【受賞作】狼の贄~念真流寂滅抄~

筑前助広

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第四章 穢土の暗闇

最終回 穢土の暗闇②

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 帯刀と新田らしき浪人の風体をした男達を捕捉したという報告を、清記は千手宿で受けた。早駕籠の前に、飛脚風の男が駆けて来て伝えたのだ。この早駕籠も菊原の手の者なので、その辺りは心得ている。
 二人は追撃を避けて、草加宿を出たらしい。目尾組の忍びと、斬り合いを演じたという。その中に主税介もいるのだろうか。気にはなったが、そこまでは聞かなかった。
 清記の早駕籠は、草加宿を駆け抜けた。並みの快足ではない。早駕籠の中でも、選りすぐりの韋駄天を集めたのだろう。陽は随分と傾いている。このまま進んでいいのだろうか? との不安を覚えたが、蒲生大橋を渡り終えた辺りで、今度は渡世人に道を遮られた。この者も目尾組の忍びだった。

「平山様、やっと追いつきなされましたな」
「それで、新田はどこへ?」
「若宮様と共に、この先の百姓家に逃げ込んでおります」
「逃げ込んだだと? 逃げる事を諦めたのか?」
「半刻前の新田に一太刀を浴びせたので、急ぐ事が出来なくなったのでしょう。代わりに、こちらは五名も失いました。若宮様一人に」

 目尾組とて、凄腕の忍びである。その忍びを五人も仕留めたとなれば、やはり帯刀の腕は尋常ではない。
 清記は駕籠から降りると、二人の駕籠舁きに、暫く待つように命じた。

「若宮様は?」
「無傷でございます。このままではこちらの損害が大きくなるばかりですので、今は遠くから囲んでおります」
「わかった。案内しろ」

 渡世人風の忍びは頷き、清記を街道から逸れた脇道へと導いた。
 暫く竹林が続き、それが途切れた先にある百姓家を指さした。
 二人が逃げ込んだ百姓家は、近在の村からは離れていて、まるで孤立したように建っていた。傍には僅かな畠と、小さな池があった。
 清記の姿を認めると、百姓や行商の恰好をした男達が、ぱらぱらと木陰から現れた。六名。その中には、合ヶ坂の一件で顔を合わせた者もいた。しかし、その中に主税介の姿はやはり無かった。

「平山様、よくぞおいでくださいました」

 行商風の忍びが言った。

「若宮様と新田殿は、家の中だな?」
「左様でございます。近在の者の話では、百姓の女房と子供が二人だけいるようです」
「人質という奴か……」
「さて、二人は中に入ったきりで」
「主税介は?」
「一度も見てはおりませぬ。追っているとは聞きましたが」
「わかった」

 帯刀とは立ち合うしかなさそうだ。斬らなくて済むなら、そうしたい。しかし、刀背打みねうちなど狙えば、こちらがやられかねないほどの相手だ。
 清記は慣れた手つきで、扶桑正宗の下げ緒で袖を絞った。

「平山様、お頭の仇を」

 案内した渡世人風が言うと、清記は静かに頷いた。
 清記は一人歩み寄り、畠を通り過ぎて百姓家の前に立った。

「新田殿はおられるか?」

 声を挙げる。すると戸が開いて、浪人風の男が一人だけ出てきた。
 薄汚れた格好をしているが、帯刀だった。浪人に変装はしているつもりだが、帯刀からは浪人が放つ獣臭というものが無く、それが無理をしているようで滑稽にだった。どう足掻いても、この男は藩主家の御曹司。香り立つ特権的身分の高貴さは隠せない。

「平山、やはりお前か」

 帯刀が言った。新田の姿は無い。

「新田殿は?」
「さてね」
「こちらに引き渡していただきたい」

 清記は帯刀の言葉を、敢えて無視をした。

「おいおい、それで『はいそうですか』と引き渡すと思うか?」
「場合によっては。使いたくはない手ではございますが」
「俺の女房と子供を人質にしようってかい?」
「私はそんな真似はしませんよ。菊原様は知りませんが」
「冗談でも言っていい事と悪い事があるぜ? しかも、その冗談で人がひとり死んでいる」

 乙吉の事だろうか。いくら帯刀が斬ってほっとしたと言っても、いざ面と向かうと怒りが込み上がる。それと同時に、いずれ斬っただろう自分に、怒る権利も無いと清記は思った。

「帯刀様。素直に新田殿を引き渡してくれなければ、少々手荒な真似をせねばなりません」
「少々? 少々で済むかな」

 帯刀がまた笑った。まだ殺気は感じない。のらりくらりとしている様は、風に揺れる稲穂のようだ。

「わかりました。不本意ですが、お相手いたします」
「最初からそう言えばいいんだよ」

 帯刀が刀を抜いたのに合わせて、清記も扶桑正宗を抜いた。
 その瞬間、帯刀の殺気が爆ぜた。猛烈な圧に、思わず顔を背けたくなるほどだ。
 だが、これほどの男が過去にいなかったわけではない。そして、自分はそうした敵を斃してきた。何の事もない。そう自分に言い聞かせ、清記は下段に構えた。
 一方の帯刀が正眼に取った。切っ先をやや上げ気味で、重心を落としている。綺麗な構えだった。
 これで、藩主家の人間に刀を向けたのは二度目になる。恐れ多いという、気持ちがないわけではなかった。しかし、これは御手先役としての役目。藩主から政事を任された、執政府の命令だからこそ許される行為だ。もしそうでなければ、切腹では済まされない。
 対峙となった。四歩の距離だ。陽は翳りを見せ、もう夕闇が辺りを支配している。特に、このような竹林に囲まれた辺鄙な場所では、より一層薄暗い。
 清記は潮合いを待ちながら、帯刀の隙を探っていた。それは斬る為の隙ではなく、斬らずに済ます為の隙である。
 清記は帯刀が苦手だった。好きではないと言ってもいい。馴れ馴れしい態度と、心の奥を見せない言動が、どうにも不快なのだ。善人なのか、悪人なのか、それすら判別は出来なかった。
 静寂も束の間、一陣の風が吹いて、竹林の騒がしい音が鳴った。それに合わせて、帯刀が地摺りで前に踏み出す。三歩半の距離。あと何歩で、帯刀は斬撃を放ってくるのか?
 待つしかない。そう清記は決めていた。自分から動けば、斬ってしまいそうだ。時として、意思よりも先に扶桑正宗が動いてしまう事がある。特に、帯刀のような男なら、尚更だった。
 ふと、血臭が香った。それが次第に強くなる。帯刀の圧が急に萎むと、鼻を鳴らして構えを解いた。

「糞ったれめ」

 唾棄するように言い放つと、持っていた刀を腰に納めた。

「如何いたしたのですか?」

 清記も構えを解くと、帯刀に訊いた。

「どうもこうも無い。俺の負けよ」
「負けとは?」

 と、清記の問いに応えるよりも先に、帯刀は視線を百姓家の方へ向けた。
 家の裏から、主税介が現れた。左手には、新田の首を持っている。

「主税介、その首は?」
「新田とやらが、裏口から逃がしたようで。そこを私が張っていたのですよ」
「なるほど、よくやった」

 清記は扶桑正宗を腰に戻すと、帯刀に目を向けた。

「それでは役目を果たしたので、私どもはこれにて……」
「ああ、お役目ご苦労なこった」

 清記が合図をすると、主税介は生首をぶら下げたまま、清記の後を追った。

「ちょっと待て」

 帯刀に呼び止められ、清記は踵を返した。

「何でしょうか?」
「お前じゃねぇよ。穴水、お前だ」

 帯刀の言葉に、主税介が表情も変えずに振り返った。

「穴水、俺と来る気はねぇか?」
「ほう……」

 主税介の顔に冷笑が浮かぶ。清記は帯刀が何を言っているのか、清記は瞬時に理解し、そして愕然とした。その一言は、主税介に最も言ってはならないものだったのだ。

「もしお前が、兄貴を差し置いて御手先役になりてぇんなら、俺と一緒に来い」
「これは面白い。私は、その言葉を待っていましたよ」

 そう主税介が言うと、清記は思わずその肩を掴んでいた。

「兄上にはわかりませんよ」

 清記の手を払い、帯刀の方へ一歩踏み出した。

「主税介、戯言に耳を貸すな」
「兄上にしてみれば戯言でしょうが、私にとっては金言でしてね」
「何?」

 主税介が、新田の首を放り投げた。首は転がって清記の足元で止まり、半開きの眼が無念そうにこちらを見つめた。

「兄上の義理は、この首で果たした事になりませんかね」
「お前、自分が何を言っているのかわかっているのか?」

 主税介が鼻を鳴らして、肩を竦めた。

「帯刀様に組するという事は、大和様に加担するという事だ。しかし、この政争では勝ち目はない。奥寺派は泥船だぞ」
「奥寺様を勝たせるのが私の役目。梅岳の走狗いぬである兄上とは違うんです」

 梅岳の走狗いぬ。その一言に、清記の何かが切れた。
 扶桑正宗の光が、逢魔が時の闇を切り裂いた。意思よりも先に、腰の一刀が鞘走っていた。
 主税介の身体を、二つに断った。確かにそう見えた。しかし、手ごたえは無かった。すると主税介の姿が霧散し、その奥に立ってた。
 念真流の秘奥の一つ、朧。相手を斬ったと錯覚させるほどの見切りである。主税介は、それを会得していたという事か。

「先に抜いたのは兄上という事をお忘れなく」

 軽く目を伏せ、踵を返した。そして、帯刀のもとへ歩き出す。

「清記、お前にゃ兄を超えようとする弟の気持ちなんぞわからねぇさ」

 そう言った帯刀を無視して、清記は主税介の名を叫んだ。しかし、弟からの返事は無かった。

〔第四章 了〕
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