていた。
今も、何も口にしようとしていない。
「あの……殿下も食べない?」
「ん?」
「私ばかり……悪い気がするわ」
そう促してみたはいいが、ふと視線を感じてちらりと見てみると、侍従たちが目を真ん丸にしていた。何か悪い事を言っただろうか。
心配になってきたが、彼女のよそ見にランスは顔をしかめ、名を呼んで自分の方をまず向けさせる。
「俺にも食べさせてくれるのか?」
「ええ、もちろん! どれがいいかしら? 取るわよ」
むしろ彼に遠慮させていたのかと思って、エミリアは恥じ入る。
「……ちなみに、あいつはそれも食っていたのか」
ランスはお皿の上にある二つ目のおにぎりを指さしながら、尋ねた。
「誰のこと?」
「上司だとかいう男だ」
その男は、エミリアがずっとお茶を淹れていたと聞いていた。この国でも、侍女や侍従たちが給仕はするから、そこまでは常識の範疇かもしれない。だが、彼らはそれ以上の事をしない。
あくまで食事や必要な物品を運ぶだけだ。相手の好き嫌いを聞きながら取り分けてやったり、食べさせたりする給餌行為は、家族か食事がままならない子どもを除いて厳禁である。
それは、求愛している者や伴侶がすることだからだ。
エミリアがお茶を出してやったのは、仕事だから仕方がないと一瞬だけ思ったが。
あろうことか、彼女は温度や量など気を遣って、菓子まで用意して機嫌を取っていた。後にやらなくなったと聞かなければ、敵意が膨れ上がりそうだった。
しかも、その男が自分と同じくらいの月日を生きている者だと聞いて、ランスの中で更に対抗心が芽生える。そんな彼の苛立ちに気づかず、エミリアは思案して、のんびりと告げた。
「そうねえ……梅干しは、好きそうだったわ。よく食べていたわね」
昼食時に、コンビニのおにぎりを食べているのを見かけた時があったが、梅が入っていたおにぎりを食べていた。その時ばかりは、苦手な上司に対して好感を持ったものである。
「…………。俺も、それでいい」
「え?」
「ウメとやらだ」
エミリアは何やら強い決意を固めているらしきランスと、お皿の上のおにぎりを交互に見返した。
「……貴方は止めた方が良いんじゃないかしら」
「大丈夫だ。お前に食べさせる物は、俺も先に味見しているから馴染みがある。それだけでいいから、食べさせてくれ」
彼女は甘いと言った。ならば、問題ないはずだ。ただ、彼はエミリアの為に和食は用意したので、米まで食べるのは悪い気がしたのだ。
エミリアは益々目を丸くして、だが頑として譲らなそうな彼を見て、迷いながらもおにぎりを半分に割る。スプーンで梅干しだけ取ったが、躊躇するものがある。
「もう一度言うけれど、止めた方がいいと思うのよ」
「いいから。お前が好きな味なんだろう?」
「それはそうだけど……」
にっこりと笑う彼はあまりに魅力的で、エミリアは勝手に頬が赤らんだ。さりとて、取り出してしまってはいるし、ランスは乗り気だ。
躊躇したが、急かされて、エミリアは彼の口の中に梅干しを入れた。
そして、エミリアは見た。
優美な笑みを浮かべ、端正な顔立ちをした麗しい貴公子が。一瞬の沈黙の後、みるみる内に表情を変え、激しく咳き込んだ。
「……っ⁉ う……! おい、……なんだ、これ……っ」
――――やっぱり、そうなるわよね⁉
有海は二十一歳であったし、今のこの身体も二十年ほど生きているから、正確に言えば自分も四十一歳になるのかもしれない。どうりで男爵夫妻が三十代の若夫婦にしか見えなかったわけだ。恐らく実年齢はもっと上なのだろう。
ただ、千年生きるというならば、彼の人生はまだまだ長い。日本で六十歳と言われれば初老にさしかかる頃だが、ここではようやく青年の域に入る頃だろうか。つくづく、自分とは違う感性の持ち主だと実感しながら、おにぎりを頬張る。
「大したことないだろ」
「あるわよ」
「向こうの感覚で考えるからだ。百年しか生きない者と、千年生きる俺たちを混同するな。零を一つ引いて考えればいい。四歳差だろ」
「それはそうねえ……」
「俺たちの場合は同世代だ。誤解するな?」
なにやら一生懸命なランスに目を瞬きながら、エミリアは頷いた。
「分かったわよ。でも、貴方……私の上司と大違いだわ」
定年間際の、怒鳴ってばかりいたあの上司の事をまた思い出しながら、おにぎりを齧る。ぴくっとランスの眉が軽く吊り上がったが、エミリアは朝と違う味に思わず視線を落として気づかない。そこに入っていたのは、赤く丸い塊。母の味だ。
「まぁ、梅干しじゃない! しかもとっても美味しいわ!」
今度、シギにあったら、ぜひとも作り方を教えて欲しいと思うくらいだ。
「……お前が好きだと言っていたから、信貴に聞いて入れさせたんだ」
「ありがとう! これ、お母さんがよく手作りしてくれたのよ。とっても甘くて、美味しかったわ」
梅干しは酸味が強いものが主流だが、甘く漬けたものもある。どちらもエミリアは大好きだ。
ただ、それを聞いたランスは少し意外に思った。
シギの話を聞いて、彼女に食べさせたい和食を選んできた彼は、先にどんな物なのか試食していた。食べなれた味ではなかったが、すんなりと喉を通った。ただ、シギは『梅干しは止めておいた方がいいよ。好みが分かれるから。エミリアは好きだというなら、大丈夫だと思うけど』と止めたのだ。
迷った末に口にしなかったが、エミリアは甘いと言う。しかも、嬉しそうに目じりを下げて、口いっぱいに頬張る姿がなんとも可愛らしい。
一日中でも食べさせて、その姿を眺めていたいと思うくらいだ。
エミリアを見つめるランスの目は優しい。そして、かつてない程穏やかな眼差しをしている王子を、侍従たちは絶句した顔で見つめている。
これは天変地異の前触れかと、王宮中で噂になっていた。
エミリアはおにぎりを一つ食べ終わったが、ランスが何も食べていない事が気になった。朝食の席でも、彼はもっぱらエミリアに色々と勧めたり、取り分けたりしていて、自分はパンとスープを飲んだくらいで済ませてしまっていた。
今も、何も口にしようとしていない。
「あの……殿下も食べない?」
「ん?」
「私ばかり……悪い気がするわ」
そう促してみたはいいが、ふと視線を感じてちらりと見てみると、侍従たちが目を真ん丸にしていた。何か悪い事を言っただろうか。
心配になってきたが、彼女のよそ見にランスは顔をしかめ、名を呼んで自分の方をまず向けさせる。
「俺にも食べさせてくれるのか?」
「ええ、もちろん! どれがいいかしら? 取るわよ」
むしろ彼に遠慮させていたのかと思って、エミリアは恥じ入る。
「……ちなみに、あいつはそれも食っていたのか」
ランスはお皿の上にある二つ目のおにぎりを指さしながら、尋ねた。
「誰のこと?」
「上司だとかいう男だ」
その男は、エミリアがずっとお茶を淹れていたと聞いていた。この国でも、侍女や侍従たちが給仕はするから、そこまでは常識の範疇かもしれない。だが、彼らはそれ以上の事をしない。
あくまで食事や必要な物品を運ぶだけだ。相手の好き嫌いを聞きながら取り分けてやったり、食べさせたりする給餌行為は、家族か食事がままならない子どもを除いて厳禁である。
それは、求愛している者や伴侶がすることだからだ。
エミリアがお茶を出してやったのは、仕事だから仕方がないと一瞬だけ思ったが。
あろうことか、彼女は温度や量など気を遣って、菓子まで用意して機嫌を取っていた。後にやらなくなったと聞かなければ、敵意が膨れ上がりそうだった。
しかも、その男が自分と同じくらいの月日を生きている者だと聞いて、ランスの中で更に対抗心が芽生える。そんな彼の苛立ちに気づかず、エミリアは思案して、のんびりと告げた。
「そうねえ……梅干しは、好きそうだったわ。よく食べていたわね」
昼食時に、コンビニのおにぎりを食べているのを見かけた時があったが、梅が入っていたおにぎりを食べていた。その時ばかりは、苦手な上司に対して好感を持ったものである。
「…………。俺も、それでいい」
「え?」
「ウメとやらだ」
エミリアは何やら強い決意を固めているらしきランスと、お皿の上のおにぎりを交互に見返した。
「……貴方は止めた方が良いんじゃないかしら」
「大丈夫だ。お前に食べさせる物は、俺も先に味見しているから馴染みがある。それだけでいいから、食べさせてくれ」
彼女は甘いと言った。ならば、問題ないはずだ。ただ、彼はエミリアの為に和食は用意したので、米まで食べるのは悪い気がしたのだ。
エミリアは益々目を丸くして、だが頑として譲らなそうな彼を見て、迷いながらもおにぎりを半分に割る。スプーンで梅干しだけ取ったが、躊躇するものがある。
「もう一度言うけれど、止めた方がいいと思うのよ」
「いいから。お前が好きな味なんだろう?」
「それはそうだけど……」
にっこりと笑う彼はあまりに魅力的で、エミリアは勝手に頬が赤らんだ。さりとて、取り出してしまってはいるし、ランスは乗り気だ。
躊躇したが、急かされて、エミリアは彼の口の中に梅干しを入れた。
そして、エミリアは見た。
優美な笑みを浮かべ、端正な顔立ちをした麗しい貴公子が。一瞬の沈黙の後、みるみる内に表情を変え、激しく咳き込んだ。
「……っ⁉ う……! おい、……なんだ、これ……っ」
――――やっぱり、そうなるわよね⁉
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