殿下、今日こそ帰ります!

黒猫子猫(猫子猫)

文字の大きさ
上 下
3 / 35

第3羽・帰っておいで

しおりを挟む
 翌日、午後も半ば過ぎた頃。

 王宮の大広間で、エミリアはそっと上を見上げた。

 眩いばかりの豪奢なシャンデリアに、落ちたら大変だと庶民的な思考に走る。写実的な麗しい天井画はもっと衝撃的だ。白い壁紙を貼って終わりとは限らないんだと、掠れた笑みが出た。

 下を見れば、高いヒールの靴の下に、技巧の凝らした赤い絨毯がある。茶会が開かれる王宮の大広間へたどり着くまで廊下は、美しく輝く黒の大理石の床だった。ヒビでも入れてしまったら弁償できないという悩みから解放されたかと思えば、高級品を踏みつけるという苦行である。
 せめて土足厳禁と書いておいて欲しかった。

 だが、広間に集まった大勢の貴族たちは見慣れた光景なのか、部屋の豪華さなど誰も目もくれない。大広間の中央には大勢の令嬢たちが集まり、少し離れた所で彼女たちをエスコートしてきた家族たちが控え、どちらも何やら熱心に話しこんでいる。

 令嬢たちの中には物珍しそうにエミリアを見て、気にする者達もいたが、黙って立っている彼女に敢えて話しかけてくる者はいなかった。エミリアは青白い顔をして、目は虚ろだ。自分たちのライバルになりえないと、判断したようである。

 そして、エミリアは、吐きそうだった。

 少しでも王子の関心を引くためにという、男爵の命令を受けた侍女たちによって、コルセットを思いっきり締められていたからだ。大広間に用意されていたお茶や菓子など、到底口にできるものではない。

 ――――もう、なんでも良いから……早く終わって……。

 願うばかりであった時、王子の来訪を告げる侍従の声が響き渡り、大広間の騒めきは次第におさまっていく。そして、扉が開かれて、一人の若い男が姿を現した。

 正妃の子にして、次期王位継承者と目されている第一王子ランスは、一瞬にして人々の目を魅了した。

 藍色の短髪に、紫がかった濃青の瞳。精悍な顔立ちをした長身の男で、二十代半ばほどだろうか。紅色の礼服に、胸には金の徽章が輝く。髪の下から覗く左の耳には緑の宝石が嵌まったピアスをつけていた。

 そんな華やかな装いが、完璧に似合っている。

 まるで絵本や映画の中の王子様のようだ、とエミリアはまず感心する。

 ――――それにしても、派手な人ねぇ……。青に、赤に、緑……クジャクみたいだわ。その内、花でも背負ってくるんじゃないかしら。

 令嬢たちも艶やかに着飾ってはいたが、彼は色彩も鮮やかなせいか、際立って目立つ。数多の視線を浴びても堂々としているものだから、いっそう引き立つのだろう。

 彼の姿を見るや否や、多くの令嬢がきゃあっと黄色い声を上げた。確かに格好良い、とエミリアは思ったが。

 ――――でも、この人……絶対怖い人だわ!

 また、別の記憶が蘇る。

 田舎から出て上京する時、ご近所のおばちゃんやおばあちゃんたちに、『都会の若い派手な男には気をつけろ』と心配されたものである。一見人が良さそうに見えても、腹の中で考えている事が違う人間は目で分かるという。

 華のある王子は令嬢たちの声に丁寧に応じてはいたが、目がまったく笑っていない。

 近寄りがたい空気を発しているとしか見えない。現に、彼の少し後に続いた護衛らしき兵たちの顔が引きつり、目が泳いでいる。主の不穏な空気と、凍てつくような目に気づいているらしかった。

 こんな冷徹そうな王子に、うっかり見初められて妾になどされてはたまらないと、エミリアは密かに身震いする。令嬢たちの中に埋もれて息を潜めていたが、もう逃げ出したくて仕方が無かった。さりとて、ここで妙な行動を取ると目につくと、意を決して。

「きゃ、きゃーきゃー……?」
と、オウムのように、必死で令嬢たちの声真似をしてみる。

 その瞬間、ぴくっと王子が軽く身じろぎしたのが見えた。エミリアはまさかと思いながらも、声真似は止めた。ランスは黙って令嬢たちを一瞥した後、何やら思案気にした後、茶会を始める旨を告げた――――。


 茶会が始まっても、令嬢たちはお菓子などに目もくれず、王子を囲んで熱心に話しかけている。

 エミリアもその中に巻き込まれたが、それとなく後ろへとじりじりと後退し、無事に集団から離脱した。広間には令嬢たちの家族が広がって談笑を始めており、集団から押し出されて彼らの元に行く令嬢もいたので、エミリアは大して目立たない。

 養父である男爵は窓際の椅子に座って、のんびりと一人でお茶を啜っていた所だったが、エミリアが逃げてきたのを見て、慌てて立ち上がった。

「こらっ……何をしている!」
「気分が悪くなりました。吐きそうです!」
「む……っ」

 さすがに吐かれては堪らないと思ったのか、男爵は一時、離席を許した。これ幸いと、エミリアは身を翻し、ドレスの端を摘まんで軽く持ち上げ、人々の間をするすると抜けて出口へと急ぐ。

 そして、やっとの事で扉の前まで辿り着くと、近くにいた王宮の侍従が気を利かせて開けてくれた。礼を言って、そのまま通り抜けようとした時――――ふと視線を感じて、振り返ってしまった。

 離れた場所で、ランスが真っすぐに自分を見返していた。

 たまたま、だ。

 と、思いたかったが、彼は急に歩き出した。

「ひぃ⁉」

 思わず変な声が出る。侍従が目を見張った瞬間、彼は突然その場にへなへなと座り込んだ。

「え……っ⁉」

 大丈夫かと、声をかけようとしたが、今度は大広間にいた人々までも軒並み、腰を抜かしていく。立っていたのは、ランスとエミリアだけである。
 彼は目を細め、口元に笑みを浮かべた。凍りつくエミリアから視線を外すことなく、すっと手を差し伸べた。

「大丈夫だ。帰っておいで」

 静寂が包んだ室内に、ランスの甘く誘う声だけが響く。優しく微笑み、あの冷徹な空気の微塵もない。恐ろしいまでの美貌と派手な装いが際立つ。

 ――――これは、あれだわ……。

 エミリアは知っている。

 世の中には、甘い蜜で誘う花、あるいは輝く光で惑わす魚がいる。
 誘惑に負けて、ふらふら近寄った獲物は――――ばくっと容赦なく、思いっ切り食われるのだ。自然界でよくある光景である。

 エミリアは聞こえないふりをして、廊下へ飛び出した。
しおりを挟む
感想 21

あなたにおすすめの小説

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

外では氷の騎士なんて呼ばれてる旦那様に今日も溺愛されてます

刻芦葉
恋愛
王国に仕える近衛騎士ユリウスは一切笑顔を見せないことから氷の騎士と呼ばれていた。ただそんな氷の騎士様だけど私の前だけは優しい笑顔を見せてくれる。今日も私は不器用だけど格好いい旦那様に溺愛されています。

【短編】旦那様、2年後に消えますので、その日まで恩返しをさせてください

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
「二年後には消えますので、ベネディック様。どうかその日まで、いつかの恩返しをさせてください」 「恩? 私と君は初対面だったはず」 「そうかもしれませんが、そうではないのかもしれません」 「意味がわからない──が、これでアルフの、弟の奇病も治るのならいいだろう」 奇病を癒すため魔法都市、最後の薬師フェリーネはベネディック・バルテルスと契約結婚を持ちかける。 彼女の目的は遺産目当てや、玉の輿ではなく──?

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

悪役令嬢カテリーナでございます。

くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ…… 気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。 どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。 40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。 ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。 40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。

婚約破棄を仕向けた俺は彼女を絶対逃がさない

青葉めいこ
恋愛
「エリザベス・テューダ! 俺は、お前との婚約破棄を宣言する!」 俺に唆された馬鹿な甥は、卒業パーティーで愛する婚約者である彼女、ベスことエリザベス・テューダに指を突きつけると、そう宣言した。 これでようやく俺は前世から欲しかった彼女を手に入れる事ができる――。 「婚約破棄された私は彼に囚われる」の裏話や後日談みたいな話で「婚約破棄された私~」のネタバレがあります。主人公は「婚約破棄された私~」に登場したイヴァンですが彼以外の視点が多いです。 小説家になろうにも投稿しています。

旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】 ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。

処理中です...