9 / 27
陛下のお仕置き・その2
しおりを挟む
ドレスのスカートにワインがじわじわと染みを広げていった。そして、ドレスを汚した張本人は、心底申し訳なさそうな顔で、しかしその瞳は冷然としたまま、言葉だけは詫びた。
「これは⋯⋯大変失礼いたしました。手が滑ってしまいまして」
近衛団長は、セリーヌの手から奪い取ったワイングラスの中身を、お団子令嬢のドレスに全てぶちまけていた。呆気にとられるセリーヌと、給仕たちを他所に、彼は恥辱に顔を真っ赤にしている彼女に告げた。
「ところで、その手は今、何をされようとしたのでしょうか?」
セリーヌに向かって給仕を突き飛ばそうとしていた両手は、驚きの余り硬直したままだ。彼女は真っ青になって、さっと後ろに隠したが、周囲の人々の目は冷ややかなものに変わる。
「わ⋯⋯私、申し訳ありません⋯⋯」
ガタガタと震え出した令嬢を見て、近衛団長は冷然とした眼差しを向けたままだったが、セリーヌは違う。給仕を押し退けて、二人の傍に立つ。
びくりと身を強張らせたお団子令嬢に、ポンコツ令嬢は嘆いた。
「貴女⋯⋯」
「ひ⋯⋯っ」
「どうして、私にかけてくれなかったの!」
「えっ」
絶句する令嬢と、唖然として言葉もない近衛団長を他所に、セリーヌは心底口惜しがっている。近衛団長も余計な事をしてくれたものだ。自分は待ち構えていたのだ。
むしろ、彼は自分にかけるべきだった。
セリーヌの目論見に気づいたのか、団長が冷たい視線を向けてきたので、慌てて誤魔化しにかかる。これは好機でもあるからだ。
「な、何でもないわ。染みになるといけないから、着替えましょうね。一緒に行ってあげるわ!」
そして、舞踏会の会場からフェードアウトだ。
苦い顔をした近衛団長も止められまい。勝ち誇った笑みを浮かべたセリーヌを、令嬢は感動的な眼差しで見つめた。
「あぁ⋯⋯なんて、お優しい。私が間違っていましたわ!」
「⋯⋯ん?」
どこかで見た光景であると、セリーヌは思った。そうか、あの階段令嬢だ。さながら、彼女はワイン令嬢か。
そんな、ろくでもない事を考えていたせいだろうか。
後ろから抱きしめられるまで、セリーヌは彼の存在に気づかなかった。
「大事ないか」
セリーヌが悲鳴をあげなかったのは、驚愕したからだ。遠くにいたはずのジェイラスが、いつの間にか距離を詰めていた。そして、再び凍りつく令嬢を一瞥した後、近衛団長に命じた。
「汚したのはお前だろう、連れて行ってやれ」
「はい、もちろんです」
見目麗しい二人は短い会話を交わした後、即座に動いた。近衛団長は憔悴した令嬢を連れて行き、ジェイラスはセリーヌの腰に腕を回して、逃亡を阻止した。
遠ざかっていく近衛団長たちを見つめ、「私も連れて行ってぇ」と嘆いたのは言うまでもない。
顔を引きつらせて見上げてきたセリーヌに、ジェイラスは追い打ちをかける。
「さて、そろそろダンスの時間だ」
「ひぃ!?」
「俺と踊るか?」
「まさか⋯⋯本気ですか?」
「そうだな――」
にっこりと笑うジェイラスの顔が、実に楽し気だ。この状況を面白がっているとしか思えない。
セリーヌは涙目になった。大勢の前で転ぶ未来が見えて、今からもう恥ずかしくなって、顔が赤らむ。いつダンスの音楽が流れるかと冷や汗が流れ、ぷるぷると身体が震えた。
そんな怯える小動物のセリーヌを見つめ、ジェイラスは軽く目を見張った後、目を泳がせた。そして、周囲の人々が絶句しながら自分を見ているのに気づき、苦い顔をして、再び彼女に視線を戻す。
「――冗談だ」
「もうちょっと明確にお願いします」
「今回はやめておく」
ずっと会場に行くのを渋っていたというし、彼女はダンスが苦手だろうとジェイラスは思っていた。だが、自分の傍に置いておかねば、他の男に誘われる。そう思ってやってきたわけだが、当人はまるで理解していなかった。
満面の笑みを浮かべて、
「素晴しいご回答です!」
などと、上機嫌である。
運動が不得手と聞いていなければ、ジェイラスと絶対に踊りたくないのではないかと思わせるような発言だ。
彼女の性格が分かりつつあったジェイラスだが、何だか面白くない。
「やっぱりお前と踊る」
「やめましょう!?」
「⋯⋯面白い奴だ」
ジェイラスは堪えきれずに、吹き出して、またしても会場の人々の度肝を抜いた。
今まで女性を近づけもせず、舞踏会では誰とも踊らず、冷徹な空気を放っていた男が、笑っている。
よっぽど、陛下は彼女がお気に召したのだ、と噂がまたしても広がった。
結局、セリーヌはその後、ジェイラスの傍に置かれた。彼が再びセリーヌをダンスに誘う事はなく、他の令嬢達もセリーヌを気にして、近寄ることもできなかった。
要するに、また女避けに使われたのだろうとセリーヌは理解したが、問題はその日の夜だ。
当然のように舞踏会が終わると、「踊らなかったのなら、元気なはずだ」などと寝室に連れ込まれた。
これで四日連続である。
セリーヌは、皇帝のお気に入りだとすっかり評判になってしまった。
「これは⋯⋯大変失礼いたしました。手が滑ってしまいまして」
近衛団長は、セリーヌの手から奪い取ったワイングラスの中身を、お団子令嬢のドレスに全てぶちまけていた。呆気にとられるセリーヌと、給仕たちを他所に、彼は恥辱に顔を真っ赤にしている彼女に告げた。
「ところで、その手は今、何をされようとしたのでしょうか?」
セリーヌに向かって給仕を突き飛ばそうとしていた両手は、驚きの余り硬直したままだ。彼女は真っ青になって、さっと後ろに隠したが、周囲の人々の目は冷ややかなものに変わる。
「わ⋯⋯私、申し訳ありません⋯⋯」
ガタガタと震え出した令嬢を見て、近衛団長は冷然とした眼差しを向けたままだったが、セリーヌは違う。給仕を押し退けて、二人の傍に立つ。
びくりと身を強張らせたお団子令嬢に、ポンコツ令嬢は嘆いた。
「貴女⋯⋯」
「ひ⋯⋯っ」
「どうして、私にかけてくれなかったの!」
「えっ」
絶句する令嬢と、唖然として言葉もない近衛団長を他所に、セリーヌは心底口惜しがっている。近衛団長も余計な事をしてくれたものだ。自分は待ち構えていたのだ。
むしろ、彼は自分にかけるべきだった。
セリーヌの目論見に気づいたのか、団長が冷たい視線を向けてきたので、慌てて誤魔化しにかかる。これは好機でもあるからだ。
「な、何でもないわ。染みになるといけないから、着替えましょうね。一緒に行ってあげるわ!」
そして、舞踏会の会場からフェードアウトだ。
苦い顔をした近衛団長も止められまい。勝ち誇った笑みを浮かべたセリーヌを、令嬢は感動的な眼差しで見つめた。
「あぁ⋯⋯なんて、お優しい。私が間違っていましたわ!」
「⋯⋯ん?」
どこかで見た光景であると、セリーヌは思った。そうか、あの階段令嬢だ。さながら、彼女はワイン令嬢か。
そんな、ろくでもない事を考えていたせいだろうか。
後ろから抱きしめられるまで、セリーヌは彼の存在に気づかなかった。
「大事ないか」
セリーヌが悲鳴をあげなかったのは、驚愕したからだ。遠くにいたはずのジェイラスが、いつの間にか距離を詰めていた。そして、再び凍りつく令嬢を一瞥した後、近衛団長に命じた。
「汚したのはお前だろう、連れて行ってやれ」
「はい、もちろんです」
見目麗しい二人は短い会話を交わした後、即座に動いた。近衛団長は憔悴した令嬢を連れて行き、ジェイラスはセリーヌの腰に腕を回して、逃亡を阻止した。
遠ざかっていく近衛団長たちを見つめ、「私も連れて行ってぇ」と嘆いたのは言うまでもない。
顔を引きつらせて見上げてきたセリーヌに、ジェイラスは追い打ちをかける。
「さて、そろそろダンスの時間だ」
「ひぃ!?」
「俺と踊るか?」
「まさか⋯⋯本気ですか?」
「そうだな――」
にっこりと笑うジェイラスの顔が、実に楽し気だ。この状況を面白がっているとしか思えない。
セリーヌは涙目になった。大勢の前で転ぶ未来が見えて、今からもう恥ずかしくなって、顔が赤らむ。いつダンスの音楽が流れるかと冷や汗が流れ、ぷるぷると身体が震えた。
そんな怯える小動物のセリーヌを見つめ、ジェイラスは軽く目を見張った後、目を泳がせた。そして、周囲の人々が絶句しながら自分を見ているのに気づき、苦い顔をして、再び彼女に視線を戻す。
「――冗談だ」
「もうちょっと明確にお願いします」
「今回はやめておく」
ずっと会場に行くのを渋っていたというし、彼女はダンスが苦手だろうとジェイラスは思っていた。だが、自分の傍に置いておかねば、他の男に誘われる。そう思ってやってきたわけだが、当人はまるで理解していなかった。
満面の笑みを浮かべて、
「素晴しいご回答です!」
などと、上機嫌である。
運動が不得手と聞いていなければ、ジェイラスと絶対に踊りたくないのではないかと思わせるような発言だ。
彼女の性格が分かりつつあったジェイラスだが、何だか面白くない。
「やっぱりお前と踊る」
「やめましょう!?」
「⋯⋯面白い奴だ」
ジェイラスは堪えきれずに、吹き出して、またしても会場の人々の度肝を抜いた。
今まで女性を近づけもせず、舞踏会では誰とも踊らず、冷徹な空気を放っていた男が、笑っている。
よっぽど、陛下は彼女がお気に召したのだ、と噂がまたしても広がった。
結局、セリーヌはその後、ジェイラスの傍に置かれた。彼が再びセリーヌをダンスに誘う事はなく、他の令嬢達もセリーヌを気にして、近寄ることもできなかった。
要するに、また女避けに使われたのだろうとセリーヌは理解したが、問題はその日の夜だ。
当然のように舞踏会が終わると、「踊らなかったのなら、元気なはずだ」などと寝室に連れ込まれた。
これで四日連続である。
セリーヌは、皇帝のお気に入りだとすっかり評判になってしまった。
842
お気に入りに追加
938
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

思い出してしまったのです
月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。
妹のルルだけが特別なのはどうして?
婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの?
でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。
愛されないのは当然です。
だって私は…。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。
鶯埜 餡
恋愛
ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。
しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが
愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。
石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。
ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。
それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。
愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。
この作品は他サイトにも投稿しております。
扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
拝啓、許婚様。私は貴方のことが大嫌いでした
結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【ある日僕の元に許婚から恋文ではなく、婚約破棄の手紙が届けられた】
僕には子供の頃から決められている許婚がいた。けれどお互い特に相手のことが好きと言うわけでもなく、月に2度の『デート』と言う名目の顔合わせをするだけの間柄だった。そんなある日僕の元に許婚から手紙が届いた。そこに記されていた内容は婚約破棄を告げる内容だった。あまりにも理不尽な内容に不服を抱いた僕は、逆に彼女を遣り込める計画を立てて許婚の元へ向かった――。
※他サイトでも投稿中

結婚記念日をスルーされたので、離婚しても良いですか?
秋月一花
恋愛
本日、結婚記念日を迎えた。三周年のお祝いに、料理長が腕を振るってくれた。私は夫であるマハロを待っていた。……いつまで経っても帰ってこない、彼を。
……結婚記念日を過ぎてから帰って来た彼は、私との結婚記念日を覚えていないようだった。身体が弱いという幼馴染の見舞いに行って、そのまま食事をして戻って来たみたいだ。
彼と結婚してからずっとそう。私がデートをしてみたい、と言えば了承してくれるものの、当日幼馴染の女性が体調を崩して「後で埋め合わせするから」と彼女の元へ向かってしまう。埋め合わせなんて、この三年一度もされたことがありませんが?
もう我慢の限界というものです。
「離婚してください」
「一体何を言っているんだ、君は……そんなこと、出来るはずないだろう?」
白い結婚のため、可能ですよ? 知らないのですか?
あなたと離婚して、私は第二の人生を歩みます。
※カクヨム様にも投稿しています。

魔法のせいだから許して?
ましろ
恋愛
リーゼロッテの婚約者であるジークハルト王子の突然の心変わり。嫌悪を顕にした眼差し、口を開けば暴言、身に覚えの無い出来事までリーゼのせいにされる。リーゼは学園で孤立し、ジークハルトは美しい女性の手を取り愛おしそうに見つめながら愛を囁く。
どうしてこんなことに?それでもきっと今だけ……そう、自分に言い聞かせて耐えた。でも、そろそろ一年。もう終わらせたい、そう思っていたある日、リーゼは殿下に罵倒され頬を張られ怪我をした。
──もう無理。王妃様に頼み、なんとか婚約解消することができた。
しかしその後、彼の心変わりは魅了魔法のせいだと分かり……
魔法のせいなら許せる?
基本ご都合主義。ゆるゆる設定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる