谷中の用心棒 萩尾大楽

筑前助広

文字の大きさ
表紙へ
上 下
20 / 33
外道宿決斗始末

外道宿決斗始末-3

しおりを挟む
 茶屋の前で、半端者チンピラ三人が、平岡を囲んで大声を張り上げていた。だが平岡は全く動じず、腕を組んで黙って聞いている。
 半端者チンピラたちは威勢のいいことを喚いているが、平岡の眼光に内心ではひるんでいることは一目瞭然だった。
 その平岡の視線が、こちらに向いた。

「待たせたな、平岡。店のもんは?」
「中に入ってもらっています。発端は茶をこぼしただの、こぼさないだのですが、因縁アヤをつけたのは、旦那を呼び出す為でしょう」
「へぇ、そうかい」

 と、大楽は三人に目を向けた。
 それにしても若い。二十歳にもなってはいないように見える。当然、怖さは全く感じない。

「若いな。そんだけ駒が不足してんのか、或いはお前たちは捨て駒にされたのか」
「何を言ってやがる。俺たちは、ちょっと遊びに来ただけだ」

 大楽は、吠えた男が懐に匕首ドスを忍ばせているのを認めた。

「遊びねぇ。まぁ、いいさな。だが、その遊びにゃ、刃物は必要なかろうぜ」

 三人が、慌てて懐に手をやる。やはり、この三人は三下の半端な奴らだ。

親分オヤジに俺のタマを獲って、おとこになってこいとでも言われたかい? そりゃ、この閻羅遮を始末して姪浜を領分シマに加えられりゃ、八幡一家は一気にデカくなるし、お前たちも名が上がる」
「そっ……そんなんじゃねぇよ」
「そうなんだよ」

 大楽は、三人を平手で張り倒した。

「こっちとしちゃ、いい迷惑だ。やくざはやくざ同士、争っていればいいのに、俺まで巻き込みやがる。俺は善良な道場主なんだがなぁ」
「てめぇは、やくざみてぇなもんじゃねぇか」

 半端者チンピラの一人が喚く。大楽は苦笑すると、今度は三人に拳骨げんこつをお見舞いし、しゃがみ込んで全員の懐から匕首ドスを抜き取った。

「谷中の時にも言われたね。なぁ、平岡。やっていることは、やくざじゃねぇかって」
「懐かしいですね」

 そう返事をした平岡は、腕を組んだままだ。七尾が何も言わずに、抜き取った匕首ドスを集めた。七尾の教育係は、この平岡だった。この状況で何をすべきか、言わずとも動けるように仕込んでいた。

「八幡一家が姪浜を狙う気持ちはわかる。ここを領分シマにすりゃ、上納金アガリも相当なものになるだろうよ。だが、姪浜にやくざはいらねぇのさ。知っているか? この町にゃ俺たちだけでなく、怖くて強い漁師衆もいるんだぜ。これ以上、気の荒い連中が増えてみろ? 堅気さんが困るじゃねぇか」

 大楽は腰を上げると、平岡に室見川の対岸まで送るように命じた。



 第二章 丑寅会うしとらかい



 一


「ここか」

 蜷川乾介にながわけんすけは、その道場の前に立つと呟いた。
 姪浜宿、宮前みやのまえ。住吉神社の右向かい、唐津街道の本筋に面した中々の一等地にあった。小振りであるが新しい道場で、磨き上げられた看板には〔萩尾道場〕とだけ記されている。
 萩尾流の剣術道場。まだ昼前だというのに、気勢を上げて竹刀しないで打ち合う音は全く聞こえない。一見すると、流行っていない道場に思えるが、乾介はこの道場が持つ事情、つまりは裏の顔を知っているので、さして戸惑うことはなかった。
 乾介が一声掛けると、奥から若い武士が一人現れた。稽古着ではなく、紺青こんじょうの小袖に小倉袴こくらばかまを、粋に着こなしている男前だった。
 涼し気な目元には若干の幼さも感じられ、二十六になる自分よりも、五つぐらいは下だと乾介は踏んだ。
 この男が門人であり、萩尾大楽ではないということは一目でわかる。あの男は、こんな優男ではない。人相・風体は頭にしっかりと入っている。

「当道場に、何か御用でしょうか?」

 若い武士が訊いた。声色は明るく、人懐っこさがある。

「入門希望、と言ったらいいかな?」
「左様でございますか」

 若い武士は笑顔を崩さないものの、視線がやや厳しくなったように思えた。

「私どもの道場が、単なる剣術指南ではないことはご存じでしょうか?」
「勿論。博多で噂を聞いたんだ。腕っぷしの強い用心棒を集めて商売をしていると。俺もいささか自信があってね」

「それなら」と、若い武士は七尾壮平と名乗り、門人だと言った。乾介も、名を明かす。流派や出身は聞かれなかった。ただ、奥の一間で待つようにと、乾介を奥へと導いた。
 案内されたのは、道場と回廊で繋がった母屋の一間だった。すぐに老僕が、茶を持って現れた。白髪頭を薄くし、持ったお盆が小刻みに震えている。耄碌もうろくした老いぼれだった。

「旦那様は、ちょっと出ておりますが、すぐにお戻りになりますので、暫くお待ちくださいまし」

 老僕は、恭しく頭を下げて出て行った。
 乾介は軽く溜息を吐き、猫の額ほどの庭に目をやった。老いぼれはともかく、全てが新しい屋敷である。話によれば、今年の初めに出来たばかりだそうで、玄海党を倒した報奨金と、地元の商人たちの厚意で建てられたという。
 そうした詳細な情報は、博多の協力者に知らされたものだった。江戸では、大楽の見た目や風貌、性格のみしか知らされず、ただ「斬って欲しい」とだけ頼まれた。
 乾介は銭で人を殺す、始末屋を稼業シノギにしていた。拠点は江戸であり、西で働くにしても、京か大坂まで。それを飛び越えて、筑前にまで足を伸ばしたのは、これが初めてだった。
 今回の仕事ヤマは、始末屋の元締めたる五目ごもく犬政いぬまさに頼まれて踏んだものだ。
 誰が犬政に依頼したのか、或いは犬政が個人的に頼んだのか、それは始末屋の流儀に則って知らされていない。
 ただ、閻羅遮と呼ばれた男が、何をやってのけたのか。それを知らされた時は、そんな男の人生に幕を下ろす役目を得たという喜びを感じた。玄海党を潰した男なら、さぞ自分を燃やしてくれるだろうと。
 では、その大楽をどう斬るか? それが問題だった。
 いつもなら、暗がりに伏せて不意を突く。しかし修羅場しゅらじょうをいくつもくぐり抜けてきた大楽を、すんなりと斬れるとは思っていない。それに敵が多い身、殺気には敏感になっているはずだ。
 様々な選択肢が頭に浮かび、乾介はその中の一つを選択した。それは、萩尾道場の門人となり、気を抜いたところを斬るというものだ。それを思いついた時、乾介は思わず笑い声を上げてしまっていた。自分が選んだ門人に斬られて死ぬなど、無様にも程があると。
 勿論、それが上手く行くとは考えていない。大楽もひとかどの人物というし、門人に加えてもらえない可能性もある。その時は、また別の手を考えればいい。
 男が二人現れたのは、老僕が出した渋い茶を半分ほど空けた頃だった。
 大きな男と痩せた男の二人組。大きな男は上機嫌に笑みを浮かべてはいるが、痩せた男は冷えた視線をこちらに向けている。
 正反対の二人だが、どちらも眼の奥が洞穴のように暗い。笑顔を浮かべていようが、真顔でいようが変わらない。それは人殺しが持つかげりであり、どう隠しても滲み出てしまうものなのだ。いわば、同種の男と呼んでいい。
 乾介が軽く頭を下げると、大きな男は萩尾大楽、痩せた男は平岡九十郎と名乗った。
 大楽だけが、乾介の前に座った。平岡は、やや後ろに控えている。この男は萩尾道場の師範代で、まるで忠犬のように大楽にかしずいているらしいが、剣に関しては大楽以上の使い手という評判だった。

「入門希望だってね」
「ええ。博多で噂を耳にしたんですよ。用心棒を売りにする道場があって、そこに入れば、くいっぱぐれは無いと」
「ふむ。失礼だが、お前さんは浪人かい? 廻国修行中の武芸者って感じはするが……」

 乾介の恰好は、野装束だった。袖無しの打裂羽織ぶっさきばおりに野袴。それに、編み笠を背負っている。

「方々で剣は磨いていますが、言わば単なる風来坊ですよ。懐が寂しくなったんで、ちょっと銭が稼げたらと。売るのは剣しかねぇし、かと言ってやくざ者の用心棒はごめんだ」
「それで、生まれは?」
「江戸ですが、十五の時分から方々を転々と」
「ほう江戸か。どこだい?」
「深川です。貧乏浪人の息子でしたので」

 乾介は、事前に考えていた経歴を答えた。

「剣の方はどうだ? まぁ、自信が無けりゃうちの門は叩かんだろうが」
「我流ですが、それなりに。一応は父が直心影流じきしんかげりゅうの師範代でしたが、八つの頃に死んじまって。それからは、喧嘩で磨きました」
「なるほどね。それは俺も平岡も似たようなもんだな」

 平岡を一瞥したが、さしたる反応はなかった。

「それで、江戸を出た理由は?」
「そこまで語る必要ってありますかね」
「単なる世間話さ。語りたくない事情があれば、無理に話すことはねぇよ」
「そういうわけじゃないですが、用心棒なので剣の腕だけを試されると思っていたので」
「勿論、腕っぷしは重要だ。だが、それと同時に客商売でもあるんでね。人品ってのが大事なんだ」
「それを言われたら、自信がないですね。後ろ暗いものがなければ、わざわざ筑前まで流れては来ません」
「それは、誰だってそうよ。俺も平岡も流れ者だしな」

 そう言うと、大楽は平岡に顔を向けて一笑した。ただ、平岡は大楽の冗談には付き合わず、「そろそろ」と告げた。

「とりあえず、腕試しをしてもらおうか。どんだけ、人品がしっかりしてても、腕がいまいちじゃ話になんねぇからな」


 それから、道場へ移動した。
 磨き上げられた床。使い込んだ形跡はない。そこに、先程案内してくれた七尾と共に、熊のような大男が待っていた。
 歳は三十半ばか、四十絡み。正確な年齢は読めないが、年季の入った浪人ということはわかる。

「この男は大梶といって、道場でも古参の門人だ」

 大楽が紹介し、乾介は大梶と向かい合った。
 見上げるような大男。それでいて、横にも大きい。肥えているというより、肉が詰まっていると表現すべきだろう。がっしりとした大楽よりも一回り以上大きく、何ともむさ苦しい男である。

「蜷川殿には、まずこの大梶と立ち合ってもらう」

 平岡が、抑揚よくようのない声で言った。これまでの印象から、この萩尾道場は大きなところで大楽が引っ張り、平岡が細かく見ているという感じだろうか。

「ほほう。これは中々強そうな面構えをしておりますな。こりゃ私で相手が務まるかな?」
「『私の相手が務まる』ではなく『私で相手が務まる』なんて言ったら、謙遜けんそんを過ぎて嫌味に聞こえますよ」
「あいや、これは申し訳ない。そんなつもりでは」

 大梶は、芝居がかった大袈裟な素振そぶりで、両手を振ったあとに手を合わせて謝罪の言葉を続けた。

「気を悪くしないでくだされ。言葉はそのままの意味で、私は剣の方はさっぱりなのですよ。先生や師範代、それに七尾に比べたら私などとてもとても……」
「へぇ、なのに萩尾道場で雇ってもらえるんですねぇ。よっぽど人品が優れているんでしょうよ」
「それもある」

 と、見ていた大楽が口を挟んだ。

「大梶は、俺たちに比べたら随分と人間が出来ている。御覧の通りの人柄で、裏表がない。だから客先でも気に入られるし、大梶でなきゃって店もある。まぁ、うちの稼ぎ頭だな。しかも、この図体だ。立っているだけでも、相手は怯みやがる。これほど、用心棒に向いた奴はいねぇ。俺や平岡よりもずっとな」
「確かに、そう言われると納得しますね」
「まぁ本人は謙遜しているが、決して弱くはない。気を抜かないことだな」

 乾介は頷き、七尾に手渡された竹刀を手に取った。
 何度か振ってみる。これを使うのは久し振りだ。剣は木剣ぼっけん、或いは真剣で磨いてきた。竹刀は子供の遊び。座興でしか、触ったことはない。
 それから乾介は、道場の中央に進み出て、大梶と向かい合った。

「では」

 大梶が頭を下げる。乾介は軽く目を伏せると、大梶は、構えを正眼に取っていた。

(萩尾が言っていた意味はこれか)

 対峙たいじしてみて、大梶が用心棒に向いていると語った意味がわかった。身の丈は六尺ぐらいあるだろう。力士のような体格で、向かい合っただけで相手を威圧するものがある。
 大梶が用心棒でいれば、無用な争いを避けられるだろう。だが問題は、相手が怯まなかった場合。そうなると、単純に腕前の勝負になる。
 その大梶が、裂帛れっぱくの気勢と共に踏み込んできた。上段からの一刀。巨躯にたくわえられた膂力りょりょくを活かした、峻烈しゅんれつな一刀。そして、見かけ通りの思いっきりのよさだ。
 乾介は大梶の一撃を身を反らしてかわすと、更に追い打ちを仕掛けようとした大梶の小手を、軽く打った。

「それまで」

 大楽の一言で、乾介は身を引いた。

「いやぁ、やはりお強い」

 大梶が、打たれた手首をさすりながら言った。そう強くは打っていない。頑強な図体の大梶なら、このぐらいはでもないはずだ。

「私も心形刀流しんぎょうとうりゅうを学んだ身ですが、中々どうして」
「大梶さんは、剣よりやわらが向いてそうですよ」
「ほう、これは大層な目を持っていらっしゃる。実は江戸で起倒流きとうりゅう道場の師範代をしていたのですよ。まぁ、相手が蜷川殿のような使い手であれば、柔の術も通用しないとは思いますが」

 その話を聞いて、そうだろうという感想しかない。大梶のような図体を持っていれば、剣よりも柔をさせた方が得と誰しもが思うはずだ。

「それで、試験はこれだけですか?」

 乾介は、大楽ではなく平岡に訊いた。
 平岡は首を振り、「次は俺と七尾が相手だ」と告げた。

「俺ひとりですか?」
「ああ。更には、そこの大梶を守ってもらう。つまり、俺と七尾は、大梶を狙う曲者で、蜷川殿は大梶を守る用心棒。俺たちを打ち倒すか、大梶を連れて道場を出られれば合格だ」
「なるほど。実戦に近いってわけか。しかし、守るのが姫様ではなく熊男ってのは拍子抜けだな」
「守る相手を選べんのも用心棒の辛いところだ」

 大楽の一言に、乾介は肩をすくめた。


 大梶を背にして、乾介は平岡と七尾と向かい合った。
 平岡と七尾は、やや距離を開けて乾介を囲むように立っている。ただ平岡が半歩ほど前だ。平岡が仕掛け、その隙に七尾が大梶を狙うという具合だろう。
 目を引いたのは、平岡の佇まいだ。平然と佇立ちょりつしていて、殺気などは全く感じないが、底冷えのする得体の知れない圧を発している。
 やはりな。この平岡という男は、自分と同類だ。道場のお稽古剣術でも、道をきわめる為の剣術でもない。人を殺す為の、斬人術ざんじんじゅつ。そんな男が用心棒として、人を守っているとは笑わせる。

(気に入らねぇな)

 何を気取ってやがる。お前は、こっち側のはずだぜ? そう問い掛けてやりたい。
 その平岡の切っ先が、やや下がった。仕掛けるか、と思った矢先、七尾が気勢も上げずに斬り込んできた。

「そっちか」

 意表を突かれた。別に頭から、その可能性を否定していたわけではない。だが、目の前の平岡に囚われ過ぎていた。
 乾介は大梶を後ろ手で押すと、上段から向かってくる七尾の胴を容赦なく抜いた。しかし、その隙に平岡が脇をすり抜けて大梶を軽く打った。

「終わりだ」

 大楽が言った。その背後で、七尾が腹を押さえて咳込み、大梶が駆け寄っている。不意を突かれたので手加減をしなかったが、かと言って骨が折れるほどではない。数日で痛みは引くはずだ。

「残念だが、不合格だ」

 そう言った大楽の表情は、別段変わりはない。ただ、自分をじっと見据えている。

「まぁ、仕方ないですね。守れなかったから文句はないですよ」
「用心棒に必要なことは、斬ることではなく斬らせないことだ」
「それじゃ、俺はどうしたら良かったんですかね? 後学の為に教えてくれませんか」
「そうさな。……俺なら大梶の手を握って、一目散に逃げるよ。別に袋小路に追い詰められたわけじゃねぇんだ。まずは逃げることよ」
「なるほどね」
「それに、お前さんの剣からは血の臭いがし過ぎる」
「そりゃ、浪人が生きようと思えば、多少の血は流れるってもんです」
「多少、ね。まぁ、それに関しては俺や平岡は、お前さんにとやかく言えた義理じゃねぇ。だからこそ、これ以上増えりゃ道場が血腥ちなまぐさくなっちまう」
「そいつを言われちゃ、返す言葉は無いですね」

 乾介は軽く頭を下げて、踵を返した。すると、大楽が「おい」と呼び止めた。

「どうだ? 折角なんだ。昼飯でも食っていくか?」

 大楽は笑顔だ。他人様を不合格にしといて、こんなことを言う。友として出会ったら好きになるかもしれんが、乾介にはどうにもしゃくに障る。
 乾介は、軽く笑って首を横に振った。

「いえ、ご一緒するとますます入門したくなるんで」


 二


 街道筋の往来は、人であふれていた。
 昼を少し回った時分。唐津街道を旅する者だけでなく、辻々つじつじに立ち並ぶ商家を巡る買い物客も多く、明るい弾みを感じさせる活気が、この宿場にはあった。

(思った以上の賑わいだな)

 姪浜宿は、唐津街道沿いにある大きな宿場である。斯摩藩領と天領・福岡に接する防衛の拠点であり、交通と商業の要所でもあるという。
 江戸で生まれ育った乾介にとって、江戸・大坂・京都以外は、全て田舎という意識がある。確かに江戸とは、比べ物にならない。いくら姪浜が要地とされていても、小さな役所が置かれた宿場町ぐらいのものと思っていたのだ。
 だが実際に足を踏み入れると、一万石程度の小名しょうみょうが治める城下町と、何ら遜色そんしょくない町割りや規模があった。
 乾介にそう思わせたのは、宿場の東端にある陣屋。この地を支配する斯摩藩一門衆筆頭・萩尾家の屋敷で、水堀と高い漆喰しっくいの塀に囲まれた上に、重厚な長屋門を備えた威容は、無城の大名家が持つ陣屋のそれである。
 その萩尾家の当主は、主計という男だった。どんな男だったのか知る由もないが、玄海党が瓦解がかいした切っ掛けを引き起こした挙句に死んだ。そして、今は幼い当主を奉じていて、それを大楽が支えている恰好らしい。乾介が知っているのは、それぐらいだ。
 萩尾家、八千石。嫡男だった男が、萩尾大楽。

(結局は、いいとこの御曹司か)

 あと二千石もあれば大名家であるし、その殿様になれたかもしれない男である。しかも、神君家康公の血筋とも噂される。いくら無頼ぶらいを気取ろうが、門閥出身の武士。根っからの浪人、野良犬とは違う。だというのに、あの男はあたかも野卑やひな私生児気分で振舞う、そんな性根が気に食わない。
 悪い男ではないのはわかる。しかし、癪に障る男ではある。始末屋として、標的マトに好悪を抱かず、ただ斬る者と斬られる者が存在する、それだけだと考えてきたが、あの男には心をざらつかせる何かがあった。

「さて、どうしたものかな」

 街道筋を歩きつつ、乾介は呟いた。まだ陽は高い。その足は、宿場の東を流れる室見川へと向いていた。
 この辺りでは最も大きな川で、向こう岸は天領である。つまり萩尾領は、斯摩藩にとって最前線。それほど斯摩藩渋川しぶかわ家にとっては、信の置ける藩屏はんぺいなのだろう。
 乾介は河原の土手に、ごろりと仰臥した。
 暖かい日だった。昨日まで三日続けて雨で、このまま冬に向かうのだろうと思わせる肌寒さもあった。そういうこともあってか、乾介は暫く博多から動かなかったのだ。人の多さも、ここ最近の天気と関わりがあるのかもしれない。
 秋にしては、雲が高い。空の青さや雲の形は、江戸と何ら変わらない。そして、乾介がやるべきこともまた変わらず、同じく人殺しである。
 乾介は目を閉じて、これからについて考えた。
 門人として接近して斬る、という手段はついえた。面白い手と思ったし、断られる可能性も考えてはいた。しかし、自分の腕であれば雇われるだろうと楽観視していたところはある。

(だが、あの男を知れたのは良かったかもしれん)

 脳裏に、平岡九十郎の陰気な顔が浮かんだ。自分と同じ臭いがする男だった。剣も恐ろしく使えるし、実力は大楽以上だろう。もし真剣で立ち合えば、勝負はわからない。
 大楽を襲うならば、あの男がいない時を狙うしかない。もし平岡が傍にいれば、大楽には辿たどり着けない。大楽と平岡との距離感や言動、そして事前の調べを鑑みれば、平岡は我が身を犠牲にしても大楽を守るはず。死にもの狂いとなった平岡を相手にしながら、大楽を斬ることなど不可能だ。それがわかっただけでも、今日のことは無駄にはならなかった。
 勿論、後悔が無いわけでもない。大楽に顔を知られてしまったことは、不利になりかねない。が、それも考えようだ。お互いに知り合ったからこそ、近付けるということもある。

(まぁ、なるようになるさ)

 今回の仕事ヤマには、期限が切られていない。何が何でも殺す為に、焦るなと言われたほどだ。この段階で早まることはない。
 三百五十両という、高額な仕事ヤマ。既に半金は受け取っている。相手は、玄海党を潰した萩尾大楽。報酬が跳ね上がるのも納得である。

「大金を張られた仕事ヤマには、大抵裏がある。下手すりゃ、こっちが始末される可能性もあるんだぜ」

 そう言った男がいた。聖天しょうてん五郎蔵ごろぞう。江戸の日暮里にっぽりで、始末屋の元締めをしていた男だ。

されるのは、お前のような始末屋だけじゃねぇ。絡んだ元締めごと、口を封じられることもあるんだぜ。俺が知っている限りで、二人。いや三人かな」

 確か、そんなことも言っていたような気がする。だから高額な仕事ヤマを踏む時は、いつも以上に調べ上げるとも。
 乾介は、潮焼けをした五郎蔵の顔を久し振りに思い出した。育ての親であり、乾介「息子」と呼びながら、人殺しのわざを仕込み、始末屋に仕立てた男。そのことについて恨みはなく、むしろ恩義しか感じない。彼がいなければ、自分は野垂のたれ死んでいたのだ。
 乾介の生まれは、常州の笠間藩かさまはん。父は郷方村廻ごうがたむらまわりという、下級の役人だった。また母親は早くに亡くし、母代わりとして姉が育ててくれた。
 その姉が、凌辱りょうじょくされた上に殺された。乾介が七歳の頃である。下手人は、上士じょうしの子弟たち。普段から素行が悪いと噂された、五人組だった。
 下手人がわかると、父はその五人を襲って斬り捨て自分を連れて脱藩した。立ち合いの現場に乾介もいたが、無眼流むがんりゅうの免許を持つ父の腕は、まるで飢えた狼のように獰猛どうもうだった。相手も父の前では為す術もなく、まるで藁人形わらにんぎょうを斬っているかのような光景は、今でも覚えている。
 そうして始まった浪々ろうろうの日々。江戸に辿り着いた時には、父は名うての人斬りになっていた。生きる為に殺しを稼業シノギとし、時には追剥おいはぎにも手を染めていた。乾介はそれを傍で見るしかなく、「生きる為には仕方のないこと」と諦観していた。
 父は五郎蔵にわれて支配下の始末屋となったが、程なく死病をわずらい、乾介が十四になった冬に血を吐いて死んだ。
 それからだ。五郎蔵が自分を育ててくれたのは。乾介は父と同じく無眼流を称して始末屋となり、養父の依頼で様々の仕事ヤマを踏んだ。ただその五郎蔵も六年後には、役人に捕縛されて獄死。今はその跡目を継ぐ形となった、犬政の世話になっている。
 気が付けば、程よい眠気を覚えていた。立ち合いでの、疲れもあるのだろう。眠る時は、いつでも眠れる。そんな身体になっている。 


しおりを挟む
表紙へ
感想 2

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

妻を蔑ろにしていた結果。

下菊みこと
恋愛
愚かな夫が自業自得で後悔するだけ。妻は結果に満足しています。 主人公は愛人を囲っていた。愛人曰く妻は彼女に嫌がらせをしているらしい。そんな性悪な妻が、屋敷の最上階から身投げしようとしていると報告されて急いで妻のもとへ行く。 小説家になろう様でも投稿しています。

加藤虎之助(後の清正、15歳)、姉さん女房をもらいました!

野松 彦秋
歴史・時代
加藤虎之助15歳、山崎シノ17歳 一族の出世頭、又従弟秀吉に翻弄(祝福?)されながら、 二人は夫婦としてやっていけるのか、身分が違う二人が真の夫婦になるまでの物語。 若い虎之助とシノの新婚生活を温かく包む羽柴家の人々。しかし身分違いの二人の祝言が、織田信長の耳に入り、まさかの展開に。少年加藤虎之助が加藤清正になるまでのモノカタリである。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛
歴史・時代
 八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。  服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。  忍者同心の誕生である。  だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。  それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。