殿下、今日こそ帰ります!

猫子猫

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第5羽・令嬢はヤケクソです

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 一緒に来ないと王宮中の人間を倒す、という脅迫まがいのお誘いに、エミリアは応じざるを得なかった。王宮の廊下を戻り、大広間の前を通過する。右側の廊下は王宮内部へと向かう方角らしく、警護の兵士たちが大勢いたが、ランスの姿を見てすぐに道を開けた。

 途中で侍従が彼の元にやってきて茶会はどうするのかと尋ねたが、「適当な所で散会させろ」と短く告げて、引き下がらせた。誰も彼もエミリアに気付いているはずなのに、何も言わない。

 視線を向ける事さえされなかったので、エミリアに逃れる間などない。

 そのまま王宮の奥へと進み、ランスは装飾の凝った扉を開けて、彼女を中へと招き入れた。自分のアパートの部屋三つ分はあろうかと思うほど広い室内には、絢爛豪華な調度品が並ぶ。床に敷かれた絨毯は厚く、部屋の中央に置かれたソファーとローテーブルまでも豪奢だ。

「俺の私室だ。好きに過ごしてくれて構わない」
「はぁ……」

 彼は外見も派手だが、私室もだ。呆気にとられつつ、促されるままソファーに座ると、ランスは当たり前のように隣に座った。腰を浮かせて離れようとしたが。

「ちなみに、隣は寝室だ」

 逃げたら、そちらへすぐに連れ込む。
 と、いう声が聞こえた気がした。

 引きつった顔で彼を見返し、エミリアはぎこちなく笑ったが、ランスは優美な笑みを浮かべている。

「そろそろ名前を言う気になったか?」
「……エミリア、と申します。ガラルド男爵の……娘、みたいです」

 ランスは軽く目を見張り、少し沈黙した。彼が何を考えているか、エミリアには想像もつかなかったが、仔細は男爵が説明すると話していたので、自分の置かれている立場で理解できている事は少ない。

 一緒に黙っていると、ランスはようやく口を開いた。

「男爵には今、子がいないはずだが?」

 エミリアは言っていいかどうか少し迷ったが、ランスが一言も聞き漏らすまいという様子で見つめているのに気づく。どうせいつかは露見する事だろうし、妾を求めている彼を諦めさせることが出来るかもしれない。

「私は道端に捨てられた、孤児だったそうです。見つけてくれた人が孤児院に預けて、しばらく過ごしていた後、男爵ご夫妻が『死んだ娘に似ている』と、引き取ってくださったと聞いています」

「男爵が養女を迎えた話など、聞いたことが無いぞ?」

「それは……私が最近まで人形のような状態だったからかもしれません。屋敷から一歩も外に出なかったようですし、今日の茶会も皆、困惑していていたかと思います」

 怪訝そうな顔をしたランスに、つい先日まで生きるのもやっとの状態だったという話をすると、彼は絶句した後、大きく息を吐いた。見れば、眉間に皺が寄り、拳を強く握りしめている。

「さぞ居心地が悪かっただろう。気づいてやれなくて、すまなかった」

「いえ、あの……大変だったのは、私の世話をしてくれた侍女の方々だと思います。私は二十年間の記憶が今もありませんので、当時の事は何とも思いません。身体も元気ですし、良くして頂いたと思っています」

「……そうか。大切にして貰えたんだな」

 エミリアは頷いた。

 男爵夫妻の熱意には何だか違和感を覚えるが、侍女たちと離れるのは少しだけ心細かった。コルセットを締めつける時も申し訳なさそうにしてくれたし、みんな以前から優しかった気がする。今回も王宮に出向く時には、慣れた手つきで着飾らせてくれた。

 ただし、『殿下に見初められたら、今晩帰ってこなくて良いですからね!』などという後押しは余計だ。

「はい。ですから、そろそろお家に帰りたいのですが!」
「最近まで生きるのもやっとだったにしては、会話が流暢だな。現状理解も早い。どうしてだろうな?」

 帰るという訴えを完全に聞き流したランスに、エミリアは唸る。ついキッと睨みつけてみても、嬉しそうに目を細められるだけだ。彼は、この状況を楽しんでいないだろうか。

 だめだ、怒りが通じる気がしない。

「賢いからです!」
と、半ばヤケクソ状態でエミリアが言い放つと、ランスは笑って頷いた。

「そうだな。それに可愛い、も付け加えておけ」

「…………」

「お前は髪が綺麗だな。肌もきめが細かい。大きな瞳は若葉の色で美しい――」

 聞いている方が赤面するような美辞麗句を並べ立てられて、エミリアは落ち着かない。

 容姿を気に入られたということだろう。本来なら褒めて貰えたと思って良いところかもしれないが、本来の自分の姿とは大きく乖離している事を知っているので、素直に喜べない。

 呼吸をするように、滑らかに口説かないで欲しい。

「あの……殿下、どうかその辺で勘弁してください……」
「そう言わず聞け」

「誉められても、まったく嬉しくないんです!」
「…………」

 ランスは虚を突かれた顔をして、黙ってくれた。エミリアはほっと胸を撫で下ろす。妾になる話が少しばかり遠ざかっただろうか。

「もうお分かりかと思いますが、私は男爵家の養女とはいえ、元々は孤児です。ですから、殿下のお傍に――」
「俺たちに身分は関係ない」

 あるだろう!

 すぐに切り返してきた彼に、エミリアは喉元まで鋭いツッコミが出かかったが、必死で飲み込む。

「いいえ。皆様、反対されると思いますわ」
「それは誰だ」
「どこかの誰かです!」

 エミリアが必死で訴えると、ランスは冷徹な笑みを浮かべた。今の今まで全く見せなかった、冷酷な眼差しである。本性はきっとこっちだ、とエミリアは泣きたくなった。

「誰であろうが、俺の邪魔をするなら片っ端から潰す。俺は王族だ。手段などいくらでもある」
「ひえ……っ」

 恐れ戦くエミリアに、ランスはすぐに殺意を消すと、また優しい笑みを浮かべた。豹変ぶりが早くて酷い。

「大丈夫だ。お前は何も心配しなくていいから、このまま俺の傍にいろ」

 欠片ほども動じてくれない男を見て、エミリアは言葉に詰まった。
 こうなると、もう最終手段を取るしかない。

「で、殿下……驚かれると思いますが、実は……私はこの世の者ではありません!」
「あぁ。この世の者とは思えない美しさだ。俺はお前がどこに行っても分かるぞ。声も、姿も、全部覚えた」

「そうではなく……! 私は『有海』という名前で、別世界に生きていた者です!」
「アミ……」

 今度こそとエミリアは意気込んで、男爵夫妻に説明したように、過去の記憶を簡単に告げる。ランスはまた黙って聞いていたが、今度は更に眉間の皺が深くなった。

「……つまり、お前は今の身体とは異なる身で、異世界で暮らしていた記憶もあるということか」
「そうです!」

 自分でも信じられないが、記憶は鮮明に残っている。『エミリア』の身体で過ごしているが、ずっと違和感が拭えない。本来の自分の身体ではないからかもしれない、と思っていた。

 何がどうしてこうなってしまったのか、エミリアもよく分からない。
 だが、自分は全くの別人だなどと訴え、しかも異世界の者だと言い放つ女を、妾にしようなどとは思わないに違いない。

「ですから、殿下の傍にはいられません!」

 そう言い切り、やり遂げたと心から思った。
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