2 / 26
2 令嬢の美意識
しおりを挟む
そんな衝撃的な王都入りを果たした姉弟が、伯爵家の屋敷に暮らし初めて一月程が経った。
今伯爵家の主は、弟が成人するまでのあと一年程は、ルイーズとなった。限定的なものではあるが、代理としてやるべきことはいくらでもある。
だが、今彼女を悩ませているのは、彼女が女だと知った瞬間から始まった親戚一同の苦言である。時々顔を見せに来て小言を言っていた父親と大して内容に差は無かったが、人数が増えたせいで悪化したとしか思えない。
「……あの人達は、他に言う事が無いのかな」
ルイーズは自身の執務室で、やってきた弟のリュンクスに盛大にぼやいた。
部屋には二人だけという事もあって、彼女も気楽に話しかける。
「またですか」
「そう。髪を伸ばして、着飾って、剣の代わりに扇を持って微笑め、だって。今更無理に決まってる」
ウンザリ顔のルイーズは、今も田舎にいた頃と同じく男装のままだ。
「屋敷の侍女達には非常に評判が良いみたいですけれどね」
リュンクスはくすくすと笑った。
ルイーズの女性化に熱意を燃やす親戚一同の手前、家の使用人たちは表立ってまだ態度には出さないが、女性達は姉に惚ける者が多い。
田舎で育ち、多くの者達に助けられて生きて来た自覚があるだけに、例え使用人であっても粗雑に扱う事は無く礼儀正しく接する為、たちどころに家人たちの心を掌握してしまっている。
「そうでしょう。侍女達もあんな重くて嵩張るものの洗濯をしなくて済むものね」
「……まあ、それもあると思いますが」
「私は一時的な代理なんだし、貴方が成人したらただの人になるんだから、誰にも迷惑をかけないと思うんだけど……そう言ったら、貴女は嫁に出る気が無いのか、だって」
辟易としたルイーズに、リュンクスはすっと目を細めた。
「その気になりましたか?」
「ないよ。ただでさえ、伯爵家なんてものを押しつけられているのに、結婚相手まで決められてたまりますか」
「先にそうおっしゃっておけば良かったのに、私の事ばかり条件を付けているからですよ」
当主一家を失ったからと突然迎えを寄越した親族達に、姉弟は猛反発した。
突然伯爵家を継げなどと言われても困るし、厄介事の匂いしかしなかったからだ。
それでも必死で説得する彼らにリュンクスが根負けしてしまったので、ルイーズも渋々折れた。
だが、弟の人生が彼らの言うなりになるのを良しとしなかったルイーズは、弟が自由に行動できるように様々な注文をつけた。縁談を同意なしに強引に進めない事、と言うのもその一つだ。
たまにしか田舎の家に顔を出さなかった父親のせいで、亡き母が寂しがっていたことを知っていたから尚更だった。弟には心から愛した女性を妻に迎えて欲しいとも思っていた。
親族達は縁談を持ち込みたいといいつつも、今の所はその約束を守っている。
ルイーズの最大の失敗は、自分の事は何も言っておかなかった事だ。
「私に縁談を進めて来るなんて、普通思わないよ」
ルイーズは顔をしかめ、盛大なため息をついた。
そんな彼女の横顔を見つめ、リュンクスは苦笑するしかない。
姉に縁談を持ち込んでくる身勝手な親戚たちには彼も辟易としているが、張り切りたくなるのも分からないでもなかった。
今でこそ後ろでお情け程度に縛れるくらいの短い髪だが、幼い頃はとても美しい黒髪だった。
今もその名残は十分で、少し動けばさらりと流れる艶やかさだ。
その黒髪に加えて、雪のような白い肌は、とてもよく映えた。鍛錬を重ねて四六時中日の下にいると言うのに、あまり日焼けをしない質らしい。
意志の強い眼差しを彩る漆黒の大きな瞳は、実直な姉に相応しい。その反面、形の良い赤い唇は、黒と白に彩を加え、どこか艶やかさを感じさせる。
鍛え抜かれた肢体はしなやかで、無駄な贅肉もない。子供の頃から無理にコルセットで身体を締めつけて、姿勢を矯正してこなかったこともあって、立ち姿も美しい。
たちどころに屋敷の侍女達を虜にした美貌の主であるが、いかんせん、彼の姉の美意識は大幅にズレていた。
それと言うのも、彼女の美の基準がいささか変わっているからだ。
ルイーズはため息をつきつつ、リュンクスを見返して真顔で言った。
「まあ、あなたなら、嫁の貰い手に困らないだろうけれど」
「姉上。私は男ですよ」
「それは分かっているんだけど……ほら、あなたは、とっても美人さんだし―――」
ルイーズは惚れ惚れとした顔で、弟のリュンクスを見つめる。
自分の髪色は父譲りの地味な黒で、ぱっとしないが、母親似のリュンクスは、銀色の美しい髪だった。光を浴びるとキラキラと美しく輝き、優し気な面差しに、切れ長の瞳に、鼻筋は真っすぐで、弟を形作るものの一つ一つが何もかも完璧だ。
少し長めの短髪という事もあって、中性的な美貌を持つ青年だった。
背もルイーズよりも少し低い。
ここ最近になって、背がどんどんと伸びてきたから大分差が縮まってきてはいる。
昔はもっと差が大きく、華奢で小柄であったものだから、女子に間違えられる事も度々だった。
そして、その当時から姉は彼をうっとりと見つめ、こう言うのだ。
「――――可愛いもの!」
「……相変わらずですね」
ルイーズもリュンクスも、どちらもかなりの長身だ。その上他を圧倒するような美貌を持つから更に目立つのだが、ルイーズ自身はこの身長を全く歓迎していない。
男装し、男顔負けの立ち振る舞いをする彼女だが、『小さくて可愛いもの』が大好きだからだ。
無論、長身の男は論外である。
今伯爵家の主は、弟が成人するまでのあと一年程は、ルイーズとなった。限定的なものではあるが、代理としてやるべきことはいくらでもある。
だが、今彼女を悩ませているのは、彼女が女だと知った瞬間から始まった親戚一同の苦言である。時々顔を見せに来て小言を言っていた父親と大して内容に差は無かったが、人数が増えたせいで悪化したとしか思えない。
「……あの人達は、他に言う事が無いのかな」
ルイーズは自身の執務室で、やってきた弟のリュンクスに盛大にぼやいた。
部屋には二人だけという事もあって、彼女も気楽に話しかける。
「またですか」
「そう。髪を伸ばして、着飾って、剣の代わりに扇を持って微笑め、だって。今更無理に決まってる」
ウンザリ顔のルイーズは、今も田舎にいた頃と同じく男装のままだ。
「屋敷の侍女達には非常に評判が良いみたいですけれどね」
リュンクスはくすくすと笑った。
ルイーズの女性化に熱意を燃やす親戚一同の手前、家の使用人たちは表立ってまだ態度には出さないが、女性達は姉に惚ける者が多い。
田舎で育ち、多くの者達に助けられて生きて来た自覚があるだけに、例え使用人であっても粗雑に扱う事は無く礼儀正しく接する為、たちどころに家人たちの心を掌握してしまっている。
「そうでしょう。侍女達もあんな重くて嵩張るものの洗濯をしなくて済むものね」
「……まあ、それもあると思いますが」
「私は一時的な代理なんだし、貴方が成人したらただの人になるんだから、誰にも迷惑をかけないと思うんだけど……そう言ったら、貴女は嫁に出る気が無いのか、だって」
辟易としたルイーズに、リュンクスはすっと目を細めた。
「その気になりましたか?」
「ないよ。ただでさえ、伯爵家なんてものを押しつけられているのに、結婚相手まで決められてたまりますか」
「先にそうおっしゃっておけば良かったのに、私の事ばかり条件を付けているからですよ」
当主一家を失ったからと突然迎えを寄越した親族達に、姉弟は猛反発した。
突然伯爵家を継げなどと言われても困るし、厄介事の匂いしかしなかったからだ。
それでも必死で説得する彼らにリュンクスが根負けしてしまったので、ルイーズも渋々折れた。
だが、弟の人生が彼らの言うなりになるのを良しとしなかったルイーズは、弟が自由に行動できるように様々な注文をつけた。縁談を同意なしに強引に進めない事、と言うのもその一つだ。
たまにしか田舎の家に顔を出さなかった父親のせいで、亡き母が寂しがっていたことを知っていたから尚更だった。弟には心から愛した女性を妻に迎えて欲しいとも思っていた。
親族達は縁談を持ち込みたいといいつつも、今の所はその約束を守っている。
ルイーズの最大の失敗は、自分の事は何も言っておかなかった事だ。
「私に縁談を進めて来るなんて、普通思わないよ」
ルイーズは顔をしかめ、盛大なため息をついた。
そんな彼女の横顔を見つめ、リュンクスは苦笑するしかない。
姉に縁談を持ち込んでくる身勝手な親戚たちには彼も辟易としているが、張り切りたくなるのも分からないでもなかった。
今でこそ後ろでお情け程度に縛れるくらいの短い髪だが、幼い頃はとても美しい黒髪だった。
今もその名残は十分で、少し動けばさらりと流れる艶やかさだ。
その黒髪に加えて、雪のような白い肌は、とてもよく映えた。鍛錬を重ねて四六時中日の下にいると言うのに、あまり日焼けをしない質らしい。
意志の強い眼差しを彩る漆黒の大きな瞳は、実直な姉に相応しい。その反面、形の良い赤い唇は、黒と白に彩を加え、どこか艶やかさを感じさせる。
鍛え抜かれた肢体はしなやかで、無駄な贅肉もない。子供の頃から無理にコルセットで身体を締めつけて、姿勢を矯正してこなかったこともあって、立ち姿も美しい。
たちどころに屋敷の侍女達を虜にした美貌の主であるが、いかんせん、彼の姉の美意識は大幅にズレていた。
それと言うのも、彼女の美の基準がいささか変わっているからだ。
ルイーズはため息をつきつつ、リュンクスを見返して真顔で言った。
「まあ、あなたなら、嫁の貰い手に困らないだろうけれど」
「姉上。私は男ですよ」
「それは分かっているんだけど……ほら、あなたは、とっても美人さんだし―――」
ルイーズは惚れ惚れとした顔で、弟のリュンクスを見つめる。
自分の髪色は父譲りの地味な黒で、ぱっとしないが、母親似のリュンクスは、銀色の美しい髪だった。光を浴びるとキラキラと美しく輝き、優し気な面差しに、切れ長の瞳に、鼻筋は真っすぐで、弟を形作るものの一つ一つが何もかも完璧だ。
少し長めの短髪という事もあって、中性的な美貌を持つ青年だった。
背もルイーズよりも少し低い。
ここ最近になって、背がどんどんと伸びてきたから大分差が縮まってきてはいる。
昔はもっと差が大きく、華奢で小柄であったものだから、女子に間違えられる事も度々だった。
そして、その当時から姉は彼をうっとりと見つめ、こう言うのだ。
「――――可愛いもの!」
「……相変わらずですね」
ルイーズもリュンクスも、どちらもかなりの長身だ。その上他を圧倒するような美貌を持つから更に目立つのだが、ルイーズ自身はこの身長を全く歓迎していない。
男装し、男顔負けの立ち振る舞いをする彼女だが、『小さくて可愛いもの』が大好きだからだ。
無論、長身の男は論外である。
53
お気に入りに追加
119
あなたにおすすめの小説

愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。

白い結婚は無理でした(涙)
詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。
明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。
白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。
小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。
現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。
どうぞよろしくお願いいたします。

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

好きな人の好きな人
ぽぽ
恋愛
"私には10年以上思い続ける初恋相手がいる。"
初恋相手に対しての執着と愛の重さは日々増していくばかりで、彼の1番近くにいれるの自分が当たり前だった。
恋人関係がなくても、隣にいれるだけで幸せ……。
そう思っていたのに、初恋相手に恋人兼婚約者がいたなんて聞いてません。

妹に傷物と言いふらされ、父に勘当された伯爵令嬢は男子寮の寮母となる~そしたら上位貴族のイケメンに囲まれた!?~
サイコちゃん
恋愛
伯爵令嬢ヴィオレットは魔女の剣によって下腹部に傷を受けた。すると妹ルージュが“姉は子供を産めない体になった”と嘘を言いふらす。その所為でヴィオレットは婚約者から婚約破棄され、父からは娼館行きを言い渡される。あまりの仕打ちに父と妹の秘密を暴露すると、彼女は勘当されてしまう。そしてヴィオレットは母から託された古い屋敷へ行くのだが、そこで出会った美貌の双子からここを男子寮とするように頼まれる。寮母となったヴィオレットが上位貴族の令息達と暮らしていると、ルージュが現れてこう言った。「私のために家柄の良い美青年を集めて下さいましたのね、お姉様?」しかし令息達が性悪妹を歓迎するはずがなかった――

麗しのラシェール
真弓りの
恋愛
「僕の麗しのラシェール、君は今日も綺麗だ」
わたくしの旦那様は今日も愛の言葉を投げかける。でも、その言葉は美しい姉に捧げられるものだと知っているの。
ねえ、わたくし、貴方の子供を授かったの。……喜んで、くれる?
これは、誤解が元ですれ違った夫婦のお話です。
…………………………………………………………………………………………
短いお話ですが、珍しく冒頭鬱展開ですので、読む方はお気をつけて。

できれば穏便に修道院生活へ移行したいのです
新条 カイ
恋愛
ここは魔法…魔術がある世界。魔力持ちが優位な世界。そんな世界に日本から転生した私だったけれど…魔力持ちではなかった。
それでも、貴族の次女として生まれたから、なんとかなると思っていたのに…逆に、悲惨な将来になる可能性があるですって!?貴族の妾!?嫌よそんなもの。それなら、女の幸せより、悠々自適…かはわからないけれど、修道院での生活がいいに決まってる、はず?
将来の夢は修道院での生活!と、息巻いていたのに、あれ。なんで婚約を申し込まれてるの!?え、第二王子様の護衛騎士様!?接点どこ!?
婚約から逃れたい元日本人、現貴族のお嬢様の、逃れられない恋模様をお送りします。
■■両翼の守り人のヒロイン側の話です。乳母兄弟のあいつが暴走してとんでもない方向にいくので、ストッパーとしてヒロイン側をちょいちょい設定やら会話文書いてたら、なんかこれもUPできそう。と…いう事で、UPしました。よろしくお願いします。(ストッパーになれればいいなぁ…)
■■

ロザリーの新婚生活
緑谷めい
恋愛
主人公はアンペール伯爵家長女ロザリー。17歳。
アンペール伯爵家は領地で自然災害が続き、多額の復興費用を必要としていた。ロザリーはその費用を得る為、財力に富むベルクール伯爵家の跡取り息子セストと結婚する。
このお話は、そんな政略結婚をしたロザリーとセストの新婚生活の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる