私はこの恋がかなわないと知っている

黒猫子猫(猫子猫)

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属国の王

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 二の句が継げずにいるコレットだったが、彼が目の前に屈んで座ったのを見て、思わず手を伸ばし、頬に触れた。温もりを感じ、その上ライナスは微笑んでコレットの手を取ると、その掌に軽く唇をつけた。

 コレットが頬を染めて思わず手を引っ込めそうになったが、握りしめられて捕らわれる。

「だめだ。朝になって目が覚めたら、貴女はいなくなっていただろう。私がどれ程焦ったか分かるか?」
「……覚えているの?」

「もちろん。私が貴女にした事も、貴女に言われた事も……そうそう、一夜を共にした時、私にしがみついてきた事もな」
「言わないで!」

 思わず真っ赤になって叫ぶと、ライナスはおかしげに笑って頷いた。

「貴女もよく覚えているじゃないか」

 ライナスの口調は相変わらず軽いが、その声音に何一つ含みが無い。あっという間に話がかみ合って、コレットは戸惑う。
 もう一方の手も伸ばすと、今度はその手を掴まれて彼の首に回させられた。

「そろそろ私に抱き寄せられたくなったか?」
「えぇ」
「よし」

 ライナスはにっこりと笑って、コレットに腕を伸ばし、彼女も自ら椅子から降りて、その胸の中に飛びこんだ。力強い腕の中で確かな温もりを感じて、コレットは涙が止まらなくなる。

「どうして……貴方がここにいるの?」

 自分達三姉妹の中でも一番力の強い姉は、本の中の登場人物を現実世界に出す事さえもできるようになったのかと思ったが、彼はまたしても予想を超える返事をしてきた。

「私が、『顔を見るだけで吐き気がする』うえ、『毛嫌いされた』貴女の婚約者だからだな」
「え……」

 絶句して思わず顔をあげると、ライナスは心配そうに真顔で訊ねてきた。

「そろそろ吐くか? しばらく仮面でもつけるか」
「いいえ! そうじゃないのよ! 私は……そう聞いていたから」

 父王から嫁げと命じられた後、コレットは相手となる属国の王について、長姉から情報をもらった。調べてきたのは、王家の影として情報収集にも長ける《盾》の者達だ。

 全身を描かれた絵姿からは顔もよく分からなかったし、身体もこれといって目立つような体型ではなかったように思える。ライナスを前にしても、彼を描いたものとは思えないほど、何の特徴もなかった。

 仔細を訊ねてみれば、『顔を見るだけで吐き気がする』顔だから止めた方がいいと姉は告げ、いかに彼の性格や言動がひどいのか延々と聞かされて、故郷では『毛嫌いされている』と断言してきた。

 王城の人々も、相手が属国の王というだけで、決して良いようには言わなかった。

 次姉だけが『会ってみないと分からわないわよ』と励ましてくれたが、コレットにとってはどちらでも同じだった。見知らぬ相手に嫁ぐしかなく、誰も知り合いのいない場所で暮らさなければならないことに変わりはないからだ。

 そう思った理由を正直にライナスに告げると、彼は自分を散々愚弄されていたというのに、納得顔で頷いただけだった。

「それならいい。貴女に嫌われていないかどうかだけが心配だったんだ」
「いいえ……本当に失礼な事をしていたわ。あの……貴方様には心から、お詫びを――――」

 コレットの顔が青ざめていくのを見て、ライナスはなだめるように再び抱き締めた。

「今は二人だけだ、コレット」
「…………」

「謝られるよりも、貴女の正直な気持ちが知りたい。どうして《本》の中にいた?」

 その問いかけに、コレットはびくりと身を震わせた。

 王家の恥とならぬように、と厳しく言われ続けてきた日々は、正直な思いを告げる事など言語道断のようなものだった。それが、国外の人間であればなおさらだ。

 コレットは本の中で、嫌というほど《嘘》をついた。本当の事を告げることが許されず、相手に通じない世界だ。嫁ぐ前に良い練習になると姉は言ったが――――コレットは自分の心を偽ることが、こんなにも辛いのだと思い知っている。

 これは、王家の末姫として許されない行為かも知れない。

 でも、夫となる男には、ライナスには知っていて欲しい。

 自分が勇気を振り絞りさえすれば、ここは彼に言葉が届く世界なのだから。

「私達三姉妹には、生まれつき異能があったわ。上の姉様は書き記した《本》の中に他人を入りこませて、経験させる力。そして下の姉様は傷を癒し、私は病を癒す《治癒》の力よ」

「だが、それも限りがある」

「えぇ……本の中では元々そういう設定になっていたわね。姉様が書いたものだから、現実に近づけたんだと思うわ。私の治癒の力も同じように力尽きる寸前で、微弱なものでしかないわ」

「……だから、属国の王に嫁ぐ話が出たんだな」

 気遣うライナスの視線に、コレットは哀し気に微笑んだ。

「治癒の力を使い果たした『役立たず』は、王家の女として嫁ぐしかないと皆に言われたわ」

 コレットは、街の病人を癒した結果、治癒の力を失い、嫁ぐ事になった経緯を包み隠さず彼に話した。街で見知らぬ病人を癒したために、重病に倒れた母妃を救えなかった事もだ。

「母様を見殺しにしてしまった事で、私の治癒の力が使えない事が公然の事実になってしまった。それでも、王家の姫という血筋だけは確かだから……王家の縁づきになる子を産めるわ。属国の中でも新興国の王である貴方が選ばれたのは、戦で無類の強さを誇るからと聞いている。私を使って、頭を押さえに来たのよ」

「なるほど。貴女が私の嫡男をあげれば、私は王家に歯向かえなくなるということか」

「……汚いでしょう」

「いや? ここに来る道中で、何度も寝こみを襲われたり、毒を盛られそうになったりしたから、別に驚きもしない」

 あっさりと言い放ったライナスに、コレットは絶句する。思わず彼を見上げると、ライナスは嬉々として額にキスを落としてきた。

「待って……嘘、よね」

「本の中でも、道中でさんざん妨害されてきたと言っただろう。それだ。妙に手馴れていそうな連中だったぞ。しかも、しつこい」

「……《盾》だわ。暗殺は彼らの常とう手段なの。私を餌にして……貴方を殺す気だったんだわ」

 ライナスが道中で命を落とせば、属国は王を失い勢いが削がれる。その後、コレットが不吉な王女と言われようが、王家は困らない。代わりは後二人いるのだ。

 怒りと悲しみと、そして自国の恥知らずな真似に絶望するコレットだったが、ライナスは相変わらず飄々としている。

「実にいい鍛錬だった。部下達も退屈しなくて良かったと言っていたぞ」
「あの……?」

「ただ、色仕掛けだけは、馬鹿にしているのかと思ったぞ。貴女に会おうとしている私に、ありえないだろう」

 それだけは許しがたい事であったらしく、眉間に皺が寄り、目が鋭くなる。相当怒らせたらしかった。

「……手段を選ばない人たちだから」

 コレットは半ば呆然としながら呟き、何とも逞しいライナスを見つめた。《盾》に命を狙われて、平然としている者など初めて見た。

 そう言えば、本の世界でも彼は周囲の者などどこ吹く風だった。素だったらしい。

「ただまあ何度も襲撃されたから、多少旅を急いだ。そのお陰で予定よりも大分早く着いて、第一王女に引き合わされたんだが、貴女はいないときた。問い詰めてみれば、自分の力で本の世界に堕ちたと言う。どうしても会いたいと言ったら、私も堕とされた」

 突然の事に戸惑い、しかも何故か騎士団長とまで呼ばれたライナスだったが、一通り読んでいたコレットとは違って彼はどういう話なのか、さっぱり分からなかった。何しろ第一王女が教えてくれたのは、コレットがディア王女の侍女として傍にいるという事だけだったからだ。

 それでも初めは困惑し、手当たり次第に仔細を訊ねてみたが、全て無駄だった。

 自分の名や私事は勿論のこと、『リオン騎士団長』という枠から外れる言動は、周りに一切通じなかったからだ。

「ただ、周りの言動を聞いて適当に合わせておけば話は着々と進んで、あっという間にディア王女に会う事になったからな。そのまま貴女に会えるだろうと思った」

 だが、ここでも道中で妨害されて怒りが再燃していた所に、国王夫妻が更に時間稼ぎにきたものだから、火に油を注いだようなものである。聖隷騎士団員達からも、ディア皇女が自称する《治癒》は嘘だろうと聞いていた事もあり、容赦ない詰問をしたものだった。

 国王夫妻が焦っていたのも、手に取るように分かった。

 だから必ず彼らは、本物の聖女の力を持つ者を――――《治癒》の力を持つ侍女を自分の前に差し出してくるに違いないと、ライナスは読み切っていた。

 それを聞いたコレットは、当時の事を思い出して目を見張った。

「待って。貴方、確か……」
「だから言っただろう。『やっと会えましたね、王女殿下』と」

「登場人物の……ディア王女のことだとばかり」
「違う。貴女も王女だろう」

「ええ……」

 ライナスは最初からディア王女など眼中になかった。コレットを見た瞬間、彼女こそが自分の婚約者だと確信したし、触れている時もコレット王女と呼んだこともあった。

 だが、いくらそう呼んでも彼女は全く反応しなかった。

「名も呼びたかったが、だめだった。コレットだけなら良いと、教えてくれたのは貴女だったな」

 嬉しそうに告げる彼に、コレットは頬を染めつつも、戸惑う事もあった。

「もしかして、貴方も現実の名前を名乗った……?」
「ああ。貴女の婚約者リーシュだとな。でも、貴女は全く反応しなかったし、駄目だとも言われた」

「だから、偽名を使ったの……?」

 そう問い返すと、ライナスは小さく首を横に振り、優しく告げた。

「いや。教えたのは私の《真実の名》だ。今は貴女だけしか呼ぶ者はいない」
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