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第14羽・殿下は最後まで言わせない
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ランスは一先ず飛行機が生物ではないと理解したが、興味をそそられたらしい。庭先にあった東屋にエミリアを招き入れると、長椅子に一緒に座り、熱心に話を聞いた。
こうやって彼らは、異世界の知恵を自らの地に落とし込んでいくのだろうと思いながら、エミリアは丁寧に質問に答えた。昨日はいちいち説明していたら、いつまでたっても帰れないと避けたことだったが、男爵の件もあって、頭を切り替えたかった事もある。
少し気晴らしになるかと話し込んだが、思った以上に時間が経っていたらしい。王宮の方から侍従と侍女らしき面々がやって来て、ランスに「昼食はいかがされますか」と尋ねたのだ。
午前中がもう終わるとようやく気付き、エミリアは慌てた。
「もうそんな時間なの? こうしてはいられないわ。殿下、私は帰――」
「別の物を用意させた。食べてみろ」
「え……!」
立ち上がりかけたエミリアは、躊躇する。すかさずランスは彼女の腕を軽く引いて座らせた上、腰に腕を回して抱き寄せる。
「だから、もう少し。な?」
「う……っ」
「お前が食べないと、全部無駄になるぞ」
「お残しはいけません!」
母から口癖のように言われた言葉が出てしまい、ランスはにっこりと笑う。エミリアは机に突っ伏したい気分であるが、彼は澄ました顔で侍従に目を向けた。
黙って控えていた一同は、軒並みハトが豆鉄砲を食ったような顔をしている。ランスの顔からすっと笑みが消えた。
「なんだ」
「何でもありません⁉」
慌てて一礼して去っていく彼らに、エミリアは少し不安になる。今更ではあるが、王族である彼にあまりに馴れ馴れしい口調だ。
「あの……ごめんなさい。私、殿下に失礼だったわ」
「俺はまったくそう思わないが?」
「いいえ。ちゃんと敬語を使うべきだと思うのよ」
「そのままでいい。向こうは王権とは無縁の世界だったようだし、堅苦しい言葉を使うだけで疲れるだろう。場に適した言動が求められるのは確かだが、少なくとも俺の前では何も遠慮するな。ランスと呼べと言っているだろう?」
彼は殿下という呼称で呼ばれるのも嫌そうだ。気遣ってくれているのが分かり、エミリアは胸の中がほんのりと温かくなるのを感じた。
ただ、彼は同じく呼び捨てにしろとトリシュナにも言っていたことを思い出す。口説く際の常套文句かもしれないと思い直す。
「では、殿下」
「…………」
「私はそろそろ帰――」
「あぁ、来たぞ」
ランスはエミリアの言葉を遮った。先ほどの侍従たちが戻って来たのが見えて、エミリアは言葉を呑み込まざるを得なかった。
侍従たちはそれぞれ持参してきた料理や食器を、二人の前の大きな机に並べると、一礼して少し離れたところに控えた。
ちゃんとテーブルクロスまで敷かれ、カラトリーは銀色に光り輝いている。相変わらずの量の多さで、ざっと見ただけで三人前は軽くありそうだが、ランスは微笑む。
「好きなだけ食べろ。何が良い?」
と言って、勧めてくる。
帰らなければ、と思うエミリアだが、ここに長居すると確実に太るという妙な心配も出てきた。
さりとて、わざわざ目の前に置かれた物の誘惑には抗いがたいものがある。
朝同様に、お皿の上にはおにぎりが三つ。着実に増えている。そして、隣のスープカップに入っていた物は、匂いを嗅いだだけですぐに分かった。
お味噌汁だ。しかも、ジャガイモと葱が入っていて、これもまたエミリアの好物である。
「素晴らしいわ……!」
捨ててしまうのは勿体ないと、言い訳をして、エミリアは嬉々として口に運んだ。懐かしい味が口いっぱいに広がって、顔が綻ぶ。ランスは彼女にサラダを取り分けながら、微笑んだ。
「好きなようだな。良かった」
「どうもありがとう。これもシギさんに教えて貰ったの?」
ランスは手を止め、少し驚いたような顔をして、エミリアを見返した。
「お前……信貴に会ったのか?」
「えぇ。庭を歩いていたら、木の上から声が聞こえたの。『そろそろ帰りたいなぁ』ってぼやいていたわ」
「……そうか」
ランスは短く呟いて、サラダの乗ったお皿をエミリアの前に置いた。エミリアは礼を言ったが、なにか思案気な様子の彼を見返し、問いかけた。
「少し立ち話をしたけど、あの人、日本の……私が暮らしていた国の人だって言っていたわ」
「あぁ、そうだ。料理好きな男らしくてな、故郷の料理や作物を詳しく教えてくる」
「……日本で生きていたのは、ずっと前だって言っていたわ」
彼もまた、自分のように魂が異世界へと逃げ、帰れなくなっている者だろうと想像がつく。
「そうだな。奴の魂がこちらに渡って来たのは……五十年前になるか」
「そ、そんなに……?」
とても五十過ぎの男には見えなかったが、ランスは以前、稀に力の強い魂が異世界でも心の拠り所を作ろうと、身体を生み出すことがあると言っていたことを思い出す。しょせんは仮初の脆いものだと言っていたが。
「五十年だぞ。驚く事か?」
「人間の寿命の半分じゃない! 驚くわよ」
意外そうな顔をしていたランスは、ようやく納得顔で頷いた。
「そうか。あっちの人間は短命だったな。長く生きて百年だったか?」
「……待って。この世界の人は、何年生きるのよ」
「ざっと千年ほどだ。生まれて二十年も経てば成長が止まって、非常にゆっくり年を取る」
あっさりと言われて、エミリアは目を剥いた。言われてみれば、確かに若い身なりの者が多かった。男爵夫妻も三十代かと思うほどだった。
エミリアは改めてランスをまじまじと見返し、尋ねた。
「貴方、何年生きてるの?」
「六十年ほどだな」
彼はあっさりと答えた。
こうやって彼らは、異世界の知恵を自らの地に落とし込んでいくのだろうと思いながら、エミリアは丁寧に質問に答えた。昨日はいちいち説明していたら、いつまでたっても帰れないと避けたことだったが、男爵の件もあって、頭を切り替えたかった事もある。
少し気晴らしになるかと話し込んだが、思った以上に時間が経っていたらしい。王宮の方から侍従と侍女らしき面々がやって来て、ランスに「昼食はいかがされますか」と尋ねたのだ。
午前中がもう終わるとようやく気付き、エミリアは慌てた。
「もうそんな時間なの? こうしてはいられないわ。殿下、私は帰――」
「別の物を用意させた。食べてみろ」
「え……!」
立ち上がりかけたエミリアは、躊躇する。すかさずランスは彼女の腕を軽く引いて座らせた上、腰に腕を回して抱き寄せる。
「だから、もう少し。な?」
「う……っ」
「お前が食べないと、全部無駄になるぞ」
「お残しはいけません!」
母から口癖のように言われた言葉が出てしまい、ランスはにっこりと笑う。エミリアは机に突っ伏したい気分であるが、彼は澄ました顔で侍従に目を向けた。
黙って控えていた一同は、軒並みハトが豆鉄砲を食ったような顔をしている。ランスの顔からすっと笑みが消えた。
「なんだ」
「何でもありません⁉」
慌てて一礼して去っていく彼らに、エミリアは少し不安になる。今更ではあるが、王族である彼にあまりに馴れ馴れしい口調だ。
「あの……ごめんなさい。私、殿下に失礼だったわ」
「俺はまったくそう思わないが?」
「いいえ。ちゃんと敬語を使うべきだと思うのよ」
「そのままでいい。向こうは王権とは無縁の世界だったようだし、堅苦しい言葉を使うだけで疲れるだろう。場に適した言動が求められるのは確かだが、少なくとも俺の前では何も遠慮するな。ランスと呼べと言っているだろう?」
彼は殿下という呼称で呼ばれるのも嫌そうだ。気遣ってくれているのが分かり、エミリアは胸の中がほんのりと温かくなるのを感じた。
ただ、彼は同じく呼び捨てにしろとトリシュナにも言っていたことを思い出す。口説く際の常套文句かもしれないと思い直す。
「では、殿下」
「…………」
「私はそろそろ帰――」
「あぁ、来たぞ」
ランスはエミリアの言葉を遮った。先ほどの侍従たちが戻って来たのが見えて、エミリアは言葉を呑み込まざるを得なかった。
侍従たちはそれぞれ持参してきた料理や食器を、二人の前の大きな机に並べると、一礼して少し離れたところに控えた。
ちゃんとテーブルクロスまで敷かれ、カラトリーは銀色に光り輝いている。相変わらずの量の多さで、ざっと見ただけで三人前は軽くありそうだが、ランスは微笑む。
「好きなだけ食べろ。何が良い?」
と言って、勧めてくる。
帰らなければ、と思うエミリアだが、ここに長居すると確実に太るという妙な心配も出てきた。
さりとて、わざわざ目の前に置かれた物の誘惑には抗いがたいものがある。
朝同様に、お皿の上にはおにぎりが三つ。着実に増えている。そして、隣のスープカップに入っていた物は、匂いを嗅いだだけですぐに分かった。
お味噌汁だ。しかも、ジャガイモと葱が入っていて、これもまたエミリアの好物である。
「素晴らしいわ……!」
捨ててしまうのは勿体ないと、言い訳をして、エミリアは嬉々として口に運んだ。懐かしい味が口いっぱいに広がって、顔が綻ぶ。ランスは彼女にサラダを取り分けながら、微笑んだ。
「好きなようだな。良かった」
「どうもありがとう。これもシギさんに教えて貰ったの?」
ランスは手を止め、少し驚いたような顔をして、エミリアを見返した。
「お前……信貴に会ったのか?」
「えぇ。庭を歩いていたら、木の上から声が聞こえたの。『そろそろ帰りたいなぁ』ってぼやいていたわ」
「……そうか」
ランスは短く呟いて、サラダの乗ったお皿をエミリアの前に置いた。エミリアは礼を言ったが、なにか思案気な様子の彼を見返し、問いかけた。
「少し立ち話をしたけど、あの人、日本の……私が暮らしていた国の人だって言っていたわ」
「あぁ、そうだ。料理好きな男らしくてな、故郷の料理や作物を詳しく教えてくる」
「……日本で生きていたのは、ずっと前だって言っていたわ」
彼もまた、自分のように魂が異世界へと逃げ、帰れなくなっている者だろうと想像がつく。
「そうだな。奴の魂がこちらに渡って来たのは……五十年前になるか」
「そ、そんなに……?」
とても五十過ぎの男には見えなかったが、ランスは以前、稀に力の強い魂が異世界でも心の拠り所を作ろうと、身体を生み出すことがあると言っていたことを思い出す。しょせんは仮初の脆いものだと言っていたが。
「五十年だぞ。驚く事か?」
「人間の寿命の半分じゃない! 驚くわよ」
意外そうな顔をしていたランスは、ようやく納得顔で頷いた。
「そうか。あっちの人間は短命だったな。長く生きて百年だったか?」
「……待って。この世界の人は、何年生きるのよ」
「ざっと千年ほどだ。生まれて二十年も経てば成長が止まって、非常にゆっくり年を取る」
あっさりと言われて、エミリアは目を剥いた。言われてみれば、確かに若い身なりの者が多かった。男爵夫妻も三十代かと思うほどだった。
エミリアは改めてランスをまじまじと見返し、尋ねた。
「貴方、何年生きてるの?」
「六十年ほどだな」
彼はあっさりと答えた。
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