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外道宿決斗始末
外道宿決斗始末-3
しおりを挟む 茶屋の前で、半端者三人が、平岡を囲んで大声を張り上げていた。だが平岡は全く動じず、腕を組んで黙って聞いている。
半端者たちは威勢のいいことを喚いているが、平岡の眼光に内心では怯んでいることは一目瞭然だった。
その平岡の視線が、こちらに向いた。
「待たせたな、平岡。店の者は?」
「中に入ってもらっています。発端は茶をこぼしただの、こぼさないだのですが、因縁をつけたのは、旦那を呼び出す為でしょう」
「へぇ、そうかい」
と、大楽は三人に目を向けた。
それにしても若い。二十歳にもなってはいないように見える。当然、怖さは全く感じない。
「若いな。そんだけ駒が不足してんのか、或いはお前たちは捨て駒にされたのか」
「何を言ってやがる。俺たちは、ちょっと遊びに来ただけだ」
大楽は、吠えた男が懐に匕首を忍ばせているのを認めた。
「遊びねぇ。まぁ、いいさな。だが、その遊びにゃ、刃物は必要なかろうぜ」
三人が、慌てて懐に手をやる。やはり、この三人は三下の半端な奴らだ。
「親分に俺の命を獲って、漢になってこいとでも言われたかい? そりゃ、この閻羅遮を始末して姪浜を領分に加えられりゃ、八幡一家は一気にデカくなるし、お前たちも名が上がる」
「そっ……そんなんじゃねぇよ」
「そうなんだよ」
大楽は、三人を平手で張り倒した。
「こっちとしちゃ、いい迷惑だ。やくざはやくざ同士、争っていればいいのに、俺まで巻き込みやがる。俺は善良な道場主なんだがなぁ」
「てめぇは、やくざみてぇなもんじゃねぇか」
半端者の一人が喚く。大楽は苦笑すると、今度は三人に拳骨をお見舞いし、しゃがみ込んで全員の懐から匕首を抜き取った。
「谷中の時にも言われたね。なぁ、平岡。やっていることは、やくざじゃねぇかって」
「懐かしいですね」
そう返事をした平岡は、腕を組んだままだ。七尾が何も言わずに、抜き取った匕首を集めた。七尾の教育係は、この平岡だった。この状況で何をすべきか、言わずとも動けるように仕込んでいた。
「八幡一家が姪浜を狙う気持ちはわかる。ここを領分にすりゃ、上納金も相当なものになるだろうよ。だが、姪浜にやくざはいらねぇのさ。知っているか? この町にゃ俺たちだけでなく、怖くて強い漁師衆もいるんだぜ。これ以上、気の荒い連中が増えてみろ? 堅気さんが困るじゃねぇか」
大楽は腰を上げると、平岡に室見川の対岸まで送るように命じた。
第二章 丑寅会
一
「ここか」
蜷川乾介は、その道場の前に立つと呟いた。
姪浜宿、宮前。住吉神社の右向かい、唐津街道の本筋に面した中々の一等地にあった。小振りであるが新しい道場で、磨き上げられた看板には〔萩尾道場〕とだけ記されている。
萩尾流の剣術道場。まだ昼前だというのに、気勢を上げて竹刀で打ち合う音は全く聞こえない。一見すると、流行っていない道場に思えるが、乾介はこの道場が持つ事情、つまりは裏の顔を知っているので、さして戸惑うことはなかった。
乾介が一声掛けると、奥から若い武士が一人現れた。稽古着ではなく、紺青の小袖に小倉袴を、粋に着こなしている男前だった。
涼し気な目元には若干の幼さも感じられ、二十六になる自分よりも、五つぐらいは下だと乾介は踏んだ。
この男が門人であり、萩尾大楽ではないということは一目でわかる。あの男は、こんな優男ではない。人相・風体は頭にしっかりと入っている。
「当道場に、何か御用でしょうか?」
若い武士が訊いた。声色は明るく、人懐っこさがある。
「入門希望、と言ったらいいかな?」
「左様でございますか」
若い武士は笑顔を崩さないものの、視線がやや厳しくなったように思えた。
「私どもの道場が、単なる剣術指南ではないことはご存じでしょうか?」
「勿論。博多で噂を聞いたんだ。腕っぷしの強い用心棒を集めて商売をしていると。俺も些か自信があってね」
「それなら」と、若い武士は七尾壮平と名乗り、門人だと言った。乾介も、名を明かす。流派や出身は聞かれなかった。ただ、奥の一間で待つようにと、乾介を奥へと導いた。
案内されたのは、道場と回廊で繋がった母屋の一間だった。すぐに老僕が、茶を持って現れた。白髪頭を薄くし、持ったお盆が小刻みに震えている。耄碌した老いぼれだった。
「旦那様は、ちょっと出ておりますが、すぐにお戻りになりますので、暫くお待ちくださいまし」
老僕は、恭しく頭を下げて出て行った。
乾介は軽く溜息を吐き、猫の額ほどの庭に目をやった。老いぼれはともかく、全てが新しい屋敷である。話によれば、今年の初めに出来たばかりだそうで、玄海党を倒した報奨金と、地元の商人たちの厚意で建てられたという。
そうした詳細な情報は、博多の協力者に知らされたものだった。江戸では、大楽の見た目や風貌、性格のみしか知らされず、ただ「斬って欲しい」とだけ頼まれた。
乾介は銭で人を殺す、始末屋を稼業にしていた。拠点は江戸であり、西で働くにしても、京か大坂まで。それを飛び越えて、筑前にまで足を伸ばしたのは、これが初めてだった。
今回の仕事は、始末屋の元締めたる五目の犬政に頼まれて踏んだものだ。
誰が犬政に依頼したのか、或いは犬政が個人的に頼んだのか、それは始末屋の流儀に則って知らされていない。
ただ、閻羅遮と呼ばれた男が、何をやってのけたのか。それを知らされた時は、そんな男の人生に幕を下ろす役目を得たという喜びを感じた。玄海党を潰した男なら、さぞ自分を燃やしてくれるだろうと。
では、その大楽をどう斬るか? それが問題だった。
いつもなら、暗がりに伏せて不意を突く。しかし修羅場をいくつもくぐり抜けてきた大楽を、すんなりと斬れるとは思っていない。それに敵が多い身、殺気には敏感になっているはずだ。
様々な選択肢が頭に浮かび、乾介はその中の一つを選択した。それは、萩尾道場の門人となり、気を抜いたところを斬るというものだ。それを思いついた時、乾介は思わず笑い声を上げてしまっていた。自分が選んだ門人に斬られて死ぬなど、無様にも程があると。
勿論、それが上手く行くとは考えていない。大楽もひとかどの人物というし、門人に加えてもらえない可能性もある。その時は、また別の手を考えればいい。
男が二人現れたのは、老僕が出した渋い茶を半分ほど空けた頃だった。
大きな男と痩せた男の二人組。大きな男は上機嫌に笑みを浮かべてはいるが、痩せた男は冷えた視線をこちらに向けている。
正反対の二人だが、どちらも眼の奥が洞穴のように暗い。笑顔を浮かべていようが、真顔でいようが変わらない。それは人殺しが持つ翳りであり、どう隠しても滲み出てしまうものなのだ。いわば、同種の男と呼んでいい。
乾介が軽く頭を下げると、大きな男は萩尾大楽、痩せた男は平岡九十郎と名乗った。
大楽だけが、乾介の前に座った。平岡は、やや後ろに控えている。この男は萩尾道場の師範代で、まるで忠犬のように大楽にかしずいているらしいが、剣に関しては大楽以上の使い手という評判だった。
「入門希望だってね」
「ええ。博多で噂を耳にしたんですよ。用心棒を売りにする道場があって、そこに入れば、くいっぱぐれは無いと」
「ふむ。失礼だが、お前さんは浪人かい? 廻国修行中の武芸者って感じはするが……」
乾介の恰好は、野装束だった。袖無しの打裂羽織に野袴。それに、編み笠を背負っている。
「方々で剣は磨いていますが、言わば単なる風来坊ですよ。懐が寂しくなったんで、ちょっと銭が稼げたらと。売るのは剣しかねぇし、かと言ってやくざ者の用心棒はごめんだ」
「それで、生まれは?」
「江戸ですが、十五の時分から方々を転々と」
「ほう江戸か。どこだい?」
「深川です。貧乏浪人の息子でしたので」
乾介は、事前に考えていた経歴を答えた。
「剣の方はどうだ? まぁ、自信が無けりゃうちの門は叩かんだろうが」
「我流ですが、それなりに。一応は父が直心影流の師範代でしたが、八つの頃に死んじまって。それからは、喧嘩で磨きました」
「なるほどね。それは俺も平岡も似たようなもんだな」
平岡を一瞥したが、さしたる反応はなかった。
「それで、江戸を出た理由は?」
「そこまで語る必要ってありますかね」
「単なる世間話さ。語りたくない事情があれば、無理に話すことはねぇよ」
「そういうわけじゃないですが、用心棒なので剣の腕だけを試されると思っていたので」
「勿論、腕っぷしは重要だ。だが、それと同時に客商売でもあるんでね。人品ってのが大事なんだ」
「それを言われたら、自信がないですね。後ろ暗いものがなければ、わざわざ筑前まで流れては来ません」
「それは、誰だってそうよ。俺も平岡も流れ者だしな」
そう言うと、大楽は平岡に顔を向けて一笑した。ただ、平岡は大楽の冗談には付き合わず、「そろそろ」と告げた。
「とりあえず、腕試しをしてもらおうか。どんだけ、人品がしっかりしてても、腕がいまいちじゃ話になんねぇからな」
それから、道場へ移動した。
磨き上げられた床。使い込んだ形跡はない。そこに、先程案内してくれた七尾と共に、熊のような大男が待っていた。
歳は三十半ばか、四十絡み。正確な年齢は読めないが、年季の入った浪人ということはわかる。
「この男は大梶といって、道場でも古参の門人だ」
大楽が紹介し、乾介は大梶と向かい合った。
見上げるような大男。それでいて、横にも大きい。肥えているというより、肉が詰まっていると表現すべきだろう。がっしりとした大楽よりも一回り以上大きく、何ともむさ苦しい男である。
「蜷川殿には、まずこの大梶と立ち合ってもらう」
平岡が、抑揚のない声で言った。これまでの印象から、この萩尾道場は大きなところで大楽が引っ張り、平岡が細かく見ているという感じだろうか。
「ほほう。これは中々強そうな面構えをしておりますな。こりゃ私で相手が務まるかな?」
「『私の相手が務まる』ではなく『私で相手が務まる』なんて言ったら、謙遜を過ぎて嫌味に聞こえますよ」
「あいや、これは申し訳ない。そんなつもりでは」
大梶は、芝居がかった大袈裟な素振りで、両手を振ったあとに手を合わせて謝罪の言葉を続けた。
「気を悪くしないでくだされ。言葉はそのままの意味で、私は剣の方はさっぱりなのですよ。先生や師範代、それに七尾に比べたら私などとてもとても……」
「へぇ、なのに萩尾道場で雇ってもらえるんですねぇ。よっぽど人品が優れているんでしょうよ」
「それもある」
と、見ていた大楽が口を挟んだ。
「大梶は、俺たちに比べたら随分と人間が出来ている。御覧の通りの人柄で、裏表がない。だから客先でも気に入られるし、大梶でなきゃって店もある。まぁ、うちの稼ぎ頭だな。しかも、この図体だ。立っているだけでも、相手は怯みやがる。これほど、用心棒に向いた奴はいねぇ。俺や平岡よりもずっとな」
「確かに、そう言われると納得しますね」
「まぁ本人は謙遜しているが、決して弱くはない。気を抜かないことだな」
乾介は頷き、七尾に手渡された竹刀を手に取った。
何度か振ってみる。これを使うのは久し振りだ。剣は木剣、或いは真剣で磨いてきた。竹刀は子供の遊び。座興でしか、触ったことはない。
それから乾介は、道場の中央に進み出て、大梶と向かい合った。
「では」
大梶が頭を下げる。乾介は軽く目を伏せると、大梶は、構えを正眼に取っていた。
(萩尾が言っていた意味はこれか)
対峙してみて、大梶が用心棒に向いていると語った意味がわかった。身の丈は六尺ぐらいあるだろう。力士のような体格で、向かい合っただけで相手を威圧するものがある。
大梶が用心棒でいれば、無用な争いを避けられるだろう。だが問題は、相手が怯まなかった場合。そうなると、単純に腕前の勝負になる。
その大梶が、裂帛の気勢と共に踏み込んできた。上段からの一刀。巨躯に蓄えられた膂力を活かした、峻烈な一刀。そして、見かけ通りの思いっきりのよさだ。
乾介は大梶の一撃を身を反らして躱すと、更に追い打ちを仕掛けようとした大梶の小手を、軽く打った。
「それまで」
大楽の一言で、乾介は身を引いた。
「いやぁ、やはりお強い」
大梶が、打たれた手首をさすりながら言った。そう強くは打っていない。頑強な図体の大梶なら、このぐらいは屁でもないはずだ。
「私も心形刀流を学んだ身ですが、中々どうして」
「大梶さんは、剣より柔が向いてそうですよ」
「ほう、これは大層な目を持っていらっしゃる。実は江戸で起倒流道場の師範代をしていたのですよ。まぁ、相手が蜷川殿のような使い手であれば、柔の術も通用しないとは思いますが」
その話を聞いて、そうだろうという感想しかない。大梶のような図体を持っていれば、剣よりも柔をさせた方が得と誰しもが思うはずだ。
「それで、試験はこれだけですか?」
乾介は、大楽ではなく平岡に訊いた。
平岡は首を振り、「次は俺と七尾が相手だ」と告げた。
「俺ひとりですか?」
「ああ。更には、そこの大梶を守ってもらう。つまり、俺と七尾は、大梶を狙う曲者で、蜷川殿は大梶を守る用心棒。俺たちを打ち倒すか、大梶を連れて道場を出られれば合格だ」
「なるほど。実戦に近いってわけか。しかし、守るのが姫様ではなく熊男ってのは拍子抜けだな」
「守る相手を選べんのも用心棒の辛いところだ」
大楽の一言に、乾介は肩を竦めた。
大梶を背にして、乾介は平岡と七尾と向かい合った。
平岡と七尾は、やや距離を開けて乾介を囲むように立っている。ただ平岡が半歩ほど前だ。平岡が仕掛け、その隙に七尾が大梶を狙うという具合だろう。
目を引いたのは、平岡の佇まいだ。平然と佇立していて、殺気などは全く感じないが、底冷えのする得体の知れない圧を発している。
やはりな。この平岡という男は、自分と同類だ。道場のお稽古剣術でも、道を究める為の剣術でもない。人を殺す為の、斬人術。そんな男が用心棒として、人を守っているとは笑わせる。
(気に入らねぇな)
何を気取ってやがる。お前は、こっち側のはずだぜ? そう問い掛けてやりたい。
その平岡の切っ先が、やや下がった。仕掛けるか、と思った矢先、七尾が気勢も上げずに斬り込んできた。
「そっちか」
意表を突かれた。別に頭から、その可能性を否定していたわけではない。だが、目の前の平岡に囚われ過ぎていた。
乾介は大梶を後ろ手で押すと、上段から向かってくる七尾の胴を容赦なく抜いた。しかし、その隙に平岡が脇をすり抜けて大梶を軽く打った。
「終わりだ」
大楽が言った。その背後で、七尾が腹を押さえて咳込み、大梶が駆け寄っている。不意を突かれたので手加減をしなかったが、かと言って骨が折れるほどではない。数日で痛みは引くはずだ。
「残念だが、不合格だ」
そう言った大楽の表情は、別段変わりはない。ただ、自分をじっと見据えている。
「まぁ、仕方ないですね。守れなかったから文句はないですよ」
「用心棒に必要なことは、斬ることではなく斬らせないことだ」
「それじゃ、俺はどうしたら良かったんですかね? 後学の為に教えてくれませんか」
「そうさな。……俺なら大梶の手を握って、一目散に逃げるよ。別に袋小路に追い詰められたわけじゃねぇんだ。まずは逃げることよ」
「なるほどね」
「それに、お前さんの剣からは血の臭いがし過ぎる」
「そりゃ、浪人が生きようと思えば、多少の血は流れるってもんです」
「多少、ね。まぁ、それに関しては俺や平岡は、お前さんにとやかく言えた義理じゃねぇ。だからこそ、これ以上増えりゃ道場が血腥くなっちまう」
「そいつを言われちゃ、返す言葉は無いですね」
乾介は軽く頭を下げて、踵を返した。すると、大楽が「おい」と呼び止めた。
「どうだ? 折角なんだ。昼飯でも食っていくか?」
大楽は笑顔だ。他人様を不合格にしといて、こんなことを言う。友として出会ったら好きになるかもしれんが、乾介にはどうにも癪に障る。
乾介は、軽く笑って首を横に振った。
「いえ、ご一緒するとますます入門したくなるんで」
二
街道筋の往来は、人で溢れていた。
昼を少し回った時分。唐津街道を旅する者だけでなく、辻々に立ち並ぶ商家を巡る買い物客も多く、明るい弾みを感じさせる活気が、この宿場にはあった。
(思った以上の賑わいだな)
姪浜宿は、唐津街道沿いにある大きな宿場である。斯摩藩領と天領・福岡に接する防衛の拠点であり、交通と商業の要所でもあるという。
江戸で生まれ育った乾介にとって、江戸・大坂・京都以外は、全て田舎という意識がある。確かに江戸とは、比べ物にならない。いくら姪浜が要地とされていても、小さな役所が置かれた宿場町ぐらいのものと思っていたのだ。
だが実際に足を踏み入れると、一万石程度の小名が治める城下町と、何ら遜色ない町割りや規模があった。
乾介にそう思わせたのは、宿場の東端にある陣屋。この地を支配する斯摩藩一門衆筆頭・萩尾家の屋敷で、水堀と高い漆喰の塀に囲まれた上に、重厚な長屋門を備えた威容は、無城の大名家が持つ陣屋のそれである。
その萩尾家の当主は、主計という男だった。どんな男だったのか知る由もないが、玄海党が瓦解した切っ掛けを引き起こした挙句に死んだ。そして、今は幼い当主を奉じていて、それを大楽が支えている恰好らしい。乾介が知っているのは、それぐらいだ。
萩尾家、八千石。嫡男だった男が、萩尾大楽。
(結局は、いいとこの御曹司か)
あと二千石もあれば大名家であるし、その殿様になれたかもしれない男である。しかも、神君家康公の血筋とも噂される。いくら無頼を気取ろうが、門閥出身の武士。根っからの浪人、野良犬とは違う。だというのに、あの男はあたかも野卑な私生児気分で振舞う、そんな性根が気に食わない。
悪い男ではないのはわかる。しかし、癪に障る男ではある。始末屋として、標的に好悪を抱かず、ただ斬る者と斬られる者が存在する、それだけだと考えてきたが、あの男には心をざらつかせる何かがあった。
「さて、どうしたものかな」
街道筋を歩きつつ、乾介は呟いた。まだ陽は高い。その足は、宿場の東を流れる室見川へと向いていた。
この辺りでは最も大きな川で、向こう岸は天領である。つまり萩尾領は、斯摩藩にとって最前線。それほど斯摩藩渋川家にとっては、信の置ける藩屏なのだろう。
乾介は河原の土手に、ごろりと仰臥した。
暖かい日だった。昨日まで三日続けて雨で、このまま冬に向かうのだろうと思わせる肌寒さもあった。そういうこともあってか、乾介は暫く博多から動かなかったのだ。人の多さも、ここ最近の天気と関わりがあるのかもしれない。
秋にしては、雲が高い。空の青さや雲の形は、江戸と何ら変わらない。そして、乾介がやるべきこともまた変わらず、同じく人殺しである。
乾介は目を閉じて、これからについて考えた。
門人として接近して斬る、という手段は潰えた。面白い手と思ったし、断られる可能性も考えてはいた。しかし、自分の腕であれば雇われるだろうと楽観視していたところはある。
(だが、あの男を知れたのは良かったかもしれん)
脳裏に、平岡九十郎の陰気な顔が浮かんだ。自分と同じ臭いがする男だった。剣も恐ろしく使えるし、実力は大楽以上だろう。もし真剣で立ち合えば、勝負はわからない。
大楽を襲うならば、あの男がいない時を狙うしかない。もし平岡が傍にいれば、大楽には辿り着けない。大楽と平岡との距離感や言動、そして事前の調べを鑑みれば、平岡は我が身を犠牲にしても大楽を守るはず。死にもの狂いとなった平岡を相手にしながら、大楽を斬ることなど不可能だ。それがわかっただけでも、今日のことは無駄にはならなかった。
勿論、後悔が無いわけでもない。大楽に顔を知られてしまったことは、不利になりかねない。が、それも考えようだ。お互いに知り合ったからこそ、近付けるということもある。
(まぁ、なるようになるさ)
今回の仕事には、期限が切られていない。何が何でも殺す為に、焦るなと言われたほどだ。この段階で早まることはない。
三百五十両という、高額な仕事。既に半金は受け取っている。相手は、玄海党を潰した萩尾大楽。報酬が跳ね上がるのも納得である。
「大金を張られた仕事には、大抵裏がある。下手すりゃ、こっちが始末される可能性もあるんだぜ」
そう言った男がいた。聖天の五郎蔵。江戸の日暮里で、始末屋の元締めをしていた男だ。
「殺されるのは、お前のような始末屋だけじゃねぇ。絡んだ元締めごと、口を封じられることもあるんだぜ。俺が知っている限りで、二人。いや三人かな」
確か、そんなことも言っていたような気がする。だから高額な仕事を踏む時は、いつも以上に調べ上げるとも。
乾介は、潮焼けをした五郎蔵の顔を久し振りに思い出した。育ての親であり、乾介「息子」と呼びながら、人殺しの術を仕込み、始末屋に仕立てた男。そのことについて恨みはなく、むしろ恩義しか感じない。彼がいなければ、自分は野垂れ死んでいたのだ。
乾介の生まれは、常州の笠間藩。父は郷方村廻りという、下級の役人だった。また母親は早くに亡くし、母代わりとして姉が育ててくれた。
その姉が、凌辱された上に殺された。乾介が七歳の頃である。下手人は、上士の子弟たち。普段から素行が悪いと噂された、五人組だった。
下手人がわかると、父はその五人を襲って斬り捨て自分を連れて脱藩した。立ち合いの現場に乾介もいたが、無眼流の免許を持つ父の腕は、まるで飢えた狼のように獰猛だった。相手も父の前では為す術もなく、まるで藁人形を斬っているかのような光景は、今でも覚えている。
そうして始まった浪々の日々。江戸に辿り着いた時には、父は名うての人斬りになっていた。生きる為に殺しを稼業とし、時には追剥ぎにも手を染めていた。乾介はそれを傍で見るしかなく、「生きる為には仕方のないこと」と諦観していた。
父は五郎蔵に乞われて支配下の始末屋となったが、程なく死病を患い、乾介が十四になった冬に血を吐いて死んだ。
それからだ。五郎蔵が自分を育ててくれたのは。乾介は父と同じく無眼流を称して始末屋となり、養父の依頼で様々の仕事を踏んだ。ただその五郎蔵も六年後には、役人に捕縛されて獄死。今はその跡目を継ぐ形となった、犬政の世話になっている。
気が付けば、程よい眠気を覚えていた。立ち合いでの、疲れもあるのだろう。眠る時は、いつでも眠れる。そんな身体になっている。
半端者たちは威勢のいいことを喚いているが、平岡の眼光に内心では怯んでいることは一目瞭然だった。
その平岡の視線が、こちらに向いた。
「待たせたな、平岡。店の者は?」
「中に入ってもらっています。発端は茶をこぼしただの、こぼさないだのですが、因縁をつけたのは、旦那を呼び出す為でしょう」
「へぇ、そうかい」
と、大楽は三人に目を向けた。
それにしても若い。二十歳にもなってはいないように見える。当然、怖さは全く感じない。
「若いな。そんだけ駒が不足してんのか、或いはお前たちは捨て駒にされたのか」
「何を言ってやがる。俺たちは、ちょっと遊びに来ただけだ」
大楽は、吠えた男が懐に匕首を忍ばせているのを認めた。
「遊びねぇ。まぁ、いいさな。だが、その遊びにゃ、刃物は必要なかろうぜ」
三人が、慌てて懐に手をやる。やはり、この三人は三下の半端な奴らだ。
「親分に俺の命を獲って、漢になってこいとでも言われたかい? そりゃ、この閻羅遮を始末して姪浜を領分に加えられりゃ、八幡一家は一気にデカくなるし、お前たちも名が上がる」
「そっ……そんなんじゃねぇよ」
「そうなんだよ」
大楽は、三人を平手で張り倒した。
「こっちとしちゃ、いい迷惑だ。やくざはやくざ同士、争っていればいいのに、俺まで巻き込みやがる。俺は善良な道場主なんだがなぁ」
「てめぇは、やくざみてぇなもんじゃねぇか」
半端者の一人が喚く。大楽は苦笑すると、今度は三人に拳骨をお見舞いし、しゃがみ込んで全員の懐から匕首を抜き取った。
「谷中の時にも言われたね。なぁ、平岡。やっていることは、やくざじゃねぇかって」
「懐かしいですね」
そう返事をした平岡は、腕を組んだままだ。七尾が何も言わずに、抜き取った匕首を集めた。七尾の教育係は、この平岡だった。この状況で何をすべきか、言わずとも動けるように仕込んでいた。
「八幡一家が姪浜を狙う気持ちはわかる。ここを領分にすりゃ、上納金も相当なものになるだろうよ。だが、姪浜にやくざはいらねぇのさ。知っているか? この町にゃ俺たちだけでなく、怖くて強い漁師衆もいるんだぜ。これ以上、気の荒い連中が増えてみろ? 堅気さんが困るじゃねぇか」
大楽は腰を上げると、平岡に室見川の対岸まで送るように命じた。
第二章 丑寅会
一
「ここか」
蜷川乾介は、その道場の前に立つと呟いた。
姪浜宿、宮前。住吉神社の右向かい、唐津街道の本筋に面した中々の一等地にあった。小振りであるが新しい道場で、磨き上げられた看板には〔萩尾道場〕とだけ記されている。
萩尾流の剣術道場。まだ昼前だというのに、気勢を上げて竹刀で打ち合う音は全く聞こえない。一見すると、流行っていない道場に思えるが、乾介はこの道場が持つ事情、つまりは裏の顔を知っているので、さして戸惑うことはなかった。
乾介が一声掛けると、奥から若い武士が一人現れた。稽古着ではなく、紺青の小袖に小倉袴を、粋に着こなしている男前だった。
涼し気な目元には若干の幼さも感じられ、二十六になる自分よりも、五つぐらいは下だと乾介は踏んだ。
この男が門人であり、萩尾大楽ではないということは一目でわかる。あの男は、こんな優男ではない。人相・風体は頭にしっかりと入っている。
「当道場に、何か御用でしょうか?」
若い武士が訊いた。声色は明るく、人懐っこさがある。
「入門希望、と言ったらいいかな?」
「左様でございますか」
若い武士は笑顔を崩さないものの、視線がやや厳しくなったように思えた。
「私どもの道場が、単なる剣術指南ではないことはご存じでしょうか?」
「勿論。博多で噂を聞いたんだ。腕っぷしの強い用心棒を集めて商売をしていると。俺も些か自信があってね」
「それなら」と、若い武士は七尾壮平と名乗り、門人だと言った。乾介も、名を明かす。流派や出身は聞かれなかった。ただ、奥の一間で待つようにと、乾介を奥へと導いた。
案内されたのは、道場と回廊で繋がった母屋の一間だった。すぐに老僕が、茶を持って現れた。白髪頭を薄くし、持ったお盆が小刻みに震えている。耄碌した老いぼれだった。
「旦那様は、ちょっと出ておりますが、すぐにお戻りになりますので、暫くお待ちくださいまし」
老僕は、恭しく頭を下げて出て行った。
乾介は軽く溜息を吐き、猫の額ほどの庭に目をやった。老いぼれはともかく、全てが新しい屋敷である。話によれば、今年の初めに出来たばかりだそうで、玄海党を倒した報奨金と、地元の商人たちの厚意で建てられたという。
そうした詳細な情報は、博多の協力者に知らされたものだった。江戸では、大楽の見た目や風貌、性格のみしか知らされず、ただ「斬って欲しい」とだけ頼まれた。
乾介は銭で人を殺す、始末屋を稼業にしていた。拠点は江戸であり、西で働くにしても、京か大坂まで。それを飛び越えて、筑前にまで足を伸ばしたのは、これが初めてだった。
今回の仕事は、始末屋の元締めたる五目の犬政に頼まれて踏んだものだ。
誰が犬政に依頼したのか、或いは犬政が個人的に頼んだのか、それは始末屋の流儀に則って知らされていない。
ただ、閻羅遮と呼ばれた男が、何をやってのけたのか。それを知らされた時は、そんな男の人生に幕を下ろす役目を得たという喜びを感じた。玄海党を潰した男なら、さぞ自分を燃やしてくれるだろうと。
では、その大楽をどう斬るか? それが問題だった。
いつもなら、暗がりに伏せて不意を突く。しかし修羅場をいくつもくぐり抜けてきた大楽を、すんなりと斬れるとは思っていない。それに敵が多い身、殺気には敏感になっているはずだ。
様々な選択肢が頭に浮かび、乾介はその中の一つを選択した。それは、萩尾道場の門人となり、気を抜いたところを斬るというものだ。それを思いついた時、乾介は思わず笑い声を上げてしまっていた。自分が選んだ門人に斬られて死ぬなど、無様にも程があると。
勿論、それが上手く行くとは考えていない。大楽もひとかどの人物というし、門人に加えてもらえない可能性もある。その時は、また別の手を考えればいい。
男が二人現れたのは、老僕が出した渋い茶を半分ほど空けた頃だった。
大きな男と痩せた男の二人組。大きな男は上機嫌に笑みを浮かべてはいるが、痩せた男は冷えた視線をこちらに向けている。
正反対の二人だが、どちらも眼の奥が洞穴のように暗い。笑顔を浮かべていようが、真顔でいようが変わらない。それは人殺しが持つ翳りであり、どう隠しても滲み出てしまうものなのだ。いわば、同種の男と呼んでいい。
乾介が軽く頭を下げると、大きな男は萩尾大楽、痩せた男は平岡九十郎と名乗った。
大楽だけが、乾介の前に座った。平岡は、やや後ろに控えている。この男は萩尾道場の師範代で、まるで忠犬のように大楽にかしずいているらしいが、剣に関しては大楽以上の使い手という評判だった。
「入門希望だってね」
「ええ。博多で噂を耳にしたんですよ。用心棒を売りにする道場があって、そこに入れば、くいっぱぐれは無いと」
「ふむ。失礼だが、お前さんは浪人かい? 廻国修行中の武芸者って感じはするが……」
乾介の恰好は、野装束だった。袖無しの打裂羽織に野袴。それに、編み笠を背負っている。
「方々で剣は磨いていますが、言わば単なる風来坊ですよ。懐が寂しくなったんで、ちょっと銭が稼げたらと。売るのは剣しかねぇし、かと言ってやくざ者の用心棒はごめんだ」
「それで、生まれは?」
「江戸ですが、十五の時分から方々を転々と」
「ほう江戸か。どこだい?」
「深川です。貧乏浪人の息子でしたので」
乾介は、事前に考えていた経歴を答えた。
「剣の方はどうだ? まぁ、自信が無けりゃうちの門は叩かんだろうが」
「我流ですが、それなりに。一応は父が直心影流の師範代でしたが、八つの頃に死んじまって。それからは、喧嘩で磨きました」
「なるほどね。それは俺も平岡も似たようなもんだな」
平岡を一瞥したが、さしたる反応はなかった。
「それで、江戸を出た理由は?」
「そこまで語る必要ってありますかね」
「単なる世間話さ。語りたくない事情があれば、無理に話すことはねぇよ」
「そういうわけじゃないですが、用心棒なので剣の腕だけを試されると思っていたので」
「勿論、腕っぷしは重要だ。だが、それと同時に客商売でもあるんでね。人品ってのが大事なんだ」
「それを言われたら、自信がないですね。後ろ暗いものがなければ、わざわざ筑前まで流れては来ません」
「それは、誰だってそうよ。俺も平岡も流れ者だしな」
そう言うと、大楽は平岡に顔を向けて一笑した。ただ、平岡は大楽の冗談には付き合わず、「そろそろ」と告げた。
「とりあえず、腕試しをしてもらおうか。どんだけ、人品がしっかりしてても、腕がいまいちじゃ話になんねぇからな」
それから、道場へ移動した。
磨き上げられた床。使い込んだ形跡はない。そこに、先程案内してくれた七尾と共に、熊のような大男が待っていた。
歳は三十半ばか、四十絡み。正確な年齢は読めないが、年季の入った浪人ということはわかる。
「この男は大梶といって、道場でも古参の門人だ」
大楽が紹介し、乾介は大梶と向かい合った。
見上げるような大男。それでいて、横にも大きい。肥えているというより、肉が詰まっていると表現すべきだろう。がっしりとした大楽よりも一回り以上大きく、何ともむさ苦しい男である。
「蜷川殿には、まずこの大梶と立ち合ってもらう」
平岡が、抑揚のない声で言った。これまでの印象から、この萩尾道場は大きなところで大楽が引っ張り、平岡が細かく見ているという感じだろうか。
「ほほう。これは中々強そうな面構えをしておりますな。こりゃ私で相手が務まるかな?」
「『私の相手が務まる』ではなく『私で相手が務まる』なんて言ったら、謙遜を過ぎて嫌味に聞こえますよ」
「あいや、これは申し訳ない。そんなつもりでは」
大梶は、芝居がかった大袈裟な素振りで、両手を振ったあとに手を合わせて謝罪の言葉を続けた。
「気を悪くしないでくだされ。言葉はそのままの意味で、私は剣の方はさっぱりなのですよ。先生や師範代、それに七尾に比べたら私などとてもとても……」
「へぇ、なのに萩尾道場で雇ってもらえるんですねぇ。よっぽど人品が優れているんでしょうよ」
「それもある」
と、見ていた大楽が口を挟んだ。
「大梶は、俺たちに比べたら随分と人間が出来ている。御覧の通りの人柄で、裏表がない。だから客先でも気に入られるし、大梶でなきゃって店もある。まぁ、うちの稼ぎ頭だな。しかも、この図体だ。立っているだけでも、相手は怯みやがる。これほど、用心棒に向いた奴はいねぇ。俺や平岡よりもずっとな」
「確かに、そう言われると納得しますね」
「まぁ本人は謙遜しているが、決して弱くはない。気を抜かないことだな」
乾介は頷き、七尾に手渡された竹刀を手に取った。
何度か振ってみる。これを使うのは久し振りだ。剣は木剣、或いは真剣で磨いてきた。竹刀は子供の遊び。座興でしか、触ったことはない。
それから乾介は、道場の中央に進み出て、大梶と向かい合った。
「では」
大梶が頭を下げる。乾介は軽く目を伏せると、大梶は、構えを正眼に取っていた。
(萩尾が言っていた意味はこれか)
対峙してみて、大梶が用心棒に向いていると語った意味がわかった。身の丈は六尺ぐらいあるだろう。力士のような体格で、向かい合っただけで相手を威圧するものがある。
大梶が用心棒でいれば、無用な争いを避けられるだろう。だが問題は、相手が怯まなかった場合。そうなると、単純に腕前の勝負になる。
その大梶が、裂帛の気勢と共に踏み込んできた。上段からの一刀。巨躯に蓄えられた膂力を活かした、峻烈な一刀。そして、見かけ通りの思いっきりのよさだ。
乾介は大梶の一撃を身を反らして躱すと、更に追い打ちを仕掛けようとした大梶の小手を、軽く打った。
「それまで」
大楽の一言で、乾介は身を引いた。
「いやぁ、やはりお強い」
大梶が、打たれた手首をさすりながら言った。そう強くは打っていない。頑強な図体の大梶なら、このぐらいは屁でもないはずだ。
「私も心形刀流を学んだ身ですが、中々どうして」
「大梶さんは、剣より柔が向いてそうですよ」
「ほう、これは大層な目を持っていらっしゃる。実は江戸で起倒流道場の師範代をしていたのですよ。まぁ、相手が蜷川殿のような使い手であれば、柔の術も通用しないとは思いますが」
その話を聞いて、そうだろうという感想しかない。大梶のような図体を持っていれば、剣よりも柔をさせた方が得と誰しもが思うはずだ。
「それで、試験はこれだけですか?」
乾介は、大楽ではなく平岡に訊いた。
平岡は首を振り、「次は俺と七尾が相手だ」と告げた。
「俺ひとりですか?」
「ああ。更には、そこの大梶を守ってもらう。つまり、俺と七尾は、大梶を狙う曲者で、蜷川殿は大梶を守る用心棒。俺たちを打ち倒すか、大梶を連れて道場を出られれば合格だ」
「なるほど。実戦に近いってわけか。しかし、守るのが姫様ではなく熊男ってのは拍子抜けだな」
「守る相手を選べんのも用心棒の辛いところだ」
大楽の一言に、乾介は肩を竦めた。
大梶を背にして、乾介は平岡と七尾と向かい合った。
平岡と七尾は、やや距離を開けて乾介を囲むように立っている。ただ平岡が半歩ほど前だ。平岡が仕掛け、その隙に七尾が大梶を狙うという具合だろう。
目を引いたのは、平岡の佇まいだ。平然と佇立していて、殺気などは全く感じないが、底冷えのする得体の知れない圧を発している。
やはりな。この平岡という男は、自分と同類だ。道場のお稽古剣術でも、道を究める為の剣術でもない。人を殺す為の、斬人術。そんな男が用心棒として、人を守っているとは笑わせる。
(気に入らねぇな)
何を気取ってやがる。お前は、こっち側のはずだぜ? そう問い掛けてやりたい。
その平岡の切っ先が、やや下がった。仕掛けるか、と思った矢先、七尾が気勢も上げずに斬り込んできた。
「そっちか」
意表を突かれた。別に頭から、その可能性を否定していたわけではない。だが、目の前の平岡に囚われ過ぎていた。
乾介は大梶を後ろ手で押すと、上段から向かってくる七尾の胴を容赦なく抜いた。しかし、その隙に平岡が脇をすり抜けて大梶を軽く打った。
「終わりだ」
大楽が言った。その背後で、七尾が腹を押さえて咳込み、大梶が駆け寄っている。不意を突かれたので手加減をしなかったが、かと言って骨が折れるほどではない。数日で痛みは引くはずだ。
「残念だが、不合格だ」
そう言った大楽の表情は、別段変わりはない。ただ、自分をじっと見据えている。
「まぁ、仕方ないですね。守れなかったから文句はないですよ」
「用心棒に必要なことは、斬ることではなく斬らせないことだ」
「それじゃ、俺はどうしたら良かったんですかね? 後学の為に教えてくれませんか」
「そうさな。……俺なら大梶の手を握って、一目散に逃げるよ。別に袋小路に追い詰められたわけじゃねぇんだ。まずは逃げることよ」
「なるほどね」
「それに、お前さんの剣からは血の臭いがし過ぎる」
「そりゃ、浪人が生きようと思えば、多少の血は流れるってもんです」
「多少、ね。まぁ、それに関しては俺や平岡は、お前さんにとやかく言えた義理じゃねぇ。だからこそ、これ以上増えりゃ道場が血腥くなっちまう」
「そいつを言われちゃ、返す言葉は無いですね」
乾介は軽く頭を下げて、踵を返した。すると、大楽が「おい」と呼び止めた。
「どうだ? 折角なんだ。昼飯でも食っていくか?」
大楽は笑顔だ。他人様を不合格にしといて、こんなことを言う。友として出会ったら好きになるかもしれんが、乾介にはどうにも癪に障る。
乾介は、軽く笑って首を横に振った。
「いえ、ご一緒するとますます入門したくなるんで」
二
街道筋の往来は、人で溢れていた。
昼を少し回った時分。唐津街道を旅する者だけでなく、辻々に立ち並ぶ商家を巡る買い物客も多く、明るい弾みを感じさせる活気が、この宿場にはあった。
(思った以上の賑わいだな)
姪浜宿は、唐津街道沿いにある大きな宿場である。斯摩藩領と天領・福岡に接する防衛の拠点であり、交通と商業の要所でもあるという。
江戸で生まれ育った乾介にとって、江戸・大坂・京都以外は、全て田舎という意識がある。確かに江戸とは、比べ物にならない。いくら姪浜が要地とされていても、小さな役所が置かれた宿場町ぐらいのものと思っていたのだ。
だが実際に足を踏み入れると、一万石程度の小名が治める城下町と、何ら遜色ない町割りや規模があった。
乾介にそう思わせたのは、宿場の東端にある陣屋。この地を支配する斯摩藩一門衆筆頭・萩尾家の屋敷で、水堀と高い漆喰の塀に囲まれた上に、重厚な長屋門を備えた威容は、無城の大名家が持つ陣屋のそれである。
その萩尾家の当主は、主計という男だった。どんな男だったのか知る由もないが、玄海党が瓦解した切っ掛けを引き起こした挙句に死んだ。そして、今は幼い当主を奉じていて、それを大楽が支えている恰好らしい。乾介が知っているのは、それぐらいだ。
萩尾家、八千石。嫡男だった男が、萩尾大楽。
(結局は、いいとこの御曹司か)
あと二千石もあれば大名家であるし、その殿様になれたかもしれない男である。しかも、神君家康公の血筋とも噂される。いくら無頼を気取ろうが、門閥出身の武士。根っからの浪人、野良犬とは違う。だというのに、あの男はあたかも野卑な私生児気分で振舞う、そんな性根が気に食わない。
悪い男ではないのはわかる。しかし、癪に障る男ではある。始末屋として、標的に好悪を抱かず、ただ斬る者と斬られる者が存在する、それだけだと考えてきたが、あの男には心をざらつかせる何かがあった。
「さて、どうしたものかな」
街道筋を歩きつつ、乾介は呟いた。まだ陽は高い。その足は、宿場の東を流れる室見川へと向いていた。
この辺りでは最も大きな川で、向こう岸は天領である。つまり萩尾領は、斯摩藩にとって最前線。それほど斯摩藩渋川家にとっては、信の置ける藩屏なのだろう。
乾介は河原の土手に、ごろりと仰臥した。
暖かい日だった。昨日まで三日続けて雨で、このまま冬に向かうのだろうと思わせる肌寒さもあった。そういうこともあってか、乾介は暫く博多から動かなかったのだ。人の多さも、ここ最近の天気と関わりがあるのかもしれない。
秋にしては、雲が高い。空の青さや雲の形は、江戸と何ら変わらない。そして、乾介がやるべきこともまた変わらず、同じく人殺しである。
乾介は目を閉じて、これからについて考えた。
門人として接近して斬る、という手段は潰えた。面白い手と思ったし、断られる可能性も考えてはいた。しかし、自分の腕であれば雇われるだろうと楽観視していたところはある。
(だが、あの男を知れたのは良かったかもしれん)
脳裏に、平岡九十郎の陰気な顔が浮かんだ。自分と同じ臭いがする男だった。剣も恐ろしく使えるし、実力は大楽以上だろう。もし真剣で立ち合えば、勝負はわからない。
大楽を襲うならば、あの男がいない時を狙うしかない。もし平岡が傍にいれば、大楽には辿り着けない。大楽と平岡との距離感や言動、そして事前の調べを鑑みれば、平岡は我が身を犠牲にしても大楽を守るはず。死にもの狂いとなった平岡を相手にしながら、大楽を斬ることなど不可能だ。それがわかっただけでも、今日のことは無駄にはならなかった。
勿論、後悔が無いわけでもない。大楽に顔を知られてしまったことは、不利になりかねない。が、それも考えようだ。お互いに知り合ったからこそ、近付けるということもある。
(まぁ、なるようになるさ)
今回の仕事には、期限が切られていない。何が何でも殺す為に、焦るなと言われたほどだ。この段階で早まることはない。
三百五十両という、高額な仕事。既に半金は受け取っている。相手は、玄海党を潰した萩尾大楽。報酬が跳ね上がるのも納得である。
「大金を張られた仕事には、大抵裏がある。下手すりゃ、こっちが始末される可能性もあるんだぜ」
そう言った男がいた。聖天の五郎蔵。江戸の日暮里で、始末屋の元締めをしていた男だ。
「殺されるのは、お前のような始末屋だけじゃねぇ。絡んだ元締めごと、口を封じられることもあるんだぜ。俺が知っている限りで、二人。いや三人かな」
確か、そんなことも言っていたような気がする。だから高額な仕事を踏む時は、いつも以上に調べ上げるとも。
乾介は、潮焼けをした五郎蔵の顔を久し振りに思い出した。育ての親であり、乾介「息子」と呼びながら、人殺しの術を仕込み、始末屋に仕立てた男。そのことについて恨みはなく、むしろ恩義しか感じない。彼がいなければ、自分は野垂れ死んでいたのだ。
乾介の生まれは、常州の笠間藩。父は郷方村廻りという、下級の役人だった。また母親は早くに亡くし、母代わりとして姉が育ててくれた。
その姉が、凌辱された上に殺された。乾介が七歳の頃である。下手人は、上士の子弟たち。普段から素行が悪いと噂された、五人組だった。
下手人がわかると、父はその五人を襲って斬り捨て自分を連れて脱藩した。立ち合いの現場に乾介もいたが、無眼流の免許を持つ父の腕は、まるで飢えた狼のように獰猛だった。相手も父の前では為す術もなく、まるで藁人形を斬っているかのような光景は、今でも覚えている。
そうして始まった浪々の日々。江戸に辿り着いた時には、父は名うての人斬りになっていた。生きる為に殺しを稼業とし、時には追剥ぎにも手を染めていた。乾介はそれを傍で見るしかなく、「生きる為には仕方のないこと」と諦観していた。
父は五郎蔵に乞われて支配下の始末屋となったが、程なく死病を患い、乾介が十四になった冬に血を吐いて死んだ。
それからだ。五郎蔵が自分を育ててくれたのは。乾介は父と同じく無眼流を称して始末屋となり、養父の依頼で様々の仕事を踏んだ。ただその五郎蔵も六年後には、役人に捕縛されて獄死。今はその跡目を継ぐ形となった、犬政の世話になっている。
気が付けば、程よい眠気を覚えていた。立ち合いでの、疲れもあるのだろう。眠る時は、いつでも眠れる。そんな身体になっている。
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