【受賞作】狼の贄~念真流寂滅抄~

筑前助広

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最終章 狼の贄

第四回 兄弟③

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 酒宴が終わった。
 百姓衆が、一人また一人と帰りだすと、波多野が現れて準備をするように告げた。
 それぞれが与えられた配置につき、清記は一人で梅岳の寝所へ向かった。梅岳からの信頼の証だろうが、嬉しいとは思わなかった。梅岳の傍には、格之助もいた。

「合ケ坂の再現だのう」

 百目蝋燭の下、呑気にも格之助を相手に碁盤に向かっている梅岳が言った。
 寝所には、梅岳と格之助の他には五名の屈強な家人が控えている。清記も、その列に加わろうとしたが、傍に寄れという具合に視線を投げかけた。

「あの時は、穴水もいたがの」

 一年前の話だ。あれからの一年で、状況が随分と様変わりしてしまった。弟と相対す関係になる予感こそ感じていたが、まさかこういう形とは思いもしなかった。しかも自分が梅岳を守り、主税介が大和の為に働いているのだ。皮肉と言わずして、何と言おうか。
 清記は小さく頷いて、部屋の隅に控えた。与えらた役割は、全てが終わるまで梅岳を守り通す事。つまり、残党全員が死ぬまで待つという事だ。勿論、その中に主税介も含まれている。

「清記よ」

 碁石を打ちながら、梅岳が声を掛けた。

「はっ……」
「大和は、舎利蔵への配流が決まった」
「それでは」
「死罪は免れたという事よ。お殿様のご意向での、儂でも反対は出来ん」
「左様でございますか」

 衣非の切腹で、大和の罪を減じたという事だろうか。兎も角、どんな政治的な打算があったとしても、大和が助かる以上に嬉しい報せには変わりは無い。

「妻を屋敷に戻してやるがよい。身重だというのに、何処ぞに預けているのだろう?」

 思わぬ一言に清記は目を丸くしたが、気を取り直して礼を述べた。
 これが今回の報酬かもしれない。それならそれでいいとも思ったが、弟を斬る対価に見合うだけのものかどうか、清記は敢えて考えなかった。

「殿、始まりました」

 部屋に若い家人が飛び込んできた。棊局ききょくに目をやっていた梅岳が、ちらりと視線を上げた。格之助が果敢に攻め、梅岳が受けているという展開だった。

「いよいよかの」
「壁を越えて侵入し、現在は庭先で応戦しております」
「人数は?」
「十二名にございます」

 その答えに、梅岳が意外そうな顔をした。

「存外、儂も敵が多いのう」
「義父上は、恨まれるような事ばかりをしておりますから」

 格之助の一言に、梅岳が一本取られたという調子で自らの頭を叩いた。こうした状況で冗談を言える。梅岳もだが、格之助も肝が太い。

「おい、波多野に無理はするなと言っておけ」
「かしこまりました」

 若い家人が、再び戻っていった。波多野は、前線で迎撃の指図をしている。そういう役目だと、説明の時に言っていた。
 悲鳴が聞こえた。そして、慌ただしい足音。続いて、怒声も聞こえる。しかし、どれもが遠い。梅岳の寝所は、屋敷の最も奥にあるのだ。
 清記は、心気を整えていた。山が山として存在するように、目の前の事象を当たり前として受け入れられる。何があっても動じないと、自分に言い聞かした。
 そうでなければ、馬鹿な弟の前に立てない。幼き日の顔がちらついてしまい、剣が鈍ってしまう。
 何かと張り合う弟だった。腹が立たないと言えば嘘になるか、それでも可愛い弟だった。あの性格も、境遇を考えれば同情の余地もある。
 また悲鳴が聞こえた。剣呑な雰囲気が、寝所まで漂ってきている。闘争の気配が近付いてきているのか。流石の格之助も表情を硬くしているが、梅岳は未だ碁盤に向かったままだ。
 清記は用意していた白の襷を取り出すと、慣れた手つきで着物の袖を絞った。出番はもうそろそろ、という予感がしていた。

「殿」

 今度は波多野だった。左肩と右の目尻に傷を負っているが、息を切らしてはいない。頭だけでなく、実戦の度胸もあるのだろう。

「どうした、斯様な様になりおって」

 それに対して、梅岳に動揺の気配は無い。ただ格之助はあきらかに、息を呑んでいた。

「お味方、不利でございます」
「穴水か?」
「左様にございます」

 そこまで言うと、波多野は清記を一瞥した。

「平山様のご出馬が必要かと」
「清記、頼めるか?」

 梅岳の言葉に清記は短い返事を返すと、傍らに置いていた扶桑正宗を手に取った。

「おぬしを働かせたくはないと思ったのだがな」
「そのお心遣いだけで、十分でございます」

 立ち上がり、一刀を腰に帯びた。
 気分は暗く、重い。無の境地というものに、ついぞ辿り着く事はなかったようだ。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

 廊下に出ると、血臭が鼻腔を突いた。
 長い廊下を歩くにつれ、それは徐々に強くなる。そして母屋棟に入ると、そこは死屍累々の地獄絵図だった。
 気を抜けば滑って転びそうなほど、部屋全体が血の海だった。まだ息のある者もいるのか、方々で呻き声が聞こえる。
 集められた剣客。家人。奥寺派の残党。犬山家の奉公人。その顔を確認しながら進んだが、主税介はいなかった。

「おのれ」

 ふと、声が聞こえた。
 清記は扶桑正宗を抜くと、声がした方へ足を向けた。宴会が行われていた大広間。そこに血に濡れた胴田貫を手にした、主税介がたった一人で佇立していた。
 目が合う。すると主税介の母に似た端正な顔に、冷笑が浮かんだ。

「待っていましたよ、兄上」
「久し振りだな」

 主税介が、軽く頷く。

「相変わらず、兄上は走狗いぬのような真似をしているのですか?」
「お前にはわからんだろうな」
「わかりたくもありませんよ」
「主税介、お前は変わったな」
「どこか?」
「……眼かな」

 以前も鋭い眼光をしていたが、より深くよりくらくなっているような気がする。
 帯刀の命で、江戸で何人も斬っていたのだろう。殺しに慣れているが、それと同時に倦んでいるという印象もあった。

「よく暴れたものだ」

 主税介の足元には頭蓋を両断された屍が、何人も斃れている。屋内で落鳳は使えないので、跳ばずに斬っているのだろう。屍の中には、山岸のものもあった。頭蓋から鳩尾まで二つにされている。どう斬られたか気付かなかったのか、驚いた表情のままだった。

「我々は狼ですよ。生きる為には、狩らなければ生きていけない」
「人の生き血を啜って生きる。忌まわしい一族だ」
「『忌まわしい』ですか……。やはり、兄上は走狗いぬだ。他人に飼われ、言われるがままに人を斬る。私は誇っていますよ。この狼の血脈を」
「お前は違うのか?」
「違うと思うから、私は自分の意思で菊原を斬り、此処に来たのですよ。自分で考え、自分で判断して動いた。権力者の顔色を窺い、媚びへつらっている兄上とは違う」

 菊原暗殺と今回の討ち入りは、帯刀の指示ではなかったのか。帯刀の罪を軽くする為の戯言か。真実はわからないが、主税介が嘘を言っているようには見えない。

「とんだ言われようだな」
「これ以上の長話は無用です。決めましょうか、どちらが念真流の宗家であるか」

 主税介が、庭でやろうと言わんばかりに外を一瞥したので、清記は頷いた。
 縁側から、庭に飛び降りた。そこには、屍が至る所に転がっている。此処では二人の雇われ剣客が死んでいた。
 主税介と、向かい合った。
 距離は三歩半。月も出てない夜だった。 
 ただ、風が強い。竜王颪だと、清記は思った。竜王山から吹き下ろす颪は、夜須全体を吹き付ける。
 その中で、互いに正眼。扶桑正宗の切っ先を突き付け、胴田貫の切っ先を突き付けられると、いよいよこの時が来てしまったのか、という気持ちになる。
 いつか、兄弟で相まみえる事になるだろうという予感はあった。それが現実味を帯びたのは主税介が帯刀に組した時からだった。なるべく考えないようにしようと思っても、どうやれば主税介に勝てるか? という事を考えてしまう自分がいた。
 相手は念真流。当然ながら、清記は念真流と立ち合った事がない。主税介と立ち合う事は、自分自身と立ち合う事では? と思うようになっていた。
 闇夜の中で、主税介の胴田貫が、異様な光を放っていた。刃の光ではなく、闘気が刃に反射し光っているような気がした。
 跳ぶのか? 跳ばないのか? という読みを、清記はしなかった。主税介の動きに合わせて、動くだけだ。考えても、主税介には勝てない。相手は念真流。勝機は、頭ではなく身体が教えてくれる。念真流を破るには、それしかない。

(不思議なものだ)

 無の境地というものに、今頃になって辿り着いたという気がする。
 主税介の殺気は、猛烈なものだった。邪悪に過ぎるほど、黒い情念が燃え上がり、暴風のように清記に押し寄せている。
 それほど、兄を殺したいのだろうか? 主税介は御手先役の地位を欲していた。念真流宗家の座も望んでいた。何故、欲しいのか? という理由を清記は知らない。そんな話は、ついぞする事は無かった。兄弟として過ごした時間が短かったのだ。 
 主税介の殺気に、清記は敢えて向き合わなかった。潮合いも読まない。勝ちたいとか、相打ちを狙うと考えもない。ありのままの剣で、主税介を斬る。たとえ敗れたとしても、それでなら悔いはない。それまでの力量だったと納得できる。
 正眼に構えた主税介の同田貫が、やや揺れた。動く前触れだろうかと思った時、清記は扶桑正宗の切っ先を無意識に下げていた。
 風が鳴った。切り裂くような寒さを含んだ夜風。竜王颪。屋敷を取り囲む、欅が揺れる。
 もう一度吹いた。風に乗るように、主税介がふわりと跳んだ。何の前触れもなく、羽毛のように。清記も跳んだ。
 闇の中で、交錯する。雲の切れ間から、弱々しい月の光。同田貫を、虚空で振り上げる主税介。見えたのはそれだけだった。
 何もない。頭には、何も無かった。無。いや、違う。浮かび上がる、主税介の顔。もう随分と前。生まれたと聞かされて、跳ぶように会いに行った時の事。兄弟。主税介は、俺の弟。
 斬風が身体を駆け抜けた。落鳳。型通りの、美しい斬撃だ。やはり、お前は平山家の男だった。どこまでも念真流を誇り、信じていたのだ。俺とは違う。俺は信じていないし、誇ってもいない。それがお前との差だったかもしれない。
 清記は無心で、扶桑正宗を突き出した。自然とそう動いていた。手応えを感じないまま、先に着地したのは清記だった。
 一呼吸遅れて、主税介が着地した。胸には、深々と扶桑正宗が突き刺さっている。

「やはり、兄上は走狗いぬだ」

 苦し気な表情を浮かべた主税介が、膝から崩れ落ち、そして斃れた。

〔第四回 了〕
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