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最終章 狼の贄

第二回 奥寺崩れ②

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 梅岳との面会は、但馬曲輪で行われた。
 但馬曲輪は執政府の本部たる場所であるが、清記が待たされた一間には、梅岳が一人だけで入ってきた。

「やや、待たせたか」

  清記は、作法通りに平伏する。大和の捕縛以降、初めての面会。機嫌が良いのか悪いのか想像も出来なかったが、声色からはいつもと変わらないように思える。

「顔をあげよ」
「はっ……」

 顔を上げると、いつもと変わらない猿と鼠を掛け合わしたような梅岳の顔がそこにあった。

「年貢の取り立てで忙しい時に、わざわざ来てもらってすまんな」
「いえ。与力をはじめ、優秀な下役が揃っておりますので」
「内住郡代官様はお飾りか?」
「そうはならぬよう、気を付けてはおりますが」
「ふむ。殊勝な心掛けだ。何でも、おぬしは代官職にも励んでいると聞く」
「まだわからぬ事ばかりにて、足ばかりを引っ張っております」

 梅岳の耳は敏い。密偵に探らせているのか、代官所の下役が報告しているのかわからないが、代官所の事は筒抜けなのだろう。今回の事は知れてもよい事だったが、代官所の中であっても気を抜いてはいけない。

「さて、本日呼び出したのは他でもない。まず、藩内の混乱はおぬしも聞き及んでおろう。何せ、義父に関わる事だからな」

 やはり、その話か。清記は丹田に力を入れ、梅岳を見据えた。

「そんな怖い顔をするな。何も大和の娘を貰ったからと言って、お前をどうこうするつもりもない。勿論、お前が奥寺派とも思っておらぬ」
「申し訳ございません。左様なつもりは」

 清記は取って付けたような笑みを浮かべると、梅岳が鼻を鳴らした。

「まず、最初に訊いておこうか。おぬしは大和を無実だと思うか?」
「無実であって欲しいと思っております」
「ふふ、上手い言い方だな」
「私は奥寺家の剣術指南として出入りし、大和様の娘を妻にしました。なので、大和様の人柄というものを存じております」
「ほう、それで?」
羞悪しゅうおの人です。自他に厳しく、不正・謀略の類を激しく嫌っておりました。斯様な人が、賊を扇動し、山人を襲わせるとは思えませぬ」
「山人は、あらびとであろう」

 山人は人間ではない。世間ではそうされている。清記には受け入れられない言葉であるが、一々それに対して反論する事はない。

「それに、人は表裏というものがあるぞ。善人が悪事を働く事もあろう。その逆もな」
「そう言われると、語る言葉がございません。しかし、無実だと思うかと問われたら、そうであって欲しい、いやそんな事をするお人には見えないというのが私の気持ちです」
「儂への皮肉に聞こえるのう」

 梅岳が苦笑し、膝を叩いた。

「まぁいい。おぬしが大和を信じたいという気持ちはわかる。奴は有益な人材だ。舎利蔵山に於ける長年の係争を勝利に導いたのだからな。儂も信じたい」
「ならば」
「衣非外記が自供した。遠野実経を使嗾した事、菊原相模を暗殺を指示していた事、そしていよいよの時は、儂を討ち果たした上でお殿様を隠居させ、直衛丸様を擁立すると」
「まことでございますか?」

 梅岳の皺首が、縦に上下した。

「ありえません。それに菊原様が闇討ちされたのは、大和様が捕縛された後の事」
「夜須と江戸の距離だ。内密に命を下していたのかもしれぬぞ。それに、衣非がそう自供したのだ。仕方あるまい」
「あやつ」

 思わず、声に出していた。
 あの馬面の男。何故、斯様な事を口にしたのか。大和に遺恨があり、敢えて陥れるような真似をしたのか。

「大和も人を見る目が無いのう。あのような口が軽い男を片腕に頼んでいたのだろう?」

 梅岳がほくそ笑んだ。その瞬間、清記は全てを悟った。
 あまりの衝撃に、清記は膝の上に置いた手を握りしめていた。

(そうか、そういう事か)

 衣非は、梅岳の走狗いぬなのだ。そして一連の捕縛も証言も全て、梅岳が絵を描いた策略に違いない。大和はそれを知らず、衣非を傍に置き過ぎたのだ。

「おぬしがどう思おうが構わぬ。それは、こちらで吟味する事での。本題はここからだ」

 この期に及んで、誰を斬れというのだ。浮かんでくる顔は、大和しかない。或いは。

「謹慎をしていた、奥寺派の面々が逃げおった。人数としては八名程で大した数ではないが、中々の手練れ揃いよ」
「左様でございますか」

 奥寺派の面々は、誰もが頑強な体躯を持っていた。質実剛健の大和を真似てか、剣術を嗜んでいるからだろう。時には奥寺家の道場で、稽古をする事すらあった。

「これは大和の命ではなく、暴発だのう」
「その八名を……」
「そう急くな」

 梅岳が呆れ半分という感じで、清記の話を遮った。いつもの冷静さを欠いている。その自覚はあった。無実の罪で大和を陥れた梅岳と、それに加担してしまった自分自身へのどうしようもない怒りを持て余しているのだ。

「儂はただ世間話をしているだけよ」

 と、梅岳はここで初めて茶に手を伸ばした。清記は手をつけていない。もうとっくに冷めているだろう。

「それと、穴水主税介が江戸から消えた。菊原を斬った下手人として探索をしている最中だった」

 帯刀の顔が脳裏に浮かんだ。やはり、あの時に帯刀を斬るべきだった。そうすれば、主税介が今のような立場になる事も無かった。

「私に弟を斬れという事ですか?」

 すると、梅岳が舌打ちをした。また、話を急いてしまった。

「弟ではあるまい。血は繋がってはいるが、他人であろう?」

 主税介は、穴水家に養子に出している。その時点で縁が切れているという事か。切れてなければ、平山家にも咎めが及ぶ。そこは梅岳の配慮なのかもしれない。

「穴水は許せぬが、行方を眩ませているのだ。それを探し出す事は、御手先役の役目ではないのう」

 では、何なのだ? 俺にどうしろと。その言葉が喉まで出かかったが、清記は黙して梅岳が口を開くのを待った。

「清記よ。もし仮にだが、儂に何かあれば助けてくれまいか?」
「犬山様。『何か』とは何でござましょう?」
「まぁ、『何か』とは『何か』よ」

 禅問答だ。そんな言葉遊びは好きではない。特にこんな状況では、腹立ちすら覚える。

「私の出来得る範囲でございましたら」
「それでよい。その時が来たら追って報せを出すゆえ、それまで内住郡代官の職に精励するがよい」
「はっ……」
「余計な事を考えずにな」

 話は終わりだと言わんばかりに、梅岳が立ち上がったので、清記は平伏した。

〔第二回 了〕
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