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コレットを笑顔にしたい
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身支度を整えて、簡単に食事を済ませると、コレットはライナスと共に王都の街へと遊びに出かけた。無論、ここは現実世界であり、本の中のように二人きりで好き勝手に出歩くというわけにはいかない。
どうしても大勢の護衛が付き従い、なんとも仰々しいものになる。ライナスは辟易としつつも、コレットが護衛を気にせずに興味津々に街の様子を見ているので、一安心した。
なによりも本の中ではあっという間に散策を終えてしまった彼女だったが、今はよく足を止めてみたり、ライナスに仔細を尋ねたりもしてきた。その表情は穏やかで、目は輝いているように見えた。
祖国では姉達よりも外に出してはもらえていたようだったが、それも限定的なものだったのだろう。初めてみる異国の地は、珍しい物も多いのだろうと思ったし、彼女が自国に関心を抱いてくれているのが嬉しい。
街をしばらく進んでから、ライナスはまた、かつての質問を尋ねてみることにした。
本の中にいる時と同じく、彼女は何も買おうとしないからだ。身一つでやって来たコレットだが、自国に来てから服や装飾具など、必要なものは買い揃えていた。それでも、取り急ぎ用意したものであったし、ゆっくりと選ぶのもままならなかったはずだ。
ライナスの妃となった彼女には、自由裁量で使える多額のお金が政府から支払われていたし、コレットはそれも承知のはずだというのに、相変わらず何も欲しがろうとしない。
「コレット。何か欲しいものはないか?」
「無いわ。服もたくさん用意してもらえたし、食事も済ませてきたから十分よ。ありがとう」
コレットは穏やかな声で答えつつ、前の事もあってか、手を煩わせまいと思うらしく、先手を打ってくる。ライナスはぐっと詰まったが、周囲で聞いている護衛達は密かに感心していた。
宗主国の末姫である彼女は、立場こそライナスの正妃となったが、実家の権力を考えればもっと偉ぶってもおかしくないはずだった。だが、コレットは与えられたものを素直に喜んで受け取り、下々の者にも傲慢なふるまいは一切しない。むしろ丁寧すぎるほどである。
この国に来てからずっと、彼女はライナスと共に過ごすことだけに幸せを感じているようだった。
王宮でのコレットの評判は上々であったものの、主君はいささか物足りない。
口を開けば、コレットに愛を囁き、彼女がいかに素晴らしいか周囲に吹聴する始末である。ただ、そんな彼のいささか度を越した愛情も、コレットはまだ少し気恥ずかしいのか遠慮がちになる事もあった。
だから、悩まし気な顔をしたライナスに、周囲の人々は静観を決めこみつつも、視線で後押しする。
我が王よ、そこまで惚れているのなら挫けるな、と全員の目が物語っていた。
「よし分かった。では、やはり、まだ私の身体が――――」
「それは、白昼堂々、人様の前で言っていい事じゃないわよね?」
コレットはすかさず、彼が言いかけた爆弾発言を寸前で制止する。この時ばかりは、一瞬にして周囲の気温がすっと下がり、兵士達は何度もこっそりと首を縦に振った。おっしゃる通りです、と誰もが思う。
「……分かった。それは後だな」
ライナスは憮然とした顔をしつつも、腕を組んでまた悩んでいる。そんな彼を見つめ、コレットは何だか申し訳なくなってきた。
ドレスも装飾具も十分すぎるくらいだと思っていたし、お腹も空いていないから、欲しいものは無いというのは嘘ではない。でも、ライナスはずっと気遣ってくれているし、断り続けるのも逆に気がきかないのかもしれない。本の中のディア王女は自分の感情に素直すぎるくらいの人で、コレットはこれで王女かと呆れた事もあったが、喜怒哀楽をはっきりと外に出せるのは羨ましいと思ったものだった。
「あの……でも、よく考えてみたら何かきっと……あると思うわ?」
「待ってくれ。これは、私が貴方の夫としての能力を試されているに違いない。私がなんとかしなければ」
いつの間にそんな事になっているんだと、コレットは目を丸くしている間も、ライナスは眉間に皺を寄せつつ、唸る。
コレットは二人きりの時は素直になってきていたし、よく笑う。でも、人前ではまだ表情にぎこちなさがあった。見知らぬ地に嫁いで間もないだけに無理もないことかもしれないが、彼女自身、抑圧されてきた身であるために、あまり素直に感情を出すのは得意ではないのだろうとも思った。
母を亡くし、彼女と親しい関係にありそうだった次姉ともなかなか会えない。あの父王や、自制心の高そうなロベリアを前にして、わがままなど言えた事などなかったはずだ。
何を買ってあげたら、彼女は喜んでくれるだろう。
ライナスは考え続けてきたが、ふと愛妻が目の前で少し表情を曇らせている事に気づいた。自分を思い悩ませている事が心苦しいのだろう。
「……歩きながら、考えてみる。何かあるはずだ」
「えぇ」
明らかにホッとした顔をしたコレットに、ライナスは髪をくしゃりとかいた。答えは既に、目の前にあったのだ。再び歩き出そうとした彼女を呼び止めて、ライナスは手を差し出した。
「一緒にでも、いいか?」
「…………」
コレットは求められている事が分かり、頬を薄っすらと赤く染める。そして少しばかり躊躇いがちに、それでいて嬉しそうに、ライナスの手に自分の手を重ねた。
ライナスがそのまま指を絡めて握り締めると、華奢な細い指が弱弱しくも握り返してくる。そして、コレットは、はにかみながらも心から嬉しそうに――――笑った。
「わたしたち、あの伝書鳩みたいね」
彼女が次姉との連絡役として使っていた二羽の伝書鳩は王宮で大切に世話をされていたが、相変わらず仲良く寄り添っていた。コレットの例えは独特ではあったが、彼女が喜んでくれていることは伝わってきて、ライナスもまた微笑みを浮かべた。
「その通り。供にいることが肝心だ」
手を繋ぎながら仲良く歩き出した新婚夫婦に、警護兵達もまた表情を緩めて後に続いた。
しばらく、穏やかな時間が続いた。
そして、しばらく話をしながら歩いている内に、コレットの目にとまるものが出てきた。それはほんの僅かな反応の違いだったが、注意深く彼女を見ていたライナスは気づいた。
彼女が気にかけたのは、書店だった。店先に並んだ沢山の本を気にしている彼女に理由を問うと、コレットは穏やかに微笑んだ。
「塔の中にいる姉様は、本をよく読むのよ。塔から中々出してもらえないせいもあるけれど、元々好きみたいね」
ライナスは、あの儚げな姫を思い起こした。旅立つコレットを笑顔で送り出してくれた、優しい女性だ。
「ロベリア王女が書いた本が紛れ込んでも、分からないな」
「えぇ、そうね。ロベリア姉様はあまり多くの事を私達に話してくれないけれど、私を本の世界に落としたくらいだから、もしかしたらそうかもしれないわ」
籠の鳥のような三姉妹だった。
ロベリアは自ら留まってやっていると言い、塔の姫は大人しく籠の中にいる。彼女たちが外の世界に飛び出した末の妹の幸せを願っていることだけは、ライナスも感じ取っていた。
やってきた店主に断って、店先に並んだ沢山の本を手に取ったライナスは、コレットにこう提案した。
「何冊か買って、送ってやるというのはどうだ?」
「え……? あ、そうね! 姉様もきっと喜んでくれるわ」
自国のものはもう読み終わってしまったかもしれないが、この国でしか手に入らないものだってあるはずだ。ライナスに姉が好みそうな話の物を尋ねると、彼は店主に聞きながらではあったが、すぐに数冊選んでくれた。
コレットにとって初めての買い物となったが、コレットは包装紙で包まれた本を大事そうに受け取って、店を出ても、いつになく嬉しそうだった。
離れて暮らすことになっても、やはり姉達の事は心の中でずっと思っていたからだ。
「とてもいい買い物ができたわ。ありがとう。貴方、本に詳しいのね」
「意外だろう?」
コレットは思わずライナスを頭の上から足まで見て、勇猛果敢な騎士としか見えない夫を前にして、顔をひきつらせた。
「そ……そんな事は、ないわよ?」
「恋愛小説を愛読していた」
「意外だわ!」
我慢できずに目を丸くしたコレットに、ライナスは澄ました顔で、
「妹がな。だから、よく買いに行かされたんだ」
と言って笑った。
彼にしてやられたと思ったコレットだが、黙って聞いていた部下達が、なんとも生暖かい目で見ている。不思議に思っていると、ライナスの目が泳いだ。
「まぁ……私も付き合って読まされたのは、事実だ。後で感想を求められるから、読んだ振りもできなくてな」
「それだけなの?」
つい問いかけてしまったのは、間違いではないと思った。なにしろ、部下達が一斉に強く頷いたからだ。ライナスはさらに落ち着きを無くし、頬を薄っすらと赤く染めた。
「……泣いてはいない。妹ほどには」
「でも、泣いたのね」
「……多少は。まったく報われない、悲恋があったんだ。可哀想でな。作者を探し出して、もう少し何とかならないのかと文句を言いたいほどだった。いっそ私が書いてやろうかと思ったが、いかんせん文才がない」
相当気恥ずかしいのか、渋々といった様子でライナスに、部下達は揃って納得した顔である。そんな彼らを軽く睨む夫に、コレットはくすくすと笑った。買い物など必要最低限のものを買い揃えるだけの行為と思っていたが、ライナスと一緒だとなんでも楽しく思えた。
「今度、私にもその本を貸してくれる? 読んでみたいわ」
「それはかまわないが、貴女が悲しんで泣く姿は見ていて辛い」
「でも、どうしても泣いてしまうような本なんでしょう?」
コレットの指摘は最もだが、ライナスはまた真顔で考え始めた。
「……よし。ではこうしよう。貴女がまず本を読む。そして、好きなだけ泣く。ハンカチは必須だ」
「決定事項なのね」
「あぁ。そこにすかさず、私が笑い話をして大笑いさせて、楽しい涙に変えるというのはどうだ。目が泣き腫れるくらいにしてやるぞ」
名案だと言わんばかりの彼だが、コレットは閉口した。
「せっかくの雰囲気をぶち壊す気なの?」
「そっちの方が気分が良いだろう。私は笑い話をするのは得意だ。なにしろ人に言えないような失敗を、山のようにしてきている。どれを言っても、笑われなかった試しがない」
平然と言い放ったライナスに、もう黙っていられなくなったのが、彼の部下達である。
「リーシュ陛下。それはあまりに数が多すぎて一晩中語り続けても、終わらないのではありませんか」
「妃殿下が笑い過ぎて、腹痛を起こされてしまうかもしれませんから、おやめになられたが良いのでは……」
と、言うところまでは良かったが、
「幻滅されて、離縁となったらいかがされますか。一大事です!」
と、違う方向にも真剣し、最終的には意を決したようにコレットに話しかけてきた。
「どうか、陛下の良い所だけを見てくださるよう、お願いいたします。たくさんありますから!」
みんな揃って心配するものだから、ライナスは憤慨したが、コレットが「あらあら」と言いながらも声を上げて、部下達と一緒に笑い出したので怒りを解いた。
コレットが笑ってくれたのはもちろん嬉しかったが、部下達と愛妻の距離が少しでも縮まった事が、彼を安心させた。
散策を続ける中で、コレットの表情は更に柔らかくなったし、それを最も分かっているライナスなど、言うに及ばない。二人の周囲には大勢の護衛がいて、そのまま過ごしても何の障りもないはずだった。
どうしても大勢の護衛が付き従い、なんとも仰々しいものになる。ライナスは辟易としつつも、コレットが護衛を気にせずに興味津々に街の様子を見ているので、一安心した。
なによりも本の中ではあっという間に散策を終えてしまった彼女だったが、今はよく足を止めてみたり、ライナスに仔細を尋ねたりもしてきた。その表情は穏やかで、目は輝いているように見えた。
祖国では姉達よりも外に出してはもらえていたようだったが、それも限定的なものだったのだろう。初めてみる異国の地は、珍しい物も多いのだろうと思ったし、彼女が自国に関心を抱いてくれているのが嬉しい。
街をしばらく進んでから、ライナスはまた、かつての質問を尋ねてみることにした。
本の中にいる時と同じく、彼女は何も買おうとしないからだ。身一つでやって来たコレットだが、自国に来てから服や装飾具など、必要なものは買い揃えていた。それでも、取り急ぎ用意したものであったし、ゆっくりと選ぶのもままならなかったはずだ。
ライナスの妃となった彼女には、自由裁量で使える多額のお金が政府から支払われていたし、コレットはそれも承知のはずだというのに、相変わらず何も欲しがろうとしない。
「コレット。何か欲しいものはないか?」
「無いわ。服もたくさん用意してもらえたし、食事も済ませてきたから十分よ。ありがとう」
コレットは穏やかな声で答えつつ、前の事もあってか、手を煩わせまいと思うらしく、先手を打ってくる。ライナスはぐっと詰まったが、周囲で聞いている護衛達は密かに感心していた。
宗主国の末姫である彼女は、立場こそライナスの正妃となったが、実家の権力を考えればもっと偉ぶってもおかしくないはずだった。だが、コレットは与えられたものを素直に喜んで受け取り、下々の者にも傲慢なふるまいは一切しない。むしろ丁寧すぎるほどである。
この国に来てからずっと、彼女はライナスと共に過ごすことだけに幸せを感じているようだった。
王宮でのコレットの評判は上々であったものの、主君はいささか物足りない。
口を開けば、コレットに愛を囁き、彼女がいかに素晴らしいか周囲に吹聴する始末である。ただ、そんな彼のいささか度を越した愛情も、コレットはまだ少し気恥ずかしいのか遠慮がちになる事もあった。
だから、悩まし気な顔をしたライナスに、周囲の人々は静観を決めこみつつも、視線で後押しする。
我が王よ、そこまで惚れているのなら挫けるな、と全員の目が物語っていた。
「よし分かった。では、やはり、まだ私の身体が――――」
「それは、白昼堂々、人様の前で言っていい事じゃないわよね?」
コレットはすかさず、彼が言いかけた爆弾発言を寸前で制止する。この時ばかりは、一瞬にして周囲の気温がすっと下がり、兵士達は何度もこっそりと首を縦に振った。おっしゃる通りです、と誰もが思う。
「……分かった。それは後だな」
ライナスは憮然とした顔をしつつも、腕を組んでまた悩んでいる。そんな彼を見つめ、コレットは何だか申し訳なくなってきた。
ドレスも装飾具も十分すぎるくらいだと思っていたし、お腹も空いていないから、欲しいものは無いというのは嘘ではない。でも、ライナスはずっと気遣ってくれているし、断り続けるのも逆に気がきかないのかもしれない。本の中のディア王女は自分の感情に素直すぎるくらいの人で、コレットはこれで王女かと呆れた事もあったが、喜怒哀楽をはっきりと外に出せるのは羨ましいと思ったものだった。
「あの……でも、よく考えてみたら何かきっと……あると思うわ?」
「待ってくれ。これは、私が貴方の夫としての能力を試されているに違いない。私がなんとかしなければ」
いつの間にそんな事になっているんだと、コレットは目を丸くしている間も、ライナスは眉間に皺を寄せつつ、唸る。
コレットは二人きりの時は素直になってきていたし、よく笑う。でも、人前ではまだ表情にぎこちなさがあった。見知らぬ地に嫁いで間もないだけに無理もないことかもしれないが、彼女自身、抑圧されてきた身であるために、あまり素直に感情を出すのは得意ではないのだろうとも思った。
母を亡くし、彼女と親しい関係にありそうだった次姉ともなかなか会えない。あの父王や、自制心の高そうなロベリアを前にして、わがままなど言えた事などなかったはずだ。
何を買ってあげたら、彼女は喜んでくれるだろう。
ライナスは考え続けてきたが、ふと愛妻が目の前で少し表情を曇らせている事に気づいた。自分を思い悩ませている事が心苦しいのだろう。
「……歩きながら、考えてみる。何かあるはずだ」
「えぇ」
明らかにホッとした顔をしたコレットに、ライナスは髪をくしゃりとかいた。答えは既に、目の前にあったのだ。再び歩き出そうとした彼女を呼び止めて、ライナスは手を差し出した。
「一緒にでも、いいか?」
「…………」
コレットは求められている事が分かり、頬を薄っすらと赤く染める。そして少しばかり躊躇いがちに、それでいて嬉しそうに、ライナスの手に自分の手を重ねた。
ライナスがそのまま指を絡めて握り締めると、華奢な細い指が弱弱しくも握り返してくる。そして、コレットは、はにかみながらも心から嬉しそうに――――笑った。
「わたしたち、あの伝書鳩みたいね」
彼女が次姉との連絡役として使っていた二羽の伝書鳩は王宮で大切に世話をされていたが、相変わらず仲良く寄り添っていた。コレットの例えは独特ではあったが、彼女が喜んでくれていることは伝わってきて、ライナスもまた微笑みを浮かべた。
「その通り。供にいることが肝心だ」
手を繋ぎながら仲良く歩き出した新婚夫婦に、警護兵達もまた表情を緩めて後に続いた。
しばらく、穏やかな時間が続いた。
そして、しばらく話をしながら歩いている内に、コレットの目にとまるものが出てきた。それはほんの僅かな反応の違いだったが、注意深く彼女を見ていたライナスは気づいた。
彼女が気にかけたのは、書店だった。店先に並んだ沢山の本を気にしている彼女に理由を問うと、コレットは穏やかに微笑んだ。
「塔の中にいる姉様は、本をよく読むのよ。塔から中々出してもらえないせいもあるけれど、元々好きみたいね」
ライナスは、あの儚げな姫を思い起こした。旅立つコレットを笑顔で送り出してくれた、優しい女性だ。
「ロベリア王女が書いた本が紛れ込んでも、分からないな」
「えぇ、そうね。ロベリア姉様はあまり多くの事を私達に話してくれないけれど、私を本の世界に落としたくらいだから、もしかしたらそうかもしれないわ」
籠の鳥のような三姉妹だった。
ロベリアは自ら留まってやっていると言い、塔の姫は大人しく籠の中にいる。彼女たちが外の世界に飛び出した末の妹の幸せを願っていることだけは、ライナスも感じ取っていた。
やってきた店主に断って、店先に並んだ沢山の本を手に取ったライナスは、コレットにこう提案した。
「何冊か買って、送ってやるというのはどうだ?」
「え……? あ、そうね! 姉様もきっと喜んでくれるわ」
自国のものはもう読み終わってしまったかもしれないが、この国でしか手に入らないものだってあるはずだ。ライナスに姉が好みそうな話の物を尋ねると、彼は店主に聞きながらではあったが、すぐに数冊選んでくれた。
コレットにとって初めての買い物となったが、コレットは包装紙で包まれた本を大事そうに受け取って、店を出ても、いつになく嬉しそうだった。
離れて暮らすことになっても、やはり姉達の事は心の中でずっと思っていたからだ。
「とてもいい買い物ができたわ。ありがとう。貴方、本に詳しいのね」
「意外だろう?」
コレットは思わずライナスを頭の上から足まで見て、勇猛果敢な騎士としか見えない夫を前にして、顔をひきつらせた。
「そ……そんな事は、ないわよ?」
「恋愛小説を愛読していた」
「意外だわ!」
我慢できずに目を丸くしたコレットに、ライナスは澄ました顔で、
「妹がな。だから、よく買いに行かされたんだ」
と言って笑った。
彼にしてやられたと思ったコレットだが、黙って聞いていた部下達が、なんとも生暖かい目で見ている。不思議に思っていると、ライナスの目が泳いだ。
「まぁ……私も付き合って読まされたのは、事実だ。後で感想を求められるから、読んだ振りもできなくてな」
「それだけなの?」
つい問いかけてしまったのは、間違いではないと思った。なにしろ、部下達が一斉に強く頷いたからだ。ライナスはさらに落ち着きを無くし、頬を薄っすらと赤く染めた。
「……泣いてはいない。妹ほどには」
「でも、泣いたのね」
「……多少は。まったく報われない、悲恋があったんだ。可哀想でな。作者を探し出して、もう少し何とかならないのかと文句を言いたいほどだった。いっそ私が書いてやろうかと思ったが、いかんせん文才がない」
相当気恥ずかしいのか、渋々といった様子でライナスに、部下達は揃って納得した顔である。そんな彼らを軽く睨む夫に、コレットはくすくすと笑った。買い物など必要最低限のものを買い揃えるだけの行為と思っていたが、ライナスと一緒だとなんでも楽しく思えた。
「今度、私にもその本を貸してくれる? 読んでみたいわ」
「それはかまわないが、貴女が悲しんで泣く姿は見ていて辛い」
「でも、どうしても泣いてしまうような本なんでしょう?」
コレットの指摘は最もだが、ライナスはまた真顔で考え始めた。
「……よし。ではこうしよう。貴女がまず本を読む。そして、好きなだけ泣く。ハンカチは必須だ」
「決定事項なのね」
「あぁ。そこにすかさず、私が笑い話をして大笑いさせて、楽しい涙に変えるというのはどうだ。目が泣き腫れるくらいにしてやるぞ」
名案だと言わんばかりの彼だが、コレットは閉口した。
「せっかくの雰囲気をぶち壊す気なの?」
「そっちの方が気分が良いだろう。私は笑い話をするのは得意だ。なにしろ人に言えないような失敗を、山のようにしてきている。どれを言っても、笑われなかった試しがない」
平然と言い放ったライナスに、もう黙っていられなくなったのが、彼の部下達である。
「リーシュ陛下。それはあまりに数が多すぎて一晩中語り続けても、終わらないのではありませんか」
「妃殿下が笑い過ぎて、腹痛を起こされてしまうかもしれませんから、おやめになられたが良いのでは……」
と、言うところまでは良かったが、
「幻滅されて、離縁となったらいかがされますか。一大事です!」
と、違う方向にも真剣し、最終的には意を決したようにコレットに話しかけてきた。
「どうか、陛下の良い所だけを見てくださるよう、お願いいたします。たくさんありますから!」
みんな揃って心配するものだから、ライナスは憤慨したが、コレットが「あらあら」と言いながらも声を上げて、部下達と一緒に笑い出したので怒りを解いた。
コレットが笑ってくれたのはもちろん嬉しかったが、部下達と愛妻の距離が少しでも縮まった事が、彼を安心させた。
散策を続ける中で、コレットの表情は更に柔らかくなったし、それを最も分かっているライナスなど、言うに及ばない。二人の周囲には大勢の護衛がいて、そのまま過ごしても何の障りもないはずだった。
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