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第11羽・八咫烏
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エミリアの視線に気づいた彼女は、ようやく手を離し、少しはにかんだ笑みを零した。
「……母は平民だったの。私は妾腹の身だし……王家に相応しくない者だって言ったのだけれど……」
それでも指で大切そうに触れ、喜びが隠しきれない様子だった。指輪は傷一つなく輝き、鳥を模した紋章が刻まれていた。まるで雉のような姿だったが、尾は長い。なによりも目を引くのは、鳥が三つ足だったことだ。
――――八咫烏も三足だけど、仲間かしら……?
神の使いとも言われる三足の八咫烏は、古の時代から信仰の対象でもあった。
「その鳥の紋章は……王家のものですか?」
「えぇ、そうよ。私たちの絆の証しでもあるわ」
ずきりと何だか胸の奥が疼く。彼女は、そんな大事な指輪を――――誰から貰ったのだろう。
黙り込んだエミリアに、トリシュナは不思議そうに見つめ、そして気遣うように言った。
「ごめんなさい、私の事は気にしないで。そんな事を言う権利なんて無いわよね。私はここに居させて貰えるだけで、十分だと思っているの。殿下は今、貴女に夢中よ。間違いない。貴女たち二人の事を、心から応援しているわ!」
エミリアはもう何も言えなくなった。トリシュナは本気で焦っているようで、目が潤んでいる。
悪気はなかったのだろう。優しい女性なのだろう。そして、身分違いであることを理解し、憂いてもいる。
誰と。
もう考えるまでもない。
「トリシュナ、いるか?」
驚くほど優しく彼女の名を呼ぶランスの声が、入口の方から聞こえたからだ。
――――なにが、俺たちには身分は関係ないよ……十分、気にしているじゃない……。
「えぇ!」
弾んだ声で、彼女はエミリアにここで待つように告げると、一度温室の奥の方へと引っ込み、すぐに急いで戻って来た。身に着けていたショールがなくなっていて、ドレスの首回りが見えやすくなっていた。首からは複数の宝石がはめ込まれたネックレスが下がり、温室に差し込む光を受けてより輝いて見える。
トリシュナの身に着けていたドレスは、肌の露出も少なく上品さを感じさせるもので、宝石も彼女の美しさを引き立てる道具のように見えた。覆い隠す物が減ったために、よりその身体の線の細さを匂わせる。
彼に会うために、身だしなみを整えたのだろう。
トリシュナはそのまま嬉しそうに入口へと向かって駆けていった。招き入れてもらったし、彼が来るのを待っていても良いのだろうが、胸の奥がモヤモヤする。
別にランスとは恋仲でもなんでもないし、彼の方も単に妾を欲しがっていただけだ。特に自分は子を孕まない、都合の良い相手である。
そして、彼には正妃が定まっていると、聞いていたではないか。
心から想うだけで満足してしまうほど、大切な女性がいたと。
儚げで、繊細そうなトリシュナならば、納得である。彼女は自分に気を使ってくれたようだが、居た堪れなくなってきた。入口の方から、二人の会話も聞えてくる。
「またここにいたのか」
「一番心が落ち着くの。居心地がいいわ」
「…………」
「王宮の中が嫌なわけじゃないわよ? 殿下の気持ちはよく分かっているわ。心配しないで」
「俺の事はランスと呼べと言っているだろう。お前ならば構わない」
「そんな不敬はできないわ」
「……強情だな」
心底苦々し気な声が聞こえてくる。どうやら機嫌が悪くなったようだ。
エミリアは気まずくなって、その場を離れて温室の奥へと向かった。木々が生い茂り、時々枝の下をくぐりながら進み、やがて行き止まりになったが、外へと出られそうな扉をもう一つ見つける。出入口は二つあったようだ。エミリアは少し胸を撫で下ろし、温室を後にした。
一方、渋い顔でトリシュナを見下ろしていたランスは、突然弾かれたように顔を上げた。
「おい、またか。なんで俺から逃げる……! 帰ってこい!」
トリシュナは目を見張り、温室の方を振り返り、改めて彼を見返すと苦笑した。
「私とは今までずっと仲良くお話してくれたわよ。殿下は……怖いからじゃないかしら」
「俺はずっと、エミリアを甘やかす事しか考えてないぞ?」
「でも、さっきまで誰かに怒ってきたでしょう」
「どうして分かる」
くすりと笑った彼女は、彼の後方を指さした。ランスの護衛として付き従っている兵達が、軒並み顔面蒼白になっていたからだ。ランスに日々付き従う彼らは、王子の覇気に怯えはしないが、だからといって全て平気というわけではないのだ。
「手加減はした。かなりな」
渋い顔で彼らを見るランスに、トリシュナは呆れ顔である。
「温室には入らないでね。みんなが怯えるわ。今、新しい子も入ったばかりなんだから」
「渡されたのか?」
「えぇ」
「誰からだ」
彼が自分が口を割るまで追求する気配を察したトリシュナは、小さくため息を吐いた。
「エミリアよ。引き取ったの。身体が軽くなったって、喜んでくれたわ」
「よくやった。これで俺の力もエミリアに通じやすくなるな」
「……悪用してはだめよ?」
咎める目をしたトリシュナに、ランスは不本意だと言わんばかりに答えた。
「俺は今までずっと一人で頑張ってきた彼女を、心の底から全力で可愛がろうとしているだけだ」
「それがまずい気がするのよ。少し抑えて?」
「無理だ」
ランスはきっぱりと断言した。
「……母は平民だったの。私は妾腹の身だし……王家に相応しくない者だって言ったのだけれど……」
それでも指で大切そうに触れ、喜びが隠しきれない様子だった。指輪は傷一つなく輝き、鳥を模した紋章が刻まれていた。まるで雉のような姿だったが、尾は長い。なによりも目を引くのは、鳥が三つ足だったことだ。
――――八咫烏も三足だけど、仲間かしら……?
神の使いとも言われる三足の八咫烏は、古の時代から信仰の対象でもあった。
「その鳥の紋章は……王家のものですか?」
「えぇ、そうよ。私たちの絆の証しでもあるわ」
ずきりと何だか胸の奥が疼く。彼女は、そんな大事な指輪を――――誰から貰ったのだろう。
黙り込んだエミリアに、トリシュナは不思議そうに見つめ、そして気遣うように言った。
「ごめんなさい、私の事は気にしないで。そんな事を言う権利なんて無いわよね。私はここに居させて貰えるだけで、十分だと思っているの。殿下は今、貴女に夢中よ。間違いない。貴女たち二人の事を、心から応援しているわ!」
エミリアはもう何も言えなくなった。トリシュナは本気で焦っているようで、目が潤んでいる。
悪気はなかったのだろう。優しい女性なのだろう。そして、身分違いであることを理解し、憂いてもいる。
誰と。
もう考えるまでもない。
「トリシュナ、いるか?」
驚くほど優しく彼女の名を呼ぶランスの声が、入口の方から聞こえたからだ。
――――なにが、俺たちには身分は関係ないよ……十分、気にしているじゃない……。
「えぇ!」
弾んだ声で、彼女はエミリアにここで待つように告げると、一度温室の奥の方へと引っ込み、すぐに急いで戻って来た。身に着けていたショールがなくなっていて、ドレスの首回りが見えやすくなっていた。首からは複数の宝石がはめ込まれたネックレスが下がり、温室に差し込む光を受けてより輝いて見える。
トリシュナの身に着けていたドレスは、肌の露出も少なく上品さを感じさせるもので、宝石も彼女の美しさを引き立てる道具のように見えた。覆い隠す物が減ったために、よりその身体の線の細さを匂わせる。
彼に会うために、身だしなみを整えたのだろう。
トリシュナはそのまま嬉しそうに入口へと向かって駆けていった。招き入れてもらったし、彼が来るのを待っていても良いのだろうが、胸の奥がモヤモヤする。
別にランスとは恋仲でもなんでもないし、彼の方も単に妾を欲しがっていただけだ。特に自分は子を孕まない、都合の良い相手である。
そして、彼には正妃が定まっていると、聞いていたではないか。
心から想うだけで満足してしまうほど、大切な女性がいたと。
儚げで、繊細そうなトリシュナならば、納得である。彼女は自分に気を使ってくれたようだが、居た堪れなくなってきた。入口の方から、二人の会話も聞えてくる。
「またここにいたのか」
「一番心が落ち着くの。居心地がいいわ」
「…………」
「王宮の中が嫌なわけじゃないわよ? 殿下の気持ちはよく分かっているわ。心配しないで」
「俺の事はランスと呼べと言っているだろう。お前ならば構わない」
「そんな不敬はできないわ」
「……強情だな」
心底苦々し気な声が聞こえてくる。どうやら機嫌が悪くなったようだ。
エミリアは気まずくなって、その場を離れて温室の奥へと向かった。木々が生い茂り、時々枝の下をくぐりながら進み、やがて行き止まりになったが、外へと出られそうな扉をもう一つ見つける。出入口は二つあったようだ。エミリアは少し胸を撫で下ろし、温室を後にした。
一方、渋い顔でトリシュナを見下ろしていたランスは、突然弾かれたように顔を上げた。
「おい、またか。なんで俺から逃げる……! 帰ってこい!」
トリシュナは目を見張り、温室の方を振り返り、改めて彼を見返すと苦笑した。
「私とは今までずっと仲良くお話してくれたわよ。殿下は……怖いからじゃないかしら」
「俺はずっと、エミリアを甘やかす事しか考えてないぞ?」
「でも、さっきまで誰かに怒ってきたでしょう」
「どうして分かる」
くすりと笑った彼女は、彼の後方を指さした。ランスの護衛として付き従っている兵達が、軒並み顔面蒼白になっていたからだ。ランスに日々付き従う彼らは、王子の覇気に怯えはしないが、だからといって全て平気というわけではないのだ。
「手加減はした。かなりな」
渋い顔で彼らを見るランスに、トリシュナは呆れ顔である。
「温室には入らないでね。みんなが怯えるわ。今、新しい子も入ったばかりなんだから」
「渡されたのか?」
「えぇ」
「誰からだ」
彼が自分が口を割るまで追求する気配を察したトリシュナは、小さくため息を吐いた。
「エミリアよ。引き取ったの。身体が軽くなったって、喜んでくれたわ」
「よくやった。これで俺の力もエミリアに通じやすくなるな」
「……悪用してはだめよ?」
咎める目をしたトリシュナに、ランスは不本意だと言わんばかりに答えた。
「俺は今までずっと一人で頑張ってきた彼女を、心の底から全力で可愛がろうとしているだけだ」
「それがまずい気がするのよ。少し抑えて?」
「無理だ」
ランスはきっぱりと断言した。
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