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15.英雄の器とは
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【傑視点】
手土産片手に訪ねた骨董屋。
パワーストーンだという貴石を惜しみなく敷いた中庭は、夏至の強い日差しを受け、今日も独特な色を放っている。
夏の盛りにも拘わらず縁側が涼しいのは、もしかしたらこの妖しささえ感じる庭の所為なのかもしれない。
そんな失礼な事を考えながら入道雲を眺めていると、不意に涼やかな声が耳を打った。
「『英雄と云うものは天と戦うものなのだろう』……」
「え?」
視線を落とせば、俺の膝を枕に昼寝を楽しんでいた筈のアヤさんが、くふくふと喉を鳴らしている。
いつ起きたのだろう。全く気づかなかった。
睡魔の残る瞳を撓ませる彼は、無言で驚く俺を見上げて言葉を繋ぐ。
「『英雄の器』に出てくる言葉だよ。急に思い出しちゃった」
「へえ、何で?」
「ふふ……何でだろうね。傑を見てたからかな」
「俺?」
「うん、いつも真っ直ぐ走る傑だから。多少の困難なら無意識に挑んで乗り越えちゃいそう」
「そうかなあ……過大評価じゃない?」
「そんな事ないよ、自覚が無いだけでしょ」
「うぅん……」
そうだろうか。
アヤさんを疑うわけではないが、矢張り過大評価だと思う。
俺は勇気があるわけでもなければ、行動力があるわけでもない。
どちらかと言えば優柔不断で鈍臭い人間だ。
「傑、もしかして疑ってる?」
「疑ってるって言うか……恥ずかしい、かな」
ちょんと口を尖らせる彼の赤髪を、指先で丁寧に梳く。途端、彼の眼が擽ったそうに細まった。
瞼動き一つ取っても絵になる人だ。
美とは得である。
「……アヤさんは戦うの?」
「んぅ?」
「ほら、さっき言ってた『英雄の器』の……」
彼は、ああ、と頷くと白い手で口許を覆い、可笑しそうな表情で言う。
「俺は戦わないかなぁ。だって疲れちゃうじゃない」
「そこなの?」
「うん。俺、面倒くさがりだもん。怒るのもそう、疲れたくないから怒らないの。ほら、ものぐさでしょ?」
「うーん……」
正直、同意しかねる。
アヤさんはこう言うが、半分冗談な気がする。
面倒くさがりの無精者は、態々他人の為に動かない。
この骨董屋たちは憎まれ口を叩く割に見返りを求めず、善意で行動する節がある。
先日の連続不審事故など良い例である。
俺は静かに怒るアヤさんを思い出し、ぶるりと身を震わせた。
美人の怒りは恐い。とても恐い。
アヤさんは一人百面相をする俺を面白そうに観察していたが、不意に声を落とし、でも、と口を開いた。
「そうだなぁ……必要なら最後まで戦うけどね」
「え、結局戦うの?」
「あくまで必要なら、だよ。さっきも言ったけど疲れちゃうし。それに俺、争いごとって嫌いなんだよね——」
——無意味に傷つけ合うだけみたいな気がしてさ。
そう言って彼は再び瞼を閉じた。
程なくして、規則正しい呼吸音が縁側に零れる。
入眠が早い。今日は『おねむの日』らしい。
暫く彼の髪を指先で遊んだり、形の良い頭を撫でたりしながら、手入れの行き届いた庭を観察していたが——ふと、腿の形に従い僅かに反る白い喉へ左手を乗せた。
喉仏の浮き出るそこから、ゆっくりと下へ辿る。
鎖骨、小胸筋、胸骨と進み。
行き着いた先は、左胸。
心臓の、上。
掌を打つ確かな鼓動に、俺はほう、と息をついた。
彼の昼寝に付き合っていると、時々怖くなる。
白くきめ細かい肌や薄紅色の唇、長い睫毛に柔い赤毛。まるで精緻な人形のように整っているから。
もしこのまま、眼を覚さなかったら——なんて。
縁起でもない考えに、ふるりと背筋を震わせたその時、
「——えっち」
「!?」
中性的な嗜め声に打たれた。
ぎょっとして目線をずらすと、まんまるな眼が咎めるように俺を見上げ、口を尖らせている。
「傑の手、動きがえっちだ」
「ちょ、ちがっ……えっ、えぇ!?」
厭らしいと称された左手を慌てて引っ込めようとするも、寸手のところで握り取られてしまい、失敗に終わる。
無理矢理引っこ抜く事は出来ないし、しどろもどろに弁明するのもおかしい。
視線を泳がせて狼狽する俺に満足したのか、アヤさんはゆっくりと左手を解放しながら愉快そうに笑った。
「ふふ、冗談だよ。そんなにびっくりする事ないじゃない、俺だっておんなじ男だよ?」
「いや、まあ…そうなんだけど……」
アヤさんに言われると性別に関係なく、いけない事をした気になる。
だがこんな事、馬鹿正直に言うわけにはいかない。
上手い言葉が出て来ず、うぅ、と喉の奥で唸ると同時に、背後から襖の開く音がした。
奥の台所に消えたユウさんが、三時のおやつを手に戻って来たようだ。
口の悪い骨董屋は何かを察したのか、可笑しそうな息を零す。
「アヤ、まあた傑を弄んでんのか?」
「弄んでなんかないよぅ。ね、傑?」
「え?! あー……、はぃ……」
「別にどっちでもいいけど。早く食わねえと温くなっちまうぞ」
「はぁい。行こ」
「う、うん……」
座敷へ戻るアヤさんを追うように立ち上がる。
半歩先を行く彼の旋毛を呆と見ていると突然、墨染めの着流しが翻り、悪戯っ子な顔が俺の瞳を覗き込んできた。
彼は瞼を撓ませ、まるで先の俺のを真似るように、俺の左胸へしっとりと掌を乗せた。
「ねえ傑」
「な、なに……?」
囁くような声と戯れに動く手に、情けなく声が震える。
羞恥心と僅かな期待から顔を熱くする俺に気づいているのか、いないのか。天然小悪魔の言葉は続く。
「俺は必要に迫られれば戦うけど、傑は最初から戦う選択をすると思うよ」
「へ……?」
先の問答の続きを口にした彼は、何事も無かったような仕草で離れると、定位置に腰を下ろすなり俺を見上げてーー戦うよ、と繰り返す。
「傑はきっと、俺よりずっと激しいもの」
そう言って彼は満足そうに微笑み、水菓子の盛られた皿をいそいそと引き寄せた。
今日のおやつはスイカとキウイらしい。
アヤさんの真意は解らないけれど。
まずは喧しく跳ねる心臓を何とかしようと思った。
お題フリー
何でもかんでも意識しちゃう傑(26)🐶
手土産片手に訪ねた骨董屋。
パワーストーンだという貴石を惜しみなく敷いた中庭は、夏至の強い日差しを受け、今日も独特な色を放っている。
夏の盛りにも拘わらず縁側が涼しいのは、もしかしたらこの妖しささえ感じる庭の所為なのかもしれない。
そんな失礼な事を考えながら入道雲を眺めていると、不意に涼やかな声が耳を打った。
「『英雄と云うものは天と戦うものなのだろう』……」
「え?」
視線を落とせば、俺の膝を枕に昼寝を楽しんでいた筈のアヤさんが、くふくふと喉を鳴らしている。
いつ起きたのだろう。全く気づかなかった。
睡魔の残る瞳を撓ませる彼は、無言で驚く俺を見上げて言葉を繋ぐ。
「『英雄の器』に出てくる言葉だよ。急に思い出しちゃった」
「へえ、何で?」
「ふふ……何でだろうね。傑を見てたからかな」
「俺?」
「うん、いつも真っ直ぐ走る傑だから。多少の困難なら無意識に挑んで乗り越えちゃいそう」
「そうかなあ……過大評価じゃない?」
「そんな事ないよ、自覚が無いだけでしょ」
「うぅん……」
そうだろうか。
アヤさんを疑うわけではないが、矢張り過大評価だと思う。
俺は勇気があるわけでもなければ、行動力があるわけでもない。
どちらかと言えば優柔不断で鈍臭い人間だ。
「傑、もしかして疑ってる?」
「疑ってるって言うか……恥ずかしい、かな」
ちょんと口を尖らせる彼の赤髪を、指先で丁寧に梳く。途端、彼の眼が擽ったそうに細まった。
瞼動き一つ取っても絵になる人だ。
美とは得である。
「……アヤさんは戦うの?」
「んぅ?」
「ほら、さっき言ってた『英雄の器』の……」
彼は、ああ、と頷くと白い手で口許を覆い、可笑しそうな表情で言う。
「俺は戦わないかなぁ。だって疲れちゃうじゃない」
「そこなの?」
「うん。俺、面倒くさがりだもん。怒るのもそう、疲れたくないから怒らないの。ほら、ものぐさでしょ?」
「うーん……」
正直、同意しかねる。
アヤさんはこう言うが、半分冗談な気がする。
面倒くさがりの無精者は、態々他人の為に動かない。
この骨董屋たちは憎まれ口を叩く割に見返りを求めず、善意で行動する節がある。
先日の連続不審事故など良い例である。
俺は静かに怒るアヤさんを思い出し、ぶるりと身を震わせた。
美人の怒りは恐い。とても恐い。
アヤさんは一人百面相をする俺を面白そうに観察していたが、不意に声を落とし、でも、と口を開いた。
「そうだなぁ……必要なら最後まで戦うけどね」
「え、結局戦うの?」
「あくまで必要なら、だよ。さっきも言ったけど疲れちゃうし。それに俺、争いごとって嫌いなんだよね——」
——無意味に傷つけ合うだけみたいな気がしてさ。
そう言って彼は再び瞼を閉じた。
程なくして、規則正しい呼吸音が縁側に零れる。
入眠が早い。今日は『おねむの日』らしい。
暫く彼の髪を指先で遊んだり、形の良い頭を撫でたりしながら、手入れの行き届いた庭を観察していたが——ふと、腿の形に従い僅かに反る白い喉へ左手を乗せた。
喉仏の浮き出るそこから、ゆっくりと下へ辿る。
鎖骨、小胸筋、胸骨と進み。
行き着いた先は、左胸。
心臓の、上。
掌を打つ確かな鼓動に、俺はほう、と息をついた。
彼の昼寝に付き合っていると、時々怖くなる。
白くきめ細かい肌や薄紅色の唇、長い睫毛に柔い赤毛。まるで精緻な人形のように整っているから。
もしこのまま、眼を覚さなかったら——なんて。
縁起でもない考えに、ふるりと背筋を震わせたその時、
「——えっち」
「!?」
中性的な嗜め声に打たれた。
ぎょっとして目線をずらすと、まんまるな眼が咎めるように俺を見上げ、口を尖らせている。
「傑の手、動きがえっちだ」
「ちょ、ちがっ……えっ、えぇ!?」
厭らしいと称された左手を慌てて引っ込めようとするも、寸手のところで握り取られてしまい、失敗に終わる。
無理矢理引っこ抜く事は出来ないし、しどろもどろに弁明するのもおかしい。
視線を泳がせて狼狽する俺に満足したのか、アヤさんはゆっくりと左手を解放しながら愉快そうに笑った。
「ふふ、冗談だよ。そんなにびっくりする事ないじゃない、俺だっておんなじ男だよ?」
「いや、まあ…そうなんだけど……」
アヤさんに言われると性別に関係なく、いけない事をした気になる。
だがこんな事、馬鹿正直に言うわけにはいかない。
上手い言葉が出て来ず、うぅ、と喉の奥で唸ると同時に、背後から襖の開く音がした。
奥の台所に消えたユウさんが、三時のおやつを手に戻って来たようだ。
口の悪い骨董屋は何かを察したのか、可笑しそうな息を零す。
「アヤ、まあた傑を弄んでんのか?」
「弄んでなんかないよぅ。ね、傑?」
「え?! あー……、はぃ……」
「別にどっちでもいいけど。早く食わねえと温くなっちまうぞ」
「はぁい。行こ」
「う、うん……」
座敷へ戻るアヤさんを追うように立ち上がる。
半歩先を行く彼の旋毛を呆と見ていると突然、墨染めの着流しが翻り、悪戯っ子な顔が俺の瞳を覗き込んできた。
彼は瞼を撓ませ、まるで先の俺のを真似るように、俺の左胸へしっとりと掌を乗せた。
「ねえ傑」
「な、なに……?」
囁くような声と戯れに動く手に、情けなく声が震える。
羞恥心と僅かな期待から顔を熱くする俺に気づいているのか、いないのか。天然小悪魔の言葉は続く。
「俺は必要に迫られれば戦うけど、傑は最初から戦う選択をすると思うよ」
「へ……?」
先の問答の続きを口にした彼は、何事も無かったような仕草で離れると、定位置に腰を下ろすなり俺を見上げてーー戦うよ、と繰り返す。
「傑はきっと、俺よりずっと激しいもの」
そう言って彼は満足そうに微笑み、水菓子の盛られた皿をいそいそと引き寄せた。
今日のおやつはスイカとキウイらしい。
アヤさんの真意は解らないけれど。
まずは喧しく跳ねる心臓を何とかしようと思った。
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何でもかんでも意識しちゃう傑(26)🐶
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