彼を愛した前夜祭

七海みなも

文字の大きさ
上 下
4 / 6

彼を愛した前夜祭4

しおりを挟む
 通い慣れたサークル棟、歩き慣れた廊下——過ごし慣れた、空き部屋。
 電灯の切れた薄暗い廊下で俺は、空き部屋の扉を前に緊張していた。
 まだ暑さの残る午後、専攻を同じくする同級生にこき使われている最中届いた、短いメッセージ。

 『いつもの部室で待ってるね』

 飾り気のないアヤさんらしいそれに、一瞬とはいえ顔を綻ばせてしまったのは内緒だ。
 そしてすっかり陽の落ちた今、件の空き部屋の前までやって来たのだが。
 散々開け閉めしてきた扉が別物に見えるほど、緊張する自分がいる。
 告白するでもなし、今更緊張などお笑い種もいいところだ。
 一つ二つ深呼吸をして扉を開けると、薄暗闇の中、よく知る背中が机に腰掛け、楽しそうに足を揺らしていた。

 「アヤさん」

 窓から射し込むキャンプファイヤーの灯り。呼び声に応じて振り向く彼の顔を、揺れる火の明るさがなぞる。
 炎に照らされた彼の姿は精緻な人形のように美しく、愛らしかった。

 「早かったね、もう少しかかると思ってたんだけど」
 「勉めて励んだんだよ、褒めてくれる?」

 平静を装い軽口を叩くと、机からぴょんと飛び降りたアヤさんは、

 「ふふっ、俺でよければ。偉い偉い、よく頑張ったねー」

 雑な科白と共に俺の頭をわしわし撫でた。

 「……何か違くない?」
 「ちゃんと褒めてるでしょ、文句言わないの」

 まるで犬をあやすような手つきである。
 それでも彼の体温や掌の柔らかさを肌で感じて喜んでしまうのだから、やはり俺はアヤさんを諦められないのだ。
 そう。
 未練たらしいと思いつつ、この思いを大事にしたいと望む自分も、確かにいる。

 「……キャンプファイヤー、どう? ここからだと綺麗に見えるんじゃない?」

 俺の髪を楽しそうに梳く彼から眼を逸らし、逃げるように話題を変えた。

 「どんどん人が少なくなってって、びっくりした。もっと大きい輪が出来ると思ってたんだけどなぁ」
 「アヤさん……もしかして気づいてない?」
 「え、何が?」

 きょとりと眼を丸くするアヤさんに、俺は思わず顔を覆った。
 この人はどこまで鈍感なのか。それもまた彼の魅力の一つなのだけれど。

 「ほら、あれだよ。前夜祭のジンクス。みんなそっちに流れちゃったんだって」
 「……ああ! すっかり忘れてた、そんなのあったね」
 「そんなのって……まあ、いいけどさ」

 ありがちな話だがこの大学には、前夜祭に告げた愛は成就するというジンクスが存在する。
 誰が言い出したか知らないし、はっきり言って眉唾ものだが、毎年それなりに盛り上がる恒例行事のようなもの。
 前夜祭を楽しむ生徒の殆どが承知している筈のそれは、俺が緊張していた理由でもある。
 前夜祭に空き教室で二人きり——。
 この状況を少しでも意識してくれたら、と期待していたのだが、

 「だって俺には関係ないもん。格好良い恋人がいるんだから」
 「そう、だね……」

 現実は残酷である。
 口を尖らせ拗ねる彼に、返事をするのが精一杯。
 彼にはもう、愛しい人がいる。
 そんなことは初めから分かっていた筈なのに、勝手に期待して緊張までして——まるで道化のようだ。
 凹む俺に気づかぬアヤさんの意識は、すっかりキャンプファイヤーに移ってしまったらしい。
 窓辺へ移動した彼は、子供のように眼を輝かせてグラウンドを見つめている。
 炎の映える彼が、火柱を覗くように首を伸ばした瞬間、

 「ぁ……、」

 遊びの少ない襟の縁から、大判の絆創膏が覗いた。
 否が応にも想起される、晩夏に見た生々しい情交の跡。
 案外不器用な彼が自分で貼ったとは思えない。
 ならばこれは、アヤさんの恋人の手によるものだ。
 温かみのない肌色のテープはあたかも俺を牽制しているようで、ひどく神経を逆撫でされる。
 ——本当に、狡い。
 俺は気持ちを告げることすら出来ないのに。
 顔も知らぬ『彼』は何処にいても主張してくるのだ。
 お前の知らないアヤを俺は知っていると、いい加減諦めと嗤うように。
 窓の縁に手をつき、真っ白な肌を火の色に染める彼は美しいけれど、この一瞬で知らない人になってしまったみたいだ。
 嫌だ。
 そう、強く思った。
 炎に誘われるまま、手の届かない場所へ飛び立ってしまいそうな彼の腕を掴み、

 「——ひゃっ!」

 光源から奪うが如く引き寄せ、腕に囲った。
 突然の抱擁に瞬きを繰り返していたアヤさんだが、ただの戯れと判断したのか、おかしそうに笑い始めた。

 「なにこれ、何の遊び? オクラホマ・ミキサーかジェンカでも踊りたいの?」

 それともマイム・マイムかな? と肩を揺らす彼に答えもせず、その痩躯へ回した腕に力を込める。
 丁度眼前へ移動して来た首筋に息がかかるらしく、擽ったそうに捩る身体。
 くふくふ笑う声から、逃げられているのではないと分かっているのに、逃がすものかと細腰を抱いた時、

 「ちょ、ちょっと……傑?」

 アヤさんの声に焦りが混じった。
 流石に異常な状況だと思い直したようだ。俺の二の腕や肩を優しく叩いて、解放を促してくる。

 「ねえ、ほんと何? 何で返事してくれないの?」

 言える筈がない。本音を告げれば、逃げてしまうではないか。
 逃げはせずとも、聞きたくない言葉を寄越すではないか。

「傑、力強いよ……苦しいってば。腕、緩めてよ」

 緩めたらそのまま距離を取るくせに。
 今も胴を動かして、俺の隙を探っているくせに。
 隙など作る気はないと、藻掻く身体を抱え直した瞬間、

 「——やだ……ッ!」

 彼の抵抗が強まった。
 先までとは違い、明確な意思を持って足掻く身体を、抑えるようにして抱き込む。

 「アヤさんお願い、大人しくして」
 「しないって……っ、もういいでしょ、離してよ!」

 腕に力を入れるほど、彼の拒絶は大きくなっていく。
 腕力では敵わないと悟ったアヤさんの手が、俺の背中を叩いて抗議する。
 違う、そうではない。
 叩いて欲しいわけじゃない。力一杯抱き締めて、なんて贅沢も言わない。
 優しく添えて欲しいだけ。緩く、柔らかくその手をこの背に添えて欲しいだけなのだ。
 しかしそんな小さな願いも許されないらしい。

 「んぅ……っ、だから苦しいってば……!も、やだ……っ!」

 抗う動きと共に強まる拒絶の声が、俺の心の柔い部分を切りつけてくる。
どうか落ち着いてくれと、甘い匂いのする首に頬を寄せた途端、どん、と彼の掌が俺の背を激しく打った。

 「やだって言ってるじゃん! 離してっ!」
 「——今だけだから!」
 「ひっ、」

 小さな悲鳴を上げて彼の肩が跳ねる。
突然の大声に強張る身体を、それでも離すものか抱き寄せ、乞う。

 「今だけ……こう、させてよ」
 「……な、にも……しない?」
 「うん、しない……。だから、もう少しだけ……抱き締めさせて」

 この手で、この口では愛せない。
 睦言すら紡げない。
 だから優しい彼に甘えて身体を寄せるのだ。
 今だけと前置きをして、腕に囲って愛すのだ。
 それは疑似的でひどく切ない愛し方だけれど。
 ジンクスにあやかる気はないが、言葉の代わりにせめて、温もりを交じ合わせたかった。
 アヤさんの身体から少しずつ、力が抜けていく。
 それに反するように、俺は腕に力を込めた。
 彼の背が反ってしまうほどきつく抱き、僅かな隙間すら埋める。
 しかし彼の腕は。
 俺の背に回ることはなかった。


 彼を愛した前夜祭。
 浮かれた空気に包まれる校内で、ここだけが異世界のように静かだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Endless Summer Night ~終わらない夏~

樹木緑
BL
ボーイズラブ・オメガバース "愛し合ったあの日々は、終わりのない夏の夜の様だった” 長谷川陽向は “お見合い大学” と呼ばれる大学費用を稼ぐために、 ひと夏の契約でリゾートにやってきた。 最初は反りが合わず、すれ違いが多かったはずなのに、 気が付けば同じように東京から来ていた同じ年の矢野光に恋をしていた。 そして彼は自分の事を “ポンコツのα” と呼んだ。 ***前作品とは完全に切り離したお話ですが、 世界が被っていますので、所々に前作品の登場人物の名前が出てきます。***

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

【完結】はじめてできた友だちは、好きな人でした

月音真琴
BL
完結しました。ピュアな高校の同級生同士。友達以上恋人未満な関係。 人付き合いが苦手な仲谷皇祐(なかたにこうすけ)は、誰かといるよりも一人でいる方が楽だった。 高校に入学後もそれは同じだったが、購買部の限定パンを巡ってクラスメートの一人小此木敦貴(おこのぎあつき)に懐かれてしまう。 一人でいたいのに、強引に誘われて敦貴と共に過ごすようになっていく。 はじめての友だちと過ごす日々は楽しいもので、だけどつまらない自分が敦貴を独占していることに申し訳なくて。それでも敦貴は友だちとして一緒にいてくれることを選んでくれた。 次第に皇祐は嬉しい気持ちとは別に違う感情が生まれていき…。 ――僕は、敦貴が好きなんだ。 自分の気持ちに気づいた皇祐が選んだ道とは。 エブリスタ様にも掲載しています(完結済) エブリスタ様にてトレンドランキング BLジャンル・日間90位 ◆「第12回BL小説大賞」に参加しています。 応援していただけたら嬉しいです。よろしくお願いします。 ピュアな二人が大人になってからのお話も連載はじめました。よかったらこちらもどうぞ。 『迷いと絆~友情か恋愛か、親友との揺れる恋物語~』 https://www.alphapolis.co.jp/novel/416124410/923802748

楽な片恋

藍川 東
BL
 蓮見早良(はすみ さわら)は恋をしていた。  ひとつ下の幼馴染、片桐優一朗(かたぎり ゆういちろう)に。  それは一方的で、実ることを望んでいないがゆえに、『楽な片恋』のはずだった……  早良と優一朗は、母親同士が親友ということもあり、幼馴染として育った。  ひとつ年上ということは、高校生までならばアドバンテージになる。  平々凡々な自分でも、年上の幼馴染、ということですべてに優秀な優一朗に対して兄貴ぶった優しさで接することができる。  高校三年生になった早良は、今年が最後になる『年上の幼馴染』としての立ち位置をかみしめて、その後は手の届かない存在になるであろう優一朗を、遠くから片恋していくつもりだった。  優一朗のひとことさえなければ…………

林檎を並べても、

ロウバイ
BL
―――彼は思い出さない。 二人で過ごした日々を忘れてしまった攻めと、そんな彼の行く先を見守る受けです。 ソウが目を覚ますと、そこは消毒の香りが充満した病室だった。自分の記憶を辿ろうとして、はたり。その手がかりとなる記憶がまったくないことに気付く。そんな時、林檎を片手にカーテンを引いてとある人物が入ってきた。 彼―――トキと名乗るその黒髪の男は、ソウが事故で記憶喪失になったことと、自身がソウの親友であると告げるが…。

【BL】記憶のカケラ

樺純
BL
あらすじ とある事故により記憶の一部を失ってしまったキイチ。キイチはその事故以来、海辺である男性の後ろ姿を追いかける夢を毎日見るようになり、その男性の顔が見えそうになるといつもその夢から覚めるため、その相手が誰なのか気になりはじめる。 そんなキイチはいつからか惹かれている幼なじみのタカラの家に転がり込み、居候生活を送っているがタカラと幼なじみという関係を壊すのが怖くて告白出来ずにいた。そんな時、毎日見る夢に出てくるあの後ろ姿を街中で見つける。キイチはその人と会えば何故、あの夢を毎日見るのかその理由が分かるかもしれないとその後ろ姿に夢中になるが、結果としてそのキイチのその行動がタカラの心を締め付け過去の傷痕を抉る事となる。 キイチが忘れてしまった記憶とは? タカラの抱える過去の傷痕とは? 散らばった記憶のカケラが1つになった時…真実が明かされる。 キイチ(男) 中二の時に事故に遭い記憶の一部を失う。幼なじみであり片想いの相手であるタカラの家に居候している。同じ男であることや幼なじみという関係を壊すのが怖く、タカラに告白出来ずにいるがタカラには過保護で尽くしている。 タカラ(男) 過去の出来事が忘れられないままキイチを自分の家に居候させている。タカラの心には過去の出来事により出来てしまった傷痕があり、その傷痕を癒すことができないまま自分の想いに蓋をしキイチと暮らしている。 ノイル(男) キイチとタカラの幼なじみ。幼なじみ、男女7人組の年長者として2人を落ち着いた目で見守っている。キイチの働くカフェのオーナーでもあり、良き助言者でもあり、ノイルの行動により2人に大きな変化が訪れるキッカケとなる。 ミズキ(男) 幼なじみ7人組の1人でもありタカラの親友でもある。タカラと同じ職場に勤めていて会社ではタカラの執事くんと呼ばれるほどタカラに甘いが、恋人であるヒノハが1番大切なのでここぞと言う時は恋人を優先する。 ユウリ(女) 幼なじみ7人組の1人。ノイルの経営するカフェで一緒に働いていてノイルの彼女。 ヒノハ(女) 幼なじみ7人組の1人。ミズキの彼女。ミズキのことが大好きで冗談半分でタカラにライバル心を抱いてるというネタで場を和ませる。 リヒト(男) 幼なじみ7人組の1人。冷静な目で幼なじみ達が恋人になっていく様子を見守ってきた。 謎の男性 街でキイチが見かけた毎日夢に出てくる後ろ姿にそっくりな男。

素直じゃない人

うりぼう
BL
平社員×会長の孫 社会人同士 年下攻め ある日突然異動を命じられた昭仁。 異動先は社内でも特に厳しいと言われている会長の孫である千草の補佐。 厳しいだけならまだしも、千草には『男が好き』という噂があり、次の犠牲者の昭仁も好奇の目で見られるようになる。 しかし一緒に働いてみると噂とは違う千草に昭仁は戸惑うばかり。 そんなある日、うっかりあられもない姿を千草に見られてしまった事から二人の関係が始まり…… というMLものです。 えろは少なめ。

【完結】I adore you

ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。 そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。 ※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

処理中です...