王子様は恋愛対象外とさせていただきます

黒猫子猫(猫子猫)

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24 近寄らないで

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「―――ああ、来たか。そこに座ってろ」

 レオンハルトは面倒そうに書類から顔を上げ、一瞥した後、そう言い捨てた。また視線を落としたきり無言になった彼に、ルイーズは心の中で十は彼を罵倒しつつ、表向きは笑顔を作って、扉を閉めた。

 二人の『逢瀬』はいつも彼の執務室だ。初めは彼の部下達が揃っていたが、最近は妙な気を利かせて席を立ったり、今日のように最初から誰もいなかったりで、二人きりの時間が圧倒的に長くなった。

 さりとて、周囲が思っているような甘い逢瀬の時間など皆無である。

 レオンハルトは執務机で延々と事務仕事をし続け、ルイーズに一切声をかけない。ルイーズも彼に話しかけることは無く、部屋の中央に置かれたソファーに座って、時間が過ぎるのを待つという日々だ。

 これで、帰る時間になると、レオンハルトはわざわざ部屋の入り口までルイーズを見送って、まるで名残惜しいとばかりの態度と挨拶をしてくるのだから、詐欺師である。

 ルイーズとしては、帰りの瞬間が最も待ち焦がれた時でもあるのだが、レオンハルトの見送りだけは余計だと心から思う。

「分かりました」

 憂鬱な足取りで、いつもの定位置に座ったルイーズであるが、ふと目の前のテーブルに一冊の本が置かれている事に気が付いた。

 古い背表紙で、年季が入っているそれの題名を見た瞬間、ルイーズの気分は一気にうなぎ上りになった。以前からずっと探していた本だからだ。

「あ、これ……!」
「先日、探していただろう。書庫の蔵書にあった」
「……聞いていたんですか?」

 執務室でただ延々と座っているのも暇なので、ルイーズはレオンハルトに許しを得て、執務室にある本を読んで過ごしていた。どれも目新しいもので嬉しかったのだが、昔から探していた本はやはり無くて、ぼやいていたのを聞いていたらしい。

「あんなに盛大に文句を言われれば、嫌でも聞こえる」

「それは申し訳ありません。でも、ありがとうございます」

 ルイーズは顔をしかめ、だが念願の本を手にした事は嬉しくて、ここに来て初めて表情を緩めた。古い本である為、傷めないように優しく開き、文字を目で追う。

 夢中になって読みふけっていたルイーズであるが、ふと視線を感じて顔を上げ、叫び声を上げそうになった。

 離れた執務机にいるとばかり思っていたレオンハルトが、いつの間にか自分の座っていたソファーの後ろに立ち、背もたれに両手をついて、自分を見下ろしていたからだ。

 気付くや否や、ルイーズはすぐさま、本を抱えたまま、ソファーの端に飛びのいた。

 気持ち的には部屋の壁にでも張りつきたい気分だが、王太子相手にそれは不味いだろうと、必死でブレーキを踏む。

「な、な、な……っ!?」

「さっきから何度も声をかけたぞ。そこまで驚くか?」

 眉をひそめるレオンハルトに、ルイーズは何とか自制心を総動員して、口を開いた。

「い、いつもは帰る時間まで、完全に無視じゃないですか!声をかけてくるなんて思いません!」

「……別に無視していた訳じゃない。報告書が読み難くて仕方が無いから、そっちに気をとられていただけだ」

 うんざり顔のレオンハルトに、ルイーズは目を瞬いた。

「読み難い……? 王太子殿下にお見せする書類がそれでは困るではありませんか」

「直す部分を具体的に指示を出しても、上官に指導させても、一向に変わらんな。職務怠慢もいい所だ」

「余程緩い、残念な部署なんですね」

「軍部だ」

「……大いに不味いじゃ無いですか」

 国の大事を預かる軍から上がって来る書類に、不備が目立つのは非常に宜しくない。素人考えでも分かる事である。

「お前に言われなくても分かってる。それよりも、何でそこまで逃げる」

 今にもソファーから転げ落ちそうな勢いのルイーズに、レオンハルトは呆れ半分だったが、その狼狽ぶりが面白くなったのか、口の端が上がっている。

「いえ、お気になさらず。殿下はその下手な書類を、心置きなく添削してください」

「あいにく俺は教師じゃないし、これ以上は時間の無駄だ。差し戻す。それより、折角婚約者候補が部屋に来ているのに、仕事ばかりと言うのも面白くないだろう?」

「何ですか、それっ!?」

 立ち上がりかけたが、レオンハルトがすっと位置を変えて、ルイーズの座る座面のすぐ傍に片手を突き、身を屈めて来た為に、逃げ場が無くなる。流れるような所作は無駄に優雅だ。

 必死で明後日の方を見るルイーズに、レオンハルトは薄っすらと笑みを浮かべた。

「最近、王宮で言われ始めている事だ。俺が執務室に女を入れる事など無いからな、よっぽど寵愛が深いのだろうと誤解されて、恋人から婚約者候補に格上げだ」

「要りません!」

「俺は女避けになって丁度良い」

 レオンハルトは至極楽しそうだ。声だけでも十分に分かる。

 だが、ルイーズは冗談ではなかった。道理で最近王宮を歩いていると、可愛い令嬢達が哀し気な顔をしている訳だ。許しがたい話である。

「私はちっとも良くありません。取り合えず、退いて下さい!」

「どうしたものだろうな。お前は随分、俺に言いたい放題、言ってくれているしな? 聞き逃してやるのも、限度がある」

 ぎしりとソファーが軋む音がして、レオンハルトが更に近づいたのが気配で分かる。必死で顔を背けているため、彼の眼前に晒す事になっている耳元で、甘く低い低音の美声が、囁く。

 近い。近い。近すぎる!

「叫びますよ!?」

「どうぞ。俺を止められる者が、この王宮でどれ程いるか、良く考えてから行動するんだな」

 レオンハルトは冷ややかに笑う。権力者であるが故の覇気を滲ませた。そして、横を向いているルイーズの顎を掴んだ。

「ひ……っ」

 びくっと身体が一瞬にして強張って、逆に力が入らなくなる。

「そろそろ、黙らせる――――俺を見ろ、ルイーズ」

 顎を引かれ、ルイーズはレオンハルトを正面から見上げる事になってしまった。

 そうして、レオンハルトの群青の瞳と視線が絡み合う。広い空を思わせるような美しい色合いだと思ったのは一瞬で、視界の全てを彼の身体が覆い隠した事実に気付いた時、ルイーズは気が遠くなりかけた。

 総毛立ち、身体が小刻みに震え始めるのを両手で必死で抑え込む。

 叫びたいのを、ルイーズは必死で堪えた。

 泣き出したいのも、今すぐ逃げ出したいのも、ただ只管耐えた。
 唇を強く噛み締めて、未だに震えてしまう身体を抑え込む。自制できない自分が、情けなくて、恥ずかしくて、仕方が無かった。

「……ルイーズ……?」

 ただならぬ様子に、レオンハルトが気付いたのか、身体を少し離した彼は、言葉を失った。

 ルイーズは、自分がどんなに酷い顔をしているかも、自覚があった。

「ご……めんなさ……っ」

「……っ……違う、悪いのは、無理やり迫った俺だ。調子に乗り過ぎた」

 そう言って、レオンハルトは身体を起こすと、その場から離れた。

 ルイーズは頭が真っ白になったままで、硬く両手を組んだまま、身体の震えが治まるのを待っていたが、不意に眼前にカップが置かれたのが見えた。湯気が立つそれは、香りだけでルイーズが好む茶葉のものだと分かる。

 驚いて顔を上げると、傍らにレオンハルトが立っていて、思わず無意識に顔が強張ってしまう。それを見て、レオンハルトはその場に屈んだ。

「で、殿下……」

 これにはルイーズも慌てた。

 彼は王太子であり、この国で何者にも屈してはいけない人だ。ルイーズは彼の臣下にあたる身分であり、膝を折らせてはいけなかった。

 だが、レオンハルトはたじろぐルイーズを手で制した。

「俺が悪いんだ、気にするな。少し飲めるか? 今にも倒れそうだぞ」

 そんなに酷いのかとルイーズは愕然としつつも、レオンハルトが淹れてくれたお茶を手に取り、口をつけた。好きな味という事もあって、すっと喉を通り、幾分気分もマシになる。

「……ありがとうございます。あの……殿下に、大変失礼な事を致しました……」

 たどたどしくも謝ると、レオンハルトが心底窮した顔をした。

「頼むから、止めてくれ。お前の反応は普通だ。嫌な男から迫られればそうなるだろ」
「ええと……確かに、殿下は強引でしたし、恋仲でもない女にする事では無いと思いますが」

 きっぱりと言い切ったルイーズに、レオンハルトはようやく表情を少し緩めた。

「ああ、そうだな」

 いつになく優しく笑うものだから、ルイーズは目を瞬き、何となく気負いを削がれた気がしつつも、更に続けた。

「ただ、私の態度は王太子殿下に対して、余りに非礼です。これは……全て殿下の行いの結果という訳ではなく……私個人の問題ですから、謝らせて下さい」

 王太子に非が無いとはルイーズも思わないが、だからと言って全て彼のせいでは無いのだ。

「どう言う事だ?」
「…………」

 どう答えたものだろう。言いたくはないが、相手の立場を鑑みれば、黙って居る訳にもいかないかもしれない。躊躇うルイーズだったが、レオンハルトは苦笑して言った。

「言いたくないなら、言わなくて良い。そう言う事もあるだろう」

「……命を下されないのですか?」

「あのな……お前、俺を何だと思ってるんだ。誰だって理由も無く、相手を傷つけたいと思うものか」

「……そうですね」

 ルイーズは改めてレオンハルトを見返した。彼が屈んでいるために、視線は自然下に落ちる。澄んだ空のようだと思った瞳は、想像していた以上に優しかった。

 思い返して見れば――――自分は散々彼に悪態を付いてきたが、レオンハルト自身がルイーズを詰って来た事は殆どない。

 大半は自分の言葉にきっちり言い返してきただけだ。
 執務室に来る日々も、彼は黙々と自身のやるべき仕事をしていただけで、気まずいと思い込んでいたのは自分だけである。

 そもそも、恋人の振りをするだけだったのだから、彼が自分の機嫌を取る必要など何も無かったのだから、レオンハルトが正しい。

 ただルイーズが、彼に一方的に苦手意識を持ってしまったがために、攻撃的になっていたに過ぎない。

 現に、行く度に目新しい本が本棚に置いてあった。ルイーズが居ても飽きないように、入れ替えて置いてくれたのだろう。読みたい本をわざわざ探しくれていた。

 性根は優しい男なのだろう。そういう男でなければ、自分の地位を脅かしかねない腹違いの弟を大切にするはずも無かった。

 何だかとても自分が恥ずかしくなって、ルイーズは頬を薄っすらと染めた。
 それを見たレオンハルトは軽く目を見張り、そしてふっと笑みが消えた。

「……ルイーズ、俺が好きか?」
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