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最終回 魔人、死すべし

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 九郎原宿が燃えていた。
 黒々とした煙が、天に向かって立ち昇っている。

「しまった」

 宿場へと続く街道を歩んでいた市松の足は、自然と駆け足へと変わっていた。

(遅かったか……)

 市松は昨夜阿久津へ立ち寄った後悔を胸に宿場へ足を踏み入れたが、そこに住まう人々は、今や屍喰どもの餌となり果てていた。
 人間だった肉塊は宿場の広場に山積みにされ、大量の屍喰に喰われているのだ。肉を食む咀嚼音だけが静寂の中で響き、流石の市松も身の毛がよだつのを覚えた。

(糞ったれめ)

 市松は、九郎原宿の名主・金蔵きんぞうから乞われて、助っ人をするはずだった。金蔵は住民全員で秘密裏に九郎原宿を脱し、人間が優勢な新田郡まで逃げる計画を立てていたのだ。市松が踏んでいた仕事ヤマは、その露払いだった。報酬は銭の他に食料、そして女。
 しかし遅かった。この惨状を見る限り、逃亡の企ては事前に露見し制裁を受けたのだろう。魔人にとって、人間は奴隷であり、家畜であり、財産であり、食料である。このような鏖殺おうさつは、余程の事がない限りする事は少ない。

(こうなりゃ、長居は無用だ)

 魔人の領分は、危険が多い。予想外の事態に陥った場合、さっさとおいとまするというのが、生き残る秘訣である。

「おい」

 踵を返した市松は、何者かに呼び止められた。

「もう帰るのか?」

 男の声。気配は感じなかった。振り向くと、直垂ひたたれの上に艶やかな錦の陣羽織を羽織った男が立っていた。
 赤い瞳。魔人だった。
「狩り師の仙田市松。〔桶屋の市松〕と呼ばれているそうだな」
 男は若い。そして、美男子と読んでもいい顔立ちである。市松には軟弱に見えるが、女はこうした顔立ちが好きなのかもしれない。

「俺も有名になったものだねぇ」
「勘違いするな下郎。この金蔵が教えてくれたのだ」

 と、魔人は男の皺首を左手に翳した。

「べらべらと、話してくれた。こうなる前に協力してくれれば良かったものを……」

 そう言って、魔人は金蔵の首に噛り付いた。左頬から瞼への肉を頬張るが、不味かったのか、すぐに吐き出して首を投げ捨てた。

「魔人め」
「私は、ただの魔人ではない。〔あのお方〕に選ばれし、誉れ高き魔人将軍である」
「すると、てめぇが木村何某なにがしとかいう」
「左様。木村長門守重成しげなりである」

 こいつが。その名を聞いて、市松は思わず吹き出しそうになる自分を抑えた。二つの仕事ヤマが、こんな所で繋がったとは。

(しかし此処で出会うとは、運がいいのか悪いのか)

 この男も、きっと名のある者なのだろう。いや、名前だけではない。実力も相応のものを備えている。魔人の中でも、〔あのお方〕から特に信頼された者は魔人将軍の称号を得る言われているのだ。

「我が領分で逃散の企てがあると聞い及んだ。〔あのお方〕にお預かりした大事な土地で、斯様な真似は看過できぬ」
「それで、この惨状か」

 市松は、さりげなく三度笠と道中合羽を脱ぎ捨てた。

「他の領民への見せしめが必要でな」
「〔あのお方〕はこんな真似を望んじゃいねぇんじゃねぇのかい?」
「笑止。貴様に〔あのお方〕の何がわかる?」
「聞く話によりゃ、魔導維新というのは、この国と民をよい方向に導く為と聞いたぜ。それともお前達のお題目は、嘘っ八か?」

 魔人の顔がどんどん赤くなる。どうやら、この魔人は忠誠心こそ篤いが、単純で短気なようだ。いつの時代に何を為した男なのか、市松は知らない。だが、生前この男の家臣だった者は、さぞや苦労した事だろう。

「おのれ、人間の分際で」
「人間様だぜ、妖鬼バケモノ。あそこで恐れ多くも人間様を喰っている屍喰を呼ぶかい? おお呼ぶだろうな。お前さんは、叛乱を恐れる臆病者。俺に一対一を挑む度胸はなかろうぜ」
「魔人将軍たる私に対し、数々の暴言を。もはや許せぬ。貴様を殺した後、毛一本残さず喰ろうてやろう」

 重成が太刀を抜き払い、八相に構えた。市松も、榊国秀を抜く事でそれに応えた。
 重成の闘気は、既に満ちていた。潮合いを読む必要は無い。
 市松は、細心の注意を払いながらも、大胆に踏み込んだ。
 横凪ぎの一閃。しかし重成は、それを宙に舞う事で躱した。その動き。人間には為せぬ、魔導の動きであった。だが、市松は冷静だった。魔人はこれまでにも斃したし、それを商売にもしている。
 重成はこちらの隙を覗っているのか、まるで空を舞う凧のように空中を浮遊している。

「死ね」

 重成は急遽、急降下し突風のような斬撃が市松を襲った。
 見えたのは光だけだった。その光を市松は躱したが、左の脇腹を浅く斬られていた。

(こいつも、中々だ)

 魔人将軍の名前は、伊達ではないという事か。
 また重成が宙に浮かんでいる。市松は正眼に構えると、大きく息を吐き心気を整えた。
 脳裏に浮かべるのは、死んだ妻と娘の笑顔。二人のいない世に、未練はない。いつ死んでもいい。だからこそ、こんな商売をしているのだ。
 しかし、それだけでない気持ちも確かにある。青っぽくて恥ずかしいが、もう二度と妻や娘のような者を出したくはないのだ。

(だから殺す。魔人を、一匹残らず)

 頭上から、刃の光。重成の気勢。殺気が爆ぜる、一撃だった。迫る。市松は、捨て身の覚悟で跳躍し榊国秀を奔らせた。
 宙で交錯し、ほぼ同時に着地した。
 二つになって倒れたのは、重成だった。

「おのれ……」

 魔人は、その身体を両断されてもなお、這って市松に挑もうとしている。

「諦めろよ。お前さんの負けだ」
「ほざけ。徳川を……、秀頼様のお命を奪い、豊臣家を滅ぼした徳川を倒すまでは、私は斃れん……」

 なおも重成が、這って向かってくる。

「その根性だけは認めてやるぜ」

 市松は、右頬の傷を親指の腹で拭った。そして榊国秀を構えると、重成の頭蓋に切っ先を突き刺した。

「これも渡世の義理だ。勘弁してくれ」

◆◇◆◇◆◇◆◇

 重成が斃れると、ひと固まりになって人肉を貪っていた屍喰達が、おもむろに立ち上がった。
 目が合う。屍喰達が、主君の死に怒るように一斉に咆哮した。

「おっと、こいつはやべぇな」

 市松は、三度笠と道中合羽を拾い上げると、一目散に駆け出した。
 宿場の門。駆け抜ける。が、そこには数百の屍喰が、挟撃するかのように市松を待ち構えていた。

「へっ。本当に面倒な世の中になっちまったぜ」

 そう苦笑した市松は、榊国秀の刃を首に当てるか、屍喰の群れに斬り込むか、少しだけ考えた。

〔了〕


◆◇◆◇◆◇◆◇

<魔人file.1>

木村重成
戦国時代の豊臣家家臣。木村重茲の子といわれている。父と兄は秀次事件に連座して処刑されたが、本人は豊臣家に殉じて大坂夏の陣で戦死した。
〔あのお方〕により、208番目の魔人として受肉を果たす。魔導維新では、楠木正成の指揮下で四国平定戦に従事。論功行賞で、上野国佐位郡2万石を与えられる。
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