【受賞作】狼の贄~念真流寂滅抄~

筑前助広

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第一章 闇の誓約

最終回 闇の誓約①

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 蜩が鳴いていた。
 もうすぐ日が暮れるのだろう。開け放たれた戸から吹き込む風も、夜気を微かに帯びている。
 口原郡夜臼村。その外れにある、廃寺である。かつて本堂だった場所で、清記は座禅を組み瞑目していた。
 この廃寺に入って四日。清記は、刺客の襲来を待っていた。
 山間にある小さな村の外れ、周りは手つかずの芒の野が広がっている。ここならば、誰にも邪魔されずに明義屋忠吉と雌雄を決する事が出来る。そのつもりで、蜘蛛の巣が張った、あばら屋同然の廃寺を借り受けたのだ。
 今のところは、目論見通りに進んでいる。忠吉の手先と思われる密偵が現れ、浪人風の男も遠目だが確認する事が出来た。もし忠吉がここにいると探りきれなかったら? という懸念はあったが、それは杞憂に終わった。
 また、忠吉の手下への対応は、事前に打ち合わせた通りに百姓に化けた廉平がこなしてくれた。清記は素知らぬ振りを貫き、ただ剣を構えているだけでよかった。
 この四日、清記にとっては自らの剣と向き合う、よい機会になったと思っている。抜き身の扶桑正宗を構え、脳裏に描いた敵と向き合うのだ。
 その相手は、次々に変化する。杉崎、鳩羽色の着流し男、主税介、父、そして東馬。思考の対峙は数刻に及び、時として敗れる事もあった。
 廉平を使って、清記は敵に剣の修行に見せかけたのだが、気が付けば本当の修行になっていた。そして、その総仕上げが今晩になるはずだ。

「清記様」

 背後から声がした。振り向くと、つぎはぎだらけの野良着を纏った廉平が控えていた。今回も流石の変装で、どこからどう見ても百姓である。

「予定通り来やしたぜ」
「お前のお陰だな」
「へへ。このぐれぇは朝飯前でさ」
「それで、数は?」
「十三。全員を相手にするにゃ、ちと骨ですぜ」
「そうか」

 清記は立ち上がると、袖を下げ緒を襷掛けにして絞ると、手早く股立を取った。

「あっしも加勢いたしやす」
「無用」

 そして、鉢巻を頭に巻いた。十三名。相手としては多い。しかし、全員を斬る必要は無い。半数の七名を斬るか、親玉を討てば相手は往々にして退く。しかし、そうでない場合もある。相手に忠義があれば、だ。

「ちょっと、清記様。相手は十三と言ったじゃございやせんか。清記様がおっ死んだら、あっしは生きてはおれやせん」

 清記は、背後に佇む廉平を一瞥した。ニヤリと笑む。廉平は変装と間諜が得意なのだが、武器を使わせても中々のものだ。

「無理はするな。相手を攪乱する程度でいい」
「そうこなくっちゃ」

 清記は、扶桑正宗を腰に佩くと本堂の縁から外に出た。
 山門も朽ち、土塀も無いに等しく、全てを芒が覆い隠している。これでは、ここが境内なのかどうかさえ、判別がつかない。
 その景色が、紫色に染まっている。妙な夕焼けだった。何かの前兆か。清記は、禍々しいその色に、不吉なものを感じ取った。
 暮れゆく陽の光と濃さを増す闇の狭間に、ぬぅと浮かび上がる人影があった。
 その数は、やはり十三。
 背中を冷たいものが、這い上がる。間違いない。馴染みある感覚。殺気だ。
 清記は、無言で扶桑正宗を抜き払った。今になって、相手が訪ないを入れるのを待つ必要もない。
 相手は、顔も隠していない。正々堂々と殺すつもりなのだろう。誰も彼も、浪人の風体である。
 十三人が、まるで鶴翼のように清記を半包囲した。そして、一斉に抜く。清記は、本堂を背にしたまま動かなかった。気を付けるべきは、背後を取られない事。一向二裏の状況だけは避けたい。

「掛かれ」

 低く、短い声。それが合図だった。一人が突出して来た。清記は正面に構えた正眼の切っ先を向け、斬撃を弾き上げて斬り下ろした。
 次は背後からだった。身を翻して躱して扶桑正宗を奮うと、宙に首が舞った。
 血飛沫が、噴き上がる。清記は、それを避けるように跳び退くと、素早く正眼に戻いた。足元には、二つの屍。出だしとしては上々だ。

「野郎」

 二人が同時に斬りかかる。一人を擦れ違いざまに胴を薙ぐと、もう一人が振り下ろすよりも早く、その喉首に扶桑正宗を突き刺した。今度は返り血を避ける事が出来ず、清記は頭から浴びた。
 浪人の顔に戦慄が走る。よし、と清記は内心で頷いた。あと二人ほど斬れば、敵は命欲しさに潰走するに違いない。

「一同、待たれよ」

 そう言って、中年の浪人がおもむろに前に出た。筋骨逞しい体躯に似合わぬ丸顔には、隠しきれない人の善さが滲み出ている。

「内又田寅次郎という。義理あって、指図役を務めておる」

 清記は、舌打ちをした。この内又田は、手下が恐慌に陥る寸前で、手を打ったのだ。指図役を務めているだけはあるのかもしれないが、実に惜しい。

「綺麗な構えだ。剣を習い始めた童のように、癖というものがない」
「……」
「だが、それが本来の剣とは思えぬ。その剣、誰かの真似か?」

 図星だった。四年前の脳裏に焼き付いた、東馬の動きを意識していたのだ。何処かで試したいとも思っていたが、お役目で試すわけにもいかず、機会に恵まれなかったのだ。この闘争は言わば私事。ならばと、試そうと咄嗟に思い付いたのだった。

「それとも、それが建花寺流なのか?」
「どうかな。その身で試してみるといい」

 内又田の、人の善さそうな顔の奥の目に、強い光が帯びた。

「各々、手出しは無用ぞ」

 内又田がそう言うと、構えを正眼に取った。
 相正眼。三歩の距離での対峙になった。

(かなり出来る)

 清記は伝わる剣気のみで、内又田の力量を咄嗟に悟った。浪人の指図役になるだけはある。
 内又田の正眼は、その顔に似合わず威圧的だった。逞しい体躯の影響もあるだろう。向かい合うだけで、気圧けおされる心地になる。
 これでは、長期戦は不利だ。対峙が長くなればなるほど、こちらが圧される。ならば、動くしかない。しかし、相手がどんな剣を使うわからない内は、軽々に動くと痛い目に遭う。ならばどうするのか?

(動かすのみ)

 そう判断した清記は、正眼に構えた切っ先を、少し沈めた。それに呼応して、内又田が正眼に構えた刀を振り上げ、上段に移した。
 内又田も、動く切っ掛けを探っているのかもしれない。勝負は、潮合いをどう読むかになっていた。どこで互いの剣気がぶつかり、爆ぜるのか。その時に、適切な動きをした方が勝つ。
 風が鳴った。芒を凪いでいく。見守る浪人達は固唾を飲んでいるだろう。
 清記は、構えを下段に変化した。すると、内又田の上段も八相に変わる。どうだ、と言わんばかりだ。打ち込んで来い。清記は内心で呟いた。
 内又田の柄頭が、僅かに沈んだ。

(来る)

 そう思った時には、下段の切っ先が大きく沈み、清記は動いていた。
 しかし、内又田は動いていなかった。罠を張ったが、掛かったのは自分だったのか。
 内又田が清記の動きを見極めた風に、動き出した。内又田の裂帛の気勢が轟き、二つの身体が交錯した。
 宙に舞ったのは、刀とそれを握ったままの、内又田の両手首だった。清記の頭蓋を狙った内又田に対し、最初から両手を狙った清記の剣の方が、幾分か早かったのだ。

「何故だ」

 そう聞こえた気がしたが、清記は無視して内又田の正中線を斬り下ろした。
 内又田が崩れ落ちる。それを確認もせず、清記は残った八人に目をくれた。
 退くなら退け。追いはしない。と、口を開こうとした清記は、何かに身体を組みつかれた。

「今だ」

 内又田の声。馬鹿な。そう思ったが、内又田が、手首の無い両腕で清記を後ろから羽交い絞めにしていた。

「俺ごと刺せ」

 その声に、浪人が一斉に殺到してきた。清記は足掻くが、丸太のような太い腕に締め付けられて振り払えない。
 内又田から、完全に目を離した。それが災いしたのだ。糞。自らの軽率さで、死ぬ羽目になるのか。
 その時、煙幕が清記の目の前に投げ込まれた。白い煙。その中で悲鳴が挙がった。

(あいつか)

 廉平が、白煙の中で急襲を仕掛けたのだろう。ならば俺も、行かねばなるまい。
 清記は内又田の襟を掴むと、やっとの事で投げ飛ばした。内又田の息は、既に無かった。
 白煙の中に飛び込む。浪人達はむやみやたらに刀を振り回し、その隙を突いた。煙の中、廉平が小太刀を片手に駆け回っている。一度だけ、目配せをした。それだけで通じるものがあるのだ。清記は、廉平に幻惑された浪人を確実に仕留めていく。もうこれは立ち合いではないと思った。鏖殺だ。望んだ結果では無かったが、扶桑正宗を奮う手を、清記は止めなかった。

(結局は、私が望んだ事なのだ)

 煙幕が晴れた時、そこには八つの骸が転がっていた。
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