逸撰隊血風録~安永阿弥陀の乱~

筑前助広

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羅刹道

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 その男の顔を見た時、紅子は思わず二度見をした後、こみ上げる笑いを堪えるので必死だった。
 その笑いは、失笑と呼ぶべきものかもしれない。よくも、まぁ死に損ないが来れたものだと思う。新入隊希望の男は、火付盗賊改方与力の加瀬甚蔵だったのだ。
 甚蔵は平伏し、甲賀の一声で顔を上げると紅子を見据えて軽く微笑んだ。

「俺が局長の甲賀というもんだ。お前たちの自己紹介は……不要のようだね」

 甲賀が、紅子と甚蔵の様子を見て言った。
 どうやら甲賀は、上州で甚蔵の身に起こった事は知っているようだ。

「元気そうで何よりだわ」
「背中の逃げ傷は痛むけどね」

 甚蔵が軽く笑った。そこには、何かが欠落してしまった男が持つ、翳りというものがある。以前の甚蔵は知らないが、おおよそこのように笑う男ではなかったはずだ。

「話は聞いているよ。火盗改の中でも一番の腕っこきを手放すなんて、贄様は太っ腹だ」

 甲賀の言葉に、甚蔵が頷く。

「俺が羅刹道の事ばかり言うので、放り出されただけですよ」

 やはりか、と紅子は思った。
 失った部下の仇を討つ為に、逸撰隊に身を投じて戦う道を選んだのだ。その気持ちは、痛いほどわかる。夫・明楽伝十郎を羅刹道に殺された紅子とて同じなのだ。

「適材適所と言っていたがね。お前さんの能力とやる気は、羅刹道壊滅を課せられた我が隊に大いに役に立つ。贄様もそこを理解した上の推薦だ」
「俺もそう思います」
「しかし、隊務は羅刹道を追う事だけでない。それは理解して欲しい」
「勿論です。入隊したら、何でもしますよ。それで、俺の入隊は許されるんですかね?」

 素っ気ない口調に、甲賀が肩を竦めた。

「贄様の推薦を断れば、色々と角が立つからね。一応、逸撰隊うちには試験とというものがあって、お前さんは免除にしようと思っていたが、どうする?」
「やりますよ。試験を受けずに入隊すれば、後で色々と言われるのが煩わしいですからね。それに、俺の腕も見たいでしょう」

 甲賀が不敵に笑む。そうこなくては、という顔付きだ。
 腕の程を知らなければ、戦術の目算を誤る。どの程度信用を置けるのかは、自分だけでなく甲賀も勝も、必ず確認する事だ。

「じゃ、お前さんは一番組に入ってもらう事にするよ」
「わかりました」

 一番組と聞いても、甚蔵は何の反応も見せない。

「明楽、何かあるかい?」

 甲賀が紅子に一瞥をくれた。

「羅刹道と戦って生き残った実力は買うわ。復讐をしたいという気持ちもわかる。でも、先走るのだけはやめてちょうだい。他の奴も巻き添えになる」
「勿論だ。仲間に死なれるのはうんざりでね」
「それは、あんたの命も含めての事よ」

 甚蔵の表情に、特に変化は無かった。どこか、伊平次に似ていると、紅子は思った。
 屯所の広場に、隊士たちが集まっていた。十五、六ばかりはいるだろう。幹部隊士が腰掛ける床几を並べたり、陣幕を張る下人たちを見て、誰かの入隊試験があると思ったのだろう。
 屯所には道場もあるが、晴れの日は滅多に使わない。逸撰隊の戦場は、真っ平らな板張りではない、という紅子の理念からなるべく戸外で稽古をしている。
 紅子が床几に座ると、甲賀と勝が何やら話ながら現れた。甚蔵は、控えの間で準備をしている。

「おい」

 紅子は、若い隊士を片手を挙げて呼び止めた。

「長内、河井、そして服部。この三人に試しの相手をさせるから、準備をするように伝えて頂戴」

 長内と河井は頭でっかちが多い二番組で使える方であり、服部は一番組でも紅子の次に腕が立つ隊士だった。

「勝、長内と河井を借りたわよ」

 紅子が、甲賀を挟んで反対側に腰かけた勝に声を掛けた。

「そういう事は、借りる前に言え」
「次からはそうするわ」

 暫くして、隊士たちが声を挙げた。どうやら、甚蔵が現れたようだ。刀の下げ尾で袖を絞り、竹刀を手にしていた。
 甚蔵の事を知っている者もいるのか、方々で会話が交わされている。逸新撰と火盗改は、必ずしも良好な関係だとは言い難い。現場では揉め事もある。その上、安牧の死に関係しているという事もあって、嫌でも注目が集まっているようだ。

「長内」

 紅子が名を呼ぶと、甲高い気持ちのいい返事が返って来た。

「二番組、長内です。お願いします」

 長内道之助おさない みちのすけ。隊内では最年少の十七歳。剣の腕前は、中の上。そこらの武士よりは使えるが、この若者の本領は明晰な頭脳にある。父親は算術家であり、長内は父を超える才能を持つと言われているが、本人の関心は算術よりも犯罪解決にあった。
 その長内が前に進み出る。まだ少年の色が色濃く残る童顔であるが、甚蔵の表情に変化は無い。
 広場の中央で向かい合う。互いに頭を下げると、早速竹刀を構えた。
 相正眼。どう動くかと思った刹那、竹刀の気持ちのいい音が響いた。
 甚蔵が、長内の小手を打ったのだ。長内の竹刀は地面に転がっている。

「見事」

 甲賀が思わず呟いた。

「もう一本、よろしいですか?」

 長内が竹刀を拾い上げて言ったので、紅子は深く頷いた。
 今度は長内から仕掛けたが、結果は同じだった。二度の斬撃を弾いた後、再び小手を打ったのだ。長内は、稽古をつけてもらったと言わんばかりに、深く礼をして下がっていった。

「次、河井」

 切迫感のある声での返事だった。
 つま先から頭のてっぺんまで鍛え上げられた男は、射殺さんとするような鋭い視線を甚蔵に投げかけている。
 河井主計かわい かずえ。武勇よりも知略が優先される二番組にあって、最も剣が使える男だ。甚蔵とは同程度の腕前だろう思い、紅子は河井を選んだのだった。

(さて、どうなるか)

 多少の楽しみはあったが、勝負はあっという間に終わった。
 河井の鋭い突きを受け流すと、甚蔵は大きく踏み込んで河井の顎に肘を叩き込んだのだ。河井は気を失って、膝から崩れ落ちた。

「うわぁ、こいつは痛そうだ。やり過ぎだな、ありゃ」

 暢気に声を挙げたのは甲賀だった。表情は河井に同情しているが、声色は嬉々としている。

「河井は安牧とは相棒でしたからね。加瀬という男には含むところがあったのでしょう」

 勝の言葉が聞こえたのか、

「河井殿の突きに殺気があったんで、降りかかる火の粉を払っただけですよ」

 と、幹部隊士席に向かって、甚蔵が悪びれる様子もなく言った。

「最後は服部」
「うっす」

 群衆の中から、上背のある男がのっそりと立ち上がった。

「一番組の服部というもんっす」

 服部武馬はっとり たけま。二十五歳。癖のある髪を無理に纏めているこの男は、筋骨逞しく膂力に恵まれた二刀使いだ。
 武州多摩郡石田村の水呑百姓だった武馬が、自身の村に立ち寄った筑前二天流の服部武之丞はっとり たけのじょうに弟子入りしたのは十三歳の時だった。
 武之丞は筑前二天流五代目・立花峯均たちばな みねひら最後の弟子であり、〔新免武蔵の再来〕と呼ばれるほどの剛の者であったが、指導者であろうとはしなかった。武馬には一切手を取って教える事はせず、死に別れる二十歳になるまで、「見て覚えろ」と自身の立ち合いの見物だけをさせていたらしい。
 しかし、武馬は師匠そっくりの剣客に育った。一番組でも常に最前線にいて、紅子もこの男を相手にすると、ついつい本気になってしまうほどである。
 服部が二本の竹刀を手に中央に進み出ると、歓声が挙がった。百姓出身ながら、実力主義を標榜している逸撰隊にあって、紅子と並んで数々の武勇伝を残す服部の人気は高い。どんなに苦境でも仲間を支え、深い傷を負っても死ぬ事は無いのだ。
 両者が向かい合う。甚蔵が正眼に構えた事を合図に、すぐに対峙となった。
 流石の甚蔵も、今までの調子とは違った。慎重に、隙を探っている。一方の服部は左に持った小竹刀を突き出し、右手の竹刀を上段で構えている。
 甚蔵が慎重に一歩を踏み出した瞬間、服部が大きく踏み込み上段からの斬撃を繰り出した。
 甚蔵は慌てて後方に跳び退く。服部は追撃に出て、左右の竹刀で交互に連撃を加えるが、甚蔵は躱す事はせずに弾いて防いだ。
 服部の斬撃は重い。それは恵まれた体躯のなせる技であり、紅子は何度となく手合わせしたが、受けた時の手の痺れは他では経験出来ないものだ。

(このまま押し切られるとは思えないけど……)

 しかし、甚蔵に攻める素振りは無い。防御に徹している。攻める隙が無いのか
或いは意図的にそうしているのか。ただ甚蔵の表情は、先程までの余裕は見られない。

「待て」

 埒が明かないと思ったのか、甲賀が試合を止めた。
 攻め続けた服部は不満足な様子で下がったが、甚蔵は安堵の表情を浮かべた。

「加瀬、どうして攻めない?」
「局長、俺はもうそんなに若くないんですよ。あんなはやい斬撃は、防ぐだけで精一杯ですよ」
「そうは見えんかったがなぁ」

 服部の後ろ姿に目をやると、両肩を大きく上下させている。甲賀は、甚蔵が服部の攻め疲れを待っていたと見ていたのだろうか。

「それに同じ一番組の奴とは仲良くしたいですし」

 結局、これで入隊試験が終わり、それと同時に他の隊士へのお披露目も終わった。
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