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眠り猫
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一つ言い訳をさせてもらえるなら、ディアナはこう主張したい。
固く冷たい地面の上ばかりで寝ていたせいで、腕の中の温もりがずいぶんと心地よいと思ってしまっただけだ、と。
ついうっとりとしていたせいで、頭上で続けて交わされていた会話を聞き逃し、そうしている間にルベウスがジェミナイを伴って移動を始めた。
抜け出す間を逃したディアナは、今度はどこに行く気だと戸惑いながらも、もう少し中の様子が見られる好機ということもあって、結局そのまま大人しく腕の中に止まった。猫の姿で良かったと心から思いつつ、廊下をきょろきょろと見回す。
自分が死んで時間が経っているせいか、見た限りでは平時の頃と何ら変わらない。ルベウスに気づいた侍女達が道を開けて頭を下げる様子も、ごく自然だ。彼をこの王宮の主と認めているのだろうと、ディアナは少しほっとしつつ、最期まで傍にいてくれた侍女の姿がどこにも見当たらない事が気にかかった。
――――あの子、どうしているかしら。
いつもディアナの事を気にかけてくれた、心優しい侍女だった。
可愛くて、表情がくるくると良く変わる愛らしい子だ。もう少し長く生きていられたら、良い嫁ぎ先を見つけてやりたかった。ただ、ルベウスの事が何故か大嫌いだったから、彼に遺言で頼むわけにもいかず、宰相に任せていた。ルベウスに代替わりするのを嫌って、王宮を去ったのかもしれない。
結局、二人が王宮の一室に入るまで、可愛い侍女を見つけることはできなかった。
「では、おやすみなさいませ」
「ああ」
―――――は?
ディアナは目を点にしたが、ジェミナイは一礼してさっさと去っていく。固まっている間に、彼はさっさと室内に入った。
一度も使った事のない、夫婦の寝室である。
彼は近い将来、国王になる男であるから、寝室をここに移していた所で驚く事ではない。ディアナはルベウスと結婚した時、当初から寝室を分けていたが、国王夫妻の寝室は空のままにして、彼にも別室を使わせた。
自分が死んだ後、彼の正妃となる女性に気まずい思いをさせないためだ。
調度品や寝台も二人が結婚した時に好きな物を選べばいいと思ったし、どうせ自分達は使わないから、もったいないと、用意させなかった。
ただ、すでに室内には寝台と調度品がいくつか運びこまれていた。二人は寝られそうな大きな寝台で、ディアナは準備がいいと思ったが、ぎくりと身を固くした。
薄暗い室内で、はっきりと容姿は見えないが、誰かが寝台の上で寝ている。顔も容姿もはっきりとしないが、ぼんやりと見える体型からして、女だ。
――――ねえ、待って。これはまずいわ!
焦ってじたばたと暴れると、ルベウスが驚いたように抱きしめた。
「落ち着け、大丈夫だ。彼女は猫嫌いとは聞いていない」
―――――いやいやいや、貴方、正気⁉ 私は前妻よ!
いや、猫だ。
現実を思い出し、ディアナはぴたっと止まった。
まさか自分が気まずい思いをすることになるとは思わなかったが、少なくともルベウスの恋人だか、お后候補の女性に泣かれる心配はない。
大人しくなった猫に、ルベウスは安堵しつつ、寝台から少し離れた所にあった椅子の傍まで歩み寄った。背もたれにかかっていた自分の上着を座面の上に敷いて、その上にそっとディアナを降ろした。
「腹を空かせて庭をうろついていたくらいだ、行くところが無いんだろう。ここにいると良い」
――――絶対、嫌。
じっと自分を見返す猫の反抗的な眼差しに、ルベウスはそれでも優しく語りかけた。
「今夜は雨が降るというからな。出て行っては駄目だぞ」
――――の、軒下と手があるわ!
ただ、恐ろしく寝心地が悪い事を、ディアナは知っている。少なくともふわふわの柔らかな座面もなければ、体を包んでくれる服もない。ついでに言うと、何だかいい香りもする。
悩んでいる間に、彼は傍を離れていった。そして、薄暗い室内を進み、寝台の上にそっと座る。休んでいる女性を気遣っているのが分かる。
よっぽど大事な女性なのだろう。
自分が死んで、ようやく好きな女性を傍に置くことができたに違いない。
何しろ、堅実なルベウスには夥しい数の縁談が持ち込まれてもいた。
それを権力で蹴散らしたから、彼がいかに女に人気があるか良く知っている。
ふいに、ディアナはちくりと胸が痛んだ。
野良猫にも、好きな女性にも、ルベウスは本当に優しかった。彼の本来の姿はこちらなのだ。
――――私は嫌われるような事しかしなかったから、仕方が無いわね。
そう思いつつも、何だかますます気分が落ち込んだ。ただ、ここでまた飛び出したりすると、かえって二人の邪魔になる。ルベウスは彼女を起こそうとする様子はない。彼も寝たら改めて出ていこうと、ディアナはその場に丸まって、目を閉じ、そのまま眠りに落ちてしまった。
その後も、室内はずっと静寂に包まれていた。
ルベウスは何も言わなかった。
傍らに横たわっている女性を見つめ、やがて、もう何度目か分からない言葉をかけた。
「……お休み、ディアナ」
固く冷たい地面の上ばかりで寝ていたせいで、腕の中の温もりがずいぶんと心地よいと思ってしまっただけだ、と。
ついうっとりとしていたせいで、頭上で続けて交わされていた会話を聞き逃し、そうしている間にルベウスがジェミナイを伴って移動を始めた。
抜け出す間を逃したディアナは、今度はどこに行く気だと戸惑いながらも、もう少し中の様子が見られる好機ということもあって、結局そのまま大人しく腕の中に止まった。猫の姿で良かったと心から思いつつ、廊下をきょろきょろと見回す。
自分が死んで時間が経っているせいか、見た限りでは平時の頃と何ら変わらない。ルベウスに気づいた侍女達が道を開けて頭を下げる様子も、ごく自然だ。彼をこの王宮の主と認めているのだろうと、ディアナは少しほっとしつつ、最期まで傍にいてくれた侍女の姿がどこにも見当たらない事が気にかかった。
――――あの子、どうしているかしら。
いつもディアナの事を気にかけてくれた、心優しい侍女だった。
可愛くて、表情がくるくると良く変わる愛らしい子だ。もう少し長く生きていられたら、良い嫁ぎ先を見つけてやりたかった。ただ、ルベウスの事が何故か大嫌いだったから、彼に遺言で頼むわけにもいかず、宰相に任せていた。ルベウスに代替わりするのを嫌って、王宮を去ったのかもしれない。
結局、二人が王宮の一室に入るまで、可愛い侍女を見つけることはできなかった。
「では、おやすみなさいませ」
「ああ」
―――――は?
ディアナは目を点にしたが、ジェミナイは一礼してさっさと去っていく。固まっている間に、彼はさっさと室内に入った。
一度も使った事のない、夫婦の寝室である。
彼は近い将来、国王になる男であるから、寝室をここに移していた所で驚く事ではない。ディアナはルベウスと結婚した時、当初から寝室を分けていたが、国王夫妻の寝室は空のままにして、彼にも別室を使わせた。
自分が死んだ後、彼の正妃となる女性に気まずい思いをさせないためだ。
調度品や寝台も二人が結婚した時に好きな物を選べばいいと思ったし、どうせ自分達は使わないから、もったいないと、用意させなかった。
ただ、すでに室内には寝台と調度品がいくつか運びこまれていた。二人は寝られそうな大きな寝台で、ディアナは準備がいいと思ったが、ぎくりと身を固くした。
薄暗い室内で、はっきりと容姿は見えないが、誰かが寝台の上で寝ている。顔も容姿もはっきりとしないが、ぼんやりと見える体型からして、女だ。
――――ねえ、待って。これはまずいわ!
焦ってじたばたと暴れると、ルベウスが驚いたように抱きしめた。
「落ち着け、大丈夫だ。彼女は猫嫌いとは聞いていない」
―――――いやいやいや、貴方、正気⁉ 私は前妻よ!
いや、猫だ。
現実を思い出し、ディアナはぴたっと止まった。
まさか自分が気まずい思いをすることになるとは思わなかったが、少なくともルベウスの恋人だか、お后候補の女性に泣かれる心配はない。
大人しくなった猫に、ルベウスは安堵しつつ、寝台から少し離れた所にあった椅子の傍まで歩み寄った。背もたれにかかっていた自分の上着を座面の上に敷いて、その上にそっとディアナを降ろした。
「腹を空かせて庭をうろついていたくらいだ、行くところが無いんだろう。ここにいると良い」
――――絶対、嫌。
じっと自分を見返す猫の反抗的な眼差しに、ルベウスはそれでも優しく語りかけた。
「今夜は雨が降るというからな。出て行っては駄目だぞ」
――――の、軒下と手があるわ!
ただ、恐ろしく寝心地が悪い事を、ディアナは知っている。少なくともふわふわの柔らかな座面もなければ、体を包んでくれる服もない。ついでに言うと、何だかいい香りもする。
悩んでいる間に、彼は傍を離れていった。そして、薄暗い室内を進み、寝台の上にそっと座る。休んでいる女性を気遣っているのが分かる。
よっぽど大事な女性なのだろう。
自分が死んで、ようやく好きな女性を傍に置くことができたに違いない。
何しろ、堅実なルベウスには夥しい数の縁談が持ち込まれてもいた。
それを権力で蹴散らしたから、彼がいかに女に人気があるか良く知っている。
ふいに、ディアナはちくりと胸が痛んだ。
野良猫にも、好きな女性にも、ルベウスは本当に優しかった。彼の本来の姿はこちらなのだ。
――――私は嫌われるような事しかしなかったから、仕方が無いわね。
そう思いつつも、何だかますます気分が落ち込んだ。ただ、ここでまた飛び出したりすると、かえって二人の邪魔になる。ルベウスは彼女を起こそうとする様子はない。彼も寝たら改めて出ていこうと、ディアナはその場に丸まって、目を閉じ、そのまま眠りに落ちてしまった。
その後も、室内はずっと静寂に包まれていた。
ルベウスは何も言わなかった。
傍らに横たわっている女性を見つめ、やがて、もう何度目か分からない言葉をかけた。
「……お休み、ディアナ」
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