筑前式プロットの作り方に必要な比較

筑前助広

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本編

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このプロットから書いた文章が👇

(一)

 じっとりとした不快な汗を、全身に感じていた。
(また、夢のせいだ)
 丹弥は溜息を吐くと、ゆっくりと床から身を起した。雨戸の隙間からは、かなり強い光が漏れている。もう昼頃にはなるのだろう。
 昨夜は帰宅が遅かった。一つ大きな依頼を請け負っている最中で、その下調べが深夜にまで及んだのだ。それを無事に終わらせ、したたかに酒を飲んで戻ったのが深夜になっていたはずだ。
 深酒が祟ったのだろうか。いつも以上に魘された気がして、身体にも倦怠感が残っている。
(まぁ、いつもの事だが……)
 と、丹弥は両手で顔を覆い、二度上下させた。
 嫌な夢を見る。それは三日に一度であったり、一か月に一度であったりと、頻度はまちまちだ。ただ夢に現れるのは、決まって四年前のあの日を切り取った光景だった。
 しかし、内容は微妙に違っていたりする。そこにいないはずの人間がいたり、見覚えのない場所にいたり、或いは手下の代わりに自分が死んだり。
 悪夢に自体には、大した意味を感じていない。所詮は夢なのだ。どんな悪夢でも、この俺を殺す事は出来ない。しかしあの日の出来事に、今も囚われているという事だけはわかる。そして、忘れないように教えてくれるのだ。自分の命は、手下の命と引き換えて与えられたものだと。
 昨晩の夢は、珍しく三郎次が出てきた。奴が裏切る前、取り留めのない話をしていた場面だった。
 四年前、丹弥は三郎次に手痛い裏切りを受けた。それにより兄弟とも思えた手下と小頭の身分、そして愛した家族も失い、結果として裏廻を離れる原因にもなった。
 丹弥は、復讐の為に裏廻を抜けた。誰かに飼われた走狗いぬのままでは、自由に追えなかったからだ。しかし丹弥が福岡に移り住んだ二年前に、抜け荷一党は裏廻とは違う別の組織に一網打尽にされてしまった。そして、三郎次もそこで死んだという事にされている。
 ただ本当の事はわからない。骸がみつかったわけでもなく、首が晒されたわけでもない。ただお調べの報告書で、死亡者の中に三郎次の名前があったのだ。
 三郎次の死を、どうしても信じきれない。いや、信じたくないのかもしれない。だから、今も奴を追っている。それは殺す為でもあり、どうして裏切ったのか? と、問い質す為でもある。だから丹弥は今も福岡を離れず、そしてあの夜の現場となった六本松の百姓家を借り、たった一人で暮らしていた。羞恥を伴う屈辱感と復讐心を忘れない為に。
「さてと」
 丹弥は汗で濡れた浴衣を脱ぎ捨て、下帯姿になった。汗まみれの身体を晒しながら台所へ向かい、目覚めの徳利酒を一杯だけ呷った。
 そこまで旨くはない酒。それでも、酒は天の美禄である。どんな酒であろうと、目覚めの一杯は格別だった。
 酒の量が、年々増えている。酔いの中に逃げているのかもしれないとは思うが、こうでもしないと、他に自分と浮世とを繋ぎとめておくものが無いのだ。
 復讐心はあった。ただ、復讐すべき相手がいなくなってしまった。その上、愛すべき家族も、忠誠を誓った組織も消え失せた。
 どうしようもない孤独と、取り返しのつかない事をしてしまった羞恥に、思わず叫び声を挙げそうになる。その発作を沈める為にも、丹弥には酒が必要だった。
(過去の事はどうしようもない)
 そう割り切れれば、どんなに楽な事か。なぜ、あの時……と思えてならないのだが、どう振り返ってみ詮無い事だ。失ったものは戻りはしない。特に家族の事は、思い出さないようにしている。
 それから丹弥は、家の裏に流れる小川で顔を洗うと、四半刻ほど木剣を振った。どんな自堕落な生活をしていても、身体を鍛える事だけは怠らない。木剣を振り、苦無を打ち、時には山にも籠る。先日は夜通しで、背振の山中を駆けた。勿論、その時だけは酒を断った。今年で三十一になるのだ。そう若くもなく、手を抜けばすぐに衰えていく。そうなれば、三郎次には勝てやしない。
 木剣を振った後は、藁で作った等身大の人形に向かって、苦無を投げた。立って投げ、座って投げ、転がり、跳び、振り向きざまでも投げる。そうした苦無は、全て藁人形に突き立っていた。
 六本松という土地は、人の眼を気にせずに打ち込めるので気に入っている。三郎次に裏切られ、兄弟とも思っていた手下たちが死んだ忌々しい場所ではあるが、住んでみると思いの他に居心地がよい。城下からさほど離れてはいないというのに、人の数より鬼火が多いと言われるほど人家は疎らだ。忌み嫌われている陰気な場所というのも、日陰者の自分にはお似合いだと感じている。
 軽く体を動かした後は小川で身体を洗い、新しい着物に改めた。鉄紺色の筒袖に、黒紅の野袴。地味ではあるが、動きやすく、そして見た目で怪しまれない恰好を好んでいる。
 一応は浪人ではあるが、進んで不潔にしようとは思わないし、何より荒々しい風体だと客の受けも良くない。丹弥の稼業は、最初の印象というものが大事だった。
 それから大苦無を二本、そして小苦無を数本懐に忍ばせ、佩刀の大宰帥経平だざいのそちつねひらを腰に差した。
 大宰帥経平は、大宰帥である閑院宮典仁親王かんいんのみや すけひとしんのうが愛した刀工・左門寺経平さもんじつねひらの業物で、反りが浅く幅広。親王殿下が持つには武骨過ぎる実戦刀である。
 そんな大層な刀を帯びる事になったのは、決して逃れられない血筋ゆえだった。江戸を離れ、遠く筑前で生きるようになって、その事を思い出す事は少ない。
 支度を整えると、丹弥は自宅の百姓家を出た。
 今日は一つ、請け負っている依頼を終わらせる予定だった。その為に、昨夜は遅くまで下調べをしていた。
 既に陽は中天から傾こうとしている。予定より遅くなってはいるが、別に焦る事はない。どうせ、夜にならないと何も始まらない。
 未開墾の芒っぱらを抜け、荒れ果てた無縁仏の墓場を横切って六本松を出ると、丹弥はその足を紺屋町こうやまちへと向けた。
 六本松からは四半刻かかるかどうかの距離だが、途中の雁林町がんりんのちょうで朝飯と昼飯を兼ねた饂飩を食べたので、到着には多少の時間を要した。
 目的の場所は、紺屋町中堀近くにある酒問屋・笹本屋ささもとやだった。
 紺屋町は純然たる商家町で、雑多の商店が軒を並べている。紺屋というからには染工が多いと思ったが、それは黒田家が統治していた頃だけらしく、今はこの町に誰一人染工はいない。
 丹弥は酒の香しい匂いに鼻を利かせつつ、応対に現れた丁稚に「探偵屋だ」と告げた。
 探偵、それが丹弥の稼業だった。依頼を受けて秘密を探り、うかがうもので、それを探偵と丹弥は呼んでいた。
 裏廻を辞め福岡に流れた時、こんな商売をする気は微塵も無かった。しかし用心棒や代稽古、人足や寺小屋の師匠など糊口を凌ぐ為に色々と手を出したが、一番性に合ったのが、隠密と似たこの商売だった。
 そして、今回の依頼は人探しだ。探り偵うこの稼業では、浮気の調べと並んで多い依頼の一つだった。
「これはこれは、大神様」
 奥から、四十も半ばの男が現れた。縦縞鼠の小袖に、濃紺の羽織。地味だが上等な着物を着こなした旦那風である。
 この男は、笹本屋の主人で宗六そうろくという。見る限りでは物腰は柔らかく、奉公人に掛ける言葉も温かい。しかしながら、酒問屋の三代目になって傾いていた店を立て直してたというのだから、よほど商才には恵まれているのだろう。
「それで、今日はどのような御用件でございましょうか?」
「いや、ご依頼に進展があったと申しましょうか。宗六殿に報告がございましてな」
「それでは」
 宗六の表情が一瞬明るくなった。それもそのはず。宗六の依頼は、行方不明になった、十五歳の娘を探し出す事だった。
 丹弥は頷いたが、「お聞きになるのは、宗六殿だけがよかろうと思います。努々、奉公人の耳に入らぬように」と沈んだ声で耳打ちした。
 宗六は息を呑んだ様子で小刻みに頷き、丹弥を庭の離れに導いた。勿論、奉公人には決して近付かないようにと言い聞かせていた。
 宗六と向かい合って腰を下ろすと、丹弥は顔を顰めて深い溜息をついた。少々、いやかなり厳しい話をしなくてはならない。それを急に伝えるのも酷な話なので、丹弥は敢えて厳しい表情と溜息で、これから語る辛さを言外に伝えようとした。
 こうした事も、福岡に流れてから学んだ事だった。この稼業は、何よりも客の印象が第一なのだ。辛い話は神妙に、喜ぶ時は共に、という事を柄にもなく心掛けている。
「さて、これから宗六殿には厳しい話になるやもしれません」
 宗六がコクリと頷く。心の準備が出来たようだ。
 今回の依頼は宗六の一人娘である、さくを探し出す事だった。
 一か月と半月前、突如として行方を眩ませた。失踪の二日前、さくは恋仲だった出入りの職人との仲を裂かれた事で、宗六と激しい口論を演じていたらしく、最初はその職人と駆け落ちだろうと踏んでいたが、職人はさくの行方を知らないとの事だった。そこで宗六は、福岡奉行所に訴え出た。
 役人は職人を潔白シロだと判断し、この一件をかどわかしの線で調べてみたが、待てど暮らせど脅迫状のようなものは届かず、有力な情報も得られずにお手上げ状態。そこで評判を聞いた宗六が、六日前に丹弥に泣きついてきたのだ。
「もう、お役人は当てになりません」
 依頼について初めて話を聞いた時、宗六はそう言っていた。「ちっとも、お調べの進展が無いのです。最近ではちゃんと調べているのかさえ怪しく思えております」とも。
 しかし、役人の不手際も無理もない事で、丹弥も少しばかり関係している。
 二年前、抜け荷一党が一斉に検挙された。そこで捕縛された者の口から、協力関係にあった役人や、賄賂を受け取り黙認していた役人の名前が、次から次へと挙げられたのである。そのような汚職役人をそのまま使い続けるわけもいかず、大規模な人事異動があった結果、今まで算盤を弾いて帳簿をつけていた者や、郷方を回って作柄を確認していた者が、犯罪のお調べに回されるという事態が起きてしまった。要は慣れていないのだ。
「娘さんの居場所はわかりました」
「本当でございますか」
「ですが、かなり深刻な状況下に置かれております」
「深刻?」
 丹弥は、軽く目を伏せた。
 役人たちの境遇に同情はしても、さくの現状を鑑みれば、やはり動きが遅かったと言わざる得ない。もう少し早く役人が動いていれば、状況は今ほど酷くなったのかもしれない。何せ、失踪から一か月半が掛かっている。役人に調べの勘があれば、いや最初から自分に頼んでくれていれば、六日も掛からずに保護出来たのかもしれない。
「娘さんは、百道松原ももちまつばら沿いにある〔白木亭はくぼくてい〕という料亭で働かされております。料亭と言っても、それは見かけだけの話で、その実は春を売るような場所と思っていただいて構いません」
 詳しく言えば、それは遊郭のようなものではなく、素人女を抱ける場所である。世の中には商売で身を売る玄人よりも、町娘や百姓女、隣りの家の女房という素人を抱きたいと思う男は多い。
 勿論、宗六にはそこまでは言わないし、その必要もない。依頼者の精神こころにも配慮する。それも探偵稼業では大切な事だ。
「さくは、身を売っているのですか?」
「まぁ、そういう事です。ですが、これは娘さんの意志ではありません。無理に働かされているのですよ。やくざ者に」
 そう言うと、宗六の眼に怒りの炎が宿るのがわかった。この男とは六日前からの付き合いだが、激しい感情を見せるのはこれが初めてであるし、らしくない事だけはわかる。
「荒犬一家という、あの辺のやくざでしてね。少し調べたのですが、銭の為なら血を流す事も平気な屑ですよ」
「ですが、どうして娘が」
「攫われた、或いは騙されたのか。詳しい事は娘さんに訊かなければわかりませんが、あの手この手の若い娘を連れ去るという話は聞きました」
「そんな……。ですが、娘は生きているんですね」
「ええ。それは確認はとれています。ただ、ここからが大変ですよ。荒犬一家はその名の通り狂犬のような輩です。そう簡単に連れ戻せるとは思えません」
「それなら奉行所にお伝えしましょう。いくら娘を探し出せなくても、場所さえわかっていたら動くはずです」
 その提案に丹弥は腕を組んだ。
「それはどうでしょうか。役人の手に余った事を、私は六日で突き止めてしまった。決して気分がいい事ではありません。それに頭から信じず、裏を取る為に調べるでしょう。そうした動きが荒犬一家に漏れれば、娘さんは殺されてしまう可能性があります。そして何より、役人と荒犬一家が通じている可能性も」
「大神様、それではどうしたらいいのでしょうか?」
「私の役目は、娘さんの居場所を突き止めるだけです。しかし宗六殿がよければ、保護もいたしましょう」
 すると宗六が膝行し、両手をついた。
「勿論、この分のお代は結構ですよ」
「そんな。娘を救い出してくれるのなら、いくらでもお支払いいたします」
「いいえ、構わないですよ。十分な報酬をいただいておりますし」
「危険も伴うでしょう。何もしないでは」
「そうだ、この店の酒を飲み放題で如何でしょう? 本当にお代はいらないので」
 手付けで三両。成功報酬で更に五両。計八両の仕事だった。そこから必要経費も賄う事になるが、それでも十分な黒字である。探偵稼業は日々の費えを賄えばいいといいとしか考えていないので、銭勘定については深く考えてはいない。
「それに私個人として、荒犬一家には思うところはありますので」
 宗六が深く頭を垂れる。そして、何度も何度も「よろしくお願いいたします」と懇願した。
(どちらにせよ、仕掛けるつもりではいたがね)
 もうその手筈は整えているので、宗六の意向など本当はどうでもよかった。
 荒犬一家は、本当に面倒な存在なのだ。探偵稼業の中でも、何度か邪魔された事がある。やくざは総じて嫌いなのだが、堅気に手を出すやくざは特に嫌いだった。
 いずれは一度叩くつもりでいたが、不憫な宗六の存在がよい切っ掛けになってくれた。
 さくは、連れ合いを早くに亡くした宗六が、一人で育てた娘だった。さくが嫌がるだろうと後添いも迎えず、子育ても奉公人任せにしなかった。失踪前夜の口論も初めての喧嘩だったらしく、普段は仲の良い親子だったという。それだけに何としても助けてやりたいという気持ちが強い。そこには同じ娘を持つ父親としての、共感が無いわけでもない。ただ娘を捨てた自分には、親の情というものを語る資格は有していない。
「ただ一つ、どうしても用意して欲しいものがございます」
 丹弥は、そこで一つの事を宗六に頼んだ。酒問屋という地位があれば、すぐに手配出来るはずだ。
「では、今夜結構します。よろしいですね?」
 宗六は、コクリと頷いた。

(二)
 笹本屋を出た丹弥は、唐人町とうじんまちにある居酒屋に入った。
 店先に掲げられた破れ赤提灯には、〔呉駒くれこま〕と記されている。時刻は夕暮れ時を迎え、六つほどある土間席の最後の一つに丹弥は腰を下ろす事が出来た。
「いらっしゃい」
 応対に現れた十五ほどの小女に「酒、肴は適当でいい」と告げた。小女はそれを心得ている風に、「あい」とだけ、笑顔で応えた。
 呉駒は、この辺で働く時に立ち寄る店の一つである。酒はまずまずだが、肴が旨い。別に美食にこだわりがあるわけではないが、不味い飯を食おうとも思わない。
 今晩の肴は、烏賊の炙り焼きだった。甘辛いたれで焼かれた烏賊に、唐辛子が軽く振られている。焦げ目がついた烏賊の香ばしさと、甘辛さが妙に合う。さらに唐辛子の刺激が酒を進ませた。
 もう少し飲みたいが、これからひと働きしなくてはならない。多少の酒でどうこうなる事も無いが、そうした油断が命取りになる。
「旦那」
 と、声を掛けられた。見るからに柄の悪いやくざ者である。暗い目をした、背の低い男だ。
 丹弥が猪口を置くと、やくざ者は「予定通りで?」と訊いてきた。
「勿論だ」
 丹弥は軽く頷く。やくざ者はほっとした表情になり、店の外へ駆け出して行った。
 今晩さくを救い出す。その為に、荒犬一家をどうにかしなければならない。その為の策として、丹弥は荒犬一家と対立するやくざと組む事にした。やくざ者は好きではないが、これも安全に救い出し、そして報復を阻止する為である。
 酒を銚子一本で止めた丹弥は、予定通りに白木亭へと向かった。
 白木亭は百道松原沿い、西新町にしじんまちより海側に行ったところにある。福岡城下の外れも外れで、もう少し西に行けば室見川があり、それを渡ればもう天領ではない。
 そうした場所でもあるので、この時分になれば人通りは極端に減る。たまに見掛けるとしても、その殆どが白木亭に吸い込まれていった。
 丹弥は松原の中に入り、その中でも大きな松に登って木の上で夜が更けるのを待った。
 白木亭から、さくをどう救い出すのか? それは何度も考えた事だった。客としても一度店に入ったが、よほど太い稼業シノギなのか、そこら中に若い衆を配置しているので、さくと一緒に逃げ出すのは中々難しい。それに朝も昼も夜も、この売春宿は開いていて常に客がいる。言わば、死角が無いのだ。
 色々と考えた結果、正面突破が一番だという結果に至った。血は流れるであろうし、やくざ相手に喧嘩を売る事になる。それなりの危険は伴うが、人攫いの売春宿をこのまま放置もしておけるはずもない。勿論、危険を最小限に抑える為に算段もしていて、確かな勝算もある。
 丹弥は松の木から降りると、着ていた筒袖・野袴を脱ぎ、裏返しにして再び身に纏った。着物の裏生地は漆黒となっていて、裏返しにするだけで忍び装束になる仕組みになっている。あとは懐に忍ばせていた、手甲・脚絆・頭巾を身に付ければ準備は完了だった。ここまで一息。探偵稼業でここまでする事は滅多にないが、腕が鈍っていないのは、長い隠密の役目の中で身体に沁みついたからであろう。
 丹弥は大宰帥経平を背負うと、懐の大苦無を両手に持った。今回は屋内での闘争、そして手早く終わらせる必要がある。悠長に大刀を抜いている暇は無いはずだ。
「さて、行くか……」
 丹弥は松原を抜けると、闇を掛けた。白木亭の入り口。長脇差ながドスを差した二人の若い衆が、門番のように立っている。
 丹弥は疾風のように駆け寄ると、転がりながら一人の両大腿を大苦無で突き刺し、蹴倒しながら立ち上がって、もう一人の腹に右の大苦無を突き立てた。
「殺しはせんよ」
 空いた左で、右頬に打ち込んだ。けたたましい悲鳴。丹弥は背中で聞きながら、白木亭の中に跳び込んだ。
 人相の悪い男が出て来る。「誰だ、お前は」と言っている途中で襟を掴んで引き倒すと、その背中を二度突いた。
 振り向くと拳。肘で弾き上げると、がら空きになった脇に突きを放った。そして、腹。最後に足を払うと、顔面に踵を落とした。
 方々から悲鳴と怒声が聞こえ、蜘蛛の子を散らすような騒ぎになった。幾つもある部屋から、客と思われる男たちが逃げ出してくる。その多くが裸だった。女を抱いていた最中だったのだろう。
「貴様」
 不意に匕首ドスが伸びてきた。その腕を掴み、大苦無を突き刺す。更に背中にも三度。殺す必要は無い。ただ無力化すればよかった。
 それから、やくざ者がわらわらと現れる。幸い腕の方は然程もなく、ほぼ一息で黙らせられた。
 丹弥は逃げ惑う客や女たちの間を縫うように、さくのいる部屋を目指した。女には、それぞれ一部屋ずつ与えられている。さくのいる部屋は、睡蓮すいれん。それがさくの源氏名でもある。
 これは、この店を任されているやくざの一人を捕まえ、口を割らせたものだった。今その男は郊外の土蔵で吊るされている。
 睡蓮の間。襖を蹴破ると、女が部屋の隅で震えていた。。客はいないので、既に逃げたのだろう。
「さくか?」
 丹弥は訊いた。女は小刻みに顔を上下にした。
 口元の黒子。猫のような眼。長いまつ毛。宗六に聞いた特徴のままだった。
「助けに来た。逃げるぞ」
 丹弥がさくの腕を掴んだ。さっきまで抱かれていたのだろう。引っ掛けた小袖の下は全裸で、小さな乳房が露わになっている。
「野郎、いたぞ」
 部屋にやくざ者が乗り込んできた。匕首ドスを手にしている。丹弥はほくそ笑み、煙玉を行燈に投げ入れてさくを抱え上げた。
 煙玉は、白色の激しい煙を瞬時にして発生させた。これは激しい煙だけでなく、催涙の効果がある薬草を練り込んでいる。そして鉄菱。この窮地も、全て想定内だ。
 やくざ者が咳き込む間、丹弥はその包囲を突破した。煙の中で無暗に振り回す匕首ドスが幾つか身体を掠めたが、大した傷では無さそうだ。
 さくを抱いたまま、白木亭を抜け出した。百道松原に駆け込み、浜辺に向かって駆けた。そこで宗六に頼んだ船が待っている。万が一にも荒犬一家が追いかける事があっても、まさか船で逃げたとは思わないはずだ。
 浜辺へと抜ける松原の中で、やくざ者たちが待ち構えていた。その数は二十以上はいる。全員が喧嘩支度だ。
 彼らは野火のび秀松ひでまつが率いる、野火一家だ。福岡部で急速に力を伸ばす銀駒ぎんこま長兵衛ちょうべえ傘下の若衆頭で、荒犬一家と激しく対立している。
「待ってたぜ」
 その中から、痩身の男が進み出た。蜥蜴とかげのような顔付きで、目尻と口元に刀傷がある。この男が野火の秀松だ。歳は自分よりはやや上らしいが、実際はわからない。
「どうだ、具合は?」
「遺漏は無い。手筈通りだ」
 丹弥はさくを下ろしながら言った。さくは状況が飲み込めないのか、目を白黒させている。
「まぁ、木菟みみずくと呼ばれるお前さんだ。抜かりは無いと思っているよ」
 木菟。それは、丹弥の渾名だった。音も無く駆け寄り、相手を倒すからだという。主に暗い世界で広まっているそうだが、誰が最初に呼び出したのか丹弥自身もわからなかった。
「しかし、木菟が人助けとはねぇ。いくら仕事ヤマとは言え、そこまでするもんかね」
 秀松がチラリとさくに目をくれた。視線を感じたさくが、丹弥の陰に隠れた。
「そんな依頼だった。それだけだ」
 人助け。そんなつもりがあったのか、自分にはわからない。ただ荒犬一家が邪魔な上に、宗六が少々不憫に感じたというぐらいだ。さくが荒犬一家に攫われていなければ、こんな事はしなかったであろう。
 隠密をしていた頃には、はっきりと公儀の為、民百姓の為という正義があった。だが、今は特にそんな事を考えてはいない。その資格もないと思っている。ただそんな依頼だった、としか言えない。
「それより、お前たちの方は大丈夫なのか?」
「ああ、ばっちりだ。親分に用心棒も借りているしな」
 そう言って、秀松は懐手のまま秀松に寄り添う浪人に目をやった。
 歳は四十半ばか。髷には白いものが混じっている。顔は険しく、一分の隙も見いだせない。禍々しい気配を漂わせているあたり、相当な人斬りである。
「お前からナシを持ち掛けられた時は驚いたものさ。まさか、あの木菟と組む事になろうとはね」
「やくざはやくざ同士で殺し合えばいい。そう思っただけさ」
 秀松に持ち掛けた話は、簡単なものだった。白木亭に囚われた娘を救う為に襲うので、その混乱に乗じて荒犬一家に仕掛けないか? というものだ。
 西新町で無法を働く荒犬一家は、野火一家にとっては邪魔者以外何物でもない。ここ数年、対立してきた経緯もあった。そこに丹弥は目を付けたのだ。
 混乱に乗じれば、荒犬一家に痛撃を与えられるだけではなく、運が良ければ相手の親分の首を獲れる好機にもなる。その申し出を、秀松はあっさりと受け入れたのだった。秀松は荒事も得意だが、狡知な男でもある。やくざとしては、重要な資質であるとは思っていた。
「じゃ、これからが俺たちの出番だな。これからも良い付き合いを頼むぜ、木菟の旦那」
「俺はどのやくざとも五分の付き合いだ。依頼を受けてもいいが、やくざと役人は五割増しでね」
 秀松が軽く鼻を鳴らして、子分に声を掛けた。一気に闘気が沸き立つ。これから先は、自分に関係の無い事だ。
「さく、帰るか」
 丹弥はさくの小さな肩に手を回し、砂浜の方へ促した。そこでは宗六が待っているはずだ。
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