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第五回 乞食の都
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大宰府に、木枯らしが吹いていた。
飛鳥五条通り。襤褸の袈裟を纏い、乞食坊主に化けた三無は、大鼓橋から通朱雀へと、頼りない足取りで歩いていた。
手に錫杖、口に念仏。右足は不具を装い、不自然な形で内側に曲げている。そうして進む姿は、本家よりも堂に入ったものだという自負が、三無にはあった。
十五年、三無は坊主だったのだ。まだ妻を娶る前の話だ。先代右京亮の伝手で、とある浄土宗に出家した。和尚は三無の素性を知っていたが、何も言わなかった。殺生の愚を説く事も無い。それは、過分な銭を渡していたからだ。和尚も、浮羽の坊主。差し詰め、魍魎の坊主だったという事だろう。
寺で寝起きし、経を上げ托鉢を為す。その合間で、右京亮からの役目を受けて、人を殺した。仏道に身を置いても、我が身に流れる畜生の血が変わるわけではない。当然、有難い説法にも、心動かす事は無かった。
十五年も坊主でいる事で、三無は〔七法出の術〕と呼ばれる変装術を、より精密なものに磨きあげた。出家は、術の為だったのだ。
和尚は、寺を出る日に始末した。それは右京亮の指示で、共に修行をしていた坊主や、世話をしてくれた寺男も殺した。鏖殺される理由はわからないが、村に戻った三無にはかなりの銭と妻となる美貌の女が与えられた。
それからというものの、三無は好んで坊主に化けた。我ながら、見事なものである。
(賑やかだのう……)
三無は不具の足を止め、網代笠の庇を上げた。観世音寺の傍に立った、市に行き当たったのだ。
商人が、景気のいい売り文句を叫んでいる。買い物客の表情も明るい。
大宰府は、活気で満ちていた。人や荷車の往来は激しく、物が溢れている。勢力圏内の治安が保たれ、物流に支障がないのだろう。
(まるで祭りじゃ)
乞食坊主たる三無は、市を避けるように歩き出した。
街自体も、急激な速さで拡張しつつある。家屋を建てる木槌の音が、方々から聞こえ絶える事はない。宮方の九州拠点として、都のようにするつもりなのかもしれない。その一方で、乞食も増えつつあるという。光あれば影も生まれるものなのだ。
通朱雀に入った。
宮方の重臣の屋敷が建ち並んでいる。宮方が大宰府を奪うと、区画を整理し直したそうだ。烏丸公知邸の左右には、菊池肥後守と城備後の屋敷。どの屋敷も門扉は固く閉じられ、薙刀を構えた雑兵が警固している。
三無は、烏丸邸の屋敷が見渡せる辻に立ち、いつものように托鉢の真似事を始めた。こうするのは、今日で五日目になる。
三無の周りでは、小汚い乞食が、数十人もたむろしている。中には生死さえ定かではない者が、糞尿を垂れ流して転がっている。この辺りは、慈悲を求めてくる貧者が多いのだ。それに対し、武士や貴人は無視をする。まるで、路傍の石のようにしか見ていない。ただ、近付き過ぎれば、容赦なく斬り捨てられる。先日も子供の乞食が、屋敷に入ろうとして頭蓋を両断されたばかりだった。
乞食の群れは、屋敷を監視するには絶好の場所だった。〔三無の術〕を妨げる、乞食特有の饐えた臭いは難点だが、そんなものは洗えば落ちる。臓腑からの臭いではない限り、どうとでもなるのだ。
今回の役目は、烏丸公知という公家の暗殺である。たった一人を殺せばいい暗殺は、三無にとっては楽なものだった。四六時中、気を張れる者などそうはいない。じっと待ち、隙を見せた時に殺せばいいのだ。物や人の掻っ攫いや、火付け・流言飛語の類はそうはいかない。
(ただ今回の役目は、ちと気を使わねばなるまいて)
それは、右京亮からも念を押されていた。
烏丸という男は、当世随一の謀将であり、海内無双の軍師。犬塚で宮方を勝利に導いたのは、この鉄漿であるという。当然、暗殺というものに対しても、厳重に警戒はしているだろう。この男がいる限り、宮方は負けも揺るぎもしない。そして、近いうちに九州を一統させるであろう。すると、三無が忌み嫌う泰平が訪れてしまう。
(だが殺せば……)
三無の顔は、網代笠の下で綻んでいた。
九州は、再び麻の如く乱れる。宮方内での争いも起きるかもしれない。すると、そこに銭の種が生まれるはずである。
(殺さねばのう)
泰平など来てしまえば、食えなくなってしまう。乱世こそ、三無の望むものなのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日、肥後守が二名の供を引き連れ、烏丸邸を訪ねてきた。昼過ぎの事である。肥後守は筋骨逞しい大柄の男で、顔の半分を虎髭で覆われている。全身から、驍勇の氣を漲らせていた。軍の総帥たる男にしては、供回りが少ないのも頷ける。この男自体が、誰よりも使い手なのだ。
肥後守が烏丸邸を辞去したのは、夕暮れ近くになってからだった。酒宴を演じたのか、千鳥足である。三無はそれを、辻の陰から見ていた。
宮方の総帥。この男が死ねば、御家人衆は動揺し、あわよくば瓦解する。烏丸が宮方の頭脳なれば、肥後守は御家人の利益代表者という所だ。その集合体の象徴として、宮様が君臨している。
(あの男を始末すれば、幾ら銭を貰えるかのう)
そう思った瞬間、隈蘇守の全身から禍々しい殺気が噴き出した。
(しまった)
三無は慌てて身を引き、闇の中に潜んだ。術を破られたかもしれない。そう思ったが、肥後守は何事も無かったように、また歩き出していた。
(なんちゅう奴じゃ)
まるで禽獣が如き男だ。野生の勘で危険を察知したのであろう。意図的ではないそれは、術が破られたとは言えない。ただの勘働きだ。
この日はそのまま通朱雀を立ち去り、寝床である大鼓橋に戻った。橋の下は、多くの乞食が寝起きする貧民窟である。
川岸に敷いた筵に転がっていると、傍に乞食が座り込んできた。襤褸を纏っていたが、それは布きれのようで、ほぼ裸同然の格好である。
「与助か」
三無は、口を動かさない〔忍び語りの術〕で言った。与助は右京亮の家人の一人で、手下の忍びを監視する物見役である。歳は若い。吾市より、幾つか上ぐらいだ。
「そうじゃ」
与助も、忍び語りで応えた。木枯しの季節だが、寒がる様子はない。それは修練の結果だろう。寒暖に動じない精神を、忍びは有している。
「ぬしが儂の物見かえ?」
「察しの通りじゃ。首尾はどうかのう」
物見役は、時折こうして現れては、進捗を確認する。だが、決して手を貸さない。危機に際しても、傍観を決め込む。そして忍びが死ねば、それを右京亮に報告するだけの役目なのだ。仲間であって、仲間でない。元より、忍びに仲間などいないものであるが、役目の性質上、物見役は嫌われている。それでも与助が、この役目に就いているのは、銭の額と父親も物見役だったからだという。
「まだまだじゃ。時期を待っておる」
「そうか。だが、もうすぐ七日になるぞ」
「六日じゃ。しゃんと物見しよれ」
「六日も七日も変わりゃせんわい、爺たれ」
「何じゃ、急ぐんか? お頭は、じっくりしてもよいと言いおったが」
「んにゃ、急かされてはおらん。確かめただけじゃ」
「そうか」
と、三無は目を閉じ、手で払う仕草をした。無駄に会話はしたくない。与助が宮方の忍びに睨まれていれば、その線から自分が狙われるかもしれない。
「気張って殺れや、爺たれ。首一つで大枚の銭じゃ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
烏丸が屋敷から出たのは、大宰府に入って十日目だった。
細面の男で、歳は四十路ほどだろう。公家衣装で、牛車に乗り込む姿が見えた。供回りは、十二名。屈強な武士である。
烏丸の姿を認めると、乞食共が俄かに立ち上がり、慈悲を求めようと遠巻きに囲んだ。それを、供の武士が制する。これ以上近付けば、容赦なく斬られるであろう。
武士が銭を蒔いた。これは烏丸の指示で、乞食はそれを知っていて待っていたのだ。三無も慌てて、地に這い蹲って銭を拾った。そうしながらも牛車に近付き、簾から微かに見える烏丸の面貌を目に焼き付けた。切れ長の目に、鼻が高い。口許には、大きな黒子がある。間違いなく、あれが烏丸公知だ。糞虫のように銭を拾う乞食を、見ようともしない。その横顔からは、銭で犬を追っ払ったという印象を受けた。
それから烏丸一行は、宮様の御座所でもある大宰府政庁に入った。
政庁の前で、宮様直属の検非違使が待ち構えており、乞食の一団は追い払われた。大宰府の治安は、この検非違使が担っていて、厳しい追捕で既に悪名を轟かせている。
三無も乞食と共に、通朱雀で烏丸の帰りを待った。待っている間、烏丸邸の間取りを頭の中で何度も反芻した。大宰府に入る前、内通者に会い間取り図を聞かされていたのだ。人を信用せぬ三無は、それを参考程度に留めている。内通者が誰なのか、それは知らない。知っているのは右京亮ぐらいで、その素性を詮索する事は浮羽忍の掟で禁じられている。故に三無は、全面的に内通者を信じる事は無い。
烏丸が戻ったのを確認し、三無は右足を引きずって大鼓橋の寝床に戻った。
そこでは乞食共が焚火を囲み、何かを貪り喰っていた。
「坊さんもどうだい?」
乞食の一人が、歯抜けの顔に笑みを浮かべ、椀を差し出した。汁の中に、骨付きの肉。それは、鼻が捻じれるような臭気を放っている。
「なんじゃ、その鍋は」
「犬鍋じゃ。犬っころを二匹盗んだのでな。打っちゃ殺して鍋にしたのよ」
鍋の中では、犬の脚がぐらぐらと煮られている。不要な頭と皮は、無造作に捨てられていた。
「儂は飢えても坊主じゃ。生臭はせんわい」
「ほう、痩せ我慢じゃのう。これ喰や、その足も治るかもしれんぞ」
乞食共の嘲笑を背に、三無はその場を離れた。犬など食えば、臓腑に臭気が残ってしまう。そんなものは口に出来ない。
(そろそろ終いにせねばのう)
大宰府にも、乞食の群れにいるのも飽いた。いくら銭の為とはいえ、臭気を放つこの都に、長居をしたくはない。
飛鳥五条通り。襤褸の袈裟を纏い、乞食坊主に化けた三無は、大鼓橋から通朱雀へと、頼りない足取りで歩いていた。
手に錫杖、口に念仏。右足は不具を装い、不自然な形で内側に曲げている。そうして進む姿は、本家よりも堂に入ったものだという自負が、三無にはあった。
十五年、三無は坊主だったのだ。まだ妻を娶る前の話だ。先代右京亮の伝手で、とある浄土宗に出家した。和尚は三無の素性を知っていたが、何も言わなかった。殺生の愚を説く事も無い。それは、過分な銭を渡していたからだ。和尚も、浮羽の坊主。差し詰め、魍魎の坊主だったという事だろう。
寺で寝起きし、経を上げ托鉢を為す。その合間で、右京亮からの役目を受けて、人を殺した。仏道に身を置いても、我が身に流れる畜生の血が変わるわけではない。当然、有難い説法にも、心動かす事は無かった。
十五年も坊主でいる事で、三無は〔七法出の術〕と呼ばれる変装術を、より精密なものに磨きあげた。出家は、術の為だったのだ。
和尚は、寺を出る日に始末した。それは右京亮の指示で、共に修行をしていた坊主や、世話をしてくれた寺男も殺した。鏖殺される理由はわからないが、村に戻った三無にはかなりの銭と妻となる美貌の女が与えられた。
それからというものの、三無は好んで坊主に化けた。我ながら、見事なものである。
(賑やかだのう……)
三無は不具の足を止め、網代笠の庇を上げた。観世音寺の傍に立った、市に行き当たったのだ。
商人が、景気のいい売り文句を叫んでいる。買い物客の表情も明るい。
大宰府は、活気で満ちていた。人や荷車の往来は激しく、物が溢れている。勢力圏内の治安が保たれ、物流に支障がないのだろう。
(まるで祭りじゃ)
乞食坊主たる三無は、市を避けるように歩き出した。
街自体も、急激な速さで拡張しつつある。家屋を建てる木槌の音が、方々から聞こえ絶える事はない。宮方の九州拠点として、都のようにするつもりなのかもしれない。その一方で、乞食も増えつつあるという。光あれば影も生まれるものなのだ。
通朱雀に入った。
宮方の重臣の屋敷が建ち並んでいる。宮方が大宰府を奪うと、区画を整理し直したそうだ。烏丸公知邸の左右には、菊池肥後守と城備後の屋敷。どの屋敷も門扉は固く閉じられ、薙刀を構えた雑兵が警固している。
三無は、烏丸邸の屋敷が見渡せる辻に立ち、いつものように托鉢の真似事を始めた。こうするのは、今日で五日目になる。
三無の周りでは、小汚い乞食が、数十人もたむろしている。中には生死さえ定かではない者が、糞尿を垂れ流して転がっている。この辺りは、慈悲を求めてくる貧者が多いのだ。それに対し、武士や貴人は無視をする。まるで、路傍の石のようにしか見ていない。ただ、近付き過ぎれば、容赦なく斬り捨てられる。先日も子供の乞食が、屋敷に入ろうとして頭蓋を両断されたばかりだった。
乞食の群れは、屋敷を監視するには絶好の場所だった。〔三無の術〕を妨げる、乞食特有の饐えた臭いは難点だが、そんなものは洗えば落ちる。臓腑からの臭いではない限り、どうとでもなるのだ。
今回の役目は、烏丸公知という公家の暗殺である。たった一人を殺せばいい暗殺は、三無にとっては楽なものだった。四六時中、気を張れる者などそうはいない。じっと待ち、隙を見せた時に殺せばいいのだ。物や人の掻っ攫いや、火付け・流言飛語の類はそうはいかない。
(ただ今回の役目は、ちと気を使わねばなるまいて)
それは、右京亮からも念を押されていた。
烏丸という男は、当世随一の謀将であり、海内無双の軍師。犬塚で宮方を勝利に導いたのは、この鉄漿であるという。当然、暗殺というものに対しても、厳重に警戒はしているだろう。この男がいる限り、宮方は負けも揺るぎもしない。そして、近いうちに九州を一統させるであろう。すると、三無が忌み嫌う泰平が訪れてしまう。
(だが殺せば……)
三無の顔は、網代笠の下で綻んでいた。
九州は、再び麻の如く乱れる。宮方内での争いも起きるかもしれない。すると、そこに銭の種が生まれるはずである。
(殺さねばのう)
泰平など来てしまえば、食えなくなってしまう。乱世こそ、三無の望むものなのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
翌日、肥後守が二名の供を引き連れ、烏丸邸を訪ねてきた。昼過ぎの事である。肥後守は筋骨逞しい大柄の男で、顔の半分を虎髭で覆われている。全身から、驍勇の氣を漲らせていた。軍の総帥たる男にしては、供回りが少ないのも頷ける。この男自体が、誰よりも使い手なのだ。
肥後守が烏丸邸を辞去したのは、夕暮れ近くになってからだった。酒宴を演じたのか、千鳥足である。三無はそれを、辻の陰から見ていた。
宮方の総帥。この男が死ねば、御家人衆は動揺し、あわよくば瓦解する。烏丸が宮方の頭脳なれば、肥後守は御家人の利益代表者という所だ。その集合体の象徴として、宮様が君臨している。
(あの男を始末すれば、幾ら銭を貰えるかのう)
そう思った瞬間、隈蘇守の全身から禍々しい殺気が噴き出した。
(しまった)
三無は慌てて身を引き、闇の中に潜んだ。術を破られたかもしれない。そう思ったが、肥後守は何事も無かったように、また歩き出していた。
(なんちゅう奴じゃ)
まるで禽獣が如き男だ。野生の勘で危険を察知したのであろう。意図的ではないそれは、術が破られたとは言えない。ただの勘働きだ。
この日はそのまま通朱雀を立ち去り、寝床である大鼓橋に戻った。橋の下は、多くの乞食が寝起きする貧民窟である。
川岸に敷いた筵に転がっていると、傍に乞食が座り込んできた。襤褸を纏っていたが、それは布きれのようで、ほぼ裸同然の格好である。
「与助か」
三無は、口を動かさない〔忍び語りの術〕で言った。与助は右京亮の家人の一人で、手下の忍びを監視する物見役である。歳は若い。吾市より、幾つか上ぐらいだ。
「そうじゃ」
与助も、忍び語りで応えた。木枯しの季節だが、寒がる様子はない。それは修練の結果だろう。寒暖に動じない精神を、忍びは有している。
「ぬしが儂の物見かえ?」
「察しの通りじゃ。首尾はどうかのう」
物見役は、時折こうして現れては、進捗を確認する。だが、決して手を貸さない。危機に際しても、傍観を決め込む。そして忍びが死ねば、それを右京亮に報告するだけの役目なのだ。仲間であって、仲間でない。元より、忍びに仲間などいないものであるが、役目の性質上、物見役は嫌われている。それでも与助が、この役目に就いているのは、銭の額と父親も物見役だったからだという。
「まだまだじゃ。時期を待っておる」
「そうか。だが、もうすぐ七日になるぞ」
「六日じゃ。しゃんと物見しよれ」
「六日も七日も変わりゃせんわい、爺たれ」
「何じゃ、急ぐんか? お頭は、じっくりしてもよいと言いおったが」
「んにゃ、急かされてはおらん。確かめただけじゃ」
「そうか」
と、三無は目を閉じ、手で払う仕草をした。無駄に会話はしたくない。与助が宮方の忍びに睨まれていれば、その線から自分が狙われるかもしれない。
「気張って殺れや、爺たれ。首一つで大枚の銭じゃ」
◆◇◆◇◆◇◆◇
烏丸が屋敷から出たのは、大宰府に入って十日目だった。
細面の男で、歳は四十路ほどだろう。公家衣装で、牛車に乗り込む姿が見えた。供回りは、十二名。屈強な武士である。
烏丸の姿を認めると、乞食共が俄かに立ち上がり、慈悲を求めようと遠巻きに囲んだ。それを、供の武士が制する。これ以上近付けば、容赦なく斬られるであろう。
武士が銭を蒔いた。これは烏丸の指示で、乞食はそれを知っていて待っていたのだ。三無も慌てて、地に這い蹲って銭を拾った。そうしながらも牛車に近付き、簾から微かに見える烏丸の面貌を目に焼き付けた。切れ長の目に、鼻が高い。口許には、大きな黒子がある。間違いなく、あれが烏丸公知だ。糞虫のように銭を拾う乞食を、見ようともしない。その横顔からは、銭で犬を追っ払ったという印象を受けた。
それから烏丸一行は、宮様の御座所でもある大宰府政庁に入った。
政庁の前で、宮様直属の検非違使が待ち構えており、乞食の一団は追い払われた。大宰府の治安は、この検非違使が担っていて、厳しい追捕で既に悪名を轟かせている。
三無も乞食と共に、通朱雀で烏丸の帰りを待った。待っている間、烏丸邸の間取りを頭の中で何度も反芻した。大宰府に入る前、内通者に会い間取り図を聞かされていたのだ。人を信用せぬ三無は、それを参考程度に留めている。内通者が誰なのか、それは知らない。知っているのは右京亮ぐらいで、その素性を詮索する事は浮羽忍の掟で禁じられている。故に三無は、全面的に内通者を信じる事は無い。
烏丸が戻ったのを確認し、三無は右足を引きずって大鼓橋の寝床に戻った。
そこでは乞食共が焚火を囲み、何かを貪り喰っていた。
「坊さんもどうだい?」
乞食の一人が、歯抜けの顔に笑みを浮かべ、椀を差し出した。汁の中に、骨付きの肉。それは、鼻が捻じれるような臭気を放っている。
「なんじゃ、その鍋は」
「犬鍋じゃ。犬っころを二匹盗んだのでな。打っちゃ殺して鍋にしたのよ」
鍋の中では、犬の脚がぐらぐらと煮られている。不要な頭と皮は、無造作に捨てられていた。
「儂は飢えても坊主じゃ。生臭はせんわい」
「ほう、痩せ我慢じゃのう。これ喰や、その足も治るかもしれんぞ」
乞食共の嘲笑を背に、三無はその場を離れた。犬など食えば、臓腑に臭気が残ってしまう。そんなものは口に出来ない。
(そろそろ終いにせねばのう)
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(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
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