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恋の路

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 ライナスには、二つ年下の妹が一人いる。

 威圧感満載の彼とは対照的な明るい性格で、可憐な容貌で可愛らしい事もあって、どこに行っても人気者だった。街へ散策に出歩けば人々に率先して声をかけ、自らもよく話しかけられていた。

 買い物も大好きで、色んな店を巡り歩いてちっとも帰ろうとしないものだから、荷物持ちとして何度かついて行ったライナスはよく「長すぎる」とたしなめてしまったものである。

『そんな事ばかり言っていると、お兄様は女性に嫌われるわよ』などと予言めいた事まで言われて、一蹴されてしまったが。だから、女性の散策や買い物は時間がかかる上に、男が黙っていても勝手に楽しんでいるものだと思ってもいた。

 だが。

「もう終わりか?」

 ついそう訊ねてしまう程、コレットの散策は短かった。

 二人は王都の街へと出て、露店が連なる市場の一つへと赴いた。衣服や食料品など様々な店を巡るのは、妹と何も変わらなかった。妹は店先の品物をじっくりと見たり、手にとって確かめたりしていたが、コレットはただ眺めて終わる。

 触れる事もなければ、値段を見る様子もない。

 店にふらりと入っても、中の様子を見て回っただけで、すぐに出てしまう。足の調子が悪いのかと思って途中で訊ねてみたが、ゆっくりと自分の速度で歩いている分には気にならないと言う。

 その言葉に嘘は無さそうで、ライナスは一先ず安堵したが、だからこそ余計に分からない。

 ライナスは妹に散々詰られた経験と、足に傷を抱えたコレットを必死で走らせてしまった事もあって、ほとんど口は挟まなかった。彼女もあまり気にしないようにする事にしたのか、あからさまに嫌がる様子もなくなった。
 『籠の鳥』同然であったであろう王女が自由気ままに出歩ける機会などそうあるはずがないし、それは理解しているはずなのに、あっという間に市場を見終わってしまったのだ。

 コレットは市場の端まで来ていて、声をかけられて立ちどまり、少しばかり困った顔をした。

「……ここはもう終わりなのね。でも、まだ他の場所でも、お店はあるわ」
「同じように素通りして終わる気がするんだが」

 コレットが押し黙ったのを見て、ライナスは妹に言われた事を思い出し、慌てて続けた。

「貴女が楽しいなら、いいんだが」

 また冷めた目で見返されるかと思ったが、コレットは当惑した顔をして見返してきた。

「……私、とっても楽しいんだけど……?」
「なに?」

「気分は最高潮よ。踊り出したいくらい。あまりに浮かれすぎて恥ずかしい思うくらいなんだけれど、そう見えない?」

 コレットは真顔である。これも本音らしい。だが、ずっと冷静そのものであるし、店員に声をかけられても真面目に短く応じるだけで、お世辞にもそんなに浮かれていたようには見えない。

 嫁ぎ先で失態を犯さないよう感情を殺す術を覚えさせられると言っていたが、別に散策でそうする必要はない。実際、コレットが己に対抗してくるとき、実に感情豊かである。

 だから、本当に楽しくて嬉しいなら、彼女はもっとそれを表す事ができるはずだ。

「見えない」

 つい正直に答えると、案の定コレットが戸惑った顔で、「そう」と呟いて目を伏せた。妹が怒り狂っている姿が目に浮かび、ライナスはいささか焦りを覚えつつも更に告げた。

「何か欲しいドレスや装飾具はあったか?」
「ないわ」

 即答である。王女ともなれば、市場で売られている品物などに手が伸びないのも、無理はないかもしれない。さりとて食物ともなれば、その限りではないだろう。庶民の味というものは、王族にしてみれば珍しいはずだ。

「何か食べたい物は?」
「ないわ」

「甘味なんてどうだ?」
「いらないわ」

 明瞭簡潔な返事は分かりやすいが、話はそこで終わる。二人に長い沈黙が流れたが、ライナスは諦めずに続けた。

「何でもいい。欲しい物はなかったのか?」
「えぇ」

「…………」

 これは難敵である。どうしたものかとライナスが眉間に皺を寄せて頭を巡らせていると、コレットは不思議そうに問いかけた。

「どうしてそんな事を聞くの?」
「いや……あまりに何も買おうとしないから、手持ちがないのかと思ってな。何か欲しい物があるなら、私が払おうと思っただけだ」

 そう告げると、コレットは苦笑して羽織っていた上着のポケットを軽く叩いた。

「しばらく街にいようと思っていたから、少しだけれどお金は持ってきてあるわよ。お給金を前払いで頂いたの。
でも、何かを買うつもりは無いわ」
「……そうか」

「気を遣ってくれてありがとう」

 コレットは微笑んで、また歩き出した。
 ライナスはその後も彼女の散策や買い物に付き合ったが、やはり彼女は何も買う事は無い。店員達が時々話しかけてきた事もあったが、彼女はやはり真面目に短く返事をするだけで、およそ愛想も無かっただけに話はすぐに終わってしまった。

 ライナスは何だかもどかしい思いに駆られ、やがて足を止めた。それというのも、彼が王都にいる間の滞在先として用意された宿屋の前を通りかかったからだ。

 意を決して、ライナスは街に出てから初めて、彼女の名を呼んだ。

「コレット」
「なに?」

 振り返ったコレットは、彼に微笑まれて目を瞬き、傍の看板を見て、ますます戸惑う。

「まだ泊まる場所を決めようとは思っていないわよ」
「それは探さなくて良い。ここは中々寝心地が良いぞ?」

「…………。誰が一緒に泊まるって言ったのよ!」

 コレットは頬を染めて抗議したが、ライナスは笑っただけで、

「いいから、来い」
 と軽く手招きした。

「い・や! 昼間っから……何考えてるのよ、最低だわ!」
「そうだ。貴女はそういう方がいい」

「何がよ!」
「足は痛むか?」

 コレットは更に赤くなった。またしても究極の選択である。痛むと言えば大聖女の力はどうしたと疑われかねないし、さりとて痛まないとなれば、男の部屋に連れこまれかねない。昨夜の事が次々に思い出されてきて、コレットの頬がみるみる内に赤くなる。

「い……いえ?」
「では、乗れるな」
「うっ……!」

 躊躇している間に、ライナスに手を取られ、彼はそのまま宿屋へと向かって歩き出した。コレットは必死で抗議しようとしたが、何故か彼は店の前を素通りして脇の路に入った。細い路を抜けると再び少しひらけた場所になり、そこにあったのは厩だ。

 数頭の馬が並んでいて、世話をしていた店員らしき男がライナスの姿を見て、にこやかな笑顔を浮かべながらやって来る。

「お出かけですか?」
「あぁ。私の馬に鞍をつけて、連れて来てくれるか」
「かしこまりました」

 店員はライナスが手を引いて連れてきたコレットに気付いた様子だったが、仕事に徹している者らしく、一礼だけして厩へと戻って行った。ようやくコレットは自分の勘違いに気付き、表情を和らげた。

「……馬の事だったのね」
「そうだ。横乗りでいいか?」

「ええ……それは淑女の嗜みとして習ったわ。足も平気」

 コレットは頷きつつ答え、彼を見返し、勘違いを詫びようかと思ったが。

「よし。あぁ、もちろん夜は―――」
「断るわ! 貴方という人は……っ」
「なんだ?」

 楽し気に笑うライナスをコレットは睨みつけたが、店員が立派な馬を連れて戻ってくるのが見えて、必死で言葉をのみこんだ。
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