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毘藍婆

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 頭蓋を割られた真中谷は、既に息をしていなかった。紅子は白目を剥いて斃れた骸に一瞥をくれただけで、特に気にしなかった。そのつもりで、一撃を放ったのだ。
 逸撰隊は〔人斬り隊〕である。隊務を果たす為には、手段を選ばない。そして、それが許されている組織なのだ。
 しかし、そうは思わない男がいる。二番組の組頭を務める勝安五郎かつ やすごろうという三十路男だ。紅子が一味を打ち倒したのを見計らうように現れた勝は、真中谷を殺した事に怒り心頭の様子だった。

「おい、聞いているのか」
「聞いてるよ」

 紅子は、耳の穴を小指でほじりながら言った。
 背後では、三番組と勝が率いて来た二番組の隊士による、本堂の家探しが行われている。

「なら答えろ」

 勝が、一歩前に踏み出した。今にも噛みつかんばかりの距離で吠えている。
 四角い顔に、濃い眉毛。筋骨逞しい勝は、一見して武闘派のように見えるが、その性格は何かにつけて細かくて小煩い、神経質な男だ。

「手下は兎も角、真中谷は棺桶ではなく、歩かせて連れて来いと言ったはずだぞ」
「煩いわね」
「会津藩が、奴の身柄を欲しがってたんだ。局長ひいては田沼様の顔を潰すんだぞ。それも言ったよな?」
「だから言ったでしょう? 相手が思った以上に強かったのよ」

 平然と答えながら、その言葉をすっかりと忘れていた事に気付いた。
 しかし、あの時は約束はしなかった。極力と答えていたし、局長の甲賀もそれでいいと言っていた。

「それはわかる。が、その為に三番組の隊士がいるのではないか? 数に頼んで生け捕りにすればよかったのだ」
「それでは犠牲が出るわ。真中谷は凄腕だった」
「犠牲? 俺たちは逸撰隊だぞ」
「それに、あたしの主義じゃないし」

 その一言に、勝は頭を抱えた。何かにつけて、隊士たちを命令通りに管理したがる勝には、到底受け入れられない発言だったのだろう。

「やはり、それだ。逸撰隊は、お前の玩具でもなければ、隊務はお前の欲望を満たすものではない。夜狐の一味の時もそうだ。今回もそう。何故、隊士に実戦を経験させんのだ」
「見て学ぶ事も大切だと思うわよ、あたしはね」
「それでは、お前に三番組に預けた意味が無い。新設された三番組は経験が浅く、故に戦死者も出している。そこで局長はお前に実戦を」
「なら、あんたが面倒を見てやる事ね。あたしの柄じゃないし、そもそも二番組の役目じゃないの?」

 逸撰隊二番組は、大まかに言うと後方支援が役目だった。
 情報精査、事務処理、隊務の調整、局長補佐、そして一番組・二番組の支援。三番組頭の戦死を受けての組頭代行は、三番組支援の範疇に入る。それをわざわざ一番組を外れて、自分が率いなければならないのか理解が出来ない。実戦の経験というなら、勝の腕前も相当なものなのだ。

「私は私で忙しい。二番組も率いねばならん」
「あたしらが賊を片付けたのを見計らったように駆け付けておいて、忙しいだってよく言うよ。あたしだって、一番隊があるってのに」
「局長の命令は絶対だ。隊の規則だ」
「規則規則と煩いよ、あんた」

 勝とは、最初から馬が合わなかった。理由を挙げれば切りが無いが、要は癪に障るのだ。犬猿の仲とはこういう時の為にある言葉だと、この男と出会って紅子は実感した。
 勝とは、口喧嘩だけでなく、取っ組み合いもした。二人が不仲であるというのは、隊内で知らない者はおらず、口論ぐらいなら誰も気にしない。
 だからと言って、紅子は勝を評価していないわけではない。直新影流の使い手であるし、何より隅々まで目が行き届く。冗談も通じない生真面目な堅物で、何かと規則・規則と煩いが、この男がいるから寄せ集めの逸撰隊が、辛うじて組織としての形でいられる。逸撰隊には、局長の次席は置かれていないが、実質は勝が副長だとも思っているぐらいだ。

(この男の重要性は理解しているんだけどねぇ……)

 それでも、嫌いなものは嫌い。それを紅子は隠すつもりもない。

「あの、よろしいですか?」

 いがみ合う二人を制止するように、勝が率いて来た二番隊の隊士が、本堂の中から声を掛けてきた。こちらに来て欲しいと、言っている。根城の家探しをしていたのだが、何か見つけたのだろう。
 紅子は勝と顔を見合わせると、鼻を鳴らして中に入った。
 悪臭が鼻を突く。酒とすえた汗の臭い。敷かれた布団の上には、酒器や花札が散乱している。
 本堂の隅で隊士たちが集まっていた。二人に気付いた隊士が、

「これを見てください」

 と、立ち上がった。

「おい、これ」

 思わず紅子は言い、肩を並べる勝が深く頷いた。
 真中谷一味の私物と思われる行李の中に、羅刹像が描かれた木簡が束になって収められていたのだ。
 その数は十二枚にも及び、袱紗で包まれて保管されていた。

「ますますお前の失態が大きくなったな」

 そう言って勝が肩に手を乗せて来たので、紅子は勢いよく払った。

「あたしは戻る。あんたが三番組の面倒を見てくれ」

 紅子を制止しようと喚く勝を無視し、本堂を出た紅子は蒼嵐に飛び乗った。
 上州の荒野を駆けた。風が全身を打つ。鞭を入れなくとも、蒼嵐は紅子の気持ちを察したように、駆ける速さを強めていく。

「まさか、こんな事になるなんて」

 呟いてみた。
 羅刹道らせつどう。羅刹天を信仰する、新手の宗派だ。組織としての全貌は解明されてはいないが、宗派を率いる男が耶馬行羅やま ぎょうらという名前で、教えとしての人殺しを容認し、骸の傍に羅刹天の木簡を置くというぐらいはわかっている。
 そして、もう一つ。紅子にとって、復讐すべき相手である事。
 羅刹道が、夫である明楽伝十郎あけら でんじゅうろうを殺したのだ。今から五年前。紅子が二十三歳の時だった。
 御庭番だった伝十郎は、お役目の最中に甲州で殺された。めった刺しにされた挙句、喉をぱっくりと裂かれていたのだ。そして、その傍には、先程の木簡が置かれていたのである。紅子が逸撰隊として働いているのも、この羅刹道を堂々と追えるからという理由が大きい。女の身では、復讐を果たすのは難しい。話を訊こうにも相手にされない。そんな紅子には、逸撰隊の看板は必要だったのだ。

(なのに、あたしと来たら……)

 紅子は下唇を強く噛んでいた。
 勝の言う通りだった。やはり、真中谷は殺すべきではなかったのだ。
 ここ最近、羅刹道は目立った動きを見せていなかった。それが紅子に油断を生んでいた原因であるが、此処にきてまた動き出したという事か。
 脳裏に伝十郎の笑顔が浮かぶ。御庭番という厳しい役目をしながら、よく笑う男だった。初めて会ったのは、父親に従って役目に帯同した時。助っ人の一人に伝十郎がいたのだ。それから時折組むようになり、父の死後に男女の関係になった。
 伝十郎は、暖かい春の風のような男だった。自分には無い穏やかさと優しさがあり、それでこんな自分を愛してくれた。その伝十郎を奪ったのは、羅刹道。
 手下を捕らえたとは言え、肝心の真中谷を殺してしまったのだ。腹が立つが、勝が言った通りになった。命令に背いた罰なのだ。
 紅子は、いつもより強く蒼嵐の尻に鞭を入れた。
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