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羅刹道

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「あれ、本気かい?」

 甚蔵を連れて一番組の詰め所に向かう途中で、紅子は質問を投げかけた。

「本気に決まっているだろ。あんな弁慶みたいな男に余裕なんかかませれるかよ」
「そうかい? 服部が息切れするのを待ってた様子だったけどねぇ」
「相手の体力もわからんのに、そんな賭けをするような男じゃないぜ?」
「局長はそう見ていたようよ」
「何者なんだい、あの甲賀って男は」
「あたしも知らない。でも、博打が好きな男ではあるわ」

 屯所の母屋とは渡り廊下で繋がった別棟に、一番組の詰め所がある。隣りは二番組、そして三番組と続いているが、甚蔵にそこまで案内をしてやるつもりはない。

「ここが我らの巣よ。一応、あたしは母屋に専用の部屋があるけど、あんまり使ってないね」

 障子を開けると、一斉に顔がこちらに向けられた。
 八人。二十畳ほどの板張りに、それぞれが将棋や囲碁に興じている。誰も彼も悪相だが、全員が仕事が出来る男たちだ。当然、服部もこの中にいた。

「おい、お前たち。喜べ、念願の新入りだ」

 紅子が言うと、全員が野太い声で返事をした。

「加瀬甚蔵。火盗改きっての腕っこきだ」
「お嬢、こいつの事は全員知っている。新田の山中で、骸の山の中にいた奴なんて早々忘れられんさ」

 そう言ったのは、一番組の最年長である三笠忠作みかさ ちゅうさくだった。三笠は元々北町奉行の臨時廻り同心で、豊富な経験と捜査能力を買って紅子が逸撰隊に引き抜いた男だった。
 二十代から三十代前半が多い一番組にあって、五十路を歩んでいる笠川は異物のように見えるが、案外若い隊士からの人望が厚い。伍長だった矢倉を三番組に取られ空席の今、この男を伍長にと紅子は考えている。

「一番組の隊務は、基本的には待機。命令があれば出動する。それが基本。でも、だからって暇しているって思わないでね。今日は特別よ。あなたの面通しをしたかったから。普段は二人一組で探索をさせているわ。特に今は羅刹道を相手に」
「なるほど」
「服部」
「うっす」

 紅子が名を呼ぶと、部屋の隅にいた服部がのっそりと立ち上がる。

「加瀬に屯所の案内と隊務について教えてやれ」
「どの程度までっすか?」
「勝の野郎への挨拶と、療養所で転がっている河井と手打ちをさせる程度だ」
「わかりました」

 服部は命令に忠実で、余計な質問や反論をする事は滅多にない。

「そういう事だ。行ってこい」

 甚蔵が立ち上がった服部を一瞥する。それから、甚蔵が服部に何か言って詰め所を出て行った。

「お嬢、ちょっといいか?」

 二人が去るのを確認して、三笠が声を掛けてきた。
 隊内で、三笠だけが紅子をお嬢と呼ぶ。これは臨時廻りから引き抜く際に、三笠が紅子の事をお嬢と呼ばせるという条件を提示したからだ。始めは女に従う事に難色を示していた三笠だったが、その条件を呑んで以降は忠実に働いている。

「内密の話?」
「そんなわけじゃねぇが、二人がいいな」
「いいわ」

 三笠と、食堂に移動した。
 五十人が一堂に食べれるほどの広さがあり、時折この場所で集会が開かれる事がある。
 昼を過ぎた今の時分は、板場の奥で夕餉の準備をしている料理人がいるだけで、中はがらんとしている。
 三笠は板場からもらってきた茶を紅子の前に置くと、話を切り出した。

「新入りさんの事だが」
「やっぱり心配?」
「当り前だ。野郎は復讐しか考えてねぇんじゃないか?」

 三笠も新田郡での現場に立ち合っている。骸の山の中で、半ば意識を失った状態で敵を斬っていた甚蔵を見れば、心配するのも無理はない。

「でも、それはあたしも同じよ」
「お嬢も心配だがよ。野郎の試しの様子を見たが、尋常な人間のもんじゃないぜ、ありゃ。特に河井の時なんて、敏感に反応し過ぎだろ」
「一応、本人には釘を刺した」
「組む相手はしっかり考えてやらんといけねぇよ。あの男は、相棒を死なす星を背負っているかもしれねぇ」
「じゃ、あんたが組むかい?」

 すると、茶を啜っていた三笠が首を横にして応えた。

「俺は駄目だ。服部の奴が、まだ仕上がっていない。あいつが図体だけの男にしていいなら手放してもいいが、捕吏として育てないなら、もう少し俺の手元に置いていてくれ」
「そうだねぇ」

 服部は、三笠と組ましている。武術に於いては教える事はないが、捜査についてはまだまだなのだ。

「かと言ってな」

 何人かの隊士の顔が浮かんで消えた。紅子は茶に手を伸ばす。三笠好みの熱い茶だった。

「あいつに教える事なんて無いだろうね。必要なものは抑え役だ」
「なら」
「お嬢、あんたしかいない」

 やはりか、と思ったが、理由を訊いてみようと紅子は思った。

「あんたとあいつは同じだ。悲しみの量は違うかもしれんが、基本的には同じだろう」

 悲しみの量。そう言われて、死んだ夫・伝十郎を思い出した。悲しいと言われたら悲しい。だが、今は仇への憎悪の方が強くなってしまった。なんとしても、夫を殺した奴の頭を、飛砕で砕く。それしか考えていない。

「それで?」
「復讐に燃える加瀬を見る事が、お嬢に冷静さをもたらすかもしれん」
「あたしに冷静さが欠けると言いたいのかい?」
「お嬢は猛禽だ。いつの冷や冷やする。しかし、あいつが突っ走れば、あんたは抑え役に回るしかなくなる」
「一緒に突っ走ったら?」
「その時はお手上げさ」

 自分が組むしかないだろう。何人か組めそうな奴はいるが、甚蔵を抑えられるとは思えない。組むなら、自分か三笠の二択だった。

「その件はわかった。話はそれだけ?」
「ああ」

 それから二人で詰め所に戻ると、甚蔵と服部が戻っていた。
 飼い主を待っていた犬のように、服部が駆け寄ってくる。案内の終了報告だった。

「河井との手打ちは?」
「終わりました。安牧が死んだ経緯を加瀬さんが話され、そしたら河井さんが謝られてました」
「そうかい」

 逸撰隊に友情という甘いものは求めていないが、含む物があれば後々どこかで支障が出る。解決出来るものは、早急に対処した方がいい。
 その加瀬は、部屋の隅で何やら帳面を読み込んでいる。

「服部、加瀬は何を読んでるの?」
「羅刹道の捜査日誌です。書庫を案内した折に」

 初日から飛ばしてすぐに息切れするような素人ではないだろうが、やはり自分が抑え役になるべきだろう。

「おい、お前たち。伝える事が幾つかある」

 紅子が声を挙げると、九つの顔が一斉に向いた。その中には、帳面から顔を上げた甚蔵もある。

「これから逸撰隊は、羅刹道の捜査に専念する。他の事件には目もくれるな。他所から泣きつかれても無視しろ」

 景気のいい返事が返ってくる。紅子が選んだ、優秀な手駒たちだ。

「それと加瀬はあたしと組む。いいね、加瀬」
「はいよ」

 甚蔵は、気の抜けた返事だった。 

「話は以上だ。お前らから何かあるかい?」

 隊士が手を挙げる。梯貞次郎かけはし ていじろうだった。
 梯は甲府勤番士から引き抜いた男で、千里眼と言われるほど目が良い男だ。剣も使えるが、弓を取っては江戸では五指に入る腕前だ。紅子と同じ歳の二十八であるが、性格に問題があり女癖も悪いので、未だに伴侶に恵まれない。

「姐さん、そこの新入りさんにお訊きしたいんですが」
「何だ?」
「新入りさんが捜査日誌を読み込んでいらっしゃいますが、何かお気づきになった点はありますかね?」

 また梯らしい意地の悪い質問だ。
 この男は、新しい隊士にはいつも仕掛ける。特に自分より年長の者に対しては、必ずと言っていいほどだ。三笠曰く、相手の力量を知る為らしいのだが、そこには明確に自分の方が格上であるという印象を与えたいらしい。梯は、妙に序列に拘るところがある。
 それを知ってなお、紅子は放置していた。というのも、梯の仕掛けを躱せないようでは、一番組にはいらないからと思っているからだった。

「加瀬」

 紅子が名を呼ぶと、甚蔵が舌打ちをして帳面を置いた。

「質問だ、答えな」
「こんな薄っぺらい記録で何がわかるよ」

 甚蔵が即答すると、方々から失笑が挙がった。

「新入りさん、それは無理もありませんよ。我々だって全体像は掴めていないのですから」

 梯が言った。

「しかし、あんまり知恵が無い捜査ではあるね。定期的に、羅刹道の根城に関する情報を得る。その度に出馬しているが、もぬけの殻だ。そして、何処かで事件が起きている。俺の時もそうだ。お前らが根城を攻めた隙に襲われた。つまり、逸撰隊は手玉に取られているってわけだ」
「それで?」
「まずは、どっしりと腰を据えて情報を集める事に注力する事だろうね」
「そんな事はしていますよ、ねぇ姐さん」

 紅子は話を振られたので、甚蔵に訊いてみた。

「加瀬、お前はどこが足りないと思う」
「まぁ、これを読む限りじゃ、羅刹道やつらは盗賊だ。なまじ仏門に入っている連中なんで寺社には話を聞いているようですが、盗賊には話を訊いてねぇみたいだ」
「盗賊だって、あんた」

 声を挙げた梯を、紅子が手で制した。

「どうして盗賊に話を訊く必要がある?」
「そりゃ、羅刹道が盗賊でもあるからだよ。羅刹道が関わっていると思われる事件は十六件。その内の七件、四割が押し込みだ。銭は恐らく奴らの資金だろうね」
「羅刹道を盗賊として見ろというわけか?」

 甚蔵が頷く。

「ある一面に於いてはな。盗賊ってのは、一朝一夕で出来るものではないんだ。しかも、尾州屋の押し込みを見た限りは、到底素人とは思えねぇな。盗みも殺しもやってのけている。あれはただの狂信者の仕業じゃねぇさ」
「それならば笹子の鎌太郎一味は」

 鎌太郎は羅刹道に殺され、村も殲滅させられている。これは口封じなのかもしれない。

「そうかもな。羅刹道が盗賊なのか、盗賊をそっくり仲間に組み込んだのかわからないが、盗賊てぇのは横の繋がりが意外とあるもんなんだ。そこに手を伸ばしてねぇなら、行っとく価値はあるかもな」

 鎌太郎は死んだが、他にも盗賊を抱えているかもしれない。確かに、盗賊関係を洗う必要はあるだろう。

「流石は元火盗改ってわけか。加瀬、お前には盗賊らに話を訊ける伝手ツテはあるか?」
「無いわけじゃねぇが、銭はいるぜ?」
「わかった。じゃ、明日からあたしと加瀬で、その辺を洗う事にする。梯、満足したかい?」

 梯は、渋々という感じで頷いた。この様子では、梯の試しは合格らしい。
 解散を告げると、ちょうど退勤を告げる太鼓が鳴った。
 逸撰隊の勤務は五つ半(九時)から七つ半(十七時)と決まっていて、それ以降は宿直体制に移行する。しかし、今日のように何もなく帰宅出来るのは稀な事だ。

「加瀬、お前も来るか? 一番組うちは滅多に歓迎会ってもんはしねぇんだけどよ」

 三笠が、甚蔵に声を掛けていた。どうやら服部や梯たちと飲みに行くらしい。

「気持ちはありがたいが、やめておこう。娘がいるんでね。一緒にいられる時は、極力一緒にいたいんだ」

 そう言い残し、甚蔵は詰め所を出て行った。

「なんだあいつ」

 という梯を、三笠が「人には色々あるのさ、そう言うな」と窘める。
 甚蔵には娘が一人いる。知っているのはそれぐらいだ。隊士に求めるのは能力だけで、私生活には興味は無い。
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