殿下、今日こそ帰ります!

黒猫子猫(猫子猫)

文字の大きさ
上 下
12 / 35

第12羽・有海

しおりを挟む
 別に落ち込むことなんてない、とエミリアは思う。

 異世界なのだから、今まで自分が生きてきた社会とは違う常識がある。ついていけるかどうかは、別として。

 それでもため息が止まらない。
 温室を飛び出してきたは良いが、行先に困る。ランスの寝室になど戻りたくないし、そもそも二階である。鳥なら飛んで行けるだろうが、人間には羽がない。

 誰かに声をかけて、「家に帰りたい」と訴えてみようか。

 そんな事を考えている時、頭上からぼやく声が聞こえた。

「そろそろ帰りたいなぁ……」

 驚いて見上げると、大木の木の枝に一人の青年が座っていた。二十代の初めくらいだろうか。長めの黒の短髪に、漆黒の瞳。この国の者に多い彫りの深い顏立ちとは違って、鼻は低めでやや平坦だ。

 エミリアは見た事のある外見に息を呑む。

「貴方……もしかして……?」

 青年は驚いた顏をしてエミリアを見下ろし、視線が合うと、いきなり飛び降りてきた。かなりの高度があったにも関わらず、彼は軽やかに舞い降りて、エミリアの度肝を抜く。

 思わず彼が今の今まで居た場所と地上を見比べて、「私ももっといけるかしら……!」などと考えたりする。
 一方、彼はにこやかな笑顔を浮かべて、エミリアに声をかけてきた。

「やあ、君がエミリアだね。私はシギだ。どうぞよろしく」

 トリシュナに続いて、彼も自分の事を知っているらしい。もう誰の仕業か分かる。

「……ランス殿下から私の事を聞きましたか?」
「そうだよ。夜中にいきなり叩き起こされたから、何かと思ったよ」

 あの王子は人様の迷惑を考えないらしい。ますます反感が募ったが。
 シギはくすりと笑った。

「しかし、殿下もあんなに嬉しそうな顔をするんだね」
「え……?」

「ほら、あの人って滅多に笑わないでしょ? いつも冷めた目をして、自分の人生なんか面白くもおかしくないって言わんばかりだしね」

 そうだろうか。
 ランスは何だかずっと楽しそうで、よく笑っている気がする。自分の言動がよっぽど面白いだろうか。異世界の者が時々紛れ込むと言っていたから、珍しくはないはずだが。

 困惑するエミリアを他所に、シギは更に続けた。

「でも、君が暮らしていた場所は、私の故郷と一緒だろう? 殿下が君の話を聞いて、思いついたようだね」
「あ……! やっぱり、貴方は日本人ね⁉」

「そうだよ。まあ私があの国で生きていたのは、もう随分前だけどね。でも、料理はそんなに大きく変わらないかと思って、殿下に色々と紹介したんだよ」

 朝食の中に和食が混じっていたが、どうやら彼はシギから作り方を教えて貰ったようだ。

「あのおにぎり、とっても美味しかったわ。どうもありがとう」
「役に立てて良かった。殿下も君が喜ぶんじゃないかって、嬉しそうだったよ」

「そう……なの?」
「うん。君はまだ昔の記憶が無いんでしょう?」

「えぇ……」

 この身体になる前の、の記憶はどんどん戻ってきているが、今ので過ごした二十年近くの記憶は全くないのだ。ただ無為に過ごしてきたのだろう。

「きっと色々戸惑っているだろうし、心細いだろうから、少しでも慰めてあげたいんだって言っていたよ」

 エミリアは目を見張り、頬が次第に赤く染まっていくのが止められなかった。昨夜自分が寝入った後、彼は方々に手を回していたようだ。食事だけでなく、今身に着けている服も体に合っていて、苦しくない。

 シギはにんまりと笑って頷いていたが、不意に顔をしかめた。

「やぁ、嫌な男がきた。君には悪いけど、私はあの人が苦手なんだよ」
「え……?」
「こっちにおいで」

 手招きされて、エミリアは彼がいた大木の影に隠れた。庭木が立ち周囲は茂みが生い茂っているから見通しは悪いが、庭に面した渡り廊下が見えた。

 そこをなんとも強張った顔で歩いてきたのは、エミリアの養父であるガラルド男爵だ。彼の周りには数人の若い令嬢たちがまとわりついて、何やら質問攻めにしている。

 男爵はうんざり顔で足を止め、殺気だっている令嬢たちに苦々しそうに言った。

「だから! 私は何も知らんと言っている。エミリアを王宮に止め置くというのは、殿下がお決めになられた事だ。そもそも、エミリアの養育など、私も妻も使用人達に任せきりだったのだ。あの娘も何を考えているか、私にだって分かるものか。もう関わりたくもない! いいな!」

 吐き捨てるように男爵は言った。彼の脳裏には先ほどの王子の激怒がこびりついている。なにか余計な事でもすれば、間違いなく自家は取り潰されると、彼は察知していた。それでも不満げな令嬢たちを振り払い、逃げるようにして去っていった。

 その怒号は、エミリアの耳にも届いていた。

 ――――私……放っておかれていたのね。無理もないかもしれないけれど……。

 男爵家に自分の居場所など、最初からなかったのだ。

 シギは渋い顔でその様子を見ていたが、目を伏せるエミリアを見返して、優しく告げた。

「君は、殿下のもとに帰りなよ。待っていると思う」

 そう言われても、エミリアは素直に頷けない。何とか気を取り直して顔を上げて振り返ったが、シギの姿はどこにもなかった。

 そして、男爵の話を聞き入り、その後すぐにシギを探して周囲を見回していたエミリアは、少女の視線に気付かない。
 は、令嬢たちの中にいた。その場にいるほぼ全員が男爵へ注意を向けている中、一人だけ庭へと目を向けて、シギとエミリアの様子をずっと見つめていた。

 その眼には怒りと敵意がにじんでいたが、男爵が逃げてしまい、令嬢たちが諦めて歩き出したのに気づき、彼女も動き出した。

 そのまま王宮の廊下を進み、途中で彼女たちと別れると、向かったのは温室だ。エミリアが通った裏口から黙って中へと入っていくと、大きく息を吐き、茂みの傍に屈んだ。

 やがて、エミリアを追っていったランスを見送ったトリシュナが、中へと戻って来て、彼女のもとにやって来た。
 トリシュナは優しく彼女に微笑みかけた。

「いらっしゃい――――有海あみ
しおりを挟む
感想 21

あなたにおすすめの小説

異世界リナトリオン〜平凡な田舎娘だと思った私、実は転生者でした?!〜

青山喜太
ファンタジー
ある日、母が死んだ 孤独に暮らす少女、エイダは今日も1人分の食器を片付ける、1人で食べる朝食も慣れたものだ。 そしてそれは母が死んでからいつもと変わらない日常だった、ドアがノックされるその時までは。 これは1人の少女が世界を巻き込む巨大な秘密に立ち向かうお話。 小説家になろう様からの転載です!

できれば穏便に修道院生活へ移行したいのです

新条 カイ
恋愛
 ここは魔法…魔術がある世界。魔力持ちが優位な世界。そんな世界に日本から転生した私だったけれど…魔力持ちではなかった。  それでも、貴族の次女として生まれたから、なんとかなると思っていたのに…逆に、悲惨な将来になる可能性があるですって!?貴族の妾!?嫌よそんなもの。それなら、女の幸せより、悠々自適…かはわからないけれど、修道院での生活がいいに決まってる、はず?  将来の夢は修道院での生活!と、息巻いていたのに、あれ。なんで婚約を申し込まれてるの!?え、第二王子様の護衛騎士様!?接点どこ!? 婚約から逃れたい元日本人、現貴族のお嬢様の、逃れられない恋模様をお送りします。  ■■両翼の守り人のヒロイン側の話です。乳母兄弟のあいつが暴走してとんでもない方向にいくので、ストッパーとしてヒロイン側をちょいちょい設定やら会話文書いてたら、なんかこれもUPできそう。と…いう事で、UPしました。よろしくお願いします。(ストッパーになれればいいなぁ…) ■■

【完結】捨てられた双子のセカンドライフ

mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】 王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。 父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。 やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。 これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。 冒険あり商売あり。 さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。 (話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

【完結】神から貰ったスキルが強すぎなので、異世界で楽しく生活します!

桜もふ
恋愛
神の『ある行動』のせいで死んだらしい。私の人生を奪った神様に便利なスキルを貰い、転生した異世界で使えるチートの魔法が強すぎて楽しくて便利なの。でもね、ここは異世界。地球のように安全で自由な世界ではない、魔物やモンスターが襲って来る危険な世界……。 「生きたければ魔物やモンスターを倒せ!!」倒さなければ自分が死ぬ世界だからだ。 異世界で過ごす中で仲間ができ、時には可愛がられながら魔物を倒し、食料確保をし、この世界での生活を楽しく生き抜いて行こうと思います。 初めはファンタジー要素が多いが、中盤あたりから恋愛に入ります!!

【完結】魔力がないと見下されていた私は仮面で素顔を隠した伯爵と結婚することになりました〜さらに魔力石まで作り出せなんて、冗談じゃない〜

光城 朱純
ファンタジー
魔力が強いはずの見た目に生まれた王女リーゼロッテ。 それにも拘わらず、魔力の片鱗すらみえないリーゼロッテは家族中から疎まれ、ある日辺境伯との結婚を決められる。 自分のあざを隠す為に仮面をつけて生活する辺境伯は、龍を操ることができると噂の伯爵。 隣に魔獣の出る森を持ち、雪深い辺境地での冷たい辺境伯との新婚生活は、身も心も凍えそう。 それでも国の端でひっそり生きていくから、もう放っておいて下さい。 私のことは私で何とかします。 ですから、国のことは国王が何とかすればいいのです。 魔力が使えない私に、魔力石を作り出せだなんて、そんなの無茶です。 もし作り出すことができたとしても、やすやすと渡したりしませんよ? これまで虐げられた分、ちゃんと返して下さいね。 表紙はPhoto AC様よりお借りしております。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

前世では美人が原因で傾国の悪役令嬢と断罪された私、今世では喪女を目指します!

鳥柄ささみ
恋愛
美人になんて、生まれたくなかった……! 前世で絶世の美女として生まれ、その見た目で国王に好かれてしまったのが運の尽き。 正妃に嫌われ、私は国を傾けた悪女とレッテルを貼られて処刑されてしまった。 そして、気づけば違う世界に転生! けれど、なんとこの世界でも私は絶世の美女として生まれてしまったのだ! 私は前世の経験を生かし、今世こそは目立たず、人目にもつかない喪女になろうと引きこもり生活をして平穏な人生を手に入れようと試みていたのだが、なぜか世界有数の魔法学校で陽キャがいっぱいいるはずのNMA(ノーマ)から招待状が来て……? 前世の教訓から喪女生活を目指していたはずの主人公クラリスが、トラウマを抱えながらも奮闘し、四苦八苦しながら魔法学園で成長する異世界恋愛ファンタジー! ※第15回恋愛大賞にエントリーしてます! 開催中はポチッと投票してもらえると嬉しいです! よろしくお願いします!!

眺めるだけならよいでしょうか?〜美醜逆転世界に飛ばされた私〜

波間柏
恋愛
美醜逆転の世界に飛ばされた。普通ならウハウハである。だけど。 ✻読んで下さり、ありがとうございました。✻

処理中です...