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令嬢のフィニッシュポーズ

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 セリーヌ――――芹の兄は、女性達から圧倒的な人気があった。

 運動神経が抜群で、愛想も良かったからだ。おまけに同世代の男子たちに比べても体の線が細く、庇護欲をそそるような甘い顔だちと言われていたので、その気がない男でさえも見惚れる事があったくらいだ。

 ちょっとばかりおバカでも、兄の場合は華麗にスルーされた。

 同時に、やっかみも酷かった。

 陰湿なイジメというほどでもないが、ちょっとばかりからかってやろうと試みる者は後を絶たなかったのだが、動物的な勘でも働くのか、兄はとにかく逃げるのがうまい。そうなると嫌がらせの矛先は、否応にも大学まで同じ学校に通ってしまった芹に向かったのだ。

 ――大変な目にあったわ⋯⋯。

 遠い目になったセリーヌは、前世で味わった苦い経験を思い出して、奮起した。

 
 夕方になって、セリーヌの自室にジェイラスの命を受けた侍女たちが、迎えにやって来た。彼の仕事がもうすぐ終わるから、食事を一緒にどうかと言っているというのだ。

 ――え。嫌。

 喉元まで出かかった言葉は、満面の笑みを浮かべている侍女たちを前にして、何とか思いとどまる。皇帝の誘いを理由もなく断るのは、あまりに非礼であるからだ。

 だが、セリーヌは憂鬱だ。

 二晩連続で求められたが、三日目は呼び出しが早くなっている。食事の後は間違いなく、寝室に連れ込まれるだろう。侍女達もその認識でいるらしく、まずは湯浴みをなどと言ってきている。三日続けてなんて、一体どうなっているのだ。

 ジェイラスは、女嫌いではなかったのか。

 皇帝の真意を見定めたいところだが、その前に大きな問題がある。

 セリーヌは令嬢的行動が、ドヘタクソだった。
 前世のみならず現世でも、頭でっかちと揶揄されたこともあるくらい、どんくさい。そして、不器用だ。
 だから、前世では兄の身代わり的になって嫌がらせを受けたり、嫌味を言われたりしたわけだ。

 身体能力は生まれ変わっても大差がなく、令嬢のたしなみであるダンスも、刺繍ししゅうも、淑女的な振る舞いも、全てにおいて平均以下である。テーブルマナーは習ったが、どうにもぎこちなさが抜けきらない。

 皇帝と一緒に食事を取ったら、場の空気がおかしくなるに違いなかった。

 侍女達を連れて廊下を歩きながら、なんとか断る手段がないかと思い悩んでいると、廊下で行く手を塞ぐように立っていた女性がいた。

 お団子令嬢の一人だ。

「あら、これは⋯⋯セリーヌさま、ごきげんよう」

 にこやかに挨拶をしてはいるが、瞳の奥にある感情は敵意しかない。それも、昼間に見た時よりもひどくなっている気がする。セリーヌが挨拶を返すと、令嬢はその理由を口にしてきた。

「陛下からお食事に誘われたそうですね。噂になっていますわ!」
「もうですか⋯⋯?」

 当人は今聞いたばかりだというのに、と目を丸くするセリーヌに、令嬢は大きく頷く。

「宰相様が言いふらしておりました!」

 宰相は、皇帝に男色の噂が流れては困るから、打ち消すのに躍起やっきなのだろう。今度会ったら、文句の一つを言っても罰は当たるまい。

「あの⋯⋯今日が初めてです」
「そうですね! 貴女が初めてですわ! 陛下はいつも、お一人で食事を召し上がるんです!」

 つまり、珍しいことだから、セリーヌの礼儀作法を見る周りの目が厳しくなるに違いない。セリーヌは胃が痛くなってきて、胸の下を擦ると、令嬢の目が吊り上がった。

「えぇ、えぇ! 胸が一杯でしょうね!」
「いえ⋯⋯胃が⋯⋯」

 痛いのだ、と言いかけて、セリーヌは閃いた。

 ――――仮病けびょうというのはどうかしら。お腹が痛いと言えば⋯⋯!

「楽しんできてくださいね!」

 顔を綻ばせたセリーヌを睨みつけ、令嬢は踵を返して去っていった。傍に控えていた侍女たちは、冷笑して見送るばかりだ。

「嫉妬しているだけですわ。セリーヌ様、お気になさらず」
「あの、私はお腹が⋯⋯っ」

「空きましたか? そうですね、急ぎましょう!」

 侍女たちがずいと進み出てきて、追われるような気分になったセリーヌは、泣く泣く廊下を進んだ。セリーヌの居室は二階にあり、浴室は一階だった。
 憂鬱な気分で階段の前に立つ。数段降りて、広めの踊り場があり、更に数段降りるという仕様だ。

 ――――そういえば、階段って昔からイジメの場になりやすい所よね⋯⋯。

 セリーヌも、前世で経験があった。

 階下まで数段というところで後ろから突き飛ばされて、前のめりになった。何とかダメージを減らそうと、着地を試みたのが悪かったのだろう。焦ったせいか、空中で身がよじれ、盛大に尻から落ちたのだ。

 あれは痛かった。

 話を聞きつけたらしき兄が『犯人は締めておいた』と言っていたが、家では『何でケツから落ちるんだ』とあきれ顔だったのを忘れはしない。

 物語でもよくあった。ヒーローに横恋慕した女性が、ヒロインを突き飛ばして怪我をさせようと目論む、とか。
 そして、大ピンチに陥ったヒロインを、格好良いヒーローが颯爽さっそうと現れて救うのだ。

 もしも自分が階段から落とされたら――――ジェイラスが現われて⋯⋯。

「いいえ⋯⋯似合わないわ!」

 そもそも頭を過ったヒーローが何故ジェイラスだったかも分からないが、彼にはあまりに似合わない役割に思える。きっと冷徹な眼差しと、あの意地悪い笑みが悪いのだ。誰かを破滅させる姿しか思い浮かばない。

 やはり、自力でなんとかした方が良い。

 ――――例えば。

 階段の下を見つめたセリーヌの身体は、次の瞬間、空に舞っていた。

 侍女達の悲鳴が響き渡り、通りがかった侍従や近衛兵達も何事かと駆けつける。

 人々の視線は一気に踊り場へと集まり――――見事、着地を遂げたセリーヌが、誇らしげに両手を上げた姿を目撃した。

 数段とはいえ、ドレスを着たまま、飛び降りることができた。

 その奇跡に感動したセリーヌは、喜びのあまり、着地を決めた体操選手がするように、腕をVの字に高らかにあげ、叫んだ。

「私にもできたわ!」

 これで、いつ誰に突き飛ばされても、大丈夫だ。

「何の真似だ」

 興奮は最高潮に達しようかという時、凄まじい激怒を孕んだ声が廊下の空気を一変させる。
 薄っすらと赤くなっていたセリーヌは、頭から冷水を浴びせられた気分になった。顔を引きつらせて声のした方を見てみれば、ジェイラスが殺気を纏ってやって来た。
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