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転章

天才の剣②

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「兄上、父上が」

 屋敷に戻ると、志月が駆けて来て言った。
 陽が山の端に掛かろうとした時分である。

「どうしたのだ、血相を変えて」
「父上が曲者に襲われ、とある場所に逃げ込んでいるとの事」
「曲者だと? 誰だ」
「おそらく、犬山の手の者かと」

 そう言って、志月が首を振った。

「ここからは、あっしがお話をいたしやしょう」

 と、庭からすっと小男が現れた。職人風の恰好をしている。

「こやつは?」
「清記様のお知り合いで、廉平殿と申されます。この方が父上の事を報せに来てくれたのです」

 廉平が、軽く目を伏せた。どこからどう見ても町人。しかし、目の光が只者とは違う。何をしている男なのか、想像もつかない。

「へぇ。あっしは廉平と申しやして、まぁ清記様の子分のようなもんです。で、清記様が江戸に行っている間は暇なので、色々と頼まれたんですがね」
「ほう。父上の護衛もか?」

 すると、廉平が首を振った。

「護衛なら、今もお傍におりやす。あっしはただ、何かあれば東馬様に報せに走れと言われただけで」
「清記が、そんな手配を」
「大和様が外出の折りに襲われ、とある場所に逃げ込みやした。そこは町中なので今は遠巻きにしているだけでございやすが、曲者は夜を待って仕掛ける腹のようで」
「なるほど」
「事態は切迫しております。道案内しやすので、急ぎやしょう」

 東馬が頷き、志月に佩刀の高泉典太たかいずみ てんたを持って来させた。志月も一緒にと言うかと思ったが、鹿毛馬での一件で懲りたのか、何も言わなかった。
 廉平が猪牙舟を用意していて、その舳先に東馬は腰を下ろした。夜須城下は浪瀬川から引き込んだ掘割が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、歩くより早い事がある。

「相手は何人だ?」
「おそらく、十名。それはあっしが読めるだけで、もっと多いかもしれやせん」
「護衛は?」
「五名。一人、手負っております」
「父はいつも護衛を七名伴っていたはずだ」
「二名、斬られてしまいやした」
「そうか」

 親父は登城した後、城下郊外の撃鼓げっこ神社に行くと言っていた。その神社の神主が、どうも父と志を同じくする党派なのだという。その帰りに、親父は襲われたのだろう。

「しかし、親父を襲った相手は誰なのだ? 志月は犬山梅岳と言っていたが」
「どうでしょう。あっしには恐ろしくて探れやせん。ただ、奥寺大和様を邪魔だと感じ、かつ刺客を大勢動かせる人間と言やぁ、限られてきますねぇ」
「捕まえて口を割らせても無駄かな」
「恐らく。あっし見た感じでは玄人でさ。口を割らせても黒幕には辿り着けないでしょうね」
「悔しいな」
「欲を張るのはよしやしょう。まずは生き残る事が先決でございやす」

 陽がゆっくりと、暮れていく。川面を凪ぐ風が、これから修羅場へ向かう心と身体を冷ましてくれた。
 父は、それほど厳しい局面に立たされていたのか。政争の事は見ないようにしていたし、父も屋敷では、父らしく振る舞い、政事向きの話題は敢えてしなかった。

(だから、政事には関わらない方がいいのだ)

 奥寺家は名門である。戦国の御世より栄生家に仕え、その時の武功で今の身分と禄を食んでいる。過去何人も中老を輩出し、寛文年間には首席家老も出た。
 しかし、その殆どが政事に関わっていない、名ばかり役職である。その時々の権力者が藩政を牽引し、奥寺家の当主は追従してきたに過ぎない。
 情けない話だが、それが今まで奥寺家が続いてきた要因で、故に今の豊かさがある。もはや、家風とも呼んでいい。
 しかし、父はそれを変えようとした。犬山梅岳の独裁を破らんと決起したのだ。それが善い事だとは思う。犬山派は徒党を組んで藩政を私物化し、領民を泣かせている。しかしこの窮地を思うと、やめるべきだったと思ってしまうのだ。

(情けないな、俺は)

 そして、危険を顧みずに敢えて起った父を偉大だとも思う。

◆◇◆◇◆◇◆◇

 猪牙舟は、小さな寺の裏手に止まった。もう夕闇が迫っている時分である。
 寺の周囲は雑木林と田圃だけの寂しい場所だった。
 人の姿はない。雑木林にも、田圃にも。ただ、殺気のような張り詰めた気が、寺全体を包んでいる。

「お前は、此処で待っていろ」
「へい。ですが、危なくなったら逃げますぜ」
「ああ、構わんよ」

 東馬は、懐手になり寺を目指した。所用で寺を訪ねたように振る舞い、呑気に口笛を吹いてみせた。
 寺の山門には、臨済宗と書いてある。初めて見る寺だった。そのまま境内に入り、裏手にある庫裏の縁に座った。
 寺全体が静まり返っている。誰もいないのか。そう思えるが、何かが息を殺して潜んでいる、そんな雰囲気もあった。

「聞こえるか」

 東馬が口を開いた。障子の向こうに、僅かな気配を感じたのだ。

「東馬だ。報せを受けた」

 返事は無い。構わず、続けた。

「親父は無事か?」
「……」
「それだけは答えてくれ」
「はい」

 帰って来た声は、聞き覚えのあるものだった。家人の一人であろう。

「わかった。表の連中はなるだけ片付ける。お前達の判断で突破してくれ」

 返事を聞かず、東馬は立ち上がり本堂がある方へと向かった。
 静寂だった。空気が張り詰めている。東馬は、刀の下げ緒で袖を素早く絞った。

(来たか)

 影から人影が浮かび上がってきた。黒い装束姿である。その数は七。廉平が十名と言っていたが、残りは何処かに潜んでいるのか。

「犬山の手先か?」

 七人は、返事とばかりに一斉に刀を抜いた。
 東馬は苦笑した。答えられるはずがない事を、聞いてしまった。
 高泉典太を抜いた。身幅で豪壮な造りの銘刀で、既に何人かの生き血を吸っている。

「さぁ、来い。この奥寺東馬が相手をしてやろう」

 東馬は呟いた。気負いはない。清記に比べれば、どうという事もない相手ではないか。
 そう思うと、東馬の足は勝手に踏み出していた。
 目の前の男。待っていたかのように、斬撃を繰り出して来た。刃の光と、風。それだけを感じながら、東馬も下段から斬り上げた。
 刀は触れ合わず、黒装束の男がどっと斃れた。
 死ぬ瞬間まで、無言である。訓練された玄人なのだろう。僅かに考えを巡らせた瞬間、背後に気配を感じた。
 振り向き、横薙ぎの一閃を放つ。手応えはあったが、すぐに新手が現れた。
 手槍だった。下から突き上げるような一撃。東馬をそれを鼻先で、二度躱すと、螻蛄首けらくびを刎ね、返す刀で頭蓋を両断した。
 三人を斬った。
 大きな傷は無いが、細かいものを幾つか受けていた。躱したと思ったが、そうではなかったようだ。
 残り四人。だが、息が苦しかった。肩が激しく上下している。
 一息で斬ったつもりだが、やはり真剣での立ち合いは消耗が違う。しかも、こっちは一人なのだ。

(清記よりは弱い相手だろうよ)

 そう思っても、苦しいものは苦しい。
 四人が、いつの間にか七名になっていた。これは、いよいよ分が悪い。
 その時、本堂の戸が勢いよく蹴り飛ばされた。中から、抜刀した大和と護衛の家人が飛び出して来た。その中に、衣非外記の姿もあった。一緒にいて不思議ではないが、何故だか意外だと東馬は思ってしまった。

「親父」
「可愛い息子に助けられては、親父の威厳に関わる」

 形勢が逆転した。呆気に取られる隙を突いて、まず東馬が二人の首を刎ねたのだ。更に、家人達が境内に飛び降り、刺客と斬り結んでいる。
 不意に、指笛が鳴った。短い音が三つ。撤退の合図か、刺客たちが山門の方へ駆け出していく。

「待て」

 追おうとした東馬を、大和が押し止めた。

「もういいのだ。それより、これから犬山様のお屋敷に向かう。お前も供をせよ」
「ご冗談を。何故、犬山の屋敷なぞに。この刺客は奴が」

 すると、大和は刀を納めて東馬の肩を一つ叩いた。

「証拠が無い。無い限りは、何も言えん。しかし、曲がりなりにも一藩の中老が襲われたのだ。斯様な大事は、執政府を率いる首席家老殿にご報告せねばなるまい」
「ほう。何とも味な真似をしますな」

 大和の横に従う、外記も頷いている。

「まぁ、七将に襲撃された石田治部の真似だがな。東馬よ。血を拭わずぬ行こうではないか。どのような顔をするか楽しみだ」

 すっかり夜の帳が降りた境内に、親子の笑い声が響いた。

〔転章 了〕
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