私はこの恋がかなわないと知っている

黒猫子猫(猫子猫)

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 帰国の旅の間、ライナスはコレットを傍から離さなかった。無論、王国のさらなる妨害を警戒していたし、いつ何時《盾》が襲い掛かってくるか分からないからだ。

 ただ、彼の国の領内に入ってからも、更には王都の王宮に到着しても、やっぱり彼はコレットを手離さない。出迎えた臣下達は事前に知らせを受けてはいたとはいえ、実際にライナスが王女を連れ帰って来たものだから、誰も彼も目を丸くした。

 王宮の人々は宗主国の姫とあって礼儀正しくコレットに挨拶をした。抑圧されている側ということもあって、顔が強張っている者もいたが、ライナスが言っていた通り、大半の者の表情は優しい。
 その理由を、コレットは知っていた。

 だから、王都に着いて早々に、ライナスに一つ頼み事をした。


 王都からほど近い場所にある王家の墓地に、彼の妹の墓はあった。跪いて花を手向け、祈りの言葉を告げたコレットに、傍らに屈んでいたライナスは、穏やかに微笑んだ。

「貴女が我が国に来てくれて、きっと喜んでいると思う」
「貴方たち兄妹は、本当に義理堅いわね。シオンも表情は変えていなかったけれど、驚いていたと思うわ」

 彼らは治癒の力を使ったコレットに深い恩義を感じていた。そして、ライナスは《剣》のシオンにも丁寧に礼を言っていた姿をコレットは見ている。

 一国の王が一介の騎士に対して、最大限の敬意を示している姿などそうあるものではない。

「ずいぶん、親しげに呼ぶな?」

 少しばかり拗ねた顔で問いかけたライナスの思いが透けて見えて、コレットはくすくすと笑った。

「兄みたいに思っているの。私達はあまりお互いに関りを持たせてもらえなかったけど、塔にいる姉様は特にそうだったわ。傷を癒す力は目に見えて分かりやすいから、父様も大事にするのよ」
「……利用するため、か」

「えぇ。シオンが姉様を気遣って、私に伝書鳩をくれたのよ」

 ロベリアは毒の刃がライナスやコレットに及ぶ事を危惧した。最悪の状況を考えて、塔の妹を呼び出してもいた。そして、そんな彼女には常に傍らから離れない《剣》がいる事も、ロベリアは計算していた。

 彼自身、状況の多くを理解していたわけではないだろう。
 だが、その場で最善の行動を取った。

 ライナスを守り、コレットを託すことが――――彼が守る姫のためになると考えたからだ。

「……あの男にも大恩が出来た」
「私もよ。姉様達には助けられてばかりいる。だから、姉様達を助けられるように、今は力をつけるわ」

 強い眼差しで告げたコレットに、ライナスもまた頷いた。


 墓参りを無事に終えて、王宮に戻った二人だったが、早々に引き裂かれることになった。

「おい、待て。落ち着いて、話し合おうじゃないか」
「却下いたします。陛下がお留守の間、裁可して頂きたいお仕事が、山のように積みあがっているんです!」

「山は高ければ高い程、登りがいがある。積み上げておけ!」
「山も崩れると登りにくくなりますよ。さぁ!」

 配下達に囲まれて、ライナスの顔はひきつった。両脇を抱えられて半ば引きずられるようにして連れていかれる彼を見て、コレットは目を丸くする。

「……すごい扱いね」

 豪胆なライナスだからこそ許されている所業なのかもしれないが、それにしても聞いていた以上に扱いが悪い。本の中で、彼がぼやいていたのも頷ける。

「ライナス様ですから、仕方ありませんわ」

 コレット付きになった侍女達が揃って口々にそんなことを言うものだから、コレットはもう笑うしかない。
 自分が生まれ育った王宮と、人々の雰囲気も、口調も何もかも違う。

 戸惑う事は多いかもしれないが、彼に嫁ぐと決めた以上、この国に少しでも早く馴染もうと気持ちを新たにしたが。

「あ……! いけない」

 大事な事を思い出して、思わず口から出た。不思議そうな侍女達に、コレットは頬をうっすらと赤く染めた。

「……急な事だったから、嫁入りのための支度も何もできていなくて……」
「無理もありませんわ。ライナス様が強引に連れ去ったそうではありませんか!」

「あの……そんな話になっているの?」

 侍女達がまたしても強く頷く。コレットの祖国から流れ着いた噂は、色々な尾ひれがついているに違いない。頭が痛くなってきたが、今はまず難題に向き合わなければならない。

 嫁入り道具など揃えている暇もなかったから、ほぼ身一つでやって来たのだが、道具や衣類であればここでも調達できるだろう。

 ただ、問題は嫁入りの作法を済ませていないことだ。

 ライナスは不要だと言っていたし、彼以外の男に身を許したくもない。ただ、この先、結婚式をあげて初夜を迎える事に変わりはない。そこでも彼の手を煩わせるのは、いかがなものだろうか。
 どうしたものかと悩んでいるうちに、あっという間に夜になってしまった。


 その日の夜、用意された広い寝室のベッドの上で、コレットは一人悶々としていた。ライナスは昼間別れたきりだ。仕事中かもしれないし、そうでなくてもまだ正式に結婚したわけではないから、同衾するわけにもいかないのだろう。

 本の中では昼も夜もずっと一緒だったが、旅の間、夜は一人で寝ていた。
 室内の灯りは落とされて、枕もとの僅かなランプの灯りが、コレットの身体をほのかに照らす。

「……頭では分かっているのよね……」

 本の中での経験は、痛覚も含めさまざまな感覚も与えてくるが、実体に影響を及ぼすものではない。だから、ライナスが味わった死の痛みも、あくまで経験の範疇に留まる。
 無論、コレットの身体も無垢なままだ。

「ちゃんと経験したんだから」
「いつ、誰と、どこで?」

 暗がりの中から突然、怒りを孕んだライナスの声がして、コレットは飛び上がった。

「ど、どうして、ここに……しかも、いつの間に?」

 正式な夫婦となるまで寝室は別だろうと勝手に思っていただけに、よもやライナスが深夜に訪れるなんて思っていなかったのだ。だが、暗がりの中から現れたライナスを見返せば、彼も夜着姿だ。

「ノックはしたぞ。でも、貴女は私というものがありながら、経験した事とやらで頭がいっぱいだったようだな」
「そ、そうじゃないのよ?」

 焦るコレットに、ライナスは寝台に座り、迫った。

「では、どういう事か教えてくれ」
「う……っ」

 窮したコレットだが、ライナスの目は獰猛である。絶対に譲らないというのは明らかで、半泣きになりながら悩んでいたことを正直に打ち明けて、

「私も他の方は嫌よ。でも、子供の頃から家の恥にだけはなるなと言われてきたから……簡単に割り切れないの。……あと、本当に恥ずかしいのよ。本の中で……あ、あなたと……」
と、心の内も精いっぱい伝えようとした。そのせいで次第にしどろもどろになって、言葉に困ってくるが、ライナスはその逃避を許さない。

「一夜を過ごしたからか」
「はっきり言わないで⁉」

 羞恥のあまり目に涙をためたコレットだったが、指ですいと涙を拭われた。驚いて見返せば、ライナスは笑っていた。

「余計な事は考えるな。いつ何時、また襲われるか分からないから、念のため同衾は我慢してきたが、ここは私たちの国だ。貴女は誰の目も気にする必要はない」

 励ますライナスの言葉に、強張っていたコレットの表情がほぐれた。まだ正式な妻となっていない身であるが、それでも私たちの、と自分を含めてくれている言葉が嬉しい。

「えぇ、ライナス……」

 微笑む彼女をライナスは抱き寄せた。ずっと一人寝であったコレットも、せっかくやって来てくれた彼とこのまま離れるのは辛い。

「……もしも、私が恥ずかしい事になっても……許してくれる?」

 躊躇いながらも、コレットは勇気を振り絞ってたずねると、ライナスは目を軽く見張ったのち、じっと見つめて、唸るように言った。

「貴女の祖国にある破瓜の作法とやらは、本当に罪深いものがあるぞ。こんなにも可愛い貴女を私から奪おうなど、なにごとだ」
「……なにごと、かしらねえ……」

 答えるコレットは目を泳がせながらも、落ち着かない。抱きしめてくれる腕の力強さを、どうしても意識してしまうからだ。当時はまだ冷静さを保てたはずなのに、彼に恋をしてしまったせいなのか、頬が赤くなる。

「コレット、いいか」

 優しいライナスの声に聞き惚れて、腕の温もりに酔う。顎を引きあげられて視線が重なると、コレットは微笑んだ。強い彼の瞳が射貫いてくる。そして、コレットの全てが欲しいとばかりに逞しい腕が訴え、手が求めるように唇に触れた。

 唇は、私が愛した人の、将来の夫のためのもの。嘘でも愛していると言うべき男のもの。
 かつてそう戒め、拒絶した行為がある。

 嘘から始まった恋が、真実に変わった喜びに胸を高鳴らせながら、コレットは告げた。

「唇は、私が愛した人のものよ」
「そう聞いた。だから、私がどれほど欲しかったか分かるか?」
「……えぇ……」

 コレットは微笑んで自ら唇を重ね、ライナスはすぐに応えてきてくれた。
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