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奇跡の令嬢

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 翌日の昼下がり、セリーヌは久しぶりに帝都の街中へ出かけた。

 夜ごと皇帝の相手をしているセリーヌが、翌朝になって自室に戻るのは、もういつものことだ。だが、今朝は何だか気恥ずかしくて、彼には挨拶だけ手短にすませて、急いで自室に向かったのが悪かったのだろうか。

 自室で支度をして、帝都へ散策に出かけたいという旨をジェイラスに伝えようとしたが、すでに彼の仕事が始まっていた。侍従からジェイラスがもう執務室に入っていると聞いたセリーヌは、少し驚いた。

 社畜のように働いていた彼だったが、それにしても今日は随分と仕事の時間が早い。

 よっぽどの急務だろうか。

 多忙な所を煩わせても申し訳ないと思い、侍従に言伝も頼むのも止めておいた。代わりに、世話役の侍女達に街へ行きたいと伝えると、呼び出されたのは近衛団長である。

 セリーヌの願いを聞いた彼は、渋い顔だ。

「街に出るとなると、警備の者の増員が必要です」
「あの、警護は結構です」

 街まで追いかけてきてイジメようという令嬢はいないだろう。あのお団子令嬢達も、次々に大人しくなってしまっているのだ。

「そうはいきません。貴女に万が一の事があろうものなら、恐らく近衛兵は陛下に首を切られます」
「解雇なんて⋯⋯ちょっとやり過ぎでは?」

「何を言っているんですか。陛下はそんな方ではありませんよ」
「そうですか!」

「⋯⋯はい」

 近衛団長はため息を吐き、背後に控えている兵達に、妙な悲壮感が漂っている。セリーヌは目を瞬き、顔をひきつらせた。

「⋯⋯あの⋯⋯まさか⋯⋯?」
「例えば、の話です。しかし⋯⋯貴女は何故か陛下に大変気に入られていらっしゃる。何かあってからでは遅いですからね⋯⋯私が一緒に参りましょう」

「えー⋯⋯」
「ご令嬢。貴女は淑女としての自覚が、相変わらず足りないようですね」

 にっこりと笑いながら嫌味を吐いた近衛団長に、セリーヌはぐうの音も出なかった。
 
 ――――せっかく外出できたのに⋯⋯。

 帝都に出たセリーヌの足取りは、非常に重い。憂鬱そうなセリーヌを見て、侍女たちが近頃帝都で流行しているというワンピースを着せてくれたのは嬉しかったが、いざ街に出てみれば。
 周囲を大勢の近衛兵が取り囲み、隣には近衛団長が歩き、全員が殺気立っている。

 まったく、楽しくない。

 セリーヌが外出するために着替えている間、近衛団長は皇帝が与り知らないのは良くないと、彼に目通りを願ったが、不発に終わっている。

 ジェイラスは、急な公務が入ったとかで外出したというのだ。

 支度を終えて団長の元に行ったセリーヌは、それを聞いてまた驚いた。急務とはいえ、警護の最高責任者であろう近衛団長が知らないというのは、少し問題ではないだろうかと思ったのだ。

 実際、団長は更に渋い顔になっていて、セリーヌの外出にも俄然消極的になったが、彼女は必死でなんとか押し切った。そのため、ようやく街へ出られたは良いが、近衛団長の機嫌が良いわけが無い。

 セリーヌが、ぶらぶらと街を歩き回っているから、余計にだ。

「⋯⋯別に今日で無くても良かったのでは?」

 近衛団長が言いたくなる気持ちも、セリーヌは理解できたが、曖昧あいまいに笑って返した。

 ――――今日じゃないと⋯⋯ダメなの。

 セリーヌは自分で好きに使えるお金を男爵からもらえるようになってから、毎年、四月二日に兄の誕生日プレゼントを買いに出かけていた。

 今年の分は渡せなかった。けれど、いつかどこかで再会できるかもしれないから、新しい物を用意しておくのだ。
 ただ、もう一度会いたいと思う反面、それは兄も一緒に死んでいるという事にもなるから、強く願わないようにしていた。兄の好みそうな小物を選んで、部屋に飾っておくのが、セリーヌの習慣だ。

 黙ってしまった彼女を見て、ずっと厳しい目ばかりしていた近衛団長は、少し口調を和らげた。

「失礼しました。口が過ぎましたね」
「いいえ。無理を言ったのは私の方ですし」

「その通りですね」

 貴方も少しは遠慮というものを覚えたらどうだ、とセリーヌは思う。つい軽くにらんでしまうと、近衛団長は苦笑した。

「⋯⋯陛下が貴女を大切に思われているからこそですよ。近頃、陛下は変わられました」
「そうですか?」

 どきりとしてしまったのは、ジェイラスの生い立ちを聞いたからだ。極秘裏に進められたことだろうし、近衛団長もどこまで知っているのか、セリーヌには分からない。

 必死で顔を作ったつもりだったが、近衛団長はくすりと意味深な笑みを浮かべた。

「えぇ。陛下はどうやら貴女をとても信頼しているようですね」
「⋯⋯⋯⋯」

「本音を言えば、羨ましい限りです」

 少しばかり寂し気な顔をした団長に、セリーヌは息を呑み、足を止めた。

「団長様⋯⋯っ」
「失恋したわけではありませんからね」

 敏感に妙な空気を察知した団長が、笑顔で一蹴してくる。この時ばかりは、彼の目がものすごく怖いことになったものだから、セリーヌは「もちろん、分かっております!」と慌てて頭を縦に振った。

「私は身命を賭して、皇室をお守りしたいと思っています。ですが⋯⋯それ故に、一歩引いてきてしまったのが、未だに陛下の信を頂けないところでしょうか」

 遠まわしな表現に、セリーヌは彼の本心を全て察する事はできなかったが、それでも言える事があった。

「⋯⋯陛下は、団長様を敬遠されているわけではないと思います。もしも陛下が、私を大切に思ってくださっているのなら⋯⋯信用ならない方を、私に近づけるはずがありませんから」

 舞踏会で令嬢に嫌がらせを受けかけた時、真っ先に動いたのは近衛団長だ。恐らくジェイラスから、彼は護衛を一任されていたのだろうと、セリーヌは思う。

 近衛団長は軽く目を見張り、そして、ふっと穏やかに微笑んだ。

「そう⋯⋯ですね。ありがとうございます。⋯⋯今回のように時々、出先を教えていただけない事があるので、少し気が立っておりました」
「なるほど。置き去りにされて、寂しかったんですね!」

。貴女はもう少し、言葉を選ぶべきですよ?」
「団長様こそ、少しは私に対して遠慮してください!」

「無理をしなくていいとおっしゃったのは、貴女です」
「う⋯⋯っ!」

 嫌味な団長は、記憶が良いらしい。言葉に詰まるセリーヌに、団長は楽し気に笑い、近衛兵達は軒並み目を剥いた。自分達の上司が、敵とみなすと情け容赦なく斬り捨てるような悪魔だと知っているからだ。

 冷徹な皇帝に愛され、悪魔な団長が気を許している。

 奇跡の令嬢だと、彼らは心から思った。
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