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第一章 闇の誓約
第一回 宵の闇②
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店を出ると、陽が傾いていた。通行人の姿も無く、宿場内の店という店は、片付けに追われていた。
傍に、襤褸を纏った乞食が寄ってきた。糞尿と汗が混じったような、すえた悪臭を放っている。
清記は一瞥すると、黙って町屋の陰に入った。乞食も周囲をさり気なく伺って、その後を追う。
「廉平でございやす」
乞食は、清記の足元に膝を着いて言った。
「流石の変装だな。私はすぐに見破られてしまった」
「まぁ、これが飯の種ですからねぇ。変装ってもんは、恰好だけすりゃいいってもんじゃありませんぜ」
廉平は、そう言うと低く抑えた声で笑った。
「だが、小竹宿に入る事は出来たので、良しとするか」
清記が浪人の風体をしているのも、小竹宿に入る為だった。普段のような恰好なら、怪しまれ杉崎の耳に入ってしまう。
宿場の住人は杉崎を恐れるばかりに、迎合する者までいるのだ。しかし、人の気持ちを考えれば、そうなるのも無理からぬ事だとは思う。
「奴ら、圓通寺におりやす」
「手下共もか?」
「ええ。酒をかっ喰らって博打の真っ最中でさ」
廉平は夜須藩の隠密衆〔目尾組〕の忍びで、主に情報収集などで御手先役を助ける役目を主にしている。歳は二十六と同じ歳で、一緒に仕事をするのは今年で六年目だった。
「やはり杉崎は、中々の手練れなようで。まぁ、旦那なら心配は無用だと思いますが」
「野村重太郎が斬られたほどだ。気は抜けん」
「野村は竹刀だけの男ですよ。旦那とは違いやす」
「手厳しい評価だな」
「へへ」
「あと、杉崎を殺ったら、その足で宿場を出てくだせぇ。あの浪人共、意外と人望もありましてね。何をされるかわかりませんぜ」
「杉崎の手下は全員斬る。そういう命令だ」
「浪人じゃねぇ奴もいますぜ。町の破落戸も手下気取りでさ」
「抵抗するのなら、指の先をいくつか斬り落とす。それぐらいでいいだろう」
杉崎一党は傍若無人ではあるが、その一方で宿場を外敵から守ってもいるのだ。無法の下で、ある種の秩序が保たれているのである。だからとて、それを藩として見過ごすわけにはいかない。
廉平とはそこで別れ、清記は宿場の外れにある圓通寺まで歩いた。遠くで、蜩が鳴いている。この時分になれば、四方を山に囲まれた夜須盆地特有の暑さも幾分か和らぐ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
圓通寺の山門が見えてきた。
禅宗の寺院であるが、住持が杉崎一党に殺されて以降は、朽ち果てて廃寺同然となっている。
「圓通寺の賊を、一人残らず殺せ」
そう、父に命じられた。真夏の午後の事である。父は縁側にいて、団扇を動かしながらそう言ったのだ。
「生きていては、領民が苦しむ」
その声を耳に蘇らせ、清記は一つ頷いた。
(斯様な者共を野放しにしておいては、御家の為にならぬ)
勿論、御家が守るべき領民の為にも。こうした役目は、暗殺と違ってやりやすい。
領民を守る。それが武士の義務なのだ。武士は米を作らない。領民の年貢で、暮している。つまり、食べさせてもらっているのだ。その見返りとして、武士は領民の為に命を賭す。腰に佩いた大小こそ、義務の証ではないか。
清記は常々、武士のあるべき姿としてそう考えている。故に今回のお役目は、珍しく乗り気だった。
山門を潜り、境内に入った。枯山水だったであろう庭が、荒れに荒れていた。さらに、至る所に獣と思わしき骨が落ちていた。生臭を禁じる聖域で、鳥獣の類を口にしているのだろう。犬のものもある。最近食べたのか、頭部と剥いだ皮が無造作に転がっている。
不意に、庫裡の戸が開いた。赤ら顔の若い浪人が出てきた。清記は、佩刀・扶桑正宗に手を伸ばし、駆け出していた。
「何者」
最後まで言わせなかった。首筋から斬り下ろす。手応えだけで、致命傷を負わせたとわかった。一人目、と清記は心中で呟いた。
脇を通り過ぎ、庫裡に入った。浪人の男がいた。土間に置かれた甕の水を、柄杓で飲んでいる所だった。
「なんだ、てめ」
慌てて向きを変える浪人を、清記は下から斬り上げた。二つになった柄杓と腕が宙を舞う。更に、返す刀で袈裟斬りにした。
二人目。あとは四人。この調子は、想定していたよりずっといい。
土足のまま上がり、戸を蹴破った。三つの顔がこちらを向いた。褌だけの半裸姿だ。よく見ると、女もいた。婀娜っぽい、女郎風の女。四人は、噎せ返るような部屋で、博打に興じている。
「貴様」
三人が刀を引き寄せる。それとほぼ同時に、清記は飛び込んでいた。横になっていた浪人の喉仏に、刀を突き立てる。右足で胸を押さえで抜くと、血が吹きだした。
傍の男。刀を抜く所だった。刀を横薙ぎに一閃させた。首が落ちたのは、起ち上ってからだった。
最後の一人は、既に抜いていた。女の首を掴むと、咄嗟に盾にした。
「動くな。動くと、この女が死ぬぞ」
「私は一向に構わん」
女が、悲鳴にも似た罵声を口にした。ろくでなし、とも言っている。
「構わんだと? こいつがどうなっても知らんというのか?」
「生憎、女を助けろとは言われていないのでね」
「鬼か、貴様は」
「いっその事、鬼であったのならとは思う」
「糞が」
その時、浪人が女を突き飛ばした。予想通りだ。清記は、女の身体を受け止める。その奥。上段に構える姿が見えた。清記は、女を抱えながらその一撃を右手一本で弾くと、その剣勢をいなして、浪人の体勢が崩れた一瞬を突いて、頭蓋を片手で両断した。
「片手で頭蓋を断つとは、何たる膂力」
奥の部屋から、嘲笑混じりの声がした。振り向くと、長身の土色の顔がそこにあった。着流し姿の、浪人。歳は四十手前という所であろう。この男が、杉崎孫兵衛だろうか。
「力ではない」
清記は女を離すと、行けと目で合図をした。浪人の仲間に女がいるとは聞いていない。おそらく、無理矢理に連れて来られたのであろう。
「気かな」
清記は頷いた。呼吸とも言っていい。要は力の使い方だった。
「面白い。こうも容易く人を殺せる者は、そうそういるものではない」
「杉崎孫兵衛とお見受けする」
「ああ、そうだ」
清記は、殺気を放った。それを察した杉崎の顔から、薄ら笑みが消えた。
「理由は?」
「自分の胸に訊けばわかろう」
すると、杉崎は低く笑いながら首を横にした。
「心当たりが多過ぎて、そうするに及ばんなぁ。……ではお望み通り、相手をしようじゃないか。表でいいだろう?」
清記は頷き、杉崎に促され境内に出た。足場は砂利。枯山水の名物であるが、荒らされていて砂紋はない。
杉崎が正対に立つと、ゆっくり抜刀した。刀は長く、厚みがある。それを、正眼に構えた。清記は下段である。
(出来るな)
直感的に、この男の危うさを清記は感じ取った。賊として、悪名を高めているだけはある。
杉崎との距離は、三歩半。潮合いを待った。手練れである事は、伝わる殺気でわかる。他の五人とは段違いだ。
杉崎が、気勢を挙げた。前に出る。その気配を見せた時、清記の方から踏み出していた。
眼前に刃。この三歩半の距離の間で、待ち伏せをしていたのだ。
踏み出しながらも、清記は鼻先で見切り、躱した。更に追撃が来た。これも躱し、清記は苦し紛れに突きを放ったが、虚しく空を切った。
立ち位置が、入れ替わっていた。杉崎は笑みを浮かべている。清記は、頬に伝う汗を感じた。
「やるな」
「おぬしこそ」
「念真流だろうか?」
杉崎が言った。
「知っているのか」
「俺の父が、念真流と縁があった。傍で見て、心から震えたのを覚えている。今は故あって浪々の身だが、我が家は代々伊達公の傍近く仕えていた」
「なるほど」
清記には知らない話である。父か、今は亡き祖父の代の話であろう。御手先役が働く場は、何も藩内とは限らない。夜須藩に仇を為すのならば、他藩とも争う事がある。
「今一度、この目で見せてもらう。俺が恐怖した念真流を」
再びの対峙になった。清記は正眼、杉崎は上段に構えを変えている。
潮合いは、既に満ちていた。あとは、切っ掛けである。
宵の闇。夜気を含んだ、風が吹く。杉崎の眼。諦めの色が浮かんでいた。何を諦めているのか。勝負をか? 人らしく生きる事をか? 俺も、いずれはこうなるというのか? そう思った瞬間には、清記は跳躍していた。
落鳳。
鳳凰が、地に落ちる姿に例えられた、念真流の秘奥。扶桑正宗を、渾身の力で振り下ろす。着地した時には、杉崎の肩口から腰に掛けて血が迸り、そして斃れた。
〔第一回 了〕
傍に、襤褸を纏った乞食が寄ってきた。糞尿と汗が混じったような、すえた悪臭を放っている。
清記は一瞥すると、黙って町屋の陰に入った。乞食も周囲をさり気なく伺って、その後を追う。
「廉平でございやす」
乞食は、清記の足元に膝を着いて言った。
「流石の変装だな。私はすぐに見破られてしまった」
「まぁ、これが飯の種ですからねぇ。変装ってもんは、恰好だけすりゃいいってもんじゃありませんぜ」
廉平は、そう言うと低く抑えた声で笑った。
「だが、小竹宿に入る事は出来たので、良しとするか」
清記が浪人の風体をしているのも、小竹宿に入る為だった。普段のような恰好なら、怪しまれ杉崎の耳に入ってしまう。
宿場の住人は杉崎を恐れるばかりに、迎合する者までいるのだ。しかし、人の気持ちを考えれば、そうなるのも無理からぬ事だとは思う。
「奴ら、圓通寺におりやす」
「手下共もか?」
「ええ。酒をかっ喰らって博打の真っ最中でさ」
廉平は夜須藩の隠密衆〔目尾組〕の忍びで、主に情報収集などで御手先役を助ける役目を主にしている。歳は二十六と同じ歳で、一緒に仕事をするのは今年で六年目だった。
「やはり杉崎は、中々の手練れなようで。まぁ、旦那なら心配は無用だと思いますが」
「野村重太郎が斬られたほどだ。気は抜けん」
「野村は竹刀だけの男ですよ。旦那とは違いやす」
「手厳しい評価だな」
「へへ」
「あと、杉崎を殺ったら、その足で宿場を出てくだせぇ。あの浪人共、意外と人望もありましてね。何をされるかわかりませんぜ」
「杉崎の手下は全員斬る。そういう命令だ」
「浪人じゃねぇ奴もいますぜ。町の破落戸も手下気取りでさ」
「抵抗するのなら、指の先をいくつか斬り落とす。それぐらいでいいだろう」
杉崎一党は傍若無人ではあるが、その一方で宿場を外敵から守ってもいるのだ。無法の下で、ある種の秩序が保たれているのである。だからとて、それを藩として見過ごすわけにはいかない。
廉平とはそこで別れ、清記は宿場の外れにある圓通寺まで歩いた。遠くで、蜩が鳴いている。この時分になれば、四方を山に囲まれた夜須盆地特有の暑さも幾分か和らぐ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
圓通寺の山門が見えてきた。
禅宗の寺院であるが、住持が杉崎一党に殺されて以降は、朽ち果てて廃寺同然となっている。
「圓通寺の賊を、一人残らず殺せ」
そう、父に命じられた。真夏の午後の事である。父は縁側にいて、団扇を動かしながらそう言ったのだ。
「生きていては、領民が苦しむ」
その声を耳に蘇らせ、清記は一つ頷いた。
(斯様な者共を野放しにしておいては、御家の為にならぬ)
勿論、御家が守るべき領民の為にも。こうした役目は、暗殺と違ってやりやすい。
領民を守る。それが武士の義務なのだ。武士は米を作らない。領民の年貢で、暮している。つまり、食べさせてもらっているのだ。その見返りとして、武士は領民の為に命を賭す。腰に佩いた大小こそ、義務の証ではないか。
清記は常々、武士のあるべき姿としてそう考えている。故に今回のお役目は、珍しく乗り気だった。
山門を潜り、境内に入った。枯山水だったであろう庭が、荒れに荒れていた。さらに、至る所に獣と思わしき骨が落ちていた。生臭を禁じる聖域で、鳥獣の類を口にしているのだろう。犬のものもある。最近食べたのか、頭部と剥いだ皮が無造作に転がっている。
不意に、庫裡の戸が開いた。赤ら顔の若い浪人が出てきた。清記は、佩刀・扶桑正宗に手を伸ばし、駆け出していた。
「何者」
最後まで言わせなかった。首筋から斬り下ろす。手応えだけで、致命傷を負わせたとわかった。一人目、と清記は心中で呟いた。
脇を通り過ぎ、庫裡に入った。浪人の男がいた。土間に置かれた甕の水を、柄杓で飲んでいる所だった。
「なんだ、てめ」
慌てて向きを変える浪人を、清記は下から斬り上げた。二つになった柄杓と腕が宙を舞う。更に、返す刀で袈裟斬りにした。
二人目。あとは四人。この調子は、想定していたよりずっといい。
土足のまま上がり、戸を蹴破った。三つの顔がこちらを向いた。褌だけの半裸姿だ。よく見ると、女もいた。婀娜っぽい、女郎風の女。四人は、噎せ返るような部屋で、博打に興じている。
「貴様」
三人が刀を引き寄せる。それとほぼ同時に、清記は飛び込んでいた。横になっていた浪人の喉仏に、刀を突き立てる。右足で胸を押さえで抜くと、血が吹きだした。
傍の男。刀を抜く所だった。刀を横薙ぎに一閃させた。首が落ちたのは、起ち上ってからだった。
最後の一人は、既に抜いていた。女の首を掴むと、咄嗟に盾にした。
「動くな。動くと、この女が死ぬぞ」
「私は一向に構わん」
女が、悲鳴にも似た罵声を口にした。ろくでなし、とも言っている。
「構わんだと? こいつがどうなっても知らんというのか?」
「生憎、女を助けろとは言われていないのでね」
「鬼か、貴様は」
「いっその事、鬼であったのならとは思う」
「糞が」
その時、浪人が女を突き飛ばした。予想通りだ。清記は、女の身体を受け止める。その奥。上段に構える姿が見えた。清記は、女を抱えながらその一撃を右手一本で弾くと、その剣勢をいなして、浪人の体勢が崩れた一瞬を突いて、頭蓋を片手で両断した。
「片手で頭蓋を断つとは、何たる膂力」
奥の部屋から、嘲笑混じりの声がした。振り向くと、長身の土色の顔がそこにあった。着流し姿の、浪人。歳は四十手前という所であろう。この男が、杉崎孫兵衛だろうか。
「力ではない」
清記は女を離すと、行けと目で合図をした。浪人の仲間に女がいるとは聞いていない。おそらく、無理矢理に連れて来られたのであろう。
「気かな」
清記は頷いた。呼吸とも言っていい。要は力の使い方だった。
「面白い。こうも容易く人を殺せる者は、そうそういるものではない」
「杉崎孫兵衛とお見受けする」
「ああ、そうだ」
清記は、殺気を放った。それを察した杉崎の顔から、薄ら笑みが消えた。
「理由は?」
「自分の胸に訊けばわかろう」
すると、杉崎は低く笑いながら首を横にした。
「心当たりが多過ぎて、そうするに及ばんなぁ。……ではお望み通り、相手をしようじゃないか。表でいいだろう?」
清記は頷き、杉崎に促され境内に出た。足場は砂利。枯山水の名物であるが、荒らされていて砂紋はない。
杉崎が正対に立つと、ゆっくり抜刀した。刀は長く、厚みがある。それを、正眼に構えた。清記は下段である。
(出来るな)
直感的に、この男の危うさを清記は感じ取った。賊として、悪名を高めているだけはある。
杉崎との距離は、三歩半。潮合いを待った。手練れである事は、伝わる殺気でわかる。他の五人とは段違いだ。
杉崎が、気勢を挙げた。前に出る。その気配を見せた時、清記の方から踏み出していた。
眼前に刃。この三歩半の距離の間で、待ち伏せをしていたのだ。
踏み出しながらも、清記は鼻先で見切り、躱した。更に追撃が来た。これも躱し、清記は苦し紛れに突きを放ったが、虚しく空を切った。
立ち位置が、入れ替わっていた。杉崎は笑みを浮かべている。清記は、頬に伝う汗を感じた。
「やるな」
「おぬしこそ」
「念真流だろうか?」
杉崎が言った。
「知っているのか」
「俺の父が、念真流と縁があった。傍で見て、心から震えたのを覚えている。今は故あって浪々の身だが、我が家は代々伊達公の傍近く仕えていた」
「なるほど」
清記には知らない話である。父か、今は亡き祖父の代の話であろう。御手先役が働く場は、何も藩内とは限らない。夜須藩に仇を為すのならば、他藩とも争う事がある。
「今一度、この目で見せてもらう。俺が恐怖した念真流を」
再びの対峙になった。清記は正眼、杉崎は上段に構えを変えている。
潮合いは、既に満ちていた。あとは、切っ掛けである。
宵の闇。夜気を含んだ、風が吹く。杉崎の眼。諦めの色が浮かんでいた。何を諦めているのか。勝負をか? 人らしく生きる事をか? 俺も、いずれはこうなるというのか? そう思った瞬間には、清記は跳躍していた。
落鳳。
鳳凰が、地に落ちる姿に例えられた、念真流の秘奥。扶桑正宗を、渾身の力で振り下ろす。着地した時には、杉崎の肩口から腰に掛けて血が迸り、そして斃れた。
〔第一回 了〕
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