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三女コレットの道

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 王都の往来を歩きながら、二人はずっと手を繋いでいた。いずれコレットが恥ずかしがるだろうから一時の事かと思っていたライナスだが、彼女は手を離さなかったのだ。

 そして、不意にぎゅっと強く縋るように握り締めてきた彼女に、ライナスが目を細めた時、往来から悲鳴が聞こえた。にわかに警護兵達が身構え、声がした方へと注意が向く。

 見れば、数人の男たちが殴り合いの喧嘩を始め、それを制止する者達や怯える女性たちの悲鳴の声が大きくなっていく。

「あれは他の者を巻きこみそうだな。何人か行って、止めてこい」

 ライナスの命令を受けて、兵達が数人その場を離れたが、喧嘩をしていた男達が新手だと思ったのか、ひどく興奮したまま向かってきた。さすがに一般市民を相手にすぐに剣を抜くのもはばかられ、兵士達は素手で引き倒したが、その場は一気に大騒ぎになった。

「まったく……仕方がない奴らだな。コレット、ちょっとここで待っていてくれ」

 ライナスは閉口して、ようやくコレットの手を離したが、彼女の顔から血の気が引いていた。

「だめよ。危ないわ」
「たかが喧嘩だろう。すぐに鎮めてやる。私なら大丈夫だ、こんなことは慣れている」

 そう軽く笑って、ライナスはコレットの傍に護衛兵を数人残すと、他の部下達と共に割って入った。身元を明かせばすぐに鎮まるかに思われたが、そうなるとこの後散策どころではなくなる。

 卓越した武勇で知られるライナスならば、問題はないはずだった。

 そんな兵達の油断を見透かしたかのように、ライナスが自らやって来るのを見ていた男の一人が、喧騒に紛れて、ゆっくりと着実に彼に近づいた。

 男達は誰一人として武器らしきものを持っていなかったが、その男がライナスの前にたどり着いた瞬間、刃が白日の下に晒された。服の袖の中に隠し持っていたそれを、だが男は周囲の兵達に一切悟らせる事無く握り締める。

 ライナスの目が喧嘩をしている男たちの方へと向いている事を確かめて、男は一言たりとも言葉を発することなく、静かに、彼の横を通過した。

 すれ違いざまに振るった刃が標的のもとに届いたことを確かめて、男はそのまま人ごみの中へと紛れ込んで消えた。

 ライナスは動かなかった。

 異変に真っ先に気付いたのは、コレットだった。

「――――ねえ、どうしたの……?」

 震える声で声をかけたが、彼は立ち止ったまま、ぴくりとも動かない。次いで兵達が主君を見返し、彼の利き腕に近い右腕から赤黒い血がじわじわと広がっていくさまを見た。

 そして、ゆっくりとライナスの足からゆっくりと力が抜け、崩れ落ちるようにして倒れた。

 往来に響き渡ったコレットの絶叫と、兵士達の悲鳴が響き渡り、往来の人々もまた騒然となる。そんな中、喧嘩をしていたはずの男たちは、騒ぎに驚いたかのような態を取って争いをやめ、ライナスの身体からおびただしい量の出血があるのを確かめて、任務の完遂を確信し、彼らもまた姿をくらました。



 一週間後――。

 ライナスが凶刃に倒れた一報を聞いた宗主国から、再び使者が訪れた。王宮の謁見の間で応対に出たのは、妃であるコレットである。傍には大勢の護衛兵やライナスの直臣たちが顔を揃えていたものの、誰もがみな暗い表情を隠せずにいたし、コレットは最たるものだった。

 見るからに憔悴しきった彼女に、王の使者は同情の眼差しを向けた。

「この度の一件、さぞご心痛かと存じます。陛下も胸を痛めておいででした。心よりお見舞い申し上げます」
「……えぇ。気遣ってくれて、どうもありがとう」

「リーシュ王陛下のご容体は、いかがでしょうか」

「残念だけど……まだ目を覚まされないわ。右肩の……胸の近くを刺されてしまって、医師の話では助かっても、また剣を持てるかどうか分からないそうよ。騎士として致命的な傷を負われたから、仕方がないわね」

 コレットの暗い眼差しは、この国に来て初めてのものだった。目は泣き腫れて声に力はなく、憔悴しきった姿は、まるで糸の切れたマリオネットのようだ。

 何を言っても、言葉少なに返すだけの姿に、使者は気遣う姿勢を最後まで崩さなかった。あくまで嫁いだばかりの末姫に降りかかった悲劇を悼んだ。

 そして、帰路につく時になって、使者は街の人々が口々にコレットを詰る声を聴く。

「本当に……リーシュ陛下は、とんだ方を娶られたものだよ。なんでも喧嘩に巻きこまれたというが、よもや王妃殿下の手先だったんじゃないか?」

「ありえる話だ。これを機に、我が国を乗っ取る気かもしれないぞ……本国では、上の姫たちと併せて《悪女三姉妹》と呼ばれているそうじゃないか。きっと本性を見せ始めたんだよ。リーシュ様は、偽りの姿に騙されたのかもしれないぞ」

 そんな他愛の無い噂を聞いた使者は、満足そうな笑みを浮かべた。

 リーシュ王は気の優しい所があるのか、コレット王女に寛大な様子を見せているという話だったが、自分達の王は決して甘い男ではない。

 コレットがリーシュ王の元に嫁いで逃げたとしても、祖国の刃はいつでも届く。今回は速攻が要であり、剣の拘束が必要な王家の《毒》を使うには至らなかったが、それでも十分な成果をおさめたと言えた。リーシュ王は一命をとりとめるかどうかも微妙なようだが、その間は妃であるコレットに権限が移る。

 まだ嫁いで間もなく、周囲の者達の信を得ていないコレットが頼れるものは、祖国しかない。

『リーシュがこのまま死ねばよし。死なずとも深手を負った身では、何もできないだろう。娘の《治癒》の力を求めて縋ってくれば、それも良い。いずれにせよ、あの男は終わりだ。コレットは今後、よい傀儡になるだろう。せいぜい甘言を振りまいて慰めてこい』

 それが国王の命令だった。

 良い報告ができそうだ――――使者はほくそ笑み、王都を後にした。



 使者を乗せた馬車が王都を出た旨の知らせを、ライナスの臣下から受けたコレットは、小さく頷いてみせた。侍女達を伴って王宮の廊下を進んだが、脇へと控えた王宮の者達の視線は鋭い。

 静かに怒りをため、だがけして表に出すまいとしている彼らの努力を感じながら、コレットは最奥へと進む。

 そして、扉をそっと開けた瞬間――――腕を掴まれて中に引きずり込まれ、両腕で力強く抱きしめられた。

「大丈夫か、コレット。何もされていないだろうな⁉」

「えぇ、もちろんよ。私はまだ利用価値がある者だから、大丈夫だと言ったでしょう? 好き勝手な事を言ってくるのも、いつもの事だわ。それに、みんなが傍にいてくれたから心強かったわ」

 今にも泣きだしそうな、それでいて怒りをぶちまけそうな夫に、コレットは微笑んだ。そして、疲労困憊した顔をしている彼の部下達を見て、さぞかし必死で宥めてくれたのだろうと理解する。

 優しく微笑むコレットを見つめ、ライナスはぎりぎりと奥歯を噛み締めた。

 見舞いと称して、様子をうかがいに来る使者の目から逃れるため、病床にある態をとらなくてはいけなかったから、ライナスが出来たことは限られていた。

 軍の中でも選りすぐりの精鋭を護衛につけたり、コレットの目を泣き腫れたものにさせるために、彼女が涙を流して笑うような話をしたりしたが、それでも心配は尽きないというものだ。

 それこそ愛する可愛い妻を、王宮の奥深くに秘めて大事に守ってやりたいが、深窓の令嬢のごとく、奥の部屋に放り込まれたのは自分である。そして、甲斐甲斐しく愛妻を守っていたのは、自分の部下達ばかりだ。

 悔しいったらない。

「どうしてそこに私がいてはいけないんだ。やはり納得がいかない」
「貴方が無傷だと分かってしまうからよ?」

 コレットは父王がいかに執念深く残忍な男か、知っている。王家の毒に対しては引き続き警戒しなければならないが、あれは空気に触れると弱毒化するという弱点もある。そして、一度試みて失敗した手段を《盾》は滅多に使わない。

 だが、必ずまた襲ってくると、二人で読んでいた。

 ライナスは今までも何度となく跳ね返してきたし、警戒しつつも恐れてはいなかったが、周囲の者が巻き込まれて犠牲になるという懸念がないわけではない。結婚式を終えて、二人が最も幸せで浮かれているであろう頃、《盾》にまた命を下すに違いなかったし、それは間違っていなかった。

 二人に迫る危険を密かに知らせてくれたのは、やはり二人の姉達だった。

 王に絶対的な忠誠を誓っているはずの《盾》と《剣》の若者をそれぞれ味方にしている二人の姉達は、父王の目論見を末の妹に教える事に何ら躊躇いなどなかった。

 だから、《盾》がいつどのように襲ってくるか、ライナスは知っていた。後はロベリアの《盾》が、己を刺すふりをした時に合わせて、胸に忍ばせておいた袋を押し開き、血糊を広げればいいだけだ。

 それはライナスにしてみれば他愛もないことであったが、彼を待っていたのは傷を負う事よりも遥かに大きな苦痛である。

「だから、また騎士に化ければ良いと言ったじゃないか。絶対に、誰も気にしないぞ。騎士団長がだめなら、ただの一兵卒はどうだ?」

 部下一同は全員耳を疑ったし、コレットは一蹴した。

「それこそ無理よ。貴方の威圧感は相当のものだったわよ? 借金取りどころじゃなかったわね」
「借金……? 私にそんな経験はないぞ」

 いったい何のことだと目を丸くするライナスに、つい想像したらしき部下達が一斉に吹き出したものだから、彼は思いっきり睨みつけてやった。そんな人々に、コレットもくすくすと柔らかく笑った。

「それよりも、陛下は私を傀儡にする気のようだわ。弱っている所に付けこもうとしているのが、みえみえだったわね」
「……相変わらず、貴女を自分の道具としか思っていないようだな」

「そういう人なのよ」

 そう返した彼女の声は冷たい。

 ライナスに愛され、彼の国の人々の温もりに包まれたコレットに、もう父への思いなどない。

 コレットは治癒の力を失い、力が還ることはない。

 だが、父王もまた便利な道具だけでなく、娘を一人失ったのだ。親子の情が還ることもない。
 親が子の所有物だといつまでも勘違いしている男には、そう思わせておけばいい。親には親の人生があり、子には子の人生があるのだ。

「……この国は渡せない」
「分かっているわ。貴方の思うままにして。それまで、私が前に立つわ」
「……コレット……」

 生まれ育った祖国と敵対することになる妻に、気遣う視線を向けたライナスだったが、コレットの目にもう迷いはなかった。

「貴方やこの国は少し目立ち過ぎたのよ。それに、まだ敵う相手じゃない。だから、今は息をひそめて、力を溜める絶好の機会だわ。私はあの人を油断させるために、祖国をだますために、いくらでも『嘘』をつく」

「民は何も知らない。……貴女への謗りは避けられないぞ」

「好きにするといいのよ。そもそも、私は宗主国の出の王族だもの、言われるだけの事はしている。それに、私は姉達と共に悪女と言われてきた女よ。いまさら何と言われようとも、かまわないわ。その代わり―――」

 コレットは強い眼差しで、更に告げた。

「――――あの男を、国王の座から降ろして」

「あぁ、必ず」

 ライナスが治める国はもちろんのこと、属国の君主たちは宗主国のあまりの横暴に耐えかねていたが、反抗する力はなかった。そんな中、まだ年も若く、権力闘争を生き抜き、戦にはめっぽう強い。そんな意気盛んなライナスに期待を寄せる者も多かった。  

 そんな彼が宗主国の姫を娶ったという事実は、宗主国に頭を押さえつけられたという見方を示す者も多かったし、彼への目が厳しくなったのもまた事実だった。

 だが、ライナスはそんな誹りなど意に介さない。

 妻を守るために、祖国をより良い方向へ導くために、何が必要なのか、彼にはもう分かっていた。そして、そのことを結婚式をあげる前に、コレットにも打ち明けていた。

 彼女もまた彼の話を聞いて、即座に応じた。それこそが『上に立つ者の責務』だと、後押ししてくれた。

 今もまた、ライナスを見返すコレットの目に迷いはない。

「どちらの国のためにも戦いましょう」

 そう告げて、優しく微笑んだ。


 私の傷は生涯、消えることはないだろう。
 本来、失ったものは還らない。私達の異能は一時にそれに抗えても、必ず終わりがくる。

 でも、身も心も傷ついた過去も、失って戻る事のない治癒の力も、私の糧になったとライナスは教えてくれた。

 私は愛する夫のために、彼が大切にしている人々や仲間のために、祖国から守る《盾》となる。
 いつか彼らが研ぎ澄ました《剣》が、祖国に巣くった穢れを祓う時まで。

 私は、いくらでも《悪女》となろう。

 後の世で私の事を誰が何と言おうとも、かまわない。異能の力を持つ《聖女》でも、傾国の《悪女》でも、なんでもいい。

 私は、沢山の秘めた思いを胸に抱えて。
 離れて暮らす姉たちと共に、王族の責務を背負いながら。
 この恋がかなう日がくると信じて、より深い愛となる日を迎える事を祈って。
 私たち三姉妹の力が、いつの日か祖国を《治癒》してくれることを願って。

 私はライナスと一緒に、今日も一歩ずつ、前へと進む。

【了】
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