会うたびに、貴方が嫌いになる

黒猫子猫(猫子猫)

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アリエスの秘密

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 レオーネに対するアリエスの始めの感情は、責任感だった。

 親を失い悲嘆に暮れる王女を、兄王子たちから託されたという自負もあり、なんとしても守り抜こうと思った。だが、少女が一人の女性へと成長を遂げ、純真な思いを寄せてくれるうちに、彼の心も動いた。

 前王と王妃の急死で、国内情勢も不安定になった。反乱を企てる者もいて、王宮は疑心暗鬼になっていた。薄汚れた大人の感情が渦巻く中で、レオーネの純真さや素直さは、彼の救いにもなった。

 彼女のために、最善を尽くすと誓い、そのためには自分が冷静でいなければならないと思った。レオーネが無邪気に慕ってくれるのは嬉しかったが、自分も一緒になって恋にのめり込んでいったら、万が一の時に守れないからだ。

 現王が即位した後、次第に安定し始めたとはいえ、最も年若い彼女はやはり狙われやすい。成人前で、しかも聖獣の力も安定しない間に、男と深い仲になれば、悪評を流されるかもしれないという危惧もあった。
 だから、アリエスは更に冷静さを保ち続けた。少しでも気を抜くと、レオーネを思いっきり可愛がりそうになるので、顔から感情を消すようにしたら、完全に癖になった。

 我慢して、耐えて、冷静さを保つ努力を怠らないよう突き詰めていった結果――――完全にこじらせて、素直に彼女へ想いを出せないようになってしまった。
 それでも、発情期を迎えた時、彼女は変わらず自分を求めてくれた。それは途方もなく、アリエスには嬉しかったのだ。


 アリエスの想いを聞かされたレオーネは、気恥し気に頬を薄らと染めながら、どこか不安そうな目で自分を見返してくる彼に思い切って訊ねた。

「⋯⋯誕生会で、私に話があると言ったのは⋯⋯?」
「交際を申し込むつもりだったんだ。お前が十八の年になったら、すぐにそうしようと思っていた。だが、その前に発情期が来てしまっただろう」

「あ⋯⋯だから、早すぎるって⋯⋯言ったの?」
「そうだ。仕方がない事とはいえ、順番が逆だ」

 長年想っていた相手であるからこそ大事にしようとしたのに、発情期に翻弄されたレオーネは、まず先に熱烈に彼の身体を求めてしまったという訳だ。

「でも⋯⋯貴方は私と身体を重ねるのが、嫌そうだったわ⋯⋯。終わらせたがっていたし」

 真っ赤になりながらつい詰ると、アリエスは小さくため息を吐いた。

「お前⋯⋯初めての身で、強引に何度もするんじゃない」

 ぐうの音も出なくなったレオーネである。

「あ⋯⋯貴方が媚薬を飲んできてくれたから、頑張らなきゃって思って⋯⋯」
「媚薬? そんなものは口にしていない。私が飲んだのは、避妊薬だ」

「え⋯⋯そっち⁉」
「私は何を言われても良いが、交際もしていない内に孕んだら、お前が困るかと思ってな。何度も言うが、順番がおかしいんだ」

 苦々し気に言うアリエスは、不本意だと言わんばかりだった。先に交際を申し込めれば一番良かったのだが、それもできない。欲情した彼女に告げるのも、通じない気がしてならない。

 だから、あの場でも、やはり我慢したのだ。

 ただ、レオーネも納得できないことがあった。

「それなら⋯⋯どうして、マリーをダンスに誘ったの⋯⋯?」
「誘っていない」
「⋯⋯⋯⋯」

 一蹴したアリエスだが、レオーネが泣きそうな顔をしたので、怪訝そうにして記憶をたどり、合点がいったようだった。

「私が踊らないのかと彼女に尋ねた事を言っているのなら、誤解だ。あれは、陛下に頼まれたからだ」
「お兄様から⋯⋯?」

「あぁ。陛下は彼女に好意を抱いているようでな。しかし、彼女は小柄な外見も子供っぽいと気にして、中々頷かない。しかも性格も優しくて内気な方だ。陛下も表立って動いて、周りの令嬢に虐められても困るから、私にそれとなく周りの男を遠ざけろと言ってきた。ついでに、彼女が他の男になびかないように目を光らせておけとも。彼女の方も陛下の意向を理解しているようだったな」

 レオーネは、穴があったら入りたくなった。勘違いして暴走した自分が恥ずかしくて仕方がなかったが。

「⋯⋯それで? 私と口をききたくないと言った理由も、きっちり説明してくれるんだろうな?」

 地を這うような怒りを含んだ声に、今度は別の意味で穴に入って隠れたくなった。

 思わず目を背けたが、洗面所の鏡越しに目が合ってしまう。
 美しいアイスブルーの瞳が、氷のように冷たい。

「あ、貴方が会場でマリーに声をかけているのをみて、すっかり誤解して⋯⋯!」
「それだけで、あんな目をするか? 私を蛇蝎の如く嫌っているとしか思えなかったぞ」

「そ、そこまで強い効果があったの⋯⋯?」
「効果?」

 アリエスは軽く眉を顰める。その冷静な眼差しは、鏡越しながらもレオーネを捉えて離さない。結果、彼女は自分が聖獣の力を使って彼を嫌い、遠ざけようと試みた事を洗いざらい話すしかなかった。

 黙って聞いていた彼は、目が泳ぎまくっているレオーネの顎を掴み、正面を向かせた。

「⋯⋯面白い事をしてくれたな、レオーネ」
「ごめんなさい! わざとじゃ⋯⋯わざとね!」

 レオーネは冷や汗が止まらなくなってきた。彼の目が危険な色を放っているようにしか思えなかったからだ。アリエスはくすりと僅かに笑みを浮かべた。

「なぁ、レオーネ。私は媚薬を使ってはいないと言っただろう」
「え、えぇ⋯⋯」

「それでも、延々とお前に付き合った意味をよく考えろ」
「⋯⋯⋯⋯」

 レオーネはようやく恐るべき事実に気づき、頰を撫でられて、息を呑む。どんな時も冷静だった男の目は、極めて獰猛だった。

「今度は思う存分、愛させて貰おうか」

 その日の夜、レオーネはなかなか寝かせて貰えなかった。



 翌日、改めてアリエスはレオーネに交際を申し込み、兄たちにも認められ、晴れて恋人同士になった。アリエスは相変わらず公の場では冷静だったが、夜ごとレオーネを愛する時は、非常に熱烈だ。

 いつ恋仲になってもおかしくないと思われていた二人であっただけに、誰も驚かず、むしろいつ結婚をするのだろうという話までされるくらいだ。

 レオーネは幸せだったが、一つだけ気になる事があった。

 昼下がりに、アリエスが王宮の兵に広場で剣の指南をすると聞いて、下の兄と共に見に来ていた彼女は、少し離れた所で見学をしていた。いつもの通りアリエスに一通り見惚れた後、彼と親交のある兄に訊ねた。

「ねぇ、兄様。正直に言ってほしいんだけれど⋯⋯アリエスの好みの女性って、知ってる?」
「お前だろ。あいつ、昔から他の女は眼中になかったぞ」

 あっさりと言い切った兄に、レオーネは真っ赤になりながら、続ける。

「そうじゃなくて⋯⋯前に、『小柄な方が良い』って言っていたのよ⋯⋯」
「あぁ⋯⋯。⋯⋯だろうな」

「え⋯⋯⁉」

 レオーネは目を見開き、凍りつくが、彼は苦々し気に言った。

「俺にもそう言ってきた」
「兄様が小さい⋯⋯?」

 長身で、誰の目から見ても大きな兄だ。それなのに、どうして――――。
 不思議に思ったレオーネは、兄のもう一つの姿を思い出して、ようやく理解した。

 聖獣の力を持つ者は、獣に変態することができる。

 レオーネを含め三兄妹は、全員が『犬』になれる。上の兄は普通の犬より一回りほど大きな犬に成長したが、下の兄はなぜか未だに子犬だ。おかげで、『小さくて可愛い』などと言われ、よく怒っている。

 同様の事を真顔でアリエスに言われた彼は、未だに怒っていた。

 だから、妹に平然と言い放つ。

「アリエスはどうやら小動物が好きなようだな。だが、気にするな。あいつはだ」
「本当⁉」

 レオーネは目を輝かせた。

 上の兄は国王の威厳を気にして滅多に変態せず、下の兄は可愛いと言われたくないので、望んで姿を変える事はない。レオーネは別の理由で怯み、やはりあまり犬にはならなかった。

 そして、アリエスは常に沈着冷静で、ほとんど表情を変えることもなかったので、残念ながら犬を見ても態度が変わらなかった。

 まことに、不幸な事である。

「良かったわ! 私、行ってくるわね!」

 レオーネは嬉々として姿を変え、アリエスに向かって飛んで行った。彼女の兄はにやりと笑い、「よく懐いてこい」と言って送り出す。

 近くに控えていた侯爵家のアリエスの従者が、溜まらず口を挟んだ。

「あの⋯⋯アリエス様は⋯⋯」
「知ってる。子供の頃、野良犬にさんざん追い回されて、噛みつかれたせいで、なんだろう?」

 だが、耐えて貰うしかない。
 急に変わって中々戻れなくなる時がある自分よりはマシだが、レオーネもまだ成人して間もない身で力の安定性を欠くのか、寝起きに犬化している時があるというからだ。

 妹と恋仲でいたいなら、夫婦になりたいのなら、どれほど犬嫌いであろうが我慢してもらわねば困る。

 たとえ、妹が化け物かと思うほどのであろうとも。
 広場に響いたアリエスの悲鳴に、彼は冷然と笑った。

「俺をチビと言いやがった罰だ」

【会うたびに貴方が嫌いになる・了】
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