失格令嬢は冷徹陛下のお気に入り

黒猫子猫(猫子猫)

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 腕の中でぶるぶると震えている彼女を、ジェイラスは痛まし気に見つめていたが、殺気を感じて、片手を素早く剣の柄に手を伸ばした。

 敵意の主は、鋭い目でジェイラスを睨みつけたまま、ずかずかと歩み寄ってきた。

「おい、こら。そこにいるのは、俺様の可愛い妹だな? てめえ、泣かせてんじゃねえぞ!」

 誰もが恐れる皇帝ジェイラスに、公然と啖呵を切る声が響く。高い声で、女と思いたいところだが、あまりの口の悪さは男そのものである。

 長い髪に小柄。首が立て襟で覆い隠される帝都で流行中のワンピースを着て、なおかつ高いヒールのある靴を履いている。それだけ見れば確実に女だが、眉を吊り上げ激怒した顏は男を感じさせるものだ。

 女と見紛う男と、男に度々間違えられたことのあるセリーヌ。

 二人は何もかも、そっくりだった。

 顔立ちも、髪も、背丈も。せめて身に着けていた服が違えば、近衛兵達も彼をセリーヌとは思わなかったに違いなかった。もしくは、極めてどんくさいセリーヌが、華麗に逃げ延びたのを怪しむべきだったのだ。

 セリーヌを見失った近衛兵達は蒼白になっていたが、彼女自身も絶句していた。

「⋯⋯ゆう⋯⋯?」
「おっ、やっぱり分かるか! お前、せりだろ!」

 前世とは両親が違うためか、セリーヌの外見は芹とまるで違っていた。ただ、眼前にいる自分とそっくりの者の口調は兄そのもので、しかも前世の名まで知っている。
 言い慣れた、懐かしい声だった。

 間違いない。彼は、自分と共に生まれ育ち――――一緒に死んだ、兄の勇だ。

 新たな涙があふれ出て、セリーヌはジェイラスが腕を緩めてくれたこともあり、夢中で勇の元に駆け寄って、飛びついた。勇も照れくさそうにしながら抱きしめ、しばらく二人は再会の喜びを噛み締める。

 そして、ようやく涙が止まったセリーヌは、兄を見返した。

「今まで⋯⋯どこにいたのよ」
「んー? あっちこっちだ!」

「⋯⋯ふざけないで」
「いや、本当だって。何しろ、生まれてすぐに養子に出された家が、数年ももたずに没落して、一家離散になってよ。引き取ってくれた商家で育ったんだよ」

「⋯⋯養子⋯⋯?」
「なんだ、知らなかったのか。俺達は現世でも一緒に産まれたらしいぜ? でも、男爵がすぐに俺だけ追い出したんだ」

「噓⋯⋯父さまは、そんな事今まで一言も⋯⋯」

 呆然とするセリーヌに、黙って聞いていたジェイラスが口を開いた。

「セリーヌ、『帝国には双子は産まれない』という言葉を聞いたことがあるか? 信心深い連中が、神の言葉とやらで言われているものだ」

「⋯⋯はい。私は奇跡が起こった身ですし⋯⋯この世界は不可思議な力が働いているのかと⋯⋯」

「別に、双子が存在しない訳じゃない。神話で不吉な存在だとされたせいで忌み嫌われて、片方が養子に出されたり、離れ離れにされたりするだけだ。そして、親は頑なに口を閉ざす。男爵もそうだったんだろう。お前の誕生日を聞いた時、何だか落ち着かない様子に見えたぞ」

「どうして、私が残されたんでしょうか⋯⋯?」

 セリーヌの疑問に答えたのは、勇だ。

「俺の養子先が、男爵家から双子の片割れを引き取ってくれと頼まれた時、男を寄越せと言ったそうだぞ。妻に先立たれて自分も年も重ねていたから、跡取りが欲しかったみたいだな。まぁ、結局は没落したが。男爵はまだ若かったし、自分は次があると思ったんだろう」

 しかし、結局はセリーヌしか子が産まれず、勇も消息不明になっていたので、男爵はどうにもならなくなったのだ。

 ただ、勇はあっけらかんと笑った。

「男爵家に残されたのが、俺じゃなくて良かった!」
「⋯⋯勇は自由人だものね⋯⋯」

「そうなんだよ! 商人はいいぜ? 愛想よく立ち回っておけば、金も稼げるしな!」

 愛嬌あいきょうで就職戦線を勝ち抜いたと言わしめる男は、現世でもたくましい。貴族令息など、絶対に性に合わないに違いなかった。

「でも、なんで女装しているのよ⋯⋯」

「俺って小さくて可愛いだろ? ここでも女子にモテるのはいいんだが、客は男もいるからな。連中を掌で転がすのに、ちょうど良くってさ。それにバカな男は、か弱い女の振りをしておくと油断もしてくれるから、入り込みやすいしな! 髪を結い上げて男の格好をしていても、ときめかれるんだよ。モテる男はつらいぜ!」

 勇は豪快に笑ったが、ジェイラスの冷ややかな声が、二人に割って入った。

「そうか。お前を見て、男か女かと騒ぎながら鼻の下を伸ばしていた俺の護衛に、お前がバカだと笑っていたと言っておいてやる」

「俺が帰る時、陛下だって顔が赤かったじゃないですか!」

「寝られなくて苛ついていた所に、ふざけた言動をされて、腹がたっていたんだ!」

「いやぁ⋯⋯訳が分からないまま、警戒厳重な貴方の元に俺が使いに出されたのは、可哀想とは思いませんか? 彼女が出自を教えてくれたのは、最近なんですよ⋯⋯」

「思わん。夜中にいきなり皇帝の宿営地に侵入を試みるなんて、どこのバカだ。少しは考えて行動しろ。お前があいつの事を匂わせなければ、斬り捨てていた所だ」

 勇は気まずげに笑ったが、セリーヌは聞かずにはいられない。

「陛下は⋯⋯兄と会っていたんですか?」

「あぁ。俺が町に視察に行った時、手紙を持ってやって来た。返事を書いている間、部屋で待たせておいたら、いつの間にか寝てやがってな。仕方がないから、起きるまで待っていたんだ」

「⋯⋯図々しくて、すいません⋯⋯」

「起きたら起きたで、『もしかして、私が可愛すぎて、襲いそうになりました?』だの『お相手をしても良いですが、高くつきますよ』とほざいた」

 無論、ジェイラスは断固拒否である。返事の手紙を持ってさっさと帰れと勇を追い払ったが、現世でも度を越したひょうきん者の彼はこう続けたのだ。

『まんざらでもなさそうですから、次は夜伽相手として参りますね!』と。

 セリーヌが彼の閨を訪れた時、すさまじく彼の機嫌が悪くなった理由を、彼女はようやく察した。そういえば、彼は『またか』と言っていたからだ。

「あの⋯⋯初対面の時、私を男で、兄だと思っていらっしゃいましたか?」
「そうだ。お前も双子だったなんて、思わなかったからな。性懲りもなく、また来たかと思うだろう」

 趣味じゃない。ありえない。

 セリーヌを前にして、自分に言い聞かせたものである。しかし、町で出会った時は小憎らしいとしか思わなかった相手であるはずだったが、再会した彼女はあまりに無防備で、可愛らしい。

 心が拒んでも、身体は反応する。

 そして、彼はセリーヌを抱きしめて――――女だと気づいたのだ。男だと思っていたのは、自分の勘違いだったと。それから恋に落ちて行くのは、あまりに早かった。

 頬を赤らめるセリーヌに、ジェイラスは少し苛立ったように尋ねた。

「現世で兄が養子に出された事をお前は知らなかったから、仕方がないところもあるが⋯⋯前世の兄とも双子だったんだな? 一歳年上と言っていなかったか?」
「はい。誕生日は兄の方が早く来るので、厳密にいえば先に年を取りますね。兄は四月一日、私は四月二日生まれなんです」

「生まれた日が違うのか?」
「難産で、私はなかなか産まれなかったんです。無事に産声をあげた時は、奇跡と言われたそうですよ」

「奇跡⋯⋯」
「私の故郷では、双子は忌むべき存在ではありません。お母さんが、二つの命をお腹の中で一生懸命育ててくれたんですから。産むのだって、相当大変なんですよ」

「だが、学年が違うと言っただろう?」
「四月一日までが、上の学年になる決まりなんです。ちょうど、境の日ですね。双子で別々の学年になるのは可哀想だからと、両親は医師に日付を揃えてくれと頼んだみたいですが、断られてしまったそうです」

 ジェイラスは、そんな境があることなど知る由もない。

 彼女が兄を一学年上で、全く似ていないと言ったものだから、よもや兄の勇に会っていたとは思ってもいなかったのだ。

 勇は深刻な顔を作って、嘆いた。

「お陰で俺は学年で一番身体も小さくてさぁ⋯⋯!」
「余計に可愛がられたのよね」

「そうなんだよ! ここでも、結構役に立ってるぜ! 小柄で、男か女か分かりにくい俺たちって、けっこう得だよな!」
「うん⋯⋯勇なら、どこでも生きていけるわ」

「そうだなぁ。お前の方が生きにくそうだな。俺の恋人を裏道で待っていたら、血相変えた兵士に追いかけられたぞ」
「あ⋯⋯近衛の兵士さんたち、勇を私だと思ったのね⋯⋯」

 どうりでお手洗いを終えてかわやを出たら、誰もいなかったわけだ、とセリーヌは納得する。

「大通りで撒いたがな。戻って来てみたら、今度は俺そっくりのお前が、なぜか皇帝の腕の中で号泣しているだろ? なんだか大変だなぁ」

 慰めるようにセリーヌの頭を撫でた勇だが、その手を掴んで引きはがしたのは、我慢できなくなってきたジェイラスである。

「⋯⋯そろそろ代われ」
「くっついて離れないんですよ」

「セリーヌ、俺の所に戻ってこい」

 ジェイラスはセリーヌに手を伸ばしたが、彼女は嫌だとばかりに、勇にしがみついた。これに面白がるのが、勇である。

「おっ、なんだ。痴話げんかか?」
「いいえ。私と陛下は⋯⋯お友達よ!」

「⋯⋯そうかぁ?」
「噓じゃないわっ!」

「そうかぁあ?」

 友人だと強調するたびに、ジェイラスの顔がぴくぴくと引きつるものだから、勇は楽しくて仕方がなかった。

 ただ、自分の名を呼ぶ女性の声がして、笑ってもいられなくなった。

「おっと、俺を探してるな。あまり待たせると寂しがるから、そろそろ行くわ」
「勇⋯⋯また会える?」

 勇は目を細めて頷いた。

「俺は物心がついた頃から、ずっとお前を探していた。でも、お前と同じで、まさか双子がそこまで忌み嫌われてるなんて、知らなかったからな。彼女の使いで皇帝に会ってから、ようやく相当隠された存在だと理解した」
「⋯⋯⋯⋯」

「今の養父を問い詰めて、最近になってようやく俺も出自を知った。お前が男爵家にいると分かったが、堂々と会いにもいけなくてな。でも⋯⋯今日は四月二日だろ?」
「えぇ⋯⋯」

「お前の誕生日だ。奇跡が起きねえかなと思ったんだ。だから、また会えるさ」

 勇は柔らかく笑った。

 四月一日が来るたびに、セリーヌが兄を思い出したように。四月二日は、勇にとって特別な日だ。

 前世ではたった一日違いで、分けられて。
 現世では双子だっただけで、離れ離れにされて。

 それでも、目に見えない深い絆が、二人を結びつけている。

 セリーヌはようやく微笑んで、兄の腕から離れた。黙って見ていたジェイラスが、静かに告げた。

「俺たちはお互いに、居場所は分かってる。会いたくなったら、いつでも会わせてやるから心配するな」
「⋯⋯はい、陛下」

 ようやく自分に応えてくれたセリーヌに、ジェイラスは微笑んで、勇に告げた。

「勇と言ったな。⋯⋯お前の恋人は、楽しく過ごしているか?」
「毎日のように鼻歌をうたって暮らしていますよ」
「それならいい」

 ジェイラスは頷き、話を終えた。勇は黙って彼を見返し、彼に珍しく一礼すると、セリーヌに「またな」と告げて、駆け去っていった。

 彼を見送ったジェイラスは、勇の項にくっきりとついた独占欲の痕を見て苦笑した。

「⋯⋯はやることが一緒だな」

 セリーヌが答える前に、凄まじい形相で近衛団長たちが駆けてくるのが見えて、ジェイラスは彼女を促して歩き出した。
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