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何かを得るために、何かを失う

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 コレットがライナスの国に来て三か月ほどたった日、二人は結婚式を挙げた。

 ライナスの国は裁縫の技術が進んでおり、急ごしらえであったはずなのに、ウェディングドレスはコレットの身体にぴたりと合った。
 生地には繊細な刺繍が施されながらも、裾や袖などの細部に至るまで技巧が凝らされて華があった。宗主国の姫と言う色眼鏡で見る者も少なからずいたが、大勢の人々の視線を集めても凛としていた美しい花嫁に、多くの人々は目を奪われた。

 ライナスは式場の誰よりも、コレットに魅入り、それこそ色々と賛辞を述べたいのをぐっと堪えているせいで、彼の方がいささか落ち着きがなかったと後で部下達から笑われたほどである。
誓いの口づけと共に教会の鐘が、盛大に鳴らされた。

 祖国の王都にも大きな鐘楼があり時を知らせてくれているが、この国の鐘は聞きなれたものとは少し違って音が高い。コレットは、国を離れて嫁いだのだという実感もこみあげてきたが、自分を見つめるライナスの穏やかな眼差しを前にして、寂寥感を抱くことはなかった。
 列席者の大半はライナス側の人間ばかりで、コレットの祖国からはお情け程度に王の臣下が数人派遣されてきただけだ。

 そんな彼らも居心地が悪いのか、式が終わると早々に帰国していった。

 だが、コレットにしてみれば、これで身も心も何もかも全て彼に捧げられたという喜びでいっぱいだった。ライナスの国は祖国よりも遥かに平穏で、自由だったからだ。


 結婚前からすでに身体を重ねていたが、初夜ともなると、ライナスは俄然張り切ったし、コレットは何度となく『愛している』と言われたものだった。翌日の朝、目が覚めた時も、夫婦の寝室のベッドの上で横たわりながら、彼から止まらぬ愛の言葉を告げられた。言われている方が何だか気恥ずかしくなって、コレットは身もだえしそうになった。

「も、もう良いわ……もう良いのよ……?」

「言いたりない。なにしろ本の中で、貴女を愛でようとしたり、『好きだ』と言ったりするたびに、いちいち時が止まったんだぞ。歯がゆくて仕方がなかった」

「だからって、その分言わなくても……」
「言わずに終わって、後で後悔したくないからな」

 散々、本の中で煮え湯を飲まされたからだけではない。若くして逝った妹から、教わったことでもある。短い人生を最大限に楽しんだ妹の信条だ。

 戦場に立ち、命を危険にさらすこともあるライナスも共感できるものだったが、みるみる内にコレットの瞳が不安で揺れた。またいつ《盾》が己を狙ってくるか分からないからだろうと察しもつく。

 だが、それをライナスは敢えて尋ねた。

「コレット、何を怯えている?」

 息を呑み、目を伏せ、沈黙した彼女をライナスは抱きしめた。強くはしない。己を律し、努力しようとしている時の彼女の心は繊細だ。だから、出来る限り包み込むように、鳥のつがいが伴侶にそっと寄り添うように、腕を絡め、励ます。

「……陛下が撤回しない限り、《盾》はずっと貴方を狙い続けるわ。それが……怖いの」

 ライナスの背に腕を回し、抱きしめてきたコレットに、彼は微笑みを浮かべた。

「そうか。では、私は生涯、鍛錬の相手をいちいち探さずに済むな。ありがたい。貴女のために、もっと強くなってみせるぞ」

「貴方って……本当に前向きよね」
「よく言われる。ただし、良くも悪くも、と付け加えられるがな」

 にっこりと笑ったライナスに、コレットは魅入った。

 むろん、ライナスとて何の悩みも無い訳ではないだろう。属国の王として立つまでの間に、彼は並々ならぬ努力をしただろうし、妹を失う不幸もあった。
 苦しいことも、悲しいこと。
 沢山の経験を重ねてきたからこそ、今の彼の心の強さがある。過去ばかり見て悔やむことの多かったコレットにとって、それは途方もない安心感を与えた。

 ライナスの心根の強さに惹かれる一方だ。だから、柔らかな笑顔を向けて、コレットも心から告げた。

「そんなところも含めて、貴方が好きよ」

 初めて告げられた愛の告白に、ライナスは息を呑み、食い入るように愛妻を見つめ、また泣きそうな顔をした。

「ようやく……私達も求愛の歌が届いたな」
「そうね。なんて嬉しい事かしら。鳥がいつも歌っているわけだわ」

 空を見上げれば、仲良く飛ぶつがいがいた。仲間たちを呼ぶ鳥がいた。一羽ではか弱い鳥たちは、地上に降りれば人間にかなうものではない。

 だが、いざ大空に舞い上がれば、空を飛べない人間の手は到底及ばない。

 誰もが自由に、好きな歌をうたうのだ。



 昼過ぎになってようやく寝室を出た二人は、身支度を整えた。ライナスはさすが戦人である事もあって、着替えは早い。そして、待たせてはいけないと焦るコレットの元にやってきて、至極楽しそうに手伝った。

「なんでそんなに嬉しそうなの?」
「これをまた後で脱がせるのは私だと考えると、な」
「ちょっと!」

 真っ赤になって彼を睨んだコレットは急いで服を着たが、楽しげだったライナスの顔が一転して曇ったのに気づいた。

 彼の視線の先に目を落とし、着替える時に目に入ったのだろうと合点がいく。昨日も、労わるように触れて慰めてくれた足の傷跡だ。

「消えると思ったけれど……残ってしまったわね」

 病の治癒の力は尽きる寸前だったというのに、父である国王はコレットの力を酷使した。その代償は大きかったのか、当時激痛だった傷の痛みはもう完全になくなっても、傷跡は消えなかった。

 そして、コレットが祖国からライナスの国へと旅立った日に、治癒の力を感じ取ることもできなくなった。

 もう、コレットに誰の病も治すことはできない。

 本の中で、ディア王女は異能の力を持つ《大聖女》として崇められるが、コレットは力を失ったまま、この先の人生を歩かなければならなかった。長い間、自分の存在意義であったものが失われたことに寂しさを覚えないわけではなかったが、コレットは今、もうそれどころではなかった。

 ライナスの顔が、ものすごい事になったからだ。

 愛するコレットにそんなむごい真似を強いた王への激怒を滲ませ、次いで彼女の傷を思い胸を痛めて泣きそうな顔をしたかと思えば、どうにかして慰めたいと葛藤している。

 なんとも忙しい男である。

 だから、コレットは心から笑って、彼に腕を回して抱きしめた。ライナスが素直である分、救われる気がするのだ。

「傷のある女は、嫌かしら?」
「そんなわけないだろう。貴女が必死で戦ってきた証だ」

 力強く告げ、抱きしめ返してくれる彼の腕は優しい。だから、コレットは肩の力を抜く。

「……私の傷は、王家への戒めかもしれないわね」
「戒め?」

「えぇ。《病》を治す私の治癒の力は、傷を負う《代償》がある。同じように《傷》を治癒する二番目の姉様にも、そしてロベリア姉様にも、みんな力を使ったことによって、報いがあるのよ――――」

 次姉の代償はあまりに悲しい。そして、誇り高く、少しばかり意地っ張りな長姉のロベリアは自分への代償がなんなのか、周囲に一切悟らせることがない。異能をもって生まれたばかりに、国や父王に翻弄されながらも、三姉妹は懸命に生きてきた。

「――――私達は何かを得るために、何かを失うのね。そして、本来の領分を越してしまえば、私の消えない傷跡のように、母様が逝ってしまわれたように、失ったものは還らない。振る舞いを常に自省し、謙虚でいなければ、いずれ待っているのは破滅だと思うのよ」

「……それは予知ではないな。必然だ」

「えぇ。でも、哀しいわね。あの人は、それを全く理解しようとしていないわ。母様が死んでも、何も変わらない」

 コレットはぽつりと呟いた。

 たとえ実の父親であっても、あの人、としかもう言えなかった。ライナスを殺そうとしたことは、到底許せるものではなかったからだ。もしも彼が猛者でなければ、ロベリアの援けがなければ、シオンが割って入ってくれなければ。

 ライナスは死んでいたかもしれない。

 静かな怒りを滲ませる愛妻に、ライナスは慰めるように髪を撫でた。

「失ったものは還らないかもしれないが、それまでに得た経験を、貴女は自分の力に変える事ができている。それは、本当に素晴らしいことだ。簡単にできる事じゃない」
「そう……かしら?」
「ああ。私も妹を失ってしまったが、学んだ事もたくさんあった。貴女とこうしていられるのも、そのお陰だ」

 穏やかに微笑むライナスに、コレットは魅入る。

 こんなに幸せで良いのだろうかと心から思い、いつまでも続いて欲しいと、願ってしまった。

 圧倒的な覇を唱える祖国が、そんな淡い期待を抱かせ続けさせるほど生易しい国ではないということを、この時ばかりは忘れた。
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