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第四章 穢土の暗闇
第四回 弟たち①
しおりを挟む PDAの時計機能がだいたい午前九時を超えたあたりだ。
いつもの宿を狙うように道なりを戻ると、見慣れた通りがそこにあった。
「タカアキ、今思ったことを言わせてほしい」
「お? どうした?」
「冒険者の仕事にパン屋の手伝いがあるのはもうそういう世界なんだって割り切るけどさ、俺たちみたいな素人が許されてしかも日雇いの仕事っていったい何させられるんだろう」
「なあ、俺がハコダテにいたころ近所にパン屋があったって話はしたっけか」
「覚えてる、お前にあいさつ代わりにセクハラしてくる奥さんがいたとか」
「そこだけ覚えてるってことは大体伝わってんな。個人経営で大体朝の十時ぐらいから開店、んでめっちゃお客さんが来て昼には売り切れって感じだった」
「個人経営のパン屋なんて見たことないな俺」
「2020年代は普通にあったんだぞ。でな? 深夜に仕込みを全部終わらせて、商品を焼き上げて、品物を陳列して……そんな感じで昼過ぎに売り切れたらすぐに翌日の仕込みだ。大変なんだぞパン屋」
「パン屋って一日中パン焼いてるわけじゃないんだな。忙しそうだ」
「んなわけあるか。でもあの店の奥さんは「好きだから苦しくない」って言ってたな、毎日そんな顔してた」
「好きだからできる仕事か」
「そゆこと。まあこんな部外者、それも臨時で集められたからにはそれなりに忙しいんだろうな。わん娘の手も借りたいほどにな」
「ん、力仕事だったらぼくにお任せ」
「しかも俺たちの宿の仕入れ先だからな、失礼のないようにしないと」
「つまりイチ、お前の疑問に対する返事はこうだな。掃除から洗い物まで何でもやらされる。いやまさかこうしてお前とパン屋の手伝いすることになるなんて思わなかったけどよ」
タカアキの話を耳にしているうちに、とうとう俺たちが泊まる宿が見えた。
そこからまたしばらく歩くと大人しい雰囲気の通りに差し掛かる。
冒険者ギルド周りの騒がしさが十段階中「七」だとすれば、この辺りは「三」だ。
「――あら! あなたたちがそうなのかしら!」
宿から少し離れたところで、すぐにまったりとした声が届いてきた。
待ち構えるは小奇麗な服とエプロンが目立つふくよかなおばちゃんだ。
その背後には赤レンガの小高いパン屋が香ばしい香りで看板を掲げてる。
【クルースニク・ベーカリー】と。店舗のガラス越しに親しみ深い店内がある。
「あー、どうも。こういう時はご名答って褒めちぎった方がいい?」
俺はその通りです、と恐る恐る近づいた。
意外と背が高くてがっしりしてるし、黒髪を覆う頭巾や白エプロンはパン屋のそれだ。
「フランメリアの情報伝達の速さをなめちゃだめよ。あなたたちが臨時の依頼を受けてくれた冒険者ね?」
そんな彼女は「おいで」と中に招いてくれた。
足取りゆるやかに導かれるとまだ商品の並んでいない店内があった。
奥の厨房からは既に美味しそうな香りが漂ってる。
「……ワーオ、パン屋って感じだ」
「おいしそうな匂いがする……」
「歯車仕掛けの都市産の機材でいっぱいじゃねえか。これまた儲かってらっしゃるようで奥さん」
「冒険者さんはこういうのを見るのは初めてかしら? うちの店はそんなに大きくないけれども、ご覧の通り設備は充実してるのよ」
黒髪の『奥さん』はそんな仕事の場に誇らしげだ。
壁の間際は大げさなほどでかいミキサーだとか、材質不明で奥行たっぷりなオーブンだの清潔な流し台が部屋を飾ってる。
「にゃ~」
……厨房の前で白黒毛皮な生き物がお行儀よくしてた。
壁に貼られた【何人たりとも猫を殺してはならない】という注意書きを背にひと鳴きすると、猫はすたすたどこかへ去っていく。
「私はジョルジャ、パンが大好きなおばちゃんよ。気軽に「奥さん」って呼んでくれるかしら?」
そしてパン屋の仕事がみっちり詰まったここで『奥さん』は名乗ってくれた。
「俺はイチだ。今朝なったばっかの新入りだけどよろしく」
俺も冒険者らしく名乗って目が合うと、急に奥さんは小首をかしげた。
「あら……あなたは」
不思議そうな顔だ。近づくなり人の手を「見せて」と持ち上げてくる。
手のひらをゆだねるとその表情はまた一段と深まった。どうしたんだろう?
「どうした? まさかパン屋にむいてない手相とかだった?」
一体何を見出したのやら。けれども奥さんはなぜだかくすっと笑い。
「いいえ、きれいな手の形をしてるなって思っただけよ。むしろパン屋をすすめたいぐらいだわ」
「そうか、手については俺の知り合いもよく褒めてたよ」
「じゃあ間違いないわね。よろしくね、イチ君」
ゆるやかな口調で人の手を褒めてくれた。人柄の良さを感じる。
「タカアキだ。こいつの幼馴染だけどパン屋には何かと縁があるぜ、よろしく奥さん」
「タカアキ君ね、あなたのことは何度か目にしているわ。あの宿屋の常連でしょう?」
「ニクだよ。よろしく、奥さま」
「あらあら、奥さまだなんて言い過ぎよ。若くて頼もしい子がこんなに来てくれて嬉しいわねえ」
スーツ姿の幼馴染とジト顔わん娘という見てくれが三つ揃っても、奥さんは愛想よくまとめて受け入れてくれて。
「さて……ようこそ、クルースニク・ベーカリーへ。うちの従業員を紹介するわね? スカーレットちゃん、ちょっと来てくれるかしら?」
今度は店奥にいる誰かを呼んだらしい。
「奥さん、ウチのことよんだあ?」
するとやや入り組んだ先から出てきたのは――女の子だった。
ニクほどの小さな身長で、ぽわぽわした表情で人の気を緩めてくる美少女だ。
問題は――全身に透明感がってぷるぷるしてるってところだな。
透き通る鮮やかな赤色のスライム。それが人の髪型や顔から足のつま先までそれらしく再現していた。
「この子は料理ギルド所属のスカーレットちゃんよ。スライムだけど仲良くしてあげてね?」
奥さんのスマイルは世にも珍しいパン屋働きのスライムガールを紹介してる。
ご本人は少しドヤ顔だ。赤色に重なる白い服装を誇らしげにしてる。
「ウチなあ、スカーレットっていうんや。よろしゅうなあ新入りさん」
溶けて消えてしまいそうな柔らかな笑顔は独特の言葉遣いだ。
パン屋にスライムが勤務してるところについてはまあ別にいい、芋テロする魔女よりマシだ。
けれどもどこか懐かしい――そうだ、ぶにょぶにょにちょっと似てる!
「……まさかヒロインか?」
「ヒロインやでえ、にいちゃんたちプレイヤーなんかあ?」
「ああ、プレイヤーだ。よろしくなスカーレット先輩――ところで「てけりり」ってフレーズに覚えある?」
「てりやきみたいなフレーズやなあ、せや、お総菜パンもええなあ」
「そうか……」
「スライム娘がパン屋やってんのか、すげえ店だな」
「ここに勤めて三か月ほどやでえ、すごいやろお」
「……すらいむ?」
「スライムや、ウチきれいだから心配せんでええからなあ」
違ったらしい。お前じゃないのかぶにょぶにょ。
俺たち三人にゆるっとした空気を見せつけると彼女は引っ込んでいき。
「まずはそうね、その重たそうな装備を下ろしちゃいなさい。これからお仕事についてお話するわ」
奥さんは店奥の空いたスペースを案内してくれた。
お言葉に甘えてストレンジャーらしい装備やらを置けば。
「さっそくだけどやってもらうことを説明するわ。この頃売れ行きが良くなりすぎて人手が欲しくなっちゃってね、うちの店のお手伝いをしてほしいの」
がっしりした手が店の中を「見てほしい」と誘ってきた。
これから開店するような雰囲気だけど、それで俺たちは何をすればいいのやら。
「分かった。何をすればいいんだ?」
「ここは朝の十時を過ぎた頃に開店するのだけど、その前に品出しね。それから洗い物とかもしてほしいし、商品が売れたら翌日の仕込みも手伝ってほしいの」
「つまりなんでもってことだな」
「そうねえ。でも一番やって欲しいのは配達よ」
「配達?」
「クラングルにある宿とか飲食店にうちのパンを卸してるのよ。最近はここも人が増えたりでパンの需要は増えてるから嬉しいんだけれども、今日に限っていつも届けてくれる人が休んじゃってね」
「なるほど、パンをお届けしてくれる人手が欲しかったのか」
「いいえ、ついでにお店をいっぱい手伝ってもらおうと思ってね。この頃はすごく忙しくて大変なの」
「そして俺たちがちょうどよく来てくれたと」
「パン屋のお仕事なんて来てくれるのかなと不安だったけれども、来てくれて喜んでるわ。大丈夫よ、配達って言ってもご近所だけだから」
「分かった。でもパン屋の仕事って初めてだったりする」
「うちはゆるくやるのがポリシーよ。肩の力を抜いて自分らしくやってみてね」
事情は分かった。パン屋のために尽くせってことだ。
だから「任せろ」と頷いた。おかげで奥さんは笑顔で安心したらしい。
「じゃあ、まずは品出しからね。まずこれに着替えてちょうだい」
嬉しげな足取りで何か持ってきた――パン屋の頭巾とエプロンだ。
さっそく身に着けるとジャンプスーツのせいで大分異彩を放つがまあいいか。
「これでクルースニク・ベーカリーの一員だな。似合う?」
「けっこう様になってるじゃない、頼もしい店員さんで何よりよ」
「ぼくも似合う?」
「あらあら、似合ってるわよ。やっぱり可愛い子に着せると映えるわねうちの制服」
ニクはいいとする。わん娘パーカーとダウナー顔には似合うだろう。
「どうも、パン屋の俺です」
「いけてるわよ。その眼鏡をはずしたらどう? 見づらいでしょう?」
「大丈夫だよ奥さん、ちょっと特殊な加工がしてあってはっきり見えるんだこれ」
「変わった眼鏡ねえ、歯車仕掛けの街がまた何か開発したのかしら」
「いんや、ショッピングモール産」
タカアキは黒いスーツのおかげでまあまあだ。サングラスは頑なに外さないらしい。
ところが奥さんは俺を一目見ると。
「それとあなたにはこれを渡しておくわ。腕っぷしに自信がありそうだからね」
そうコメントして何かを軽々と引っ張ってきた。
「俺の頼もしさを見込んでくれてありがとう、何くれるんだ?」
「これよ、もしも変なお客様が来たらこれでぶちのめしちゃってちょうだい」
棍棒だ。
もう一度言う、棍棒だ。尖った先端と硬そうな出縁が殺傷力を物語る方の。
たとえ鎧を着こんでいようが鎧を砕き皮膚打ち肉叩き臓を潰す意思を感じた。
何かの間違いかと思ったけどパン屋の奥さんはやっぱり優しい笑顔だ。
「…………あの、奥さんこれ」
「棍棒よ。私のお古だけど威力はあるから心配はいらないわ」
「いや、そうじゃなくてこれ何に使えば」
「吸血鬼とか人狼にも良く良く効くわよ」
「違うんだ奥さん、気がかりなのは威力じゃないんだ」
「あら、剣が良かったかしら? 棍棒の方がいろいろ応用が利くのよ?」
確実に人を殺めるデザインを無理矢理渡された。
スティングのあいつは元気だろうか。まだ棍棒振るってるんだろうか。
そう思いながら握った――かすかに感じる血の匂いと実戦的な重み。
「分かった、どれくらい加減すればいい?」
「悪いやつは半殺し程度でいいわよ」
「任せろ」
まあいいか、ベルトに固定した。
商品を死んでも守れという意思表示なんだろうか。
分かったよ奥さん、これがパン屋の仕事なんだな。
「パン屋って大変なんだな、タカアキ……」
「棍棒渡すパン屋とか初めてだわ俺。つかナチュラルに装備してるんじゃねーよ」
「ん、敵が来たらやっつければいいの?」
「みんな似合ってるわよ。じゃあまずは焼きあがったパンを陳列してくれるかしら? それと軽くお外の掃除もお願いするわね。その後は注文の品を専用の鞄に入れて宿とかに届けてもらって……」
「準備できたでえ、はよ並べてなあ」
棍棒を携えるとさっそく指示が入った。
焼きあがったパンもスライムな先輩がにゅるっと運んできた、瞬く間にストレンジャーはパン屋に転職だ。
◇
パン屋の仕事なんてできるかと思った。でもそれはやるまでの話だ。
客が気持ちよく訪れられるように店の身なりを整え、朝に焼けたパンを並べて、それから配送用の鞄を背負って街を駆け巡る。
そんな俺たちの午前の仕事は配達がメインだった。
クルースニク・ベーカリー周りの店に商品を届けて、戻ってまた届けて。
面白い話だけど、ここ最近仕事もなくぶらぶらしてたのが妙に活きた。
なんとなく渡り歩いた街中から目当ての宿や食堂を探り当てて、そこに「クルースニク・ベーカリーです」と一声かければ済むだけだ。
三人分の人手があれば配達なんてあっという間である。
奥さんが満足するほどに早く終われば、今度は店内の手伝いだ。
洗い物を片付け、減ったパンを補充し、時には接客だってする必要があるわけで。
「いらっしゃいませ」
カウンターに立たされた俺がまさにそうだった。
せっかくなのでやってみろと促されたらこれだ。
「……イチさん、パン屋になったの?」
向かい合う先で、パンを吟味していた赤毛のお姉さんが微妙な顔をしてた。
宿の娘さんだ。それもそうかすぐ近所だし。
「あらいらっしゃい娘さん、新入りの冒険者さんを募集したら来てくれたのよ」
「どうもクルースニク・ベーカリーの店員です。パンいかがっすか娘さん」
この姿を見て果たして適切な人員配置なのか訝しまれてる気がする。
「と、とっても頼れますね? これなら強盗が来ても怖くないっていうか、うん」
「それによく働いてくれてるから今日は楽なものね。パン屋に冒険者を雇うなんて久々だけれども、これなら次も安心して任せられるわ」
「パンいかがっすか」
「こら、もっと笑顔でゆるーく接客しなきゃだめよ」
「こ、こうですか……?」
なんでここに棍棒持たせたんだろうこの人。
ぎこちなく営業スマイルを見せれば、宿の娘さんはフォローも難しそうなままパンをお買い上げだ。
「ダメだ奥さん、やっぱ俺接客向いてない」
そして午後一時を過ぎたあたりの店内はすっきりしてしまった。
店の中には近寄りがたい擲弾兵兼パン屋とわずかに残った売れ残り程度だ
人気の商品が売り切れたあたりがピークだったらしい。
わいわいやってきた客も途絶えて、パンの残り香に店じまいの空気が混じってる。
「接客っていうのは経験よ。初日で一人でも相手にできたら大したものじゃない」
「みんなすげえ微妙な顔してたのに……?」
「どうせみんな誰かの顔よりパンの方が気がかりになるわ、大丈夫よ」
今日一番の思い出は接客に立ってすぐ「なにこいつ」と客に引かれたことだ。
でも我慢した。メルタを受け取り紙袋にぶち込んで丁重に渡した。たとえ悪霊でも見たような顔をされてもだ。
「客足もなくなってきたし、そろそろ閉店かしらね? 今日はみんなで良く働いた気分だわ」
「奥さん、厨房の仕事終わったぜ」
「材料買い足してきたよ」
「ご苦労様、二人とも。じゃあ店じまいにしましょうか」
タカアキとニクは順調に仕事を終えたらしく、奥さんは満点の笑顔だ。
「ようやってくれたなあ」とスライム娘のゆるいお褒めの言葉だってある、俺たちはよくやったんだろうな。
「この後は仕込みだっけか、奥さん」
「ええ、午後の仕込みよ。でもその前にお昼ご飯、みんなで腹ごしらえしなくちゃ」
「俺たちも?」
「当り前でしょう、今はうちの店員さんなんだから」
最初は緊張してたけれども、ここのゆるい雰囲気に大分助けられた気がする。
一仕事終えて奥さんの気が抜ければあとの雰囲気はすっかり「おしまい」だ。
ちょうどいい止め時に取り残されてしまったわけだが、ふと外を見た。
「……なんだありゃ」
窓の向こうで冒険者が数名――なんか変なおっさんを囲って連行してるようだ。
よく見れば今朝見かけたあの親切なやつらだった。
もしかしたら向こうも一仕事終わった頃かもしれない。お互いお疲れ様だな。
『タカアキ君、店じまいお願いできるかしら?』
「はいはーい……おっ、あれって今朝の連中じゃん。なんか引きずり回してね?」
後ろから制服姿のタカアキも気づいたか。
ぶかぶかの服を着こんだ元気なおっさんを時々突いて進んで忙しそうだ。
エルフ女子の口の動きなんて「早く行け」と不機嫌そうに訴えてる。
「なるほどな、ああいう仕事もしなくちゃいけないわけか」
「冒険者ってなんでもやらされるからな。俺たちみたいにパン屋で働けば、あんな変なのを捕まえて来いとか頼まれることもあるのさ」
「そう言うのなら得意なんだけどな」
「まだお前は下積みさ。本番はフランメリアのことを良く知ってからってな」
あいつは閉店準備に行ってしまった。これにて本日は営業終了。
◇
店を片付け、余ったパンを回収して、軽い食事を摂ったあとは仕込みだ。
翌日に向けてミキサーで生地を作ったり機材の掃除をしたりといろいろである。
「はいこれ、頼まれてたクロワッサンサンドとおまけよ。中身はブルーベリージャムとバタークリームだからね」
動力不明のでっかいミキサーを拭いてると、奥さんが調理台に紙袋を乗せた。
言葉通りのものが入ってるとすれば、受付の姉ちゃんご希望のアレだ。
「ウチの自信作やでえ。クリームとジャムが渾然一体やなあ」
小麦粉袋をせっせと運んでるスカーレット先輩もそういうのだ、ここの人気商品の一つらしい。
「どうも。えーと、代金は1000でいいか?」
いったん手を止めてポケットを漁った。1000メルタ札を渡そうとするも。
「いいのよ、とっておきなさい。その代わりつまみ食いしちゃだめだからね?」
「いいのか?」
「仕事ぶりに感心させてもらったお礼よ、新入りさん」
「分かった、ありがとう奥さん。その分働かせてもらうよ」
やんわりと拒まれた。なんだか申し訳ないし、もっと仕事をこなして返そう。
あとこの紙幣も本人に返そうか、そう思いつつ道具を余すことなくぬぐった。
「それにしても冒険者ギルドと関わるなんて久々ねえ。フランメリアがまた賑やかになる前は一人で気楽にやってたのに、まさかこんなに忙しくなるなんて思わなかったもの」
「そうだったのか?」
「あなたたち旅人が来てからクラングルの飲食店は儲かってるし、うちの店もそれにあやかってるわけ。だから急遽人手が欲しくなったのよ」
「なるほど、俺たちが飲み食いするおかげか。でも奥さん、なんていうかその、パン屋って料理ギルドのやつが働くところだよな? 俺みたいな新米冒険者じゃなくてスカーレット先輩みたいな人がお勤めするイメージがあるんだけどさ」
「それがねえ、料理ギルドも大変な状況なの。急に料理上手な旅人たちが続々と加入したそうなんだけど、そういうのを是非迎えたいってお店が沢山ばかりでどんどんかっさらっていっちゃうのよ」
「なんだそりゃ、料理人の取り合いでも起きてるのか?」
「あなたたち旅人は勤勉で仕事もできるからね、熾烈な人的資源の奪い合いがずっと続いてるわ。それにしがない老舗のパン屋なんかよりもずっといい仕事はいっぱいあるし、そういうのに流れちゃって中々うちに来てくれなくてね。だからいっそ冒険者を頼ろうと思ったわけ」
「だからボードにパン屋のお誘いが貼ってあったのか」
「おかげで良い出会いができて何よりよ。冒険者っていえば昔は血気盛んで騒々しいものだったけど、今時の子は大人しいしちゃんと仕事はこなすし偉いわね」
俺たちの雇い主は小麦粉の袋を開けながらよく喋ってる。乗ることにした。
「俺には今も騒がしいように見えるよ」
「こんなものじゃなかったわよ。だって冒険者ギルドにっていうと、昔は中に食堂とか酒場とかがあったんだから」
「へー、あそこに? 確かにそれくらい入りそうなほどデカかったけど」
「というのもね、あれだけ立派なのは元々そう言った施設があったからなの」
「マジかよ。でも今はなかったぞ」
「それがねえ、どうしてもお酒が身近にあるとトラブルを起こしやすくなっちゃうのよ。あそこってご近所に飲食店がないでしょ?」
「確かにそうだ」
「昔あんまりにも問題が多すぎてギルドマスターが怒っちゃってね、最初は酒場を、次は食堂も取り壊してああなったわけ。ほら、あのミノタウロスの人は見たでしょう? 短気な子でねえ」
「あー、相当頭に来てたんだろうなあ……あの人」
「でもギルド支部周辺の治安が良くなったのは確かよ。やっぱりお酒って人を狂わせるのね」
「すげえ分かる言葉だ」
「あら、お酒で何か失敗しちゃったのかしら?」
「まあそうだな、酒は大嫌いだ」
「良かった、私もよ。お酒よりパン食べなさい」
「そうするよ。ここのパンでいいか?」
「大歓迎よ。いつでもきなさい」
合間にPDAを見ればすっかり午後の深い部分だ、もうしばらくで夕方か。
ここの雰囲気にすっかり馴染んじゃったな、この仕事を選んで本当に良かった。
「うちの店、忙しかったでしょ? みんなどうだったかしら?」
奥さんがミキサーに小麦粉をどさっと入れ始めてた。
俺も近くの袋を抱えてぶちこんだ。世紀末世界で鍛えた甲斐あって軽々だ。
「おかげで充実した一日になりそうだ。すっきりした気分だよ」
「ん、楽しくて好き」
「俺も。ここ選んでよかったぜ、すげえ楽しいもの」
なので三人揃ってこんな返事だ、これには奥さんもにっこりだった。
「良かったわ、いろいろ心配だったけれどもそう言ってもらえるなんてね」
「ここはええとこやでえ、なんならまた来てなあ」
「そうね。あなたたちが良かったらまたお願いしたいわ」
仕込みに加わったスライム娘もそういうほどいい仕事ができたらしい。
幼馴染とわん娘に顔を合わせれば「いいな」って感じの様子だ。
そうだな、またここで働くのもいいかもしれない。
「返事は『俺たちで良かったら是非どうぞ』だな」
「ぼくも」
「へへっ、こちとら生まれつきパン屋と縁があるからな。お任せあれだ」
みんなで「もちろん」と顔で返した。
世紀末世界とはえらい違いだけど、やりがいのある日々が生まれた気がする。
――がらん。
そうやって仕込みに勤しんでると店の扉が大きく鳴った。
「あら、お客さんかしら? もう閉店したはずなんだけれども……」
「あれー? 俺さっき閉店にしたよな? なんかミスった?」
「ん……? 鉄みたいな匂いがする?」
「もう閉店なんやけどなあ、予約しにきたんかあ?」
「オーケー、俺がちょっと見てくるよ。みんな仕込みしててくれ」
客か? 面々が気づくも、俺は率先して伺うことにした。
慣れないエプロン姿で向かえばカウンター越しに見えたのは人の形だ。
「あー、お客さん? もう閉店してるんだけど何か御用で?」
そう、人らしい姿だ。というか人間じゃなかった。
二メートルほどのすらっと細長い身をふらふらさせて天井に頭をぶつけてる。
人形といえばいいのか。鈍く尖った四肢はぎこちなく、足のつま先から顔の造形すらも灰色だ。
更に付け加えるなら青い模様が走っていた。ずいぶん大きな姿はゆらっとお辞儀するように顔を近づけて。
『う、ぎぎぎぎぎぎぎ、こんにちは、こんにちは』
「……えーと、こんにちは。何かお探しで?」
がくっと腰を落とした――いや。
四つん這いになったのだ。不格好な人間をやめて、よくわからない言葉を述べて、蜘蛛さながらの姿を床に落とした。
ぐらぐら頭を揺らせば顔もない『人以下蜘蛛未満』の異形は片腕を上げて。
『マスターを奪還せよ! マスター! マスター!』
訳の分からない言葉を発してぶんっ、と鋭い手先を突き立ててきた――!
「――いやマジで変な客きたぞ!? これがパン屋なのか!?」
生憎こっちはストレンジャーだ。カウンターを追い越す爪に一歩後退、身構えて半身を捻じる。
かきんっ。
振り上げた足先と尖りの横が重なる……【レッグ・パリィ】だ。
攻撃を弾かれたそいつが僅かによろめいた。なるほど、このための棍棒か。
「敵ってことだな? ようこそクルースニク・ベーカリーへ!」
攻撃したってことは敵だ、接客業をやめてたじろぐそれを追いかける。
謎の人型がぐっと半身を起こして身構えようとした。
でも間合いは詰めた、得物を振りかぶって潜り込み。
*がんっ!*
真っ白な頭部を打ち据える。
殴りに特化した形にいい手触りがした。
するとどうだ、斜めに殴られた形がぼろっと崩れて……。
『あが、アガガガガガッ、AAAAAAAAA……!?』
そいつはまるで絶命したばかりの虫みたいに四肢をじたばたさせて止まった。
身体中に走る青い線も消えた、ということはまさかマナの色か?
「おいどうした!? 何だ今の――ってうわなにそれきっっも!」
「ご主人! 何があったの……!?」
遅れて二人もやってきたがもう終わったので「これ」と敵を棍棒で示した。
「なんか変なのが来やがったぞ。反射的に殴ったけどいいよな」
「いや殴ったっておま……!?」
ニクはともかくタカアキは混乱してる。
けれどもその次の瞬間だ。外で人の悲鳴が聞こえた。
続いて人の足踏みや物が壊れる音も遠く重なって、どたばた、がしゃんがしゃんと相応の騒がしさが広まった。
すぐ分かった。いつもの予期せぬ事態だ。
「……何か妙なことが起きてるわね」
最初にそう口にしたのは奥さんだ。
小麦粉まみれの手だけど、がっしりした身体には緊張感を纏わせてる。
「その妙なことの代表的なもんが来たから殴ったけどいいよな?」
ついでに目の前に転がる変な物体を棍棒で示した。
ところが反応は「よくやった」とばかりの微笑みと頷きで。
「ええ、業務的には完璧よ」
「やっぱ棍棒が必要な仕事だったんだな、疑って悪かった奥さん」
「それよりもこの変なものは何なのかしら? 魔法で作られたゴーレムみたいな見た目だけど」
「どしたん奥さん……ってなんやこれえ!? なんかでっかいの倒れとる!」
みんな妙な客を確かめることになった。うねるスライム娘もおまけで。
囲んだ先にあるのはどう見てもカタギでも人間でもない何かだ。
「……やっぱりゴーレムね、これ。魔力の線があるもの」
パン屋ってすごい、奥さんには一目見て正体が分かったらしい。
「そういう住民だったりしない? 見事にぶちのめしちゃったんだけど俺」
「開けたドアも閉めずに店の人に手を出すようなのは客でも隣人でもないわ」
「じゃあ殺ってよかったか」
「いや殴り殺したのかよ」
「ああ、脳天に一発ごつんと」
殴っちゃいけないフランメリア人じゃないらしい。じゃあよし。
ところがニクが胡散臭さを感じるようにすんすんしており。
「……ご主人。これ、外にいっぱいいるよ」
眉をひそめながらそう教えてくれた――は? いっぱい?
あまり信じたくない衝撃的な言葉にパン屋一同顔を見合わせれば。
「な、なんだこりゃあああああああッ! 変なゴーレムが暴れてるぞォォォッ!」
「またどっかの錬金術師が逃がしたのか!? みんな逃げろ、やばいぞっ!」
開きっぱなしの扉を通じていっぱいの悲鳴が聞こえてきた。
ついでにどかどか四足で走る変な人形もちらちら、なるほどやばいってことだ。
みんなの顔をあわせてパン屋の「これから」を考えようとすると。
『ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアオオオオオッ!』
ハイテンションな振る舞いと叫びの四足歩行なお客様がご入店だ!
困りますお客様! だがここに来たのが間違いだったな!
「パン屋を守るのも仕事だ! 行くぞお前ら!」
「……はあ!? いやちょっと待て正気かお前!?」
「ん、パン屋はぼくが守る」
だから誰よりも早く駆けた。
棍棒を振りかぶって変な客の白い顔面に質量をプレゼントした。
いつもの宿を狙うように道なりを戻ると、見慣れた通りがそこにあった。
「タカアキ、今思ったことを言わせてほしい」
「お? どうした?」
「冒険者の仕事にパン屋の手伝いがあるのはもうそういう世界なんだって割り切るけどさ、俺たちみたいな素人が許されてしかも日雇いの仕事っていったい何させられるんだろう」
「なあ、俺がハコダテにいたころ近所にパン屋があったって話はしたっけか」
「覚えてる、お前にあいさつ代わりにセクハラしてくる奥さんがいたとか」
「そこだけ覚えてるってことは大体伝わってんな。個人経営で大体朝の十時ぐらいから開店、んでめっちゃお客さんが来て昼には売り切れって感じだった」
「個人経営のパン屋なんて見たことないな俺」
「2020年代は普通にあったんだぞ。でな? 深夜に仕込みを全部終わらせて、商品を焼き上げて、品物を陳列して……そんな感じで昼過ぎに売り切れたらすぐに翌日の仕込みだ。大変なんだぞパン屋」
「パン屋って一日中パン焼いてるわけじゃないんだな。忙しそうだ」
「んなわけあるか。でもあの店の奥さんは「好きだから苦しくない」って言ってたな、毎日そんな顔してた」
「好きだからできる仕事か」
「そゆこと。まあこんな部外者、それも臨時で集められたからにはそれなりに忙しいんだろうな。わん娘の手も借りたいほどにな」
「ん、力仕事だったらぼくにお任せ」
「しかも俺たちの宿の仕入れ先だからな、失礼のないようにしないと」
「つまりイチ、お前の疑問に対する返事はこうだな。掃除から洗い物まで何でもやらされる。いやまさかこうしてお前とパン屋の手伝いすることになるなんて思わなかったけどよ」
タカアキの話を耳にしているうちに、とうとう俺たちが泊まる宿が見えた。
そこからまたしばらく歩くと大人しい雰囲気の通りに差し掛かる。
冒険者ギルド周りの騒がしさが十段階中「七」だとすれば、この辺りは「三」だ。
「――あら! あなたたちがそうなのかしら!」
宿から少し離れたところで、すぐにまったりとした声が届いてきた。
待ち構えるは小奇麗な服とエプロンが目立つふくよかなおばちゃんだ。
その背後には赤レンガの小高いパン屋が香ばしい香りで看板を掲げてる。
【クルースニク・ベーカリー】と。店舗のガラス越しに親しみ深い店内がある。
「あー、どうも。こういう時はご名答って褒めちぎった方がいい?」
俺はその通りです、と恐る恐る近づいた。
意外と背が高くてがっしりしてるし、黒髪を覆う頭巾や白エプロンはパン屋のそれだ。
「フランメリアの情報伝達の速さをなめちゃだめよ。あなたたちが臨時の依頼を受けてくれた冒険者ね?」
そんな彼女は「おいで」と中に招いてくれた。
足取りゆるやかに導かれるとまだ商品の並んでいない店内があった。
奥の厨房からは既に美味しそうな香りが漂ってる。
「……ワーオ、パン屋って感じだ」
「おいしそうな匂いがする……」
「歯車仕掛けの都市産の機材でいっぱいじゃねえか。これまた儲かってらっしゃるようで奥さん」
「冒険者さんはこういうのを見るのは初めてかしら? うちの店はそんなに大きくないけれども、ご覧の通り設備は充実してるのよ」
黒髪の『奥さん』はそんな仕事の場に誇らしげだ。
壁の間際は大げさなほどでかいミキサーだとか、材質不明で奥行たっぷりなオーブンだの清潔な流し台が部屋を飾ってる。
「にゃ~」
……厨房の前で白黒毛皮な生き物がお行儀よくしてた。
壁に貼られた【何人たりとも猫を殺してはならない】という注意書きを背にひと鳴きすると、猫はすたすたどこかへ去っていく。
「私はジョルジャ、パンが大好きなおばちゃんよ。気軽に「奥さん」って呼んでくれるかしら?」
そしてパン屋の仕事がみっちり詰まったここで『奥さん』は名乗ってくれた。
「俺はイチだ。今朝なったばっかの新入りだけどよろしく」
俺も冒険者らしく名乗って目が合うと、急に奥さんは小首をかしげた。
「あら……あなたは」
不思議そうな顔だ。近づくなり人の手を「見せて」と持ち上げてくる。
手のひらをゆだねるとその表情はまた一段と深まった。どうしたんだろう?
「どうした? まさかパン屋にむいてない手相とかだった?」
一体何を見出したのやら。けれども奥さんはなぜだかくすっと笑い。
「いいえ、きれいな手の形をしてるなって思っただけよ。むしろパン屋をすすめたいぐらいだわ」
「そうか、手については俺の知り合いもよく褒めてたよ」
「じゃあ間違いないわね。よろしくね、イチ君」
ゆるやかな口調で人の手を褒めてくれた。人柄の良さを感じる。
「タカアキだ。こいつの幼馴染だけどパン屋には何かと縁があるぜ、よろしく奥さん」
「タカアキ君ね、あなたのことは何度か目にしているわ。あの宿屋の常連でしょう?」
「ニクだよ。よろしく、奥さま」
「あらあら、奥さまだなんて言い過ぎよ。若くて頼もしい子がこんなに来てくれて嬉しいわねえ」
スーツ姿の幼馴染とジト顔わん娘という見てくれが三つ揃っても、奥さんは愛想よくまとめて受け入れてくれて。
「さて……ようこそ、クルースニク・ベーカリーへ。うちの従業員を紹介するわね? スカーレットちゃん、ちょっと来てくれるかしら?」
今度は店奥にいる誰かを呼んだらしい。
「奥さん、ウチのことよんだあ?」
するとやや入り組んだ先から出てきたのは――女の子だった。
ニクほどの小さな身長で、ぽわぽわした表情で人の気を緩めてくる美少女だ。
問題は――全身に透明感がってぷるぷるしてるってところだな。
透き通る鮮やかな赤色のスライム。それが人の髪型や顔から足のつま先までそれらしく再現していた。
「この子は料理ギルド所属のスカーレットちゃんよ。スライムだけど仲良くしてあげてね?」
奥さんのスマイルは世にも珍しいパン屋働きのスライムガールを紹介してる。
ご本人は少しドヤ顔だ。赤色に重なる白い服装を誇らしげにしてる。
「ウチなあ、スカーレットっていうんや。よろしゅうなあ新入りさん」
溶けて消えてしまいそうな柔らかな笑顔は独特の言葉遣いだ。
パン屋にスライムが勤務してるところについてはまあ別にいい、芋テロする魔女よりマシだ。
けれどもどこか懐かしい――そうだ、ぶにょぶにょにちょっと似てる!
「……まさかヒロインか?」
「ヒロインやでえ、にいちゃんたちプレイヤーなんかあ?」
「ああ、プレイヤーだ。よろしくなスカーレット先輩――ところで「てけりり」ってフレーズに覚えある?」
「てりやきみたいなフレーズやなあ、せや、お総菜パンもええなあ」
「そうか……」
「スライム娘がパン屋やってんのか、すげえ店だな」
「ここに勤めて三か月ほどやでえ、すごいやろお」
「……すらいむ?」
「スライムや、ウチきれいだから心配せんでええからなあ」
違ったらしい。お前じゃないのかぶにょぶにょ。
俺たち三人にゆるっとした空気を見せつけると彼女は引っ込んでいき。
「まずはそうね、その重たそうな装備を下ろしちゃいなさい。これからお仕事についてお話するわ」
奥さんは店奥の空いたスペースを案内してくれた。
お言葉に甘えてストレンジャーらしい装備やらを置けば。
「さっそくだけどやってもらうことを説明するわ。この頃売れ行きが良くなりすぎて人手が欲しくなっちゃってね、うちの店のお手伝いをしてほしいの」
がっしりした手が店の中を「見てほしい」と誘ってきた。
これから開店するような雰囲気だけど、それで俺たちは何をすればいいのやら。
「分かった。何をすればいいんだ?」
「ここは朝の十時を過ぎた頃に開店するのだけど、その前に品出しね。それから洗い物とかもしてほしいし、商品が売れたら翌日の仕込みも手伝ってほしいの」
「つまりなんでもってことだな」
「そうねえ。でも一番やって欲しいのは配達よ」
「配達?」
「クラングルにある宿とか飲食店にうちのパンを卸してるのよ。最近はここも人が増えたりでパンの需要は増えてるから嬉しいんだけれども、今日に限っていつも届けてくれる人が休んじゃってね」
「なるほど、パンをお届けしてくれる人手が欲しかったのか」
「いいえ、ついでにお店をいっぱい手伝ってもらおうと思ってね。この頃はすごく忙しくて大変なの」
「そして俺たちがちょうどよく来てくれたと」
「パン屋のお仕事なんて来てくれるのかなと不安だったけれども、来てくれて喜んでるわ。大丈夫よ、配達って言ってもご近所だけだから」
「分かった。でもパン屋の仕事って初めてだったりする」
「うちはゆるくやるのがポリシーよ。肩の力を抜いて自分らしくやってみてね」
事情は分かった。パン屋のために尽くせってことだ。
だから「任せろ」と頷いた。おかげで奥さんは笑顔で安心したらしい。
「じゃあ、まずは品出しからね。まずこれに着替えてちょうだい」
嬉しげな足取りで何か持ってきた――パン屋の頭巾とエプロンだ。
さっそく身に着けるとジャンプスーツのせいで大分異彩を放つがまあいいか。
「これでクルースニク・ベーカリーの一員だな。似合う?」
「けっこう様になってるじゃない、頼もしい店員さんで何よりよ」
「ぼくも似合う?」
「あらあら、似合ってるわよ。やっぱり可愛い子に着せると映えるわねうちの制服」
ニクはいいとする。わん娘パーカーとダウナー顔には似合うだろう。
「どうも、パン屋の俺です」
「いけてるわよ。その眼鏡をはずしたらどう? 見づらいでしょう?」
「大丈夫だよ奥さん、ちょっと特殊な加工がしてあってはっきり見えるんだこれ」
「変わった眼鏡ねえ、歯車仕掛けの街がまた何か開発したのかしら」
「いんや、ショッピングモール産」
タカアキは黒いスーツのおかげでまあまあだ。サングラスは頑なに外さないらしい。
ところが奥さんは俺を一目見ると。
「それとあなたにはこれを渡しておくわ。腕っぷしに自信がありそうだからね」
そうコメントして何かを軽々と引っ張ってきた。
「俺の頼もしさを見込んでくれてありがとう、何くれるんだ?」
「これよ、もしも変なお客様が来たらこれでぶちのめしちゃってちょうだい」
棍棒だ。
もう一度言う、棍棒だ。尖った先端と硬そうな出縁が殺傷力を物語る方の。
たとえ鎧を着こんでいようが鎧を砕き皮膚打ち肉叩き臓を潰す意思を感じた。
何かの間違いかと思ったけどパン屋の奥さんはやっぱり優しい笑顔だ。
「…………あの、奥さんこれ」
「棍棒よ。私のお古だけど威力はあるから心配はいらないわ」
「いや、そうじゃなくてこれ何に使えば」
「吸血鬼とか人狼にも良く良く効くわよ」
「違うんだ奥さん、気がかりなのは威力じゃないんだ」
「あら、剣が良かったかしら? 棍棒の方がいろいろ応用が利くのよ?」
確実に人を殺めるデザインを無理矢理渡された。
スティングのあいつは元気だろうか。まだ棍棒振るってるんだろうか。
そう思いながら握った――かすかに感じる血の匂いと実戦的な重み。
「分かった、どれくらい加減すればいい?」
「悪いやつは半殺し程度でいいわよ」
「任せろ」
まあいいか、ベルトに固定した。
商品を死んでも守れという意思表示なんだろうか。
分かったよ奥さん、これがパン屋の仕事なんだな。
「パン屋って大変なんだな、タカアキ……」
「棍棒渡すパン屋とか初めてだわ俺。つかナチュラルに装備してるんじゃねーよ」
「ん、敵が来たらやっつければいいの?」
「みんな似合ってるわよ。じゃあまずは焼きあがったパンを陳列してくれるかしら? それと軽くお外の掃除もお願いするわね。その後は注文の品を専用の鞄に入れて宿とかに届けてもらって……」
「準備できたでえ、はよ並べてなあ」
棍棒を携えるとさっそく指示が入った。
焼きあがったパンもスライムな先輩がにゅるっと運んできた、瞬く間にストレンジャーはパン屋に転職だ。
◇
パン屋の仕事なんてできるかと思った。でもそれはやるまでの話だ。
客が気持ちよく訪れられるように店の身なりを整え、朝に焼けたパンを並べて、それから配送用の鞄を背負って街を駆け巡る。
そんな俺たちの午前の仕事は配達がメインだった。
クルースニク・ベーカリー周りの店に商品を届けて、戻ってまた届けて。
面白い話だけど、ここ最近仕事もなくぶらぶらしてたのが妙に活きた。
なんとなく渡り歩いた街中から目当ての宿や食堂を探り当てて、そこに「クルースニク・ベーカリーです」と一声かければ済むだけだ。
三人分の人手があれば配達なんてあっという間である。
奥さんが満足するほどに早く終われば、今度は店内の手伝いだ。
洗い物を片付け、減ったパンを補充し、時には接客だってする必要があるわけで。
「いらっしゃいませ」
カウンターに立たされた俺がまさにそうだった。
せっかくなのでやってみろと促されたらこれだ。
「……イチさん、パン屋になったの?」
向かい合う先で、パンを吟味していた赤毛のお姉さんが微妙な顔をしてた。
宿の娘さんだ。それもそうかすぐ近所だし。
「あらいらっしゃい娘さん、新入りの冒険者さんを募集したら来てくれたのよ」
「どうもクルースニク・ベーカリーの店員です。パンいかがっすか娘さん」
この姿を見て果たして適切な人員配置なのか訝しまれてる気がする。
「と、とっても頼れますね? これなら強盗が来ても怖くないっていうか、うん」
「それによく働いてくれてるから今日は楽なものね。パン屋に冒険者を雇うなんて久々だけれども、これなら次も安心して任せられるわ」
「パンいかがっすか」
「こら、もっと笑顔でゆるーく接客しなきゃだめよ」
「こ、こうですか……?」
なんでここに棍棒持たせたんだろうこの人。
ぎこちなく営業スマイルを見せれば、宿の娘さんはフォローも難しそうなままパンをお買い上げだ。
「ダメだ奥さん、やっぱ俺接客向いてない」
そして午後一時を過ぎたあたりの店内はすっきりしてしまった。
店の中には近寄りがたい擲弾兵兼パン屋とわずかに残った売れ残り程度だ
人気の商品が売り切れたあたりがピークだったらしい。
わいわいやってきた客も途絶えて、パンの残り香に店じまいの空気が混じってる。
「接客っていうのは経験よ。初日で一人でも相手にできたら大したものじゃない」
「みんなすげえ微妙な顔してたのに……?」
「どうせみんな誰かの顔よりパンの方が気がかりになるわ、大丈夫よ」
今日一番の思い出は接客に立ってすぐ「なにこいつ」と客に引かれたことだ。
でも我慢した。メルタを受け取り紙袋にぶち込んで丁重に渡した。たとえ悪霊でも見たような顔をされてもだ。
「客足もなくなってきたし、そろそろ閉店かしらね? 今日はみんなで良く働いた気分だわ」
「奥さん、厨房の仕事終わったぜ」
「材料買い足してきたよ」
「ご苦労様、二人とも。じゃあ店じまいにしましょうか」
タカアキとニクは順調に仕事を終えたらしく、奥さんは満点の笑顔だ。
「ようやってくれたなあ」とスライム娘のゆるいお褒めの言葉だってある、俺たちはよくやったんだろうな。
「この後は仕込みだっけか、奥さん」
「ええ、午後の仕込みよ。でもその前にお昼ご飯、みんなで腹ごしらえしなくちゃ」
「俺たちも?」
「当り前でしょう、今はうちの店員さんなんだから」
最初は緊張してたけれども、ここのゆるい雰囲気に大分助けられた気がする。
一仕事終えて奥さんの気が抜ければあとの雰囲気はすっかり「おしまい」だ。
ちょうどいい止め時に取り残されてしまったわけだが、ふと外を見た。
「……なんだありゃ」
窓の向こうで冒険者が数名――なんか変なおっさんを囲って連行してるようだ。
よく見れば今朝見かけたあの親切なやつらだった。
もしかしたら向こうも一仕事終わった頃かもしれない。お互いお疲れ様だな。
『タカアキ君、店じまいお願いできるかしら?』
「はいはーい……おっ、あれって今朝の連中じゃん。なんか引きずり回してね?」
後ろから制服姿のタカアキも気づいたか。
ぶかぶかの服を着こんだ元気なおっさんを時々突いて進んで忙しそうだ。
エルフ女子の口の動きなんて「早く行け」と不機嫌そうに訴えてる。
「なるほどな、ああいう仕事もしなくちゃいけないわけか」
「冒険者ってなんでもやらされるからな。俺たちみたいにパン屋で働けば、あんな変なのを捕まえて来いとか頼まれることもあるのさ」
「そう言うのなら得意なんだけどな」
「まだお前は下積みさ。本番はフランメリアのことを良く知ってからってな」
あいつは閉店準備に行ってしまった。これにて本日は営業終了。
◇
店を片付け、余ったパンを回収して、軽い食事を摂ったあとは仕込みだ。
翌日に向けてミキサーで生地を作ったり機材の掃除をしたりといろいろである。
「はいこれ、頼まれてたクロワッサンサンドとおまけよ。中身はブルーベリージャムとバタークリームだからね」
動力不明のでっかいミキサーを拭いてると、奥さんが調理台に紙袋を乗せた。
言葉通りのものが入ってるとすれば、受付の姉ちゃんご希望のアレだ。
「ウチの自信作やでえ。クリームとジャムが渾然一体やなあ」
小麦粉袋をせっせと運んでるスカーレット先輩もそういうのだ、ここの人気商品の一つらしい。
「どうも。えーと、代金は1000でいいか?」
いったん手を止めてポケットを漁った。1000メルタ札を渡そうとするも。
「いいのよ、とっておきなさい。その代わりつまみ食いしちゃだめだからね?」
「いいのか?」
「仕事ぶりに感心させてもらったお礼よ、新入りさん」
「分かった、ありがとう奥さん。その分働かせてもらうよ」
やんわりと拒まれた。なんだか申し訳ないし、もっと仕事をこなして返そう。
あとこの紙幣も本人に返そうか、そう思いつつ道具を余すことなくぬぐった。
「それにしても冒険者ギルドと関わるなんて久々ねえ。フランメリアがまた賑やかになる前は一人で気楽にやってたのに、まさかこんなに忙しくなるなんて思わなかったもの」
「そうだったのか?」
「あなたたち旅人が来てからクラングルの飲食店は儲かってるし、うちの店もそれにあやかってるわけ。だから急遽人手が欲しくなったのよ」
「なるほど、俺たちが飲み食いするおかげか。でも奥さん、なんていうかその、パン屋って料理ギルドのやつが働くところだよな? 俺みたいな新米冒険者じゃなくてスカーレット先輩みたいな人がお勤めするイメージがあるんだけどさ」
「それがねえ、料理ギルドも大変な状況なの。急に料理上手な旅人たちが続々と加入したそうなんだけど、そういうのを是非迎えたいってお店が沢山ばかりでどんどんかっさらっていっちゃうのよ」
「なんだそりゃ、料理人の取り合いでも起きてるのか?」
「あなたたち旅人は勤勉で仕事もできるからね、熾烈な人的資源の奪い合いがずっと続いてるわ。それにしがない老舗のパン屋なんかよりもずっといい仕事はいっぱいあるし、そういうのに流れちゃって中々うちに来てくれなくてね。だからいっそ冒険者を頼ろうと思ったわけ」
「だからボードにパン屋のお誘いが貼ってあったのか」
「おかげで良い出会いができて何よりよ。冒険者っていえば昔は血気盛んで騒々しいものだったけど、今時の子は大人しいしちゃんと仕事はこなすし偉いわね」
俺たちの雇い主は小麦粉の袋を開けながらよく喋ってる。乗ることにした。
「俺には今も騒がしいように見えるよ」
「こんなものじゃなかったわよ。だって冒険者ギルドにっていうと、昔は中に食堂とか酒場とかがあったんだから」
「へー、あそこに? 確かにそれくらい入りそうなほどデカかったけど」
「というのもね、あれだけ立派なのは元々そう言った施設があったからなの」
「マジかよ。でも今はなかったぞ」
「それがねえ、どうしてもお酒が身近にあるとトラブルを起こしやすくなっちゃうのよ。あそこってご近所に飲食店がないでしょ?」
「確かにそうだ」
「昔あんまりにも問題が多すぎてギルドマスターが怒っちゃってね、最初は酒場を、次は食堂も取り壊してああなったわけ。ほら、あのミノタウロスの人は見たでしょう? 短気な子でねえ」
「あー、相当頭に来てたんだろうなあ……あの人」
「でもギルド支部周辺の治安が良くなったのは確かよ。やっぱりお酒って人を狂わせるのね」
「すげえ分かる言葉だ」
「あら、お酒で何か失敗しちゃったのかしら?」
「まあそうだな、酒は大嫌いだ」
「良かった、私もよ。お酒よりパン食べなさい」
「そうするよ。ここのパンでいいか?」
「大歓迎よ。いつでもきなさい」
合間にPDAを見ればすっかり午後の深い部分だ、もうしばらくで夕方か。
ここの雰囲気にすっかり馴染んじゃったな、この仕事を選んで本当に良かった。
「うちの店、忙しかったでしょ? みんなどうだったかしら?」
奥さんがミキサーに小麦粉をどさっと入れ始めてた。
俺も近くの袋を抱えてぶちこんだ。世紀末世界で鍛えた甲斐あって軽々だ。
「おかげで充実した一日になりそうだ。すっきりした気分だよ」
「ん、楽しくて好き」
「俺も。ここ選んでよかったぜ、すげえ楽しいもの」
なので三人揃ってこんな返事だ、これには奥さんもにっこりだった。
「良かったわ、いろいろ心配だったけれどもそう言ってもらえるなんてね」
「ここはええとこやでえ、なんならまた来てなあ」
「そうね。あなたたちが良かったらまたお願いしたいわ」
仕込みに加わったスライム娘もそういうほどいい仕事ができたらしい。
幼馴染とわん娘に顔を合わせれば「いいな」って感じの様子だ。
そうだな、またここで働くのもいいかもしれない。
「返事は『俺たちで良かったら是非どうぞ』だな」
「ぼくも」
「へへっ、こちとら生まれつきパン屋と縁があるからな。お任せあれだ」
みんなで「もちろん」と顔で返した。
世紀末世界とはえらい違いだけど、やりがいのある日々が生まれた気がする。
――がらん。
そうやって仕込みに勤しんでると店の扉が大きく鳴った。
「あら、お客さんかしら? もう閉店したはずなんだけれども……」
「あれー? 俺さっき閉店にしたよな? なんかミスった?」
「ん……? 鉄みたいな匂いがする?」
「もう閉店なんやけどなあ、予約しにきたんかあ?」
「オーケー、俺がちょっと見てくるよ。みんな仕込みしててくれ」
客か? 面々が気づくも、俺は率先して伺うことにした。
慣れないエプロン姿で向かえばカウンター越しに見えたのは人の形だ。
「あー、お客さん? もう閉店してるんだけど何か御用で?」
そう、人らしい姿だ。というか人間じゃなかった。
二メートルほどのすらっと細長い身をふらふらさせて天井に頭をぶつけてる。
人形といえばいいのか。鈍く尖った四肢はぎこちなく、足のつま先から顔の造形すらも灰色だ。
更に付け加えるなら青い模様が走っていた。ずいぶん大きな姿はゆらっとお辞儀するように顔を近づけて。
『う、ぎぎぎぎぎぎぎ、こんにちは、こんにちは』
「……えーと、こんにちは。何かお探しで?」
がくっと腰を落とした――いや。
四つん這いになったのだ。不格好な人間をやめて、よくわからない言葉を述べて、蜘蛛さながらの姿を床に落とした。
ぐらぐら頭を揺らせば顔もない『人以下蜘蛛未満』の異形は片腕を上げて。
『マスターを奪還せよ! マスター! マスター!』
訳の分からない言葉を発してぶんっ、と鋭い手先を突き立ててきた――!
「――いやマジで変な客きたぞ!? これがパン屋なのか!?」
生憎こっちはストレンジャーだ。カウンターを追い越す爪に一歩後退、身構えて半身を捻じる。
かきんっ。
振り上げた足先と尖りの横が重なる……【レッグ・パリィ】だ。
攻撃を弾かれたそいつが僅かによろめいた。なるほど、このための棍棒か。
「敵ってことだな? ようこそクルースニク・ベーカリーへ!」
攻撃したってことは敵だ、接客業をやめてたじろぐそれを追いかける。
謎の人型がぐっと半身を起こして身構えようとした。
でも間合いは詰めた、得物を振りかぶって潜り込み。
*がんっ!*
真っ白な頭部を打ち据える。
殴りに特化した形にいい手触りがした。
するとどうだ、斜めに殴られた形がぼろっと崩れて……。
『あが、アガガガガガッ、AAAAAAAAA……!?』
そいつはまるで絶命したばかりの虫みたいに四肢をじたばたさせて止まった。
身体中に走る青い線も消えた、ということはまさかマナの色か?
「おいどうした!? 何だ今の――ってうわなにそれきっっも!」
「ご主人! 何があったの……!?」
遅れて二人もやってきたがもう終わったので「これ」と敵を棍棒で示した。
「なんか変なのが来やがったぞ。反射的に殴ったけどいいよな」
「いや殴ったっておま……!?」
ニクはともかくタカアキは混乱してる。
けれどもその次の瞬間だ。外で人の悲鳴が聞こえた。
続いて人の足踏みや物が壊れる音も遠く重なって、どたばた、がしゃんがしゃんと相応の騒がしさが広まった。
すぐ分かった。いつもの予期せぬ事態だ。
「……何か妙なことが起きてるわね」
最初にそう口にしたのは奥さんだ。
小麦粉まみれの手だけど、がっしりした身体には緊張感を纏わせてる。
「その妙なことの代表的なもんが来たから殴ったけどいいよな?」
ついでに目の前に転がる変な物体を棍棒で示した。
ところが反応は「よくやった」とばかりの微笑みと頷きで。
「ええ、業務的には完璧よ」
「やっぱ棍棒が必要な仕事だったんだな、疑って悪かった奥さん」
「それよりもこの変なものは何なのかしら? 魔法で作られたゴーレムみたいな見た目だけど」
「どしたん奥さん……ってなんやこれえ!? なんかでっかいの倒れとる!」
みんな妙な客を確かめることになった。うねるスライム娘もおまけで。
囲んだ先にあるのはどう見てもカタギでも人間でもない何かだ。
「……やっぱりゴーレムね、これ。魔力の線があるもの」
パン屋ってすごい、奥さんには一目見て正体が分かったらしい。
「そういう住民だったりしない? 見事にぶちのめしちゃったんだけど俺」
「開けたドアも閉めずに店の人に手を出すようなのは客でも隣人でもないわ」
「じゃあ殺ってよかったか」
「いや殴り殺したのかよ」
「ああ、脳天に一発ごつんと」
殴っちゃいけないフランメリア人じゃないらしい。じゃあよし。
ところがニクが胡散臭さを感じるようにすんすんしており。
「……ご主人。これ、外にいっぱいいるよ」
眉をひそめながらそう教えてくれた――は? いっぱい?
あまり信じたくない衝撃的な言葉にパン屋一同顔を見合わせれば。
「な、なんだこりゃあああああああッ! 変なゴーレムが暴れてるぞォォォッ!」
「またどっかの錬金術師が逃がしたのか!? みんな逃げろ、やばいぞっ!」
開きっぱなしの扉を通じていっぱいの悲鳴が聞こえてきた。
ついでにどかどか四足で走る変な人形もちらちら、なるほどやばいってことだ。
みんなの顔をあわせてパン屋の「これから」を考えようとすると。
『ワアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアオオオオオッ!』
ハイテンションな振る舞いと叫びの四足歩行なお客様がご入店だ!
困りますお客様! だがここに来たのが間違いだったな!
「パン屋を守るのも仕事だ! 行くぞお前ら!」
「……はあ!? いやちょっと待て正気かお前!?」
「ん、パン屋はぼくが守る」
だから誰よりも早く駆けた。
棍棒を振りかぶって変な客の白い顔面に質量をプレゼントした。
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