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武揚会
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染井村までは、馬で駆けた。
叩きつける雨は、いつの間にか止んでいる。運いているとは思ったが、こんなところで、運を使うのも勿体ない。
先頭は紅子。蒼嵐という青毛に乗り、軽快に泥を跳ね上げている。続いて梯、末永と続く。全員が見事な手綱捌きだ。甚蔵の馬術は未だ満足ではなく、乗っているというより乗らされている感覚に近い。余暇で隊の馬術師範に教わっているが、まだまだ上手く乗りこなしていない。
逸撰隊は機動力を重視していて、一人に一頭の馬を与えられる。甚蔵は、栗毛の牝馬だった。名前は、佐津と名付けた。死んだ妻の名前だった。三笠には悪趣味だと笑われたが、この牝馬の気性にはぴったりである。
二歳年下の佐津も、思い返せば中々の奔馬だった。手綱を握るどころか、逆に握られていた。後ろ足で蹴られた事もしばしばだ。
そんな暴れ馬も、病を得てからはすっかりとしおらしくなった。最後の三カ月は、実に穏やかだった。
染井村の傍を流れる谷田川の傍に、人だかりが出来ていた。野次馬かと思ったが、雰囲気からそうではないとすぐにわかった。
馬を跳び下りて駆け付けると、駒込界隈を縄張りにする岡っ引きが、甚蔵たちを出迎えた。集まっていたのは、下っ引きたちだ。
「逸撰隊が出張るんで、野次馬は帰らしましたよ」
四十路を迎えた浅黒いこの男は伝五郎という名前で、火盗改時代の甚蔵も何度か世話になった事がある。
「おや、加瀬様ですかい。今は逸撰隊に。それはそれは」
と、丁寧に頭を下げる。
甚蔵を指図役と思っているのだろう。それも無理もない。紅子と梯と末永なのだ。紅子が肩を竦めたので、甚蔵はそのまま会話を続けた。
「役替えでね。で、仏さんは」
「へぇ、こちらに」
谷田川の土手に、筵を掛けられた骸があった。
「酷い骸なので」
「ああ」
甚蔵は紅子と顔を見合わせ、筵をめくった。
「おう、こいつは」
背後で梯が声を挙げる。それも無理もない。男の顔の皮が、綺麗に剥ぎ取られているのだ。それでいて歯は全て折れ、両指も切断されている。
「惨いな」
「それで、これですよ」
と、伝五郎が十手の先で男の襟を開く。そこには羅刹天の木簡があった。
「これで、町奉行ではなく逸撰隊を呼んだのか」
「そうしろと言われましてね」
「誰に?」
甚蔵がそう訊くと、後ろから「私ですよ」と声が飛んできた。
「お前」
声の主は、益屋の側近・小向愛次郎だった。ここから寮は近く、益屋の縄張りである。現れても不思議ではない。
「どうしてお前が?」
「この男が、毒蛙の万蔵だからです」
「なに?」
「おそらく、これは見せしめでしょうね。逸撰隊に協力すればこうなるという」
「凄ぇな。益屋にも喧嘩を売るなんざ、羅刹道は狂犬か? 益屋も怒り狂っているだろうよ」
小向は否定をせずに、快活に笑った。益屋は本気で怒っているようだ。
それから伝五郎が、これまでにわかっている事を説明した。
発見者は、近くの乞食で八十助という老爺。雨が止み、外をふらついていると発見したようだ。所持品は木簡以外に無し。八十助が盗んだ物も無かった。
「ここで殺られたもんじゃないね」
紅子が、全身の擦過傷に目をやって呟いた。
「どこぞで拷問され、ここに捨てられたんだろう」
「益屋への忠告でしょうね。場所が場所だ」
そう言ったのは梯だった。末永は、状況を書き留めている。
「小向」
紅子が背後で佇立している小向を呼んだ。
「この件、益屋は動いているだろう? 報復するつもりかい?」
「さて、それを伝えてよいか私は判断できません」
「あんた、それじゃまるで傀儡だよ」
「よく言われます」
「なら伝えとけ。絶対に動くな。動けばあんたは敵だ」
「ほう」
「羅刹道を仕留めるのは逸撰隊さ」
小向がにやりと笑う。おそらく、益屋は動く。顔に泥を塗られたのだ。そして、羅刹道の耶馬行羅の身柄を巡って、益屋と競争になる。それは敵が増えたという事だった。
◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆
翌日、甚蔵は尋問に志願した。そして、その相手を指図役だった男を指名した。本来は三笠がやる予定だったが、無理を言って変わってもらったのだ。
指図役の名前は、大杉延廉。身分はわからないが、山伏のような雰囲気がある。
「物好きだな。お前、もしかして人を毀すのが好きなのか?」
詰め所で志願した時に、三笠から真顔で言われた。
尋問と言えば聞こえはいいが、実際は拷問である。そんなものを好んでやる人間は、加虐趣味を性癖と思われても仕方がない。
「好きじゃないさ。しかし、どうやら才能があるみたいでね」
経験に裏付けされた、自信があった。というのも、火盗改時代に散々やってきたからだ。何をすれば自白するのか、どの程度で心が毀れるのか。それを教えてくれたのは、元盗賊の密偵だった。その盗賊は、仲間の裏切りや敵対する盗賊を何人も拷問にかけてきたらしく、火盗改の走狗となってから、その手法を全て甚蔵に伝えてくれた。
「それに急いでいる。益屋が動く前に何とかしなければなならねぇ」
「毀すなよ」
「その前に、全て吐かせるさ」
尋問の志願に対して、紅子も何も言わなかった。そこでも物好きと言われただけだ。
それよりも、紅子の心配は益屋にあるらしい。ただ伊平次を益屋の監視に出す事はしなかった。それは甲斐に止められているからで、下手に探ると流血沙汰になると心配しているのだろう。兎に角、益屋より早くに羅刹道に辿り着く事だ。
尋問をする土蔵へ行くと、大杉が手足を縛られ転がっていた。一条の光も差し込まない中、灯りは百目蝋燭だけだ。
「これから三日、お前の相手をする加瀬って者だ」
「三日?」
大杉が顔を上げる。髭面だった。
「ああ、三日で吐かせるからな。嫌だったら、さっさと話してしまえ。羅刹道の事を洗いざらい」
「誰が話すか」
「強がるなら今のうちだぜ?」
大杉が顔を背ける。
「まぁいいさ、三日もあるんだ。ゆるりと行こうか」
甚蔵は付き添いの獄卒を締め出した。こういう場合は、二人きりになった方がいい。
「さ、やるか」
甚蔵は、淡々と作業を始めた。
秘訣は心を無にする事。拷問を伝授してくれた密偵が、そう言っていた。しかし、甚蔵はその境地まで至ってはいない。どうしても暗い気持ちになってしまうのだ。
甚蔵は手を動かしながら、これからの事を考えていた。羅刹道の目的は何なのか。慈光宗との繋がりは? 益屋はどう動くのか? 大獄院仙右衛門の役割は? 時折挙がる大杉の声は、遠いものに聞こえる。それでいい。淡々と作業をしていればいいのだ。
頭の中の情報を整理していると、昼餉を告げる太鼓が鳴った。甚蔵は手を休め、土蔵を出た。
気が付けば、自分が全身に汗をかいている事に気が付いた。
「加瀬様、凄い悲鳴でしたが、一体何を」
出迎えた獄卒が訊いてきた。甚蔵は苦笑いを浮かべ、「いつか教えてやるよ」と肩を叩いた。
食堂で握り飯だけを頼んだ。塩を多めに振ってもらった。
「よう、獄卒」
三笠が声を掛けて来た。傍には服部もいて、二人とも饂飩が乗った盆を持っている。
「噂してたぜ? 尋常じゃない悲鳴だったって。そして、お前さんは涼しい顔だったと。可哀想に、獄卒はお前を鬼だと怖がっていたぞ」
「ふふ。鬼かいいな」
「善童鬼という渾名を、お前に進呈しよう」
「役小角の鬼か?」
三笠が饂飩を啜りながら頷く。
「役小角の前を進み道を切り開くのが善童鬼の役目だ。お前は、逸撰隊に来て、よくやってくれている。隊を切り開く鬼になるやもという期待を込めてだ」
「いいな」
そう言って、甚蔵は塩辛い握り飯を頬張った。
「組頭が、毘藍婆で俺が善童鬼か。こいつはいいな。で、お前は?」
「妙童鬼」
甚蔵は、思わず握り飯を吹き出しそうににった。慌てて茶を啜る。
「なんだ、てめぇが女房かよ」
善童鬼・妙童鬼は、役小角に仕えた前鬼・後鬼という夫婦の鬼の別名で、妙童鬼は後鬼の方だった。
「俺は立場上、一番組のおっ母さんだからな。お前はおっ父さんだ。いいだろ? なぁ服部」
「うっす」
服部が短く返事を返す。この男が自発的に口を開く事は少ない。
「それで、何か吐いたか?」
三笠が話を変えた。
「いいや、まだ下準備だ。ここを入念にしていないと、心が毀れてしまう。手抜きは
許されんよ」
「なんだ、まるで職人じゃねぇか」
「俺に拷問を手ほどきしてくれた男は、まるで職人だったよ」
甚蔵は手についた米粒を入念に舐めて食べると、腰を上げた。
「それでその男は?」
「拷問で死んだよ」
盗賊から密偵になった者は走狗と呼ばれ、裏切り者扱いを受ける。男はかつての仲間に捕まって殺された。全身をバラバラに解体され、葛籠に入れられて当時の火盗改長官の役宅に投げ入れられていたのだ。
午後も、また作業に取り掛かった。自らの手を穢す。その事に、躊躇は無かった。今まで、散々ぱら人を斬ってきた。火盗改で重宝されたのも、人を斬る事に躊躇いがなかったからだった。同僚に、人斬りとも呼ばれた。人斬り甚蔵が、人斬り隊に入ったのだから、皮肉な話だ。
その日は、早めに切り上げた。大杉は光が入らない土蔵で吊るしたままである。下準備は終わった。その間に少しでも話すと思ったが、未だ何も話していない。これが狂信者の強さなのかもしれない。
甚蔵は、屋敷に帰らず屯所に泊まる事にした。雑務をしている下役に、着替えを取りに行かせ、そして伊佐と家の者に暫く戻れないと伝言を頼んだ。
別に忙しいわけではないが、拷問をやっている自分の顔を、伊佐に見せたくは無かったからだ。だが、また伊佐には叱られ機嫌を悪くするだろう。だが、これは仕方がないと諦めるしかない。
叩きつける雨は、いつの間にか止んでいる。運いているとは思ったが、こんなところで、運を使うのも勿体ない。
先頭は紅子。蒼嵐という青毛に乗り、軽快に泥を跳ね上げている。続いて梯、末永と続く。全員が見事な手綱捌きだ。甚蔵の馬術は未だ満足ではなく、乗っているというより乗らされている感覚に近い。余暇で隊の馬術師範に教わっているが、まだまだ上手く乗りこなしていない。
逸撰隊は機動力を重視していて、一人に一頭の馬を与えられる。甚蔵は、栗毛の牝馬だった。名前は、佐津と名付けた。死んだ妻の名前だった。三笠には悪趣味だと笑われたが、この牝馬の気性にはぴったりである。
二歳年下の佐津も、思い返せば中々の奔馬だった。手綱を握るどころか、逆に握られていた。後ろ足で蹴られた事もしばしばだ。
そんな暴れ馬も、病を得てからはすっかりとしおらしくなった。最後の三カ月は、実に穏やかだった。
染井村の傍を流れる谷田川の傍に、人だかりが出来ていた。野次馬かと思ったが、雰囲気からそうではないとすぐにわかった。
馬を跳び下りて駆け付けると、駒込界隈を縄張りにする岡っ引きが、甚蔵たちを出迎えた。集まっていたのは、下っ引きたちだ。
「逸撰隊が出張るんで、野次馬は帰らしましたよ」
四十路を迎えた浅黒いこの男は伝五郎という名前で、火盗改時代の甚蔵も何度か世話になった事がある。
「おや、加瀬様ですかい。今は逸撰隊に。それはそれは」
と、丁寧に頭を下げる。
甚蔵を指図役と思っているのだろう。それも無理もない。紅子と梯と末永なのだ。紅子が肩を竦めたので、甚蔵はそのまま会話を続けた。
「役替えでね。で、仏さんは」
「へぇ、こちらに」
谷田川の土手に、筵を掛けられた骸があった。
「酷い骸なので」
「ああ」
甚蔵は紅子と顔を見合わせ、筵をめくった。
「おう、こいつは」
背後で梯が声を挙げる。それも無理もない。男の顔の皮が、綺麗に剥ぎ取られているのだ。それでいて歯は全て折れ、両指も切断されている。
「惨いな」
「それで、これですよ」
と、伝五郎が十手の先で男の襟を開く。そこには羅刹天の木簡があった。
「これで、町奉行ではなく逸撰隊を呼んだのか」
「そうしろと言われましてね」
「誰に?」
甚蔵がそう訊くと、後ろから「私ですよ」と声が飛んできた。
「お前」
声の主は、益屋の側近・小向愛次郎だった。ここから寮は近く、益屋の縄張りである。現れても不思議ではない。
「どうしてお前が?」
「この男が、毒蛙の万蔵だからです」
「なに?」
「おそらく、これは見せしめでしょうね。逸撰隊に協力すればこうなるという」
「凄ぇな。益屋にも喧嘩を売るなんざ、羅刹道は狂犬か? 益屋も怒り狂っているだろうよ」
小向は否定をせずに、快活に笑った。益屋は本気で怒っているようだ。
それから伝五郎が、これまでにわかっている事を説明した。
発見者は、近くの乞食で八十助という老爺。雨が止み、外をふらついていると発見したようだ。所持品は木簡以外に無し。八十助が盗んだ物も無かった。
「ここで殺られたもんじゃないね」
紅子が、全身の擦過傷に目をやって呟いた。
「どこぞで拷問され、ここに捨てられたんだろう」
「益屋への忠告でしょうね。場所が場所だ」
そう言ったのは梯だった。末永は、状況を書き留めている。
「小向」
紅子が背後で佇立している小向を呼んだ。
「この件、益屋は動いているだろう? 報復するつもりかい?」
「さて、それを伝えてよいか私は判断できません」
「あんた、それじゃまるで傀儡だよ」
「よく言われます」
「なら伝えとけ。絶対に動くな。動けばあんたは敵だ」
「ほう」
「羅刹道を仕留めるのは逸撰隊さ」
小向がにやりと笑う。おそらく、益屋は動く。顔に泥を塗られたのだ。そして、羅刹道の耶馬行羅の身柄を巡って、益屋と競争になる。それは敵が増えたという事だった。
◆◇◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◇◆
翌日、甚蔵は尋問に志願した。そして、その相手を指図役だった男を指名した。本来は三笠がやる予定だったが、無理を言って変わってもらったのだ。
指図役の名前は、大杉延廉。身分はわからないが、山伏のような雰囲気がある。
「物好きだな。お前、もしかして人を毀すのが好きなのか?」
詰め所で志願した時に、三笠から真顔で言われた。
尋問と言えば聞こえはいいが、実際は拷問である。そんなものを好んでやる人間は、加虐趣味を性癖と思われても仕方がない。
「好きじゃないさ。しかし、どうやら才能があるみたいでね」
経験に裏付けされた、自信があった。というのも、火盗改時代に散々やってきたからだ。何をすれば自白するのか、どの程度で心が毀れるのか。それを教えてくれたのは、元盗賊の密偵だった。その盗賊は、仲間の裏切りや敵対する盗賊を何人も拷問にかけてきたらしく、火盗改の走狗となってから、その手法を全て甚蔵に伝えてくれた。
「それに急いでいる。益屋が動く前に何とかしなければなならねぇ」
「毀すなよ」
「その前に、全て吐かせるさ」
尋問の志願に対して、紅子も何も言わなかった。そこでも物好きと言われただけだ。
それよりも、紅子の心配は益屋にあるらしい。ただ伊平次を益屋の監視に出す事はしなかった。それは甲斐に止められているからで、下手に探ると流血沙汰になると心配しているのだろう。兎に角、益屋より早くに羅刹道に辿り着く事だ。
尋問をする土蔵へ行くと、大杉が手足を縛られ転がっていた。一条の光も差し込まない中、灯りは百目蝋燭だけだ。
「これから三日、お前の相手をする加瀬って者だ」
「三日?」
大杉が顔を上げる。髭面だった。
「ああ、三日で吐かせるからな。嫌だったら、さっさと話してしまえ。羅刹道の事を洗いざらい」
「誰が話すか」
「強がるなら今のうちだぜ?」
大杉が顔を背ける。
「まぁいいさ、三日もあるんだ。ゆるりと行こうか」
甚蔵は付き添いの獄卒を締め出した。こういう場合は、二人きりになった方がいい。
「さ、やるか」
甚蔵は、淡々と作業を始めた。
秘訣は心を無にする事。拷問を伝授してくれた密偵が、そう言っていた。しかし、甚蔵はその境地まで至ってはいない。どうしても暗い気持ちになってしまうのだ。
甚蔵は手を動かしながら、これからの事を考えていた。羅刹道の目的は何なのか。慈光宗との繋がりは? 益屋はどう動くのか? 大獄院仙右衛門の役割は? 時折挙がる大杉の声は、遠いものに聞こえる。それでいい。淡々と作業をしていればいいのだ。
頭の中の情報を整理していると、昼餉を告げる太鼓が鳴った。甚蔵は手を休め、土蔵を出た。
気が付けば、自分が全身に汗をかいている事に気が付いた。
「加瀬様、凄い悲鳴でしたが、一体何を」
出迎えた獄卒が訊いてきた。甚蔵は苦笑いを浮かべ、「いつか教えてやるよ」と肩を叩いた。
食堂で握り飯だけを頼んだ。塩を多めに振ってもらった。
「よう、獄卒」
三笠が声を掛けて来た。傍には服部もいて、二人とも饂飩が乗った盆を持っている。
「噂してたぜ? 尋常じゃない悲鳴だったって。そして、お前さんは涼しい顔だったと。可哀想に、獄卒はお前を鬼だと怖がっていたぞ」
「ふふ。鬼かいいな」
「善童鬼という渾名を、お前に進呈しよう」
「役小角の鬼か?」
三笠が饂飩を啜りながら頷く。
「役小角の前を進み道を切り開くのが善童鬼の役目だ。お前は、逸撰隊に来て、よくやってくれている。隊を切り開く鬼になるやもという期待を込めてだ」
「いいな」
そう言って、甚蔵は塩辛い握り飯を頬張った。
「組頭が、毘藍婆で俺が善童鬼か。こいつはいいな。で、お前は?」
「妙童鬼」
甚蔵は、思わず握り飯を吹き出しそうににった。慌てて茶を啜る。
「なんだ、てめぇが女房かよ」
善童鬼・妙童鬼は、役小角に仕えた前鬼・後鬼という夫婦の鬼の別名で、妙童鬼は後鬼の方だった。
「俺は立場上、一番組のおっ母さんだからな。お前はおっ父さんだ。いいだろ? なぁ服部」
「うっす」
服部が短く返事を返す。この男が自発的に口を開く事は少ない。
「それで、何か吐いたか?」
三笠が話を変えた。
「いいや、まだ下準備だ。ここを入念にしていないと、心が毀れてしまう。手抜きは
許されんよ」
「なんだ、まるで職人じゃねぇか」
「俺に拷問を手ほどきしてくれた男は、まるで職人だったよ」
甚蔵は手についた米粒を入念に舐めて食べると、腰を上げた。
「それでその男は?」
「拷問で死んだよ」
盗賊から密偵になった者は走狗と呼ばれ、裏切り者扱いを受ける。男はかつての仲間に捕まって殺された。全身をバラバラに解体され、葛籠に入れられて当時の火盗改長官の役宅に投げ入れられていたのだ。
午後も、また作業に取り掛かった。自らの手を穢す。その事に、躊躇は無かった。今まで、散々ぱら人を斬ってきた。火盗改で重宝されたのも、人を斬る事に躊躇いがなかったからだった。同僚に、人斬りとも呼ばれた。人斬り甚蔵が、人斬り隊に入ったのだから、皮肉な話だ。
その日は、早めに切り上げた。大杉は光が入らない土蔵で吊るしたままである。下準備は終わった。その間に少しでも話すと思ったが、未だ何も話していない。これが狂信者の強さなのかもしれない。
甚蔵は、屋敷に帰らず屯所に泊まる事にした。雑務をしている下役に、着替えを取りに行かせ、そして伊佐と家の者に暫く戻れないと伝言を頼んだ。
別に忙しいわけではないが、拷問をやっている自分の顔を、伊佐に見せたくは無かったからだ。だが、また伊佐には叱られ機嫌を悪くするだろう。だが、これは仕方がないと諦めるしかない。
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