上 下
43 / 81
第四章 穢土の暗闇

第一回 江戸にて①

しおりを挟む
 赤。それは、眩いばかりの鮮血だった。
 裂いた喉元から、息が漏れる音が鳴る。清記は、思わず顔を顰めた。それは、何度聞いても嫌になる、魂魄こんぱくが抜けていく音だった。

「畜生」

 男は首を手で押え、燃えるような視線を清記に向けた。
 腹黒い男だった。謀略を好み、おおよそ汚いと思う手は何の迷いも無く打ってきた。裏切り。賄賂。脅迫。暗殺。悪逆の限りを尽くして築いた身代だった。
 そんな男でも赤い血を流すのだと、崩れ落ちる身体を眺めながら清記は思った。
 江戸の郊外、猿ヶ俣村さるがまたむらの外れにある小さな社である。傍には、手下であろう男達の骸が五つ転がっている。
 男は、稲荷の長吉という女衒ぜげんだった。東北の寒村を回っては娘を買い、方々へ売る。そんな商売で身を立て、その財力を背景に葛飾一帯で力を伸ばしていた男だった。
 夜。早い日暮れが訪れて間もない時分ある。気配を感じて振り向くと、主税介が涼しい顔で立っていた。

「終わったか」
「ええ、七人でしたが全員始末しましたよ」

 予想より二人多い。目算は外れたが主税介の敵ではなかったようだ。

「誰にも見られてはいないだろうな?」
「勿論です。相変わらず兄上は心配性だなぁ」

 そう言うと、主税介は懐から書き付けと矢立を取り出すと、その書き付けに何やら墨を入れた。

「これで二人目……」
「何をしている?」
「こいつの名前を消したんですよ」

 と、書き付けを清記の目の前で広げて見せた。
 確かに、長吉の名前に縦線が入れらている。その他には、松竹屋徳次郎まつたけや とくじろうという男の名も消されている。徳次郎は鉄砲洲の薬種問屋で、江戸についてすぐに斬っている。

「外で無暗に広げるな」

 そう言うと、主税介が肩を竦めた。
 御手先役としての役目だった。二か月前、主税介と梅岳に呼び出されて命じられたのだ。

「江戸へ行き、ここに名のある者を一人残らず斬れ」

 勿論、その理由はわからない。訊ける雰囲気でもなかったし、理由を訊かない事が御手先役としての作法だった。
 突然の江戸行き。正月も旅の途中で迎えた。
 憂鬱だった。名簿の中には、六人の名前があった。商人が二名。武士が二名。裏稼業の者が二名。この中には、見知った者も含まれていた。今までのお役目で知人を斬った事が無いわけではないが、この憂鬱を拭う事は、斬った後ですら出来ない。

(何をしたのだ、この者達は……)

 商人の名がある時点で、金銭にまつわるものであろう事は想像は出来る。しかし、見知った者の名がある事で、疑問符が付く。これが一つの目的の為の殺しなのか、別個の目的での殺しなのかすら、清記にはわからない。
 清記は憂鬱だったが、主税介は乗り気だった。初めて江戸へ行けるのが嬉しかったのだろうか。或いは手柄を挙げれる機会を、自分にも与えられたからか。どちらにせよ、清記は二度目となる江戸に心躍るものは無く、憂鬱な事には変わりはない。

(しかし、手の込んだ事をする)

 この役目の為に、清記と主税介は剣術での江戸遊学という名目を与えられ、実際に清記は中西派一刀流に主税介は雖井蛙流せいありゅうに通っている。
 兎も角、この役目を終えても夜須にすぐには戻れないとは覚悟していた。江戸では、御手先役が必要とされる機会は数多くある。一度江戸に行ったからには、大掃除をさせられると、父も言っていた。

「それでは、退散するとしよう」

 清記は、主税介を促した。
 骸は夜須藩と深い関係にある、非人頭が処理してくれる手筈になっている。それは、夜須でも江戸でも変わりはない。
 その夜は用意していた宿で一泊し、あくる日に百姓渡しで隅田川を越え清記と主税介は浅草へと入った。
 江戸は相変わらず人が多かった。物珍しいと思ったのは江戸に入ってからの三日間ぐらいのもので、十日も経つと煩わしさの方が先立ってしまう。
 清記にとって、江戸は二度目だった。一度目は十五の時。父から連れられての旅だった。

「何とも息苦しいですね」

 主税介が溜息交じりに言った。この様子では、主税介も江戸に飽いているのだろう。
 ちょうど、浅草広小路に入った辺りだった。江戸三大広小路の一つ。各種の店が軒を連ね、人通りも多い。その活況かっきょうは想像以上だ。

「こう人が多いとな」

 そう答えて、清記は頷いた。この息苦しさは、欲望や嫉妬、怨念めいた人の情が渦巻いているからだろう。十二万石の夜須でさえ、清記は息苦しさを覚えるほどだ。江戸なら尚更だった。

(江戸では始末屋が繁盛しているだろうな)

 初めての江戸で、四人を斬った。斬ったのは武士の他に、商人や博徒もいた。四人の暗殺が夜須藩にどう関わるものかわからない。が、魔都が放つ腐臭が人を狂わせるのだと、父に言われた。
 大番組屋敷と東本願寺の間を抜け、夜須藩邸中屋敷に戻った時には、陽は中天に登っていた。

◆◇◆◇◆◇◆◇

「見事な手並みだったようだな」

 そう言ったのは、江戸家老の菊原相模きくはら さがみだった。
 上屋敷の一間。昨夜の報告をしろと、清記は呼び出されたのだ。だが、菊原は文机に向かったまま書き物をしている。傍には火鉢。火が恋しい季節は、まだ終わりそうにはない。
 菊原は梅岳の盟友の一人で、片腕と呼ぶべき存在だった。今は江戸家老の地位にあって、梅岳の意に沿った藩邸運営をしている。頭には白いものが目立ち、うだつが上がらない貧相な小男だが、梅岳が信を置くのだから、それなりに有能なのだろう。

「報告は乙吉に聞いた。問題はないな?」
「ええ」

 今回の役目は、廉平ではなく梅岳が使っている乙吉が帯同していた。清記は気心が知れた廉平を連れて行きたかったが、乙吉は梅岳直々の命を受けていた。乙吉は江戸生まれで、土地勘があるというのも大きい。

「しかし、手下が予想以上に多く」
「それも聞いている。お陰で後片付けが大変だったとも」
「申し訳ございません」
「平山。私は責めているわけではない。降りかかる火の粉は払う他にないからな」

 そこまで言って菊原は顔を上げ、微笑を浮かべた。嫌味で人を小馬鹿にしたような笑み。この男を、清記はどうにも好きになれない。

「私は、流石は悌蔵殿のご子息だと褒めているのだよ」
「恐悦にございます。しかし、これもお役目ですし、私も愚弟も見習いの身。お役目をただ一心に果たすのみにございます」
「殊勝な考えだ。大変好ましい態度でもある。残りの始末も無事に果たせば、恩賞の沙汰もあろう」

 清記は、返事とばかりに軽く目を伏せた。
 恩賞の沙汰などない。あるはずもない。少なくとも、清記が父の代わりをするようになって一度も加増の話は無かった。それもそのはずで、御手先役が人を斬るという事は、百姓が田を耕す事、商人が算盤を弾く事と同じなのだ。それが当たり前の行為で、その度に加増していては、今頃平山家は万石取りの大名になっている。

(しかし、加増さえあれば楽が出来る)

 御手先役で掛かる一切の費用は、全てが自弁だった。探索の費用、屍の処理など全てだ。それを込んだ上での家禄ではあるが、役目が頻繁だと支出も高くなり、それを補填する意味で、藩に黙認された始末屋をしていた。人を斬る為に人を斬る。それが、清記にとって苦痛だった。

「そう言えば、平山……」
「はっ」
「奥寺大和の屋敷に出入りしているらしいな」

 清記は、顔を挙げた。どう返事するべきか一瞬だけ迷ったが、正直に答える事にした。この事は梅岳も承知している事なのだ。

「父の命で、剣術指南をしております」
「ほう、お父上の命令か」

 清記は頷いた。父は藩内では一目置かれた存在である。利永に信頼されており、あの梅岳も容易に手を出す事は出来ない。その父の名を出せば、菊原もおいそれと追及しないはずだ。

「その上、梅岳様のお屋敷にも稽古に上がっているとか」
「ええ」
「それは面白い。まるで、風見鶏じゃないか。あっちにふらふら、こっちにふらふら」

 そう言った菊原に清記は腹立ちを覚えたが、敢えて無視をした。自分でも、風見鶏だという自覚はある。だからこそ腹が立つ。そうせざる得ない状況にも、それしか出来ない自分にも。

「私は命じられるままですので」
「なるほど。しかし、そうしたお前の考えはどうかと思うがね」
「……」
「お前は、こうして立派にお役目を果たしているのだ。もう少し、自らの意見というものを、お父上に申し上げるべきだろう」

 それが出来たら、どれだけ気が楽になる事か。

「私は江戸にいて国元の事はよくは知らん。だが、奥寺は何やら人を集め、藩政を我が物にしよう蠢動していると聞いている。斯様な者と交際を持つと、お前の今後に差し障りが出よう」

 と、菊原は煙草盆を手元に引き寄せた。煙草を吸いそうな男に見えなかったので、少し意外だった。
 すぐに煙草の煙が香った。それを良いものだと、清記は思わない。しかし、そこらの煙草とは質が違うという事だけは、何となく感じた。

「悌蔵殿は、お殿様にとって大切なお方。しかし、もう高齢だ。その名を利用しようと虫が近付いて来ぬように、目を光らせておくのも、息子たるお前の役目だろう」

 結局は、奥寺派への牽制だった。それから、暫く菊原の話を聞かされた。おおよそ、梅岳にそうするように指示を受けたのだろう。梅岳にも、江戸では菊原に指示を仰ぐよう命じられている。
 部屋を出ると、主税介が待っていた。報告には二人で向かったのだが、主税介の同席は認められなかったのだ。それについて、主税介は何の感情も示さずに従っていた。

「何か言われました?」
「特に何もなかったな。ただ恩賞があるとは言われたが」
「へぇ、恩賞ですか。当然の言えば当然でしょうが、眉唾ですねぇ」
「おい、滅多な事を言うな」

 清記は慌てて周囲を見渡した。それを見て、主税介が薄ら笑みを浮かべた。

「大丈夫ですよ。人の気配はありませんし」

 藩邸の母屋を出て、与えられた長屋へ戻る道筋だった。この時分は人が出払っていて、藩士が居住する長屋はがらんとしていた。

「でも、嫌ですね。こんな事に、我らの剣を使うのは」
「ほう」

 清記は、驚いて主税介を見返した。

「何を驚いているんですか。そりゃ嫌ですよ。いつまでも、何とも知れぬ尻拭いに使われるのは」
「正直、お前がそう考えているとは思わなかった」
「初めて打ち明けましたからね。私は真剣での立ち合いは面白いとは思いますが、今の使われように忸怩たる想いも抱いています。平山家の現状を変えたいとも常々考えています」
「俺もそう思う」

 清記が呟くように告げると、主税介は鼻を鳴らして立ち上がった。

「そうは見えませんがね。兄上は父上の傀儡だ」
「おい、お前」
「私が御手先役を望むのも、その為です。力を持ち、平山家を変える。変えさせるのです。苦渋を舐めさせられた先祖の為に。これからの子孫の為にね。それを阻止しようと言うのなら、兄上は敵ですよ」

 そう言って、主税介は自分の部屋に帰っていった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

天暗の星~念真流寂滅抄~

筑前助広
歴史・時代
「人を斬らねば、私は生きられぬのか……」  江戸の泰平も豊熟の極みに達し、腐敗臭を放ちだした頃。  夜須藩御手先役見習い・平山清記は、自らの役目に疑問を覚えながらも、主君を守る太刀として藩法を破る無頼漢を斬る日々を過ごしていた。  そんなある日、清記は父の悌蔵に命じられ、中老・奥寺大和の剣術指南役になる。そこで出会った、運命の女。そして、友。青春の暁光を迎えようとしていた清記に、天暗の宿星が微笑む――。  寂滅の秘剣・落鳳。幾代を重ね、生き血を啜って生まれし、一族の魔剣よ。願いを訊き給へ。能うならば、我が業罪が一殺多生にならん事を。  アルファポリス第一回歴史時代小説大賞特別賞「狼の裔」に続く、もう一つの念真流物語! ※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係ありません。 ※この物語は、「巷説江戸演義」と題した筑前筑後オリジナル作品企画の作品群です。舞台は江戸時代ですが、オリジナル解釈の江戸時代ですので、史実とは違う部分も多数ございますので、どうぞご注意ください。また、作中には実際の地名が登場しますが、実在のものとは違いますので、併せてご注意ください。

立見家武芸帖

克全
歴史・時代
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 南町奉行所同心家に生まれた、庶子の人情物語

三国志 群像譚 ~瞳の奥の天地~ 家族愛の三国志大河

墨笑
歴史・時代
『家族愛と人の心』『個性と社会性』をテーマにした三国志の大河小説です。 三国志を知らない方も楽しんでいただけるよう意識して書きました。 全体の文量はかなり多いのですが、半分以上は様々な人物を中心にした短編・中編の集まりです。 本編がちょっと長いので、お試しで読まれる方は後ろの方の短編・中編から読んでいただいても良いと思います。 おすすめは『小覇王の暗殺者(ep.216)』『呂布の娘の嫁入り噺(ep.239)』『段煨(ep.285)』あたりです。 本編では蜀において諸葛亮孔明に次ぐ官職を務めた許靖という人物を取り上げています。 戦乱に翻弄され、中国各地を放浪する波乱万丈の人生を送りました。 歴史ものとはいえ軽めに書いていますので、歴史が苦手、三国志を知らないという方でもぜひお気軽にお読みください。 ※人名が分かりづらくなるのを避けるため、アザナは一切使わないことにしました。ご了承ください。 ※切りのいい時には完結設定になっていますが、三国志小説の執筆は私のライフワークです。生きている限り話を追加し続けていくつもりですので、ブックマークしておいていただけると幸いです。

祓魔師 短編集

のーまじん
歴史・時代
3章 秀吉の短編です。 レクスを考えてる時に作りました。 4章 近代の物語です。推理小説ではないので、結末は意外なものです。 すいません

アドリアンシリーズ

ひまえび
歴史・時代
歴史ファンタジーです。1350年ジョチ・ウルスの遊牧民としてアドリアンは誕生します。成長したアドリアンはティムール帝国を滅ぼし、ジョチ・ウルスを統一します。

処理中です...