殿下、今日こそ帰ります!

黒猫子猫(猫子猫)

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第4羽・殿下、それは脅迫と申します

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 後ろ手に扉を閉めて、左右を確かめる。運よく、王宮の出口へと繋がる左側の道には、王宮の人々が行きかっていた。貴族たちの従者も数人控えている。
 嬉々として彼らの中へと紛れ込み、必死で足を動かしたが。

「ぎゃあ⁉」

 貴族令嬢にあるまじき声が漏れる。

 大して進まない内に、またしても周囲の人々がばたばたと倒れたのだ。顔を引きつらせて、恐る恐る振り返ってみれば大広間の扉の傍に、ランスが一人立っていた。

「帰ってこいと言っただろう?」

 顔はまだ笑っているが、眼光は鋭い。その声音は明らかに苛立っていて、口調がどことなく雑だ。一瞬にして優しい貴公子の仮面を遥か彼方に放り投げたらしい。今すぐ拾ってきてください、とエミリアは言いたい。

 ランスはエミリアを見つめたまま、ゆっくりと歩み寄った。エミリアは諦め悪く足がじりっと後退したが、踵でドレスの裾を踏みつけてしまった。

「あ……っ!」

 急転する光景に、転ぶ、と覚悟した時、逞しい腕に腕を掴まれた。背にもう一方の手が回り、力強く引き戻され、そのまま抱き締められる。

 エミリアは固まった。若い男性に抱きしめられるなど、初めての経験である。しかも、自分は有海であった時も女子高へ通っていたこともあってか、異性が苦手な方だった。

 それなのに――――なんだか、彼は嫌じゃない。

「……大丈夫か?」

 心配そうな声は心からのものだと分かり、エミリアは小さく「はい」と答える。ランスは彼女が一人で立っていられるのを確かめた後、名残惜しそうにしながら、腰から手を離した。

 エミリアを見下ろす瞳は穏やかで、慈愛に満ちている。

 ――――もしかして、優しい人かもしれない。

 そうに違いないと、エミリアは思い直した。

「あの……ありがとうございました」
「礼には及ばない」
「ありがとうございました⁉」

 エミリアは繰り返す。何しろ、彼のもう一方の手は腕を掴んだままである。離せ、と暗に言ったのだが、ランスはくすりと笑った。

「気にするな。これは俺から逃げようとしたお前を、捕まえているだけだ」
「逃げるだなんて……そ、そんな事はありません、わ?」
「では、良いだろう。このまま俺の傍にいろ。他の娘に遠慮して、その美しい声を秘める必要もない。お前を一目見ただけで、俺は心をワシ掴みにされたぞ」

 有海は華奢な細い身体だった。

 仕事に追われて、高校までは腰ほどまでの長さがあった髪も切ってしまった。始発と終電を逃がすまいと、スーツはもっぱらスカートではなく、動きやすいパンツを履いていたものだ。
 身体のケアをする暇もなかったから、同僚たちから『もう既に女を捨てている』などと嫌味を言われたものである。

 一方、エミリアは柔らかな長い髪に、胸も尻も肉付きが良い。どうやら王子好みの身体だったらしいが、本来の自分の身体は真逆だと知っているだけに、容姿を絶賛されても嬉しくない。

「そ、そうですか……」
「あぁ。思いっきり甘やかして、可愛がってやりたくなった」

 エミリアは顔をひきつらせた。

 男爵から、王子は妾をご所望だと聞いている。その選別方法は、彼の『特殊な力』とやらが関わっているという。 人々がバタバタと倒れたのは、あまりに異様だから、その力とやらが働いたに違いない。

 自分は逃げようと遠ざかったせいなのか、効果が薄かったようだ。しかし今、足が固まったように動かないから、単に倒れるのを忘れただけのような気がする。

 身体と逃亡行動で運悪く目立ったのも、まずかったのだろうが。

 ――――どっちにしても、迷惑だわ!

「で、殿下」
「ランスでいい。お前の今の名は?」
「名乗るほどの者ではありません。ランス殿下」
「…………」
「お気持ちは嬉しいのですが、私はそろそろお暇しようと思っています!」

 叶う事なら、あの手狭なアパートに。大して何もないが。
 無理なら、せめて男爵家の屋敷でも良い。別に思い入れがあるわけではないが。

 王宮で、いかにも冷徹そうな王子の妾になるよりも、ずっとマシなはずだ。

 必死で訴えたエミリアは、彼がにっこりと笑ったのを見て、釣られてへらっと笑い返す。

 ランスが指さしたのは、ぶっ倒れた人々である。

 見れば侍従や侍女だけでなく、いかにも屈強そうな兵士たちまでも、漏れなく座り込んでいた。しかも、全員焦点が合っておらず、ぴくぴくと震えている。口から涎を垂らしているものもいる。

「全員、命に別状はないが……どうも今日は力の加減が利かないようだ。お前と出会えて、俺は少し動揺して気が高ぶっているらしい」

 ――――いえ、冷静そのものにしか、見えませんけれど……。

「このままだと王宮中の人間がこうなる」

「…………」

「今のは、俺の聞き間違いで良いな?」

 殿下、それは脅迫と申します。
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