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第五章 男と見込んで

第四回 戦支度②

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 清記は馬で駆け、内住郡の北部にある穂波郡ほなみぐん赤江村あかえむらへ向かった。
 赤江村には穂波代官所があり、規模こそ建花寺村に劣るが、農村ながら武士の姿もあり、商店もそこそこある。大きな問題を抱えていない、確かな治政をしている郡だった。
 この代官所に、親友の武富陣内がいる。去年まで目付組の与力として働いていたが、清記が江戸に行く直前に、悌蔵の口利きで穂波郡代官所に役替えをしていたのである。
 人を欺き、時には陥れるような役目が、陣内には合わなかったようだ。それが体調にも現れ、暫く役目を休んでいた事もある。

(上手くいっているとは聞いているが)

 数少ない親友でもあるし、父が口利きをした手前か、陣内の働きぶりは気になっていた。江戸から戻ってすぐに陣内を訪ねたが、その時は代官所の務めは順調だと言っていた。
 それから十日前には、穂波郡代官である藤河雅楽ふじかわ うたに働きぶりを気に入られたのか、空席だった筆頭与力に抜擢されたという話を、三郎助から聞いた。元は優秀な者のみしか入れぬ目付組にいたのだから、今回の抜擢は驚く事ではない。
 代官所に訪ないを入れると、老いた下男が現れた。耳の遠い下男だったが、用件を伝えると道場を指さされた。どうやら稽古でもしれいるらしい。その方角からは、竹刀を打ち合う気持ちがいい音も聞こえる。

(ほう……)

 陣内は道場で汗を流していた。相手は三人で、代わる代わる稽古をつけているように見える。

(腕は鈍っていないようだ)

 陣内の鋭い竹刀裁きを目にし、清記は頷いた。
 陣内は、夜須藩の土着流派である光当流こうとうりゅうの免許持ちである。中でも荒稽古で有名な富樫傅乱とがし ふらんの門下で、清記も何度か対戦し負けた事こそ無いが、簡単に倒した事も無い。いつも接戦である。しかも目付組の役目で、人を斬った経験もある。
 助っ人をと思って、まず浮かんだのが陣内だった。腕も信頼出来るし、気心も知れている。

「おう、清記か」

 稽古が終わると、汗を拭いながら陣内が寄って来た。

「筆頭与力様が、お役目そっちのけで剣術の稽古か」
「非番なんだよ今日は。それにな、先月この穂波に賊が現れた。うちのもんはろくに戦えず、俺一人で往生したんだ。それでこうして稽古をしているんだよ」
「穂波も大変だな」
「お互い様さ。今日はどうしたんだ?」
「話がある」

 清記が声を潜めて言うと、それだけで察した陣内が場所を変えると言った。
 代官所の側にある、組屋敷へ移動した。門を潜ると、四歳になる遊び盛りの男児が駆け出してきて、陣内に飛びついた。一人息子である。玄関先では、陣内の妻が軽く頭を下げた。
 陣内の息子の名前は、幾太郎いくたろう。腕白な悪戯小僧で、城下から穂波に移ってからは、水を得た魚のように遊び回っているという。一方陣内の妻は、物静かで控え目だった。そこを陣内は見初めたらしい。
 妻子のある陣内を誘う事に、忸怩たる想いが無いわけではない。しかも、自分の独断で助けたいと決めた事なのだ。しかし武士が二刀を帯びている理由は、弱き者を助ける為にある。一人では厳しい。ならば、陣内をと思った。

「お前の腕を貸してくれ」

 客間に案内され、茶を運んできた陣内の妻が去ると、清記は頭を下げた。

「おい、俺の腕と言ったのか?」

 陣内が驚いた顔で訊いた。

「そうだ。お前の腕が必要なのだ」
「珍しいな、お前が俺を頼るなど。まぁ理由を聞かせてくれよ」
「ああ」

 清記は、実平の話をそのまま語った。山人の暮らしを守る為、夜須藩に賊を流入させぬ為に戦って欲しいと。

「そうか、山人か」
「藩庁に申し出た所で動くまい。勿論、俺の父も同じだ。だからこそ、やろうと俺は決めた」
「そうだな。いいだろう、お前と俺の仲だ」

 陣内は二つ返事で承知した。

「いいのか? 報酬は無いぞ。必要だというのなら、俺が用意するが」
「そんなものはいらん。俺を見くびるなよ、清記」
「命を落とすやもしれん」
「お前は、俺の友達なのだ。親友だ、親友。その為には、俺は苦労も危険も厭わん。それに、お前は俺の婚儀に大金を包んでくれた。そしてお前の親父殿が、役替えの口利きをしてくれて、俺はこうして毎日充実している。数々の恩に対して、俺は何も報えていないのだ。このぐらい何という事もない」
「お前……」
「それにだ、清記。内住が乱れれば、この穂波もいずれ乱れる。という事は、これも仕事の内って事になる」
「すまん」

 陣内がにやりと笑んで、茶を啜った。これから、藤河に理由を説明して許可を取るという。助っ人になるとなれば、暫くは不在にしなければならない。あまり公にしたくはないが、仕方がない事だった。藤河は折り目正しい武士で、清記も尊敬する代官だ。陽明学者としても名高いが、堅苦しい所もある。人別帳の外にある山人に関わる事を嫌うかもしれない。

「心配するな。ああ見えても、義侠心は篤い所もあるんだよ、藤河様は」

 陣内は、許可が下りない事は有り得ないと言って代官所へ行き、その通りになって戻って来た。

「な、言ったろう?」
「何か言っていなかったか?」
「存分に武士の責務を果たせ、とよ。あとは、嫡男に恵まれた悌蔵殿が羨ましいとな」
「ありがたい。藤河殿には礼を言わねばな」

 清記は、何やら嬉しい気持ちになった。江戸藩邸では嫌な思いばかりだった。かと言って、国元では政争に明け暮れている。そうした夜須藩にあって、陣内や藤河のように、民を想う気骨ある武士の存在は貴重だった。

「それより、今日は泊まるんだろう?」
「ああ。お前がよければ」
「なら、泊まれよ。酒を飲もう、久し振りにな。飲みながら軍議だ」

 すぐに酒が用意された。肴は、猪肉の鍋だった。この辺りにも、山人が獣肉を売りに来るらしい。
 これから、どうするのか? 陣内はそれを訊いた。

「目尾組にいる男を誘う」

 清記は、次に廉平に声を掛けるつもりだった。廉平は目尾組の忍びで、御手先役絡み以外の事でも、銭次第では手を貸してくれる。今回はいつも以上の銭を払うつもりだった。勿論、それは山人からの報酬ではない。

「目尾組と言えば、隠密だろ? 知り合いなのか?」
「まぁ、父の筋でね」
「へぇ」

 と、頷きながら、陣内は鍋の中で滾る猪肉に箸を伸ばした。醤油と砂糖で甘辛く煮込まれている。猪肉の他には、豆腐と山菜の類だ。

「そうか。悌蔵殿はそうした付き合いがありそうだな」
「長く仕えていると、様々な人脈を得るらしい」

 陣内は、御手先役をしている事について知らない。それはつまり、親友を偽っているのと等しく、その自分を慕ってくれる陣内に対して、清記には忸怩たる想いがある。いつか打ち明けたい。その時、陣内は何と言うだろうか。
 出来もしない事を、何度か考えた事がある。御手先役は藩の秘密。打ち明ける事は御法度なのだ。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 廉平は、出来高払いでと言った。
 城下にある、廉平の長屋である。

「賊は三十以上なんでしょう? あっしは怖がりなんで、逃げるかもしれねぇですから。もし、あっしが存分に働いた時は、その銭はいただきやすよ」

 そう言って、廉平は加わった。
 加勢は二人。他に顔は浮かばなかった。家人に命じれば参加するだろうが、無理強いするような事はしたくない。
 二日後、三郎助が武具の運び出しが終わったと報告に現れた。山人が数名、山裾まで降りて来て受け取ったそうだ。

「しかし、悌蔵様は勘付かれているみたいですよ」
「何か言われたか?」
「いや、それが何も」

 そう言って、三郎助が笑った。

「鼻を鳴らしただけで。どうこう言っても、我が子は可愛いのでしょう」
「そんなものか」

 集落ムレへ向かう約束の日になった。
 清記は伏と、弥陀山みださんの麓に広がるかやの森の入口で待ち合わせをしていた。

「なんだ、加勢は二人かい? あんたが仲間を引き連れるというんで、どんだけ大軍を率いてくるかと期待したんだがねぇ」

 伏は、陣内と廉平を一瞥して言った。
 二人は、大女の不遜な態度に目を丸くしたが、清記は

「こんな女だ、気にするな」

 と、告げた。

「清記、お前は代官の跡取りだろ? 大丈夫か?」
「そう言うな。この二人は私の親友で、腕は立つ」
「そうか。あたしと清記は友だ。友の友も、友だ。山では多くの友も待っているよ」
 そう言って、伏は笑顔を見せて挨拶を交わした。

 陣内は山人の集落ムレへ行った事はないらしく、楽しみにしていた。廉平は相変わらず飄々としている。

「おい、あれ」

 出発しようとした時、陣内が清記の袖を引いた。
 背後に、武士の姿。その顔を認め、清記は言葉を失った。
 現れたのは、東馬だったのだ。勿論、今回の件で声を掛けてはいない。

「よかった。間に合わないかと思ったぜ」

 陣内や廉平も驚いている。事情を知らない伏だけが、腕を組んで見守っている。

「建花寺村に行ったが、もう出発した後だったんでね。この場所は用人に聞いた」
「どうして、東馬殿が?」

 清記が訊いた。

「親父に聞いたんだ。お前さん達が山人の為、領民の為に戦うから加勢してやれとね」

 大和様が何故に知っているのか? 怪訝な表情を察したのか、東馬が付け加えた。

「お前の親父さんに聞いたそうだ。世間話のつもりだろうが、俺にお前を助けて欲しいと思ったのかもな。兎に角、俺はお前に加勢すると決めた。駄目かい?」
「いや、左様な事は。いや、嬉しいぐらいです」

 頭を下げる清記の肩に手を置いて、東馬が清記に耳打ちをした。

「志月からの伝言だ。武士の役目を果たして、無事に戻って来いと」

 志月。その名に反応した清記が近付けた顔を見返すと、東馬は白い歯を見せ闊達に笑った。
 志月らしい伝言だった。そして、内心で清記は頷いた。これは武士の役目を果たす為の戦いなのだと。

「しかし、お前も友達甲斐はねぇな。こんな楽しそうな事に俺を誘わないなんざ」
「申し訳ありません。この戦いは分が悪いと申しますか」
「なら、尚更ではないか」

 東馬は、剣の天才だ。かつて奉納試合で東馬に敗れ、そして今でも勝つ事は出来ないだろう。そんな男の加勢は、本当に有難い。

「満足な報酬はありませんよ」
「銭はいらん。だが、貸しにしておこう」
「また貸しですか」
「ああ、そうだ。命を賭すのだ。大きな貸しだぞ、これは」

 それから、東馬は全員と挨拶を交わした。
 清記が自信を持って、選んだ三人。伏は満足そうに頷き、進発した。

〔第四回 了〕
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