私はこの恋がかなわないと知っている

黒猫子猫(猫子猫)

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許されないこと

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 翌日、コレットの言った通り、王都は激しい雨に見舞われた。普段であれば市場がたって街中は活気があるが、今日は静かなものだった。

 コレットは朝方になって一度目を覚ましたが、外から聞こえる雨音に顔を曇らせ、また目を閉じてしまった。そのまま眠ってしまいたいと思ったが。

「……邪魔よ」
「そろそろ起きないと、朝食の時間が過ぎるぞ」

 隣で寝ていたライナスが、髪を撫でてくる。コレットは眉を顰め、寝返りをうって彼に背を向けたが、するとすかさず抱き締められた。振りほどこうとしても、何度も絡みついてくる。

「いいの。いらないわ」
「私の身体は?」
「もっといらないわね」

 一蹴したコレットに、ライナスはくすくすと笑ったが、相変わらず腕を離す様子はない。

「じゃれつかないで。貴方は起きれば良いじゃない」
「そんな勿体無い事をするわけないだろう。それに、いつもなら寝室にまで来られて、容赦なく毛布を剥ぎ取られて起こされていたからな。たまには昼くらいまで寝ていたい」
 ライナスは上機嫌だったし、その言葉も何のけなしに言ったようだったが、コレットの心に小さな棘が刺さった。
「……誰に?」

 気付けば口から勝手に出ていた。何故そんな事を自分は気にするのだという戸惑いがこみあげたが、ライナスは率直に告げてきた。

「妹だ。それでも起きないと私の部下達を引き連れてきて、大音量で『起きろ』と合唱させるんだぞ。ここにいると、色々とうるさく言われなくて良い」

 ぼやくライナスに、コレットは表情が緩んだ。

「貴方も大変なのね」
「貴女は違うのか?」

「……私は王女よ。そんな事をされる訳が無いでしょう」

 ディア王女は寝起きが良い方であるし、周囲から慈しまれて育っている姫君だ。そんな真似をする者などいないし、コレットは誰の手も煩わせたりしない。

「そうか……普通はそんな扱いをされないのか」

 何やら考えこんでしまったらしき彼に、コレットは苦笑する。身分も育った環境も違うから、戸惑いも多いのだろう。国王一家を震え上がらせた冷徹騎士団長も、身内には形無しのようだ。

「でも、良いわね――――私には姉がいるけど、妹が欲しかった時もあったわ」
「ん……?」

 コレットの小さな呟きに、ライナスは視線を落とす。

「―――妹さんはおいくつ?」
「あ、ああ……二つ年下だ」

 戸惑ったような様子で少し躊躇しながらも答えてきた彼に、コレットは口を噤んだ。つい訊ねてしまったが、詳しくは言いたくないようだ。何か言いにくい事があるのかもしれない。

 いずれにしても、彼が返答をさりげなく拒んでくれて良かったと思い直す。家族の事は私事の最たるものであるし、知れば知る程、関係はより深くなってしまう。

 身代わりに過ぎず、一時の関係である事が分かりきっている自分が彼の私情を知ろうとする行為自体、間違っている。逆に自分の事を詳しく訊ねられたくもなかった。

 そのまま彼が黙ってくれたので、コレットは安心して、再び訊ねる事なく口を噤んだ。


 ただ、ライナスは違った。妹の事を告げてもコレットが無反応だったので、更に続けるべきかどうか少し迷っていたに過ぎない。

 それでも、と思い直して、再び口を開く。

「妹は……数年前に、大きな病にかかった。貴女の国よりも医学はずっと遅れていて、医師には長くないと言われていたんだが、話を聞いてやってきてくれた方が治癒の力を使ってくれた。妹は意識が朦朧としていたせいで顔も覚えていなかったし、名乗らずに行ってしまったそうなんだが……お陰で信じられないくらい元気になった。だが、私の故郷では、他の者達も同じ病にかかりはじめてな――――」

 まだ猶予はあるが、やがては命を落とすだろう。

 かつて妹を診ていた医師はそう断言し、《治癒》の力に縋るように助言してきた。お前はそれしか言えないのかと苦々しくなった事も思い出して、ライナスは渋い表情をしたが、黙って聞いていたコレットは小さく頷いた。

「……それで、貴方は治癒の力を持つ……私にこだわっていたのね」

 ぽつりと彼女が呟いて答えてくれた事にライナスは安堵する。

「ああ。分かってくれたか?」
「えぇ……でも、待って。時間が……欲しいの」

 コレットはそう呟くのがやっとだった。

 伝説の大聖女には《治癒》と《予知》の力があると言われていたが、彼が関心を寄せていたのは《治癒》の方だ。真偽を確かめる為に教皇に派遣されてきたが、是が非でも治癒の力が欲しいのだろう。

 傷を心配したり、買い物で気遣ったりと、何かと気にかけてくれたのも、協力を仰ぎたかったからだったのかもしれない。

 だが、コレットの治癒の力は、ディア王女にも告げたように大聖女に遠く及ぶものではない。治せるのは病だけで、聖女の力はやがて枯渇すると言われているように、コレットも例外ではなかった。

 今まで病を癒し続けてきた結果、力は弱まり、王都で助けられたのも軽症の者ばかりだ。

 だから、自分には人々を助ける事はできない。

 ――――私は、なんて役立たずなのかしら。

 泣き出したくなったが、ライナスは相変わらず飄々としていた。

「時間か。かまわないが、私が破滅する前に頼む。そもそもどうして貴女と一夜を過ごすと、そうなるんだ?」
「……よく覚えていたわね」

「あれも予知か? 貴女の言った通り、雨にもなったな」
「……そうね。これから貴方にとって、とても大事な事が起こるわ」

「どういうことだ?」

 ライナスは問いかけたが、腕の中にいる彼女はまた何も答えない。重ねて訊ねても同様だったが、一つだけ分かったのは自分に背を向けたままの彼女が、小刻みに震えていた事だった。

 顔を覗きこんでみれば、唇を強く噛み締めて、何かを必死で耐えていた。コレットは見られている事に気付いたのか、嫌がるように押しのけてくる。

「コレット。何を怯えている」
「怯えてなんていないわ」

「嘘をつかなくて良い。ここには私しかいない。だから、正直に言えばいい」

 ライナスの声に初めて焦りが滲んだが。

「――――何でもないわ」

 コレットは、短く告げて目を閉じた。

 この雨が止む時、ライナスに待っている惨事を思うと、コレットは胸が潰れる思いがした。

 でも、何ができるというのだろう。

 治癒の力は枯渇寸前で、彼の病を治す事は出来ない。彼と敵対する事になる『盾』から引き離そうとしても、徒労に終わる。
 自分が言葉を尽くして警告しても、真実を告げても、この世界の誰にも届かない。

 『話』の根幹を揺るがすような言動は、許されないからだ。

 試みたところで相手の時が止まり、自分の発言は無かったものとして、『話』は進んでしまう。

 何も変えられない。
 もう誰も救えない。
 何の役にも立たない。

 それを思い知るために、私は姉に創られたこの世界に堕とされたのだろう。
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