異・雨月

筑前助広

文字の大きさ
上 下
4 / 23

第三回 丹下流羽島道場

しおりを挟む
 翌朝、睦之介は道場に足を運んだ。
 暇をもて余す名門の部屋住みがする事と言えば、博奕か女か己を鍛えるぐらいしかない。女には興味が無く、博奕を打つ元手が無いので、残された道は剣しかなかった。学問などは趣味ではない。
 丹下流羽島道場は、海に面した城下の北側、潮臭さが漂う横浜町よこはままちにある。
 此処には、馬廻組という平士ひらさむらいの屋敷が多い。道場主の羽島作左衛門わじま さくざえもんもまた平士の身分にある。
 小気味良く打ち響く竹刀の音が、門前にまで聞こえていた。外国船が相次いで来航するなど時勢が厳しいものになり、道場に通う者が日々増えているのだ。
 いつものように挨拶をして道場に入ると、門下生達が激しい乱取りを繰り広げていた。飛び交う気勢は怒号にも似て、道場全体が殺気立っている。睦之介は、そっと道場脇に控えた。
 もうすぐ、道場対抗の八幡宮奉納試合があるのだ。出場するのは十五歳未満の者だけであるが、それ以上の者も熱気に圧され、自然地と稽古に力が入っているように見える。
 いい雰囲気だった。だからこそ、睦之介はその中に加わる事をやめた。睦之介は楊三郎と共に、丹下流羽島道場の龍虎と呼ばれる存在である。その自分が中に入ると、多くの者が萎縮し、今の熱気に水を浴びせる事になりかねない。
(ほう……)
 この乱取りの中に、楊三郎の姿をすぐに認めた。素面素手で、若い門弟相手に稽古をつけている。
「流石だ」
 睦之介は、思わず呟いていた。向かってくる竹刀を巧みにかわしながら、隙が見えた箇所を軽く小突く。そして一言二言語りかけると、また打ち込ませている。
(また腕を上げたな)
 楊三郎がいる場所だけは、激しい乱取りを行っている道場内にあって、ある種の神聖な雰囲気を醸しだしてる。
 睦之介は、剣舞のような楊三郎の動きを追っていると、腹の底に抑えていた下心がムクムクと湧き出してきた。今朝の夢が、目の前の楊三郎と重なるのだ。
 妖艶な魅力だった。相手を見据える切れ長の目は、男を誘う花魁おいらんそのもので、頬を滴る汗が光り、その美貌を神々しいものにしている。
(今、誰もいなければ抱き締めたであろう)
 勿論、出来ぬ事だ。それどころか、表で公然と会話する事も出来ない。今や藩内を二分する、政敵同士の子弟なのだ。
「よう、睦之介」
 その時、背後から名を呼ばれた。振り向くと、鴨井逸平かもい いっぺいがそこに立っていた。
 背が低く、顔は四角。目は空豆のようで、鼻が丸い。男前と呼べぬ外見であるが、その実力は睦之介や楊三郎にも勝るとも劣らず、今は道場の師範代を勤めている。
「貴様か」
 そう言うと、逸平が口元に軽い笑みを見せた。逸平は睦之介と同じ二十一歳で、身分は平士と下だが、竹を割った人柄を好んで付き合っている。
「調子はどうだ?」
「ぼちぼち」
「最近怠け気味だぜ、お前」
「忙しいのだ、色々とね」
「部屋住みの分際でか?」
「ああ、部屋住みなりにだ」
 逸平は鼻を鳴らすと、楊三郎を顎でしゃくった。
「久し振りに来てやがる」
「そうみたいだな」
 楊三郎が道場を姿を見せる事は稀だった。というのも、この道場主たる羽島作左衛門が父と近しい関係にあるからだ。時に相談役、時に護衛をしていた。睦之介がこの道場に通うのもそうした関係があるからで、楊三郎が羽島道場から足が遠ざかっている理由もそこにある。
「父親の目を盗んで来ているらしい。この道場が一番だとさ」
 それは、既に知っていた。何せ、二日前には抱き合っていたのである。その秘事を、逸平は知る由もない。
「門弟も嬉しそうにしてるな」
「へん。これじゃ師範代の面目丸潰れじゃねえか」
 と、逸平は舌打ちをした。
 逸平の稽古は厳しい。一方で、優しく丁寧に指導する楊三郎は、門下生に好かれるだろう。しかし、それが剣の道を志す者にとって良いとは限らない。
「気に入らねぇな」
「仕方ない。相手が悪いからな」
「まぁ、そうだろう。こちとら平士。楊三郎は大組で、親爺は中老だ」
「……」
「お前も、あいつの味方い」
「どうだかね」
 逸平と楊三郎の関係は見えない。逸平が発する言葉の端々には嫌悪の色が見て取れるが、はっきり聞いた事はない。ただ、楊三郎は逸平を友達だと思っている。
「そろそろ、俺達も身体を動かすか」
「おっ、師範代殿が自らお相手してくれるのかい?」
「俺か楊三郎以外では物足りんだろう」
 逸平と前に出ると、流石に道場内がどよめき立った。
「師範代と、谷原様が出るぞ」
 などと、門下生が口々にしている。そして、皆が道場脇に引き中央が空いた。羨望の眼差しに、睦之介の自尊心が刺激された。この瞬間が堪らない。そして、剣こそが我が道と思う。
 睦之介は、楊三郎を一瞥した。流石に、こうも登場すれば気付くもので、こちらを見て微笑み一つ頷いた。
 手合せは、すぐに始まった。
 逸平の剣は、力の剣だった。どんどん前に出て打ち込んで来る。昔から全く変わっていない。
 睦之介は、それを躱す。躱せないものは弾いた。
 竹刀から伝わる逸平の力を感じながら、
(楊三郎の剣とは違うな)
 と、改めて思う。
 楊三郎の剣は、技の剣である。流れるように捌き、いつの間にか一本を取っているのだ。
 そして、自分の剣はその中間。力でもあり技でもある。二人の良い所を取り入れた。
 睦之介も前に出た。逸平の力をなしてからの、返しである。
 それは、空を切った。すると、逸平の竹刀が見え、睦之介は身を引きながら横に一閃した。
 それが、見事に胴に入った。歓声と拍手。楊三郎に目をやると、その姿はもう消えていた。
「まだまだ」
 逸平が、すぐに構えた。負けず嫌いの男だ。それがこの男の美点である。
 結局、この日は二本ずつ取って引き分けとなった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

柳鼓の塩小町 江戸深川のしょうけら退治

月芝
歴史・時代
花のお江戸は本所深川、その隅っこにある柳鼓長屋。 なんでも奥にある柳を蹴飛ばせばポンっと鳴くらしい。 そんな長屋の差配の孫娘お七。 なんの因果か、お七は産まれながらに怪異の類にめっぽう強かった。 徳を積んだお坊さまや、修験者らが加持祈祷をして追い払うようなモノどもを相手にし、 「えいや」と塩を投げるだけで悪霊退散。 ゆえについたあだ名が柳鼓の塩小町。 ひと癖もふた癖もある長屋の住人たちと塩小町が織りなす、ちょっと不思議で愉快なお江戸奇譚。

イランカラプテ

せんのあすむ
歴史・時代
こちらも母が遺した小説の一つで、(アイヌの英雄、シャクシャインの激動の生涯を、石田三成の孫とも絡めて描いた長編時代小説です)とのことです。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

狐侍こんこんちき

月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。 父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。 そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、 門弟なんぞはひとりもいやしない。 寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。 かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。 のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。 おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。 もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。 けれどもある日のこと。 自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。 脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。 こんこんちきちき、こんちきちん。 家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。 巻き起こる騒動の数々。 これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

隠密同心艶遊記

Peace
歴史・時代
花のお江戸で巻き起こる、美女を狙った怪事件。 隠密同心・和田総二郎が、女の敵を討ち果たす! 女岡っ引に男装の女剣士、甲賀くノ一を引き連れて、舞うは刀と恋模様! 往年の時代劇テイストたっぷりの、血湧き肉躍る痛快エンタメ時代小説を、ぜひお楽しみください!

処理中です...